四話 奇書

「あー、その本はどこで?」


 その本は見るからに古く、分厚く、見るものを不安にさせるような不気味な色合いの装丁そうていに見たこともないような言語で表題が書かれていた。軍司は言語が堪能な方なのだがその言語に関しては類似したものが記憶にない。


「これはネットの噂話を頼りにいくつもの古書店を巡り歩いてようやく見つけた秘蔵の品っすよ。なんでも店主のお爺さんですら仕入れた覚えがない本ってことでタダで譲ってもらうことができたんす」

「…………」


 それはお爺さんが仕入れたことを忘れているだけなのではとも軍司は頭によぎったが、その本がそう簡単に忘れないほどの異彩を放っているのも確かだ。


「それは、読めたのか?」

「全く読めないっすね」

「…………それなのに異世界転生の秘薬の作り方が書いてあると?」

「そういう本があるらしいって噂を元に見つけた本っすから」


 つまりその噂の本がこれであるという確証はないらしい。しかし旭はそうでない可能性というものを一切疑ってはいないようだ。


「私もできる限りの解読は試みたんすけど…………正直に言うと私暗記は得意なんすけど、知識を応用するとか頭使うようなことは苦手なんすよね」

「なるほど」


 一口に頭が良いといっても様々な見方があるが、まずほとんどの人が思い浮かべるのは勉強ができるか否かだろう。その意味合いでは旭は勉強ができる。暗記が得意であるなら学校の勉強はたいてい覚えれば済むことなのだから。


 しかし暗号の解読のようなものは覚えたものをそれに合わせて様々な組み合わせに応用する必要がある…………彼女にはそれが出来ないのだろう。


「印象でしかないですけど、先輩って頭いいんすよね?」


 期待するようなその視線が軍司に求めていることは明らかだった。


「まあ悪いとは言わんが…………未知の言語を解読するのはそれこそプロの学者の領分だと思うぞ」


 幸い軍司には言語が堪能たんのうであるという自負があるが、それはあくまで主要な言語のいくつかに限っての話だ。それにその言語が未知の言語であるかすら現状では不明だろう。狂人が書き殴った意味のない記号かもしれないし、賢人によるいたずらの可能性もある。


「や、確かに表題はよくわかんない文字っすけど…………中の文章はどうもいろんな言語を組み合わせたようなモノっぽいんすよ」

「ほう?」


 差し出された本を軍司は受け取って開いてみる。パラパラとめくって何ページが確認してみるが、確かにいくつも見知った言語を拾うことができた…………しかしこれはどういう本なんだと彼は疑問に思う。拾えた言語がそれぞれ意味をなさないのは別としても、この本は全て手書きで書かれている。それも精緻せいちに。


 普通に考えて複数の言語の入り混じった文章なんて書こうと思えば何度も手が止まるものだろう。しかしどうにもこの本の著者はこれらの文章を流れるように止まることなく書いているような印象を受ける。それくらいこれらの文章は見た目としてきっちり揃っているのだ。


「どうっすか?」

「…………まあ、全くとっかかりがないってことはなさそうだな」


 これらの言語を個々で翻訳して意味のある文章になるかは不明だが、少なくとも手を付ける隙間もないというわけではないように思えた。


「えっとそれじゃあ…………」

「協力すると約束したんだ、努力はしよう」


 面白そうではあるし、翻訳に時間が掛かるならそれもいいと軍司は判断する。


「とりあえず、俺の詳しくない言語も混じってるから図書館に詰めて調べるか」

「もちろん私も手伝うっすよ!」

「ああ、頼む」


 軍司は頷く。


 少なくともその間は旭が無謀な試みに挑む時間を稼げるということでもあるのだから。


                ◇


「で、どうだ件の転生志願少女の様子は」


 翌日の学食で軍司が海斗と会うと早速その話題を口にされる。まあ、事情を説明して情報を求めたのだからその後のことを聞かれるのは想像できた話ではある。


「まあ、当面の時間は稼げた感じだな」

「ほう」


 話さなければ詮索され続ける未来が見えているので軍司は素直に経緯を説明する。海斗は自分が楽しむためなら手間を惜しまない享楽家だが、軍司を敵に回さない程度の配慮はできる人間だとは知っていた。


「なるほどな、当分は二人で楽しいお勉強か」

「まあ、嫌いな作業ではないな」


 茶化すような海斗に軍司はあくまで真面目に答える。


「固い、固いねえ。そんなんじゃその子の考えを変えるなんてできないと俺は思うがね」

「俺の固さとそれにどんな関係がある」

「あるともさ」


 当然だろう? と海斗は軍司を見る。


「お前は理屈でそのことを納得させる道を探してるんだろうが…………その子は現実的に異世界転生を目指すことがまともじゃないことも理解できない阿呆か?」

「いいや」


 軍司は首を振る。最初は滅茶苦茶なことを考える少女だと印象を受けたが、話してみれば理性的というかその目的以外はしっかりとした常識を備えているように感じた。自分がおかしいと思われることは理解したうえで異世界転生を彼女は目指しているのだ。


「つまりはその子が異世界転生を目指すのは理屈じゃねえんだ。お前の説得でトラックを使うのを諦めたように、その本に書かれてる方法が出鱈目だったとしても別の方法を見つけるだけだろうさ…………お前がどんなに否定してもその方法を見つけるまであがき続ける」

「…………ならどうしろと?」

「なに、代わりの目的を与えてやればいい」


 絶対に諦めない目的があってもそれよりも優先する目的ができないわけではない。異世界転生という目的を否定しなくとも旭が優先したくなるような目的を与えてやればいいのだと海斗は口にする。


「…………簡単に言ってくれるな」


 言うのは簡単だが、あれだけの熱意を傾けているものより優先するような目的など簡単に提示できるものではない。


「いやなに簡単だとも。俺たちくらいの年齢なら簡単にかかりやすい熱病みたいなもんがあるだろう?」

「おい、まさか…………」

「恋愛だよ、恋愛。それに夢中になっちまえば他の何も見えなくなるってやつだ」

「お前なあ」


 予想通りの返答に軍司は呆れるが、当の海斗は実に楽しげだった。


「お前のような堅物が色恋沙汰に真剣に挑むのが見たいという気持ちもあるが、アドバイスとしては真剣だぞ? 恋愛ってのは人間の本能みたいなもんだからな、あらゆるものごとに優先させるだけの力がある」


 それで身持ちを崩した人間は歴史的な例でも数知れず。それ自体は軍司も認めるしかないは話ではあった。


「幸いお前はうまいこと信頼は得られているんだ、やりようはあるんじゃないか?」

「…………」

「俺が思うに選択肢はそれほどないと思うがね。ま、選ぶなら早めにしとくことだな…………で、それはそれとして昨日も話したがゲームのほうはやったか? 俺は今日にも知り合いと大きなミッションに挑むことになってるんだが」


 選択肢は提示しただけでどうするかは委ねるというように海斗は話題を変える。一方的に選択を押し付けて反論も許さない態度ともいえるのだが、軍司も今は反論する論理が浮かばなかったのでそれを受け入れた。


 それからしばらく、二人は共通の話題で時間を潰した。

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