第15話 絶叫は友情の始まり
「バーシャバシャバシャバッシャバシャ~」
「……何の歌?」
「馬車の歌」
「そういう歌があるの?」
「今作った」
などと、俺とアータンは馬車の中でまったく身にならない会話をしていた。
予定通り昼に出発した馬車に揺られて早数時間。今のところ野盗も魔物も襲い掛かってこず俺達は暇を持て余していた。そりゃあ即興の歌もできてしまう。
予定では夕方までには宿場町に着く予定。
目下の目的は、いかにそれまでの時間を潰すかだった。
「うーん、そう言えばアータンってどんな魔法使えるんだ?」
「私?」
話題を振られたアータンは答える。
「得意なのは火と水で盾魔法も少々……あ! あとは毒とかも使えるよ!」
「先生と呼ばせてください」
「なんで!?」
俺は頭を下げた。
だってアータン……余裕で俺より使える魔法多いんだもん……。
王道ファンタジーなギルシンシリーズにも、当然ながら魔法は登場する。地水火風の四属性を基本とし、火と風が合わさった雷魔法。水と土が合わさった氷魔法。独立した属性として無属性、そして光と闇がある。
さらに補助魔法を加えれば、全体の総数は優に百を超える。
だが、俺は無属性の〈
一応、努力で適性外の魔法も覚えられなくはないが……費やした時間と努力に見合った価値があるレベルまで習熟できるかと言われれば、首を傾げざるを得ない。
逆にほぼほぼ全部一線級で扱えるセパルとかがおかしいんだよ。
なんだあいつ、天才か?
天才だったわ。
「いいなー、アータン! 火と水使えるのいいなー!」
「そんなに羨ましがるところかな……?」
「そりゃそうよ。火起こしに湯沸かし、洗い物に洗濯物の煮沸までなんにでも使えるじゃんよ」
「観点が家庭的……!」
そうは言ってもですね、アータンさん。
この中世風の世界、元日本人の俺からしてみれば衛生観念が低いこと低いこと。一部魔導具やらなんやら便利なアイテムは存在しているものの、田舎の農村とかなんてそれこそ水道もなければ風呂もない。
そう……風呂がないのだ。
風呂が! ないのである!
現代日本人の感覚として、お風呂に入れないなんて考えられないわ!
一応王都には公衆浴場はあるものの、一人でゆっくり浸かれる湯船なんてそれこそ貴族とかのデカい館にしか存在しないだろう。
「アータン先生……誠に恐縮ではございますが、今度からお湯を工面してはいただけないでしょうか……?」
「そんなにかしこまらなくても……別にお湯くらいいくらでも出してあげるよ」
「ありがとうございますッ!!」
勝ったな。
これで俺の冒険者生活は一段階上へと昇った。
最早恐れるものなどなにもない。
「フフッ、汚れを気にしなくていいと分かったら存分に暴れられるぜぇ……! ケヒャヒャー!」
「その変な笑い声はなに?」
「名前も声も知らない野盗の真似」
「実在すらも怪しいの?!」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「っ、何の声!?」
突然聞こえた咆哮にアータンは杖を取り出した。
恐ろしい魔物を想像したのか、彼女は頬に汗を伝わせながら馬車から身を乗り出し、周囲を確認している。
「あー、この声は……」
「知ってるの、ライアー!?」
「あそこ見てみ」
「あそこ……?」
身を乗り出すアータンが落ちないよう手で制しながら、俺は小高い丘の上を指差す。
そこには灰色の体毛に覆われた一匹の小さい魔物が佇んでいた。大きな耳はパラボラアンテナのように凹んでおり、出っ張った前歯はまるで鉄琴を彷彿とさせる金属光沢を放っていた。
しかし、一見するとその風貌は……。
「……ネズミ?」
「シャウトラットだな」
「魔物なの?」
「魔物っちゃ魔物だが、そこまで危険じゃないな」
「なんだぁ……」
ホッと胸を撫でおろすアータンは腰を下ろした。
そして、自分を微笑ましそうに見つめる視線に気が付く。馬の手綱を握る依頼人兼御者のおじさんだ。冒険者でもなんでもない彼の落ち着き払った様子を見て、自分が必要以上に反応していた事実にアータンはカッと頬を赤らめた。
おじさんの態度から分かる通り、シャウトラットの危険度は魔物の中でも低い。というより、こっちから手を出さない限り襲い掛かってくることはない。
特段珍しいということもなく、街道沿いを進めば大抵居る。馬車を引く馬もあの雄たけびには慣れ切っている様子だった。
「いい機会だから教えるか。『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』は敵が近づいてきたら『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』やって大声で叫んで仲間に敵襲を報せるんだ」
「へぇ~。じゃあ『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』のって……」
「俺達のことを『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』と思ったんだろうな」
「そ『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』だ『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』」
「うるせえええええ!!! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
「両側がうるさい!」
人の会話を邪魔する畜生が。
こうなったら人と獣の違いを分からせるしかあるめえ。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!! ほら、アータンも」
「私も!?」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「あ……あぁーーーー!!!」
その後、俺とシャウトラットの叫び合いは一分ほど続いた。
全てを終えた時、俺達の間には友情が芽生えた。
鳴くのをやめたシャウトラットは、街道沿いを進んでいく俺達の馬車を静かに見送ってくれた。お前のこと……俺は忘れねえよ。
「それはそれとして、シャウトラットの前歯って良い素材になるんだよな」
「さっきの今で!?」
アータンがツッコむが、実際シャウトラットの前歯は有用だ。鉄分を含み金属のように頑丈だから、削ればそこそこ切れ味のいい刃物になる。ゲーム序盤ではよくお世話になった装備だ。
「アータンもいつかは魔物の素材でカッコいい武器作ろうぜ」
「えー……でも私、マザーから貰った杖があるから……」
「チッチッチ。違うんだなぁ、最初の武器をどんどん強化していくのも冒険の醍醐味なのよ」
「うーん、そうかなぁ?」
「特に罪使いの武器はな。アータンの杖だって、使い続ければいずれは……」
『わ、わああああ!!?』
「「!」」
遠くから誰かの悲鳴が聞こえてきた。
馬車から身を乗り出して前方を確認する。距離で言えば数百メートルほどだろうか。街道の先を進んでいる別の馬車が見えたが、その周囲を這う巨大な影があるのが見えた。
「スワローラーか!」
大の大人一人を丸呑みできそうな大蛇、それが
体色は周囲の草原に溶け込むよう、深い緑色に染まっている。
それがまさに今、護衛と思しき冒険者の下半身を丸呑みにしている最中であるのを見て、アータンの顔からは血の気が引いていた。
「ラ、ライアー!」
「どうせ通る道だ。先に行って片づけてくる」
「気をつけて!」
自分達が乗っていた馬車はアータンに任せ、俺はスワローラーに襲われている馬車の下へ駆けつける。
俺が到着する頃、スワローラーは冒険者の男をほとんど吞み込んでいた。
唯一口から顔を覗かせる冒険者は恐怖で顔が歪んでいた。彼の仲間と思しき冒険者も必死に助けようとしてはいるが、下手に攻撃すれば丸呑みにされる仲間を傷つけてしまうことを危惧し、二の足を踏んでいる様子だった。
「ま、それなら下から掻っ捌けばいいだけだがな!」
剣を抜いてまずスワローラーの背後に回り込んだ。
全長で言えば5メートルほどだろうか。飲み込まれている男のシルエットが浮かび上がる部分を見極め、スワローラーの下半分を切り離すように刃を振り下ろした。
スワローラーは危険な魔物だ。
だがそれはあくまで『普通の動物と比べれば』というだけであり、理不尽な強さや厄介な能力は持っていないただのデカい蛇だ。
注意すべき点と言えば、やはりその巨体を覆う強靭な鱗。
これを切り裂くには思い切った一太刀が必要だった。
全力の斬り下ろしは見事スワローラーの鱗を裂き、その奥に潜んでいた筋肉や骨を断ち、下半身を切り離してみせた。大蛇の口からは悲鳴とも取れぬ鳴き声が上がる。
「ちょいと失礼!」
だが、これだけで死ぬほどスワローラーはヤワではない。
すぐさまのた打ち回る上半身───思考を司る頭部まで駆け寄り、その頭蓋骨を刺突で砕いた。
一際甲高い悲鳴が空に響く。
しかし、それを最後にスワローラーは力なくその場に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
「よし、今出してやるからな」
『た、助けてくれ~』
スワローラーの口の奥から弱弱しい声が聞こえてくる。
周囲の冒険者にも協力を仰ぎながらスワローラーの胴体を開きにすれば、消化液でネトネトになった冒険者が生まれてきた。おめでとうございます、元気な成人男性ですよ。
「た、助かったぁ……っつ……!」
「無理するな。どっか骨折れてるかもしれないからな」
「あ、あぁ」
危うく丸呑みにされかけた冒険者を救い、一件落着。
残されたのは巨大な蛇の死体だけだ。スワローラーは皮を使えば防具になるし、肉の部分も鶏肉みたいな味がして美味しい。
人を食べたかもしれない蛇を食べたいかはまた別問題だが……。
「とりあえず討伐証明に頭の皮でも剥ぐかぁ」
魔物を倒し、討伐した証明となる部位をギルドに引き渡せばお金を貰える。
こういうところでコツコツ稼いでいくのも冒険者をやっていくコツだ。
けど、解体作業って中々グロイんだよな……。
後ろから来るアータンが追い付くまでに、顔の皮の剥ぎ取りだけでもちゃっちゃと終わらせてしまおう。
そう思いながら剥ぎ取りナイフを手に取る。
その時だ。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
***
「すごい……」
後方の馬車から身を乗り出していたアータンが呟いた。
あれほど巨大な魔物は見たことがない。精々見たことがあるのは犬や狼のような中型の魔物ぐらいだった。
対峙すればどれほど強いかなど想像もつかない───否、冒険者が数人がかりで囲んで倒せていない辺り、その辺の魔物とは一線を画す強さなのであろう。
だからこそ、それを容易く倒してみせたライアーの強さが際立った。
彼は一撃も貰ってはいない。
吞み込まれた冒険者を救うにはそんな余裕などありはしなかった。
しかし、彼は勝った。丸太のように太い胴体を一刀両断し、大きさに比例し分厚いであろう頭蓋に穴を開け、確実に仕留めたのだ。
「手際がいいな……」
馬の手綱を握っていた男も感心した声を漏らしていた。
よく護衛依頼を出し、冒険者の戦いぶりを目にしているであろう彼が言うのだ。少なくともライアーは冒険者の中でも上澄みに居るのだろう。
「私もあんな風に……」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「? この声……」
シャウトラットの雄たけびが聞こえ、アータンは反射的に振り向く。
「あ」
刹那、少女の動きが固まった。
何事かと振り向いた御者も固まる。
「あ、あぁ、あぁあ……」
震えた声しか出せぬアータンが目にしたもの。
それは先程ライアーが倒していたスワローラーよりも遥かに巨大な蛇であった。長さで言えば三十メートルは下らない。
既に開かれていた大口はアータンぐらいの身長ほどもあった。
そんな大蛇が馬車諸共アータン達を丸呑みにしようと前に倒れ込み───。
「に───逃げろぉおおお!!!」
「きゃあああ!?」
叫ぶ御者が手綱を振れば、馬車は勢いよく駆け出した。
馬車の加速と狙いが逸れた大蛇の頭が地面を打つ衝撃で、アータンの身体が一瞬宙に浮かび上がるが、寸でのところで落ちずに済んだ。
「あ、危なかったぁ……!」
「マズイ……追ってくるぞ! 迎撃してくれ!」
「えぇ!?」
再び後方を確認すれば、たしかに大蛇がこちらを追っていた。
このままではライアーが居る地点に合流するよりも早く、敵に追いつかれてしまうだろう。
「くっ……〈
兎にも角にも攻撃しなければ始まらない。
アータンは自分が得意とする〈水魔法〉を繰り出した。魔力によって生成された水弾は真っすぐ大蛇の顔面に見事命中する。
「やった!」
「シャアアアア!!」
「全然効いてないぃー!? どど、どうしよう……!」
『アーターンッ!!』
「ライアー!」
魔法が効かずパニック寸前のアータン。
しかし、そこに救援しに駆けつけようとするライアーの声が聞こえて来た。
『そいつ───
「火!? それなら……!」
今度は先程と違い、魔力で炎を生み出した。
「〈
「ッ!!? シギャアアア!!」
「効いた!?」
「───アアアアアッ!!!」
「まだ追ってくるの!?」
怯んだのは一瞬だけだった。
むしろ一撃貰ったことが逆鱗に触れたらしく、野太い咆哮を上げるヴォラレフィリアは執拗にアータンを狙って咬みついてくる。
こうなっては堪ったものではない。
「〈
アータンは涙目になりながら、一心不乱に魔法の炎を撃ち続ける。
だが、ヴォラレフィリアは巨体に似合わぬ俊敏な動きで迫りくる炎弾を掻い潜る。
攻撃が当たらない。
その事実が尚更アータンの焦燥を煽り、狙いがブレていく悪循環へと繋がる。
(どうしよう……どうしよう!?)
『アータン! お湯出せ、お湯!』
「お……お湯ぅ!? なんで……?!」
『いいから早く!』
「ッ~~~、ええい!」
ライアーから詳しい説明も受ける間もなく、アータンは『ままよ!』と火魔法と水魔法でお湯を生み出した。
わぁ、あったかい。
「───これでどうすればいいの!!?」
当然の疑問だった。
お湯を出した。だから何だ?
これで温まって落ち着けとでも言うのだろうか?
だとしたら自分はあの鉄仮面をベコベコのベッコベコにしなければ気が済まない。
しかし、現実はそれ以上にバイオレンスだ。
鉄仮面をタコ殴りにするよりも早く、大口を開けた大蛇が目と鼻の先まで迫っていた。
───あ、終わった。
呆然としたアータンであったが、不意に王都での一幕を思い出す。
それはアイムの毒液によって溶断されるセパル───の分身。
正確に言えば水で生成した分身だ。
そこまで思い出した時、少女はたった今生み出したお湯を手放した。
「ジュラララ!!!」
「ひぃ!!? ……あれ?」
死を覚悟し目を瞑る。
十秒が経過した。一向に大蛇の口が自分を飲み込むことはなかった。
恐る恐る確認してみると、大蛇はゴクゴクと喉を鳴らして何かを飲み込んでいた。だが、大蛇自身何かがおかしいと感じたのか、口の周りに伝う水滴を舐めとった後、改めてアータンの追跡を再開する。
「や、やっぱり……?」
「ヴォラレフィリアは目が悪いんだ。だから目じゃなくて熱で獲物を探す」
「ライアー!」
「だから蛇相手にゃ人肌のお湯で誤魔化せるんだな、これがァ!」
テストに出るぞ、と冗談っぽく告げるライアーが入れ替わるように大蛇の前へと躍り出た。
そのまま咬みつこうとする大蛇の頭目がけて剣を振るう。
が、直前で頭を振ったヴォラレフィリアを前に、振り下ろした刃は強靭な鱗に阻まれてしまった。まるで鎖帷子でも切りつけているような感覚だ。
体当たりしてくる大蛇の身体を蹴り距離を取るライアーは、面倒臭そうと言わんばかりに目を細めた。
「おいおい、刃が通らないんじゃあどうしようもねえよ」
「ジュラララッ!!」
そんな彼を嘲笑うように、けたたましい鳴き声を上げるヴォラレフィリアが覆い被さってくる。
「ライアーッ!!」
「───嘘だよ~ん」
ザンッ!! と風を切る音が響いた。
直後、猛烈な風が周囲を駆け抜けていく。思わず目を閉じかけるアータンであったが、薄ぼんやりとした視界の中で彼女は目撃した。
(え? 今、剣の形が変わったような……)
彼が握っていたのはただのショートソードだったはずだ。
それが一瞬、身の丈をも超える大剣に変化したようにアータンの目には映った。
周囲の風が収まった頃、ゴシゴシと目を擦る少女は改めて眼前の光景を目の当たりにした。
砂煙が晴れた先。
そこには頭部を縦に真っ二つに両断されている大蛇の死体があった。
ピクピクと痙攣はしているものの、最早先のように獲物を追いかけ回すなどできぬ状態。
勝者がどちらかなど明白であった。
「ヒュ~、大漁大漁♪」
飄々と口笛を吹くライアーは、剣に付いた血を拭いながらアータンの方へ振り返る。
「やったな、アータン! こいつを売りゃあ夕飯がごちそうになるぜ~」
「……はははっ」
緊張の糸が切れ、全身から力が抜けた。
尻もちをついたアータンは、自身の手が震えていることに気づいた。
(あの時、シャウトラットが叫んでなかったら……)
一瞬でも気づくのが遅れていれば、今頃蛇の腹の中に居たかもしれない。
今一度小高い丘の方を見遣れば、辺りを忙しなく見渡しているシャウトラットの姿を目にすることができた。
「お礼言っとくか?」
ズイッと横に並んだライアーが提案する。
「……うん! ありがとー!」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「俺も言っとこ。ありがと……な゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「いつまで続けるの?」
その後、ライアーとシャウトラットは一分くらい絶叫し続けた。
そして喉を痛めた。
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