三話 水村旭という後輩③

「このアップルパイとっても美味しいっす!」

「そうだろう」


 運ばれてきたアップルパイに顔をほころばせる旭を軍司は満足げに見つめる。自分で作ったものではなくともお気に入りの店の品を気に入って貰えるのは嬉しいものだ。


「うむ、美味い」


 自分も口に運んでその味をしてさらにコーヒーを一口。常連である彼にとっては慣れ親しんだ味ではあるが、美味いものは何度食べたって美味いのだ。


「ん、コーヒーは苦手か?」


 見やれば旭はちびちびと舐めるようにコーヒーを飲んでいた。


「あはは、実はちょっと」

「それなら聞いた時に遠慮なく断ればよかろうに」

「だってほら、コーヒーが飲めないって子供みたいって思われるじゃないっすか」

「…………それは気にするのか」

 

 クラスメイトからハブられても気にしないくせにと軍司は思う。


「や、だってクラスメイトからはなんて思われてもいいっすけど…………先輩はどうでもいい人じゃないっすから」

「それは嬉しいが………」


 さらりとクラスメイトどうでもいい扱いするんじゃないと思いつつ彼は続ける。


「自分で言うのもなんだが、俺は君と昨日今日会った関係でしかないぞ?」

「でも、私の夢を真面目に聞いてくれたのは先輩だけっすから」


 それだけで十分なのだと言わんばかりに自分を見る旭に軍司はちくりと罪悪感を覚える。確かに彼は彼女の夢を馬鹿にはしなかったが…………だからこそ止める気でいるのに。


「俺は…………」

「それにこんなおいしいケーキを奢って貰っちゃいましたし」


 なにかを言おうとした軍司を遮って旭がにひひと笑う。


「別におごるとは言って…………いや、元々奢るつもりではあったが」

「ならいいじゃないっすか」

「こういうものは相手から口にするのを待つものだろうに」

「そういうもんすかね?」

「そういうものだ」


 呆れたように答えて見せながら、ふう、と軍司は息を吐く。純粋な信頼を向けられて思わず正直に近づいた理由を明かしそうになってしまったところだった。良く悪くも旭という少女には邪念がない…………そういった相手をたばかるのは必要だと理解していても心が痛む。


 しかしだからこそ無謀な試みで命を落としてもらいたくないとも思うのだ。


「それにしても本当にこれ美味しいっすね」

「…………まあ、いいが」


 そんな彼の内心を知ってか知らずか、ごまかすように話題をケーキに戻す旭に呆れつつも話題がそれること自体は軍司にも都合はよかった。


「どうやったらこの味が出せるのか…………やっぱり長年の経験でつちかった秘伝のレシピっすかね。気になるっす」

「…………水村は料理とかするのか?」


 誤魔化すだけにしては少しばかり真剣に考えているように軍司には見えた。


「や、料理はしないんですけど…………これは、と思った料理やお菓子なんかはその製法を調べるようにしてるんす」

「ふむ?」


 軍司も気にいった料理や菓子の材料なんかを調べたりすることはあるが、旭の物言いはどうもそれとは性質が違うように聞こえる。


「製法を調べるだけなのか?」

「調べて暗記するんすよ!」

「暗記?」


 ますます軍司には意味が分からない。作りもしないのに暗記するほど覚えてどうするというのだろうか。


「…………もしかしてそれも異世界転生に関係があるのか?」

「その通りっすよ! 流石先輩はわかってるっすね!」


 軍司が察したことが旭はとても嬉しそうだった。


「異世界転生にはっすね、転生チートとは別に前世の記憶を引き継ぐことによる知識チートっていうのがあるんすよ」

「…………話の流れからするとこちらの知識を使って活躍するとかそういう話か?」

「そうっすそうっす」


 うんうんと旭は頷く。


「元の世界にあって異世界にはないものを作ってお金を稼いだりとかするんすよ。向こうは中世くらいの文明レベルっすからね。こっちの食べ物や技術なんかを持ち込めれば転生チート抜きでもウハウハってわけっすよ」


 熱く語る旭だが軍司は利きながらそんなにうまくいくものだろうかと懐疑的だった。例えば食べ物一つとってもこちらの世界です国々によってその好みは異なる。それが異世界ともなれば全く違う味覚である可能性もあるし、技術にしたってそもそもの物理法則が異なっている可能性だってあるだろう。


 まあ、話を聞く限り旭の想像する異世界のイメージは固まっている。中世くらいの文明で剣と魔法のファンタジーな世界…………そのイメージに現実的な解釈をして水を差すのも無粋だろうと軍司は判断する。


「なるほど、それじゃあ料理以外には何を覚えたんだ?」

「まずは火薬っすね。それと原始的な銃の作り方とかも覚えたっすよ!」

「…………物騒なものを持ち込もうとするんだな」

「そこはやっぱり魔物と戦うんで必要っすからね!」


 良い顔で旭は答える…………剣と魔法の世界なのだからそれで戦うのが醍醐味ではないのかと軍司は思ったが、それは恐らく実利ではなくロマンなのだろう。こちらの世界から持ち込んだ知識から作ったもので異世界の魔物を倒すというところにカタルシスがあるに違いない。


「ちなみにその勉強はどれくらいやってるんだ?」

「暇なときにはとにかくインターネットを漁って知識を詰め込むようにしてるっすね。今の時代は外でもスマホで調べ物ができるから重宝してるっす」

「なるほど」


 口だけではなく実際にやっているのだろうと軍司は思う。好きこそものの上手なれというが自分の好きなことに対する努力は苦にならないものだ。真剣に異世界転生をしたいと思っているからこそ、その先のための努力も真剣にやれるのだ…………軍司としてはその真剣さに頭が痛いが。


「あー、それでだ」


 そろそろ本題に入るべきかと軍司は話を一旦区切る。


「なんすか?」

「トラックの転生については諦めたわけだよな?」

「はい! 先輩に言われて改めて考えたんすけど、偶然ならともかく自分から飛び込むのは確かに運転手さんに悪いっす! 立つ鳥跡を濁さずの精神で行くことに決めました!」

「そうか、それは正しい考え方だ」


 できれば直接的な実害だけではなく、旭が死んで残されるであろう近しい人間のことにも意識を向けてほしかったが現状では高望みだろう。


「それで俺は同じようなことがないように協力すると言ったわけだが…………他の方法に当てはあるのか?」


 できればないと答えてほしいが、どうせあるんだろうなとも軍司は思う。


「んー、異世界転生の方法ってトラック以外にもいろいろあるんすけど、偶発的というかこっちからのアプローチが可能な方法って少ないんすよねえ」

「そうなのか」


 おや、と軍司は思う。それであれば当面はその方法を探すという方向で時間を稼げるかもしれない。


「でも今日はその少ない方法の一つを用意してきたっすよ」

「…………そうか」


 軍司の希望は一瞬で消え失せたらしかった。そんな彼の内心の落胆を知らぬまま旭はごそごそと自分の鞄を漁って何かを手につかむ。


「これが異世界転生の秘薬の作り方が書いてあるとされる本っすよ!」


 そして見るからに怪しい本を彼女は取り出したのだった。

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