五話 相いれない趣味

 軍司たちの街の図書館はちょうど去年リニューアルしたばかりだ。単純に広く綺麗になっただけではなく蔵書は大幅に増えたし、本以外のメディアも充実して訪れる人もかなり増えている。閲覧室もおしゃれな作りに変わっていてちょっとしたカフェテリアのような雰囲気となっていた。


 その客層も様々で、本を読んでいるものから専用のスペースで映画などを楽しむもの、快適な場所で時間潰しをしたいだけなのか椅子でのんびりとスマホをいじるもの、カップルでただ楽しそうに談笑するものまで三者三様だ。


 そんな中で軍司と旭の二人は何冊もの参考書を机に並べて熱心に勉強している学生に見えることだろう…………その実態は異世界転生の秘薬の作り方が書いてあるらしい怪しい本の解読という人に説明しがたいものなのだが。


「…………やってみれば意外と何とかなってしまうものだな」


 正直に言って軍司はこんな怪しげな本の解読などまともに進みはしまいと思っていた。確かに文章それ自体は現存する言語が入り混じって書かれているから翻訳はできる。しかし翻訳したところでそれらがまともに繋がるとは思っていなかった…………そもそも文法などは言語ごとに違うのだから、複数の言語を組み合わせて書いた文章が成立するはずないのだ。


 しかし意外というか文章は成立してしまった。もちろんそのままでは成立しないのだが、どうにもページごとに鍵となる言語があるらしく、その言語で全て翻訳すると綺麗に文章が成立するようになっているようなのだ。


「それは先輩がすごいからっすよ」

「否定はせんが…………」


 難解な言語がいくつも入り混じっていたので、それが翻訳できたのは軍司の語学力のたまものではあるだろう…………しかし肝心の読み解き方に関しては全く関係ない。


 軍司も旭も日本人なのだからまず一ページ目を日本語で翻訳した。すると一ページ目の鍵となる言語が日本語だったというだけの話なのだ。そのまま二ページ目を翻訳したら意味が通らず、それでカギとなる言語があるのではという発想が浮かんだのだった。


 恐らく最初のページの鍵が日本語でなかったらかなりの時間を悩まされたことだろう。それを考えると旭の賞賛を軍司は素直に受け取れない。


「偶然にしてはできすぎているように思える」

「そっすか? 作者が日本人だったとかじゃないすかね」


 普通こんな偶然があるだろうかと軍司は訝しむが、旭は特に気にならないようだった。自分が日本人だから最初の鍵は母国語を選んだ。単純だがありえそうな話ではある。


「それより翻訳頑張るっすよ! 解読ほうがわかっても大変なのは変わらないんすから」

「そうだな」


 複数入り混じった言語を一つの言語ごとに総当たりで翻訳していかなければならないのだ。今のところ鍵となる言語を特定するヒントのようなものを見つけられていないので、当たりを引けるかどうかで一つのページの翻訳にかかる時間は大幅に変動する。


「そういえば」


 それからしばらく二人で無言のまま翻訳をし、ふと思いついたように軍司は口を開く。話ながらも翻訳の手は止まっていない。言語と辞書の内容を照らし合わせて翻訳した内容をノートに書きこんでいく。それはほとんど単純作業のようなもので、慣れてしまえば話ながらだってもう手は進む。


「なんすか?」


 視線を上げずに旭も返事をする。暗記が得意というだけあって単純作業は彼女のほうも慣れたものなのだろう。


「いや、水村はゲームとかやるのかと思ってな」

「いきなりっすね」

「まあ、雑談だ。こういうものは根を詰めすぎても逆に効率が落ちるものだからな」

「そういうものっすか」


 適度に息抜きを挟むのが長くやるコツだ。


「あ、そういえば先輩」

「なんだ?」

「水村じゃなくて旭でいいっすよ」

「いいのか?」

「はい、先輩なら問題ないっす」

「そうか」


 まあ、当人がいいなら軍司が拒否する理由もない。


「それでゲームっすけど、特にしないっすよ。時間を取られちゃうんで」

「そうなのか…………漫画や小説なんかは?」

「読まないっすね。知識を蓄えるのが最優先なんで」

「…………そうなのか」


 異世界転生なんて願望はゲームや漫画に小説などに触れて生まれるものなのではないかと軍司は思ったのだが、旭はそうではないらしい。それでは一体どこで彼女は異世界転生という概念に触れて憧れるようになったのか疑問が浮かぶ。


「先輩はどうなんすか?」

「ん、俺か?」

「はいっす」

「俺はまあ…………漫画は読まないが時々ゲームはやるな」


 尋ね返されたので軍司は素直に答える。


「へー、なんか意外っすね」

「よく言われる」


 固い趣味ばかりやっているイメージで見られているので、軍司が趣味の一つとして口にすると皆同じ反応を返される。


「まあ、ゲームっていってもテレビでやる奴じゃなくてVRゲームってやつだがな」


 テレビ画面を眺めてやるゲームと仮想現実に飛びこむVRゲームは同じゲームであってもその体験は大きく違う…………と、軍司は気づく。VRゲームにはそれこそ異世界を冒険するようなものだってある。


 これまでなんで思い浮かばなかったのか自分でも不思議だが、旭に進める価値はあるのではないだろうかと軍司は思う…………もしVRでの体験が気に入れば現実でわざわざ転生しようなんて考えなくなるかもしれない。


「今度旭も試しに…………」

「無理っす!」


 しかし誘う言葉も半ばに遮って旭は拒否する。しかしそれよりも彼女のその怯えるようにすら見える拒絶の表情が軍司を驚かせた。


「あー、ええっと」

「す、すみませんっす!」


 戸惑う軍司にはっとなって旭が謝る。


「いや、それは構わんのだが…………声が少し大きい」

「あ…………そうっすね」


 言われて気づいたように旭は周りを見る。先ほどの拒絶の声は少し大きくて周囲の注目を集めていた。下世話な視線が混ざっているのは痴話げんかとでも思われたのかもしれない。


「それで、VRゲームは苦手なのか?」

「その、そうなんす……………酔うんすよ」

「最近のは五感の再現もしっかりしていてほとんど現実変わらない感覚のはずだが」


 それこそ本当に別の世界へ飛び込んだような感覚に軍司も驚嘆したものだ。


「と、とにかく駄目なんすよ!」


 声を抑えながらも、旭は必死の様子だった。


「いやまあ、そういうことなら無理には勧めんが」


 別に軍司も無理やりやらせたいわけではない。こんな反応では仮にやってもらったとしても望んだ結果にならないのは明らかだ。


「申し訳ないっす」

「だから謝るようなことじゃあない」


 しゅんとする旭に軍司は苦笑する。一貫して彼女は彼よりも目下という態度を崩さない。確かに先輩後輩という関係ではあるのだが、部活などのように強い上下関係が必要なわけでもないのだしもう少し気楽にしてくれてもいいのだがと思わないでもない。


「さ、どんどん進めていこう」

「はいっす」


 まあ、共に時間を過ごしていれば少しずつ慣れていくだろうと軍司は判断する。


 それからまた雑談を挟んだりしながら、二人は翻訳作業を進めていった。

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