第14話 読み書きは冒険の書の始まり




「うーん」


 アータンは悩んでいた。


 公衆浴場で温まった体も、今やすっかり冷え切ってしまっている。

 日も落ち、やることがなければ後は寝るだけの時間帯。普段の自分であれば明日に備えてベッドに入っていたはずだった。


「どうしよう……」


 目の前には一冊の本が置かれていた。

 ライアーから贈られた冒険の書なる日記帳。紙が高級な世界において、日々あった出来事を書き綴る為だけの紙本とは贅沢極まりない代物である。

 彼女が悩みは、この贅沢品に文字を書き綴る──ことではない。

 その証拠に少女の手には一本のペンが握られていた。書く内容さえ決めてしまえば後は手を付けるのみといった具合だ。


 けれども、アータンの手はピクリとも動かない。

 童顔の愛らしい顔は険しく歪み、一ページとなる白紙をこれでもかと睨みつけていた。


「ムムム……!」

『アータン起きてるー?』


 誰かが扉をノックした。

 もう聞き慣れた声だった。険しかった顔はあっという間に笑顔が咲く。


「ライアー? 起きてるよー!」

『入ってもいいかー?』

「うんー!」


 パタパタと扉の下まで駆け寄ったアータンは、そのまま来客を部屋の中へと招き入れようとドアノブに手を掛けた。

 しかし、その瞬間だった。


(あれ、もしかして今のライアーって部屋着?)


 ここは宿屋の一室。

 『年頃の女の子と相部屋はマズイでしょ』というライアーの訴えにより、二人は別々の部屋を取っていた。

 気を遣ってもらったのだとばかり思っていたアータンであったが、普段の彼の恰好を思い出し、強烈な違和感と重大な謎に気が付いてしまった。


(じゃあ、ライアーの顔を見れるってこと!?)


 普段の彼は鉄仮面を被っている。

 王都に来るまでの道中ならば野盗や魔物の襲撃に備えていると理解できるが、町中の──それも食事の時まで外さないことは、流石にアータンも不思議に感じていた。

 町中や食事中まで警戒しているのならそこまでだが、流石に就寝直前の部屋着姿まで鉄仮面を被っているとは思えない。でなければバカだ。アホだ。TPOを考えないアンポンタンだ。


 だが、彼は嘘つきであってもアンポンタンではない。

 アータンはそう信じていた。


(ようやくライアーの素顔を……!)

『アータン? どうしたー?』

「ううん、なんでもない! 今開けるからねー!」


 期待を胸に、アータンは扉を開く。

 そこには──!


「いやー、風呂上りは牛乳でしょってことで女将さんからアータンの分買ってきたんだけどさー」

「バカー! アホー! アンポンターン!」

「急な罵倒に心が折れそうなんだが?」


 良い笑顔で牛乳が詰められた瓶を掲げていたライアー。

 しかし、彼は鉄仮面を被っていた。宿屋に備え付けの麻の部屋着を着ている癖に。


 バカである。

 アホである。

 TPOを考慮できない真正のアンポンタンである。


「なんで鉄仮面被ってるの!?」

「これが俺のアイデンティティだし……」

「宿屋の中でそれは不審者でしかないよ!?」

「辛辣ぅ~。でも俺は嬉しい」

「喜ばないで!?」


 内気なアータンの遠慮ない物言いに、心の距離が近づいているとライアーは感動していた。

 しかし、これでアータンが納得できるはずもない。


「もう……ここまで来たら直接聞きたいんだけど、顔見せてくれないの?」

「顔? この鉄仮面が俺の顔じゃないと申すか」

「鉄仮面の下を見たいの!」

「え~、でも呪いで外せないし」

「えっ? あっ……ご、ごめんなさい……」

「嘘嘘嘘嘘ゴメンゴメンゴメン!!」


 だからそんな顔しないで! とライアーは慌てて訂正した。

 ついでに持っていた牛乳をアータンに手渡し、肩を落とす彼女を慰める。


「呪いは冗談だけど、これには外せない理由があるんだよ」

「……ホント?」

「ああ、ホントだ」

「……実は指名手配されてる極悪人で素顔を晒せないからだったり?」

「本人の目の前で凄いこと言うのね、あーた」


 裏を返せばそれだけ信用されているとも捉えられるが、それにしたってとんでもないことを言いやがるとライアーは思った。


「なに? そんなに俺の顔気になるの?」

「四六時中着けてたら誰だって気になると思うけど……」

「そっか、気になるかァ……素顔はまた来週」

「見せる気ないでしょ」

「バレたか」


 アータンの調子が元に戻ってきたのを見計らったライアー、部屋に備えつけの机に置いてあった本に気づく。


「おお、早速書いてくれてる?」

「あっ、まだ……」

「おっと。見ない方がいいか?」

「ううん……」


 そうじゃなくって、とアータンは申し訳なさそうに白紙の本に手を添える。


「言いづらいんだけど……私、文字が書けなくて……」

「……ほほう?」

「読めはするし、お手本を見ながらだったらそれっぽい形は書けるんだけど……」


 申し訳なさそうに告白するアータンを前に、鉄仮面に手で覆ったライアーは天を仰いだ。


──やらかした。


 彼の姿がそう言っていた。

 貴族や商家でもない限り、農村地域では文字の読み書きなどは習わなくて当たり前だった。孤児院で育ってきたアータンは本を読んでいた為に読む方は問題ないが、書く方に関してはまったくと言っていいほどできなかった。書けても精々見様見真似で形だけを真似した子供の落書きレベルだ。


「そうか……アータン文字書けなかったか……」

「ご、ごめん……貰った時は嬉しくて気づかなかったし、読めるなら書けるかなって思ってたんだけど……」

「わかりみが深すぎる。俺も読める漢字でも『あれ? これどうやって書くんだっけ?』ってなることあるもん」

「カンジ?」


 読むスキルと書くスキルは別物だということは、現代日本人の感覚にも通ずるものがあった。


「となると、手本あった方がいいな。ペン貸してもらってもいいか?」

「うん? いいけど……」

「よーし」


 そう言ってライアーはペンを受け取る。

 すると彼は、本の遊びの見返しにサラサラとペンを走らせていった。手慣れた様子で文字を綴る姿には、アータンも何をしているのか訊くのも忘れて見入ってしまっていた。

 数分後、見返しにびっしりと文字を書き込んだ彼は、満足げな表情でアータンにその本を差し出してきた。


「ほい、一通り文字書いたぜ。これ見ながらだったら書けるだろ?」

「わぁ……!」

「見なくても書けるようになりたいんだったら、この上から何も付けてないペンでなぞって練習すりゃいいさ」

「ありがとう、ライアー!」


 手本となる文字を書き込んでくれたライアーに、アータンは満面の笑みで感謝の言葉を口にした。


 手本があるとないとでは大違いだ。

 さながら暗闇の中でもたらされたランプに等しい。アータンはルンルンと浮足立ったその足で席へと向かい、改めて机の上へと向かった。


 しかし、


「……何書けばいいかな?」

「ちょっと待ってろぃ! ダッシュで戻ってくるから!」

「あっ、ライアー! もう夜中だしあんまり走らない方が……」



『夜中に走ってんじゃねえ、殺すぞ!』

『誠に申し訳ございませんでしたぁ!』



(案の定──)


 宿泊客に怒鳴られながら取りに戻ったライアーは、何やら小脇に一冊の本を抱えていた。


「フッフッフ、アータンさんよぅ。これを見な」

「なにそれ?」

「俺の冒険の書」

「ライアーも書いてたの?」

「そりゃあ人に勧めるからには、な」


 キザっぽく前髪を掻き上げる仕草をした後、彼は見返しをぺラリと捲った。


「別に日記になんて正解はないけどな。でも参考ぐらいにいくつか読み上げるぞ」

「直接見せてはくれないの?」

「えっ。それはちょっと……」

「読み聞かせるのはいいのに!?」


 ライアーは『アータンのエッチ……』と若干引いたような様子で後退る。

 釈然としないながらも、とりあえず手本が欲しいアータンは仕方なく読み聞かせを承諾した。


 ああは言ったものの、なんだかんだ彼の過去については興味がある。


(昔のライアーかぁ……何してたんだろ?)


「それじゃあ一日目から読み上げるぞー」

「うん!」

「『──昨日、魔王を倒した』」

「エピローグッ!!?」


 佳境を飛び越えて後書きに入っていた。

 おかしい。彼の手元は確かに一ページ目を捲っているはずだ。


「いや、そうじゃなくて!? 一日目から堂々と嘘書かないでよ!」

「えぇ……昨日魔王倒してちゃ駄目ぇ……?」

「自由と無秩序は表裏一体だよ!」


 小難しい言い回しをするアータン。

 彼女はあくまで書くことができないだけで教養自体はあるのであった。


「お気に召さない内容だったか?」

「そんな長編を書けそうな内容は今求めてないから……」

「じゃあ二日目行くかー」

「うん」

「『──昨日も魔王を倒した』」

「二度打ち!!?」


 まさかの二回目であった。


 じゃあ一昨日の魔王はなんだ?

 っていうか、『昨日』ってことはその日の夜に書いてないじゃないか。

 一日寝かせるな、日記を。


 色々な疑問やら不満やらが湧き上がってくるが、一旦内容の方は置いといてアータンは抗議の声を上げる。


「もうちょっと日常の一幕的な内容を読み上げてよ……」

「あー、なるほどね。待ってな……あー、これとかどうだ? 好きなご飯の話とか書いた内容」

「それいいじゃん! 聞かせて聞かせて!」

「えーっと……『皆で好きな炊き込みご飯の具材の話題になった。二人の内、一人はきのこ派だったが、俺ともう一人はたけのこ派だった』」

「うんうん!」

「『魔王と魔王の戦争になった』」

「なんで?」


 脈絡が無さ過ぎてアータンの顔から表情が消え去った。


「きのことたけのこの話だったのに、どうしてまた魔王と戦争してるの!?」

「アータン……きのこ派とたけのこ派の溝は大きいんだよ」

「そっちじゃなくて!? っていうか、それだと魔王二人いる計算になるじゃん!?」

「きのこ派とたけのこ派の魔王が居たんだよ」

「仮にそうだとしても別の王を名乗ってよ。魔の王だから魔王なんだよ? それだときのこ王とたけのこ王になっちゃうよ」


 確かにその通りである。


「いやぁ、でもさ。きのこ派と来たら『竹食うとかお前の前世はパンダか』とかほざきやがるから頭来てさぁ……パンダの名誉の為に俺達は立ち上がるしかなかったんだ」

「はた迷惑な代理戦争だよ」


──魔王と対立関係にされたパンダの身にもなれ。


 そのような調子でライアーは次々に心底下らない内容の冒険の書を読み上げた。どれもこれも頓珍漢であほらしい内容ばかりであったが、途中からアータンは『ライアーらしい』と諦めの境地に至っていた。


「どうだ、参考になったか?」

「まあ、ちょっとは……」

「そりゃよかった。アータンも色々書けるよう頑張れよな」

「うん! 頑張って練習するね!」

「夜更かしはしない程度にな」

「うん!」

「それじゃあおやすみ」

「おやすみ!」


 レディーの日記を見るにはいかないと去っていくライアー。

 再び部屋に一人きりとなるアータンは、手本の文字とにらめっこしながら拙い文字を白紙に書き込んでいく。

 プルプルと震える筆先では綴られる文字も妙に波打ってしまうが、それでも少女は真剣に文字を書き込んでいく。


 時間で言えば一刻ほどだろうか。

 窓の外はすっかり暗闇に包まれていた。日中に聞こえてくる雑踏の音はほとんどなく、聞こえてくるものと言えば近くの酒場の喧噪ぐらいか。

 しかし、集中するアータンに外の雑音はまったくと言っていいほど聞こえてはいなかった。


「……ふー! 書けた……!」


 十行にも満たぬ最後の文章の文字を書き終えた瞬間、少女は達成感に満ちた面持ちで額の汗を拭った。


「うへぇ……日記書くのって大変だぁ」


 文字を書くこと自体もだが、内容を考えることも難しい。

 今まで読んできた書物がどれほどの労力が注がれているかを想像し、アータンは軽く戦慄していた。


「それにライアーの文字と違ってへたっぴだし……」


 見比べれば見比べるほど、自身と手本の文字の違いに頬が引き攣ってくる。

 『ミミズか?』というのが正直な感想だ。いいや、ミミズの方が太さが均一な分、まだ綺麗だと言えよう。


 これは……なんなんだろう?

 ……縮れ毛?


 そこまで思い至ったところで悲しくなり、アータンは考えを切り替えた。


(いいもん、これから練習するし!)


 誰だって最初は初心者だ。

 これからどんどん練習していけば冒険の書の名に恥じぬ文字を書けるようになるはずだ。そうに違いないと自分に言い聞かせる。


「それにしてもライアーの文字綺麗だなぁ……」


 改めて手本の文字を見る度にそう感じた。

 孤児院から引き取った絵本の文字と見比べると丸みが強調されているが、斜体に比べると一つ一つの文字が見やすくなっている。


 これを元に練習して、あとは自分なりに崩していけというメッセージだろう。


「私も頑張らなくっちゃ……ふぁあ……」


 まだまだ先は長い。

 それはそれとして今日はもう遅い。


 書いた文字のインクが渇いたのを見計らい、アータンはそっと本を閉じて床に就いた。


 明日はどんな日記を書こう。

 明日はどんな出来事があるのかな?


 そんなことを想像するアータンが寝付くには、もう少し時間を要するのだった。

 その結果──。




 ***




「ふぁあぁ……」

「おねむだねぇ、アータン! おはよぉ!」

「おはよぉ……」


 ライアーに遅れて宿屋の食卓に着くアータンは眠そうに瞼を擦る。

 小柄な体と童顔も相まって、雰囲気は10歳前後の女児であった。


 油断すれば今にでも眠りに就いてしまいそうな彼女は、ひとまず朝食のオートミールをスプーンで掬い口に運ぶ。

 しかし、眠気は覚ますにはどうにもインパクトに欠ける味わいだ。


「うぅ~ん……」

「おいおい、アータン。口から零れてるぞー」

「大丈夫だよ、お母さん……」

「お母さん?」

「……あっ」


 スゥッと眠気が覚めていく。脳味噌全体に酸素が行き渡り、思考がクリアになるような感覚だった。

 直後、顔全体が燃えるように熱くなった。行き届いた酸素を燃料に激しく燃え盛っている。眠気など完全に燃え尽きた。


「……間違えてごめん」

「気にしなくていいのよ、アータン。ママのお料理美味しい?」

「ライアーはママじゃないでしょ!?」


 などというやり取りが朝の出来事。

 食事を終えて宿を出た二人は、早速ギルドへと立ち寄っていた。


 昨日、セパルと別れた後に町を巡って冒険に必要なものは買い揃えた。

 冒険者が必要な道具を手に入れた以上、あとは冒険する適当な目的が必要だ。今回の場合、大きな目標に『アイベルの捜索』が掲げられているが、ギルドに立ち寄った理由はそれに関係している。


「すみません、グラーテ行きの馬車の護衛依頼とかあります?」

「グラーテ行きですね。少々お待ちください」


 今日も営業スマイルが輝く受付嬢は、山のように積まれた束から該当する依頼書を探し始める。


 『グラーテ』とはインヴィー教国の聖都。

 ちょうど先日、セパルに拠点にするよう勧められた町のことだ。


 受付嬢が依頼を見繕う間、カウンターで待ちぼうけを食らう二人も適当な話で時間を潰すことにした。先に口を開いたのはアータンだ。


「どうして馬車の護衛依頼を探してるの? 聖都に行くんだったら、私達だけで行くんじゃダメなの?」

「別に個人で向かっても問題ないけど足がないだろ? こっから聖都は大分遠いぜー?」

「あー、たしかに……」

「個人で馬を飼ってるならまだしも、俺は飼ってないからなー」


 国から国への移動は当然時間がかかる。

 歩こうものなら数か月は覚悟しなくてはならないし、そこまでの体力的な余裕も物資的な余裕も二人にはなかった。

 そうとなれば街道を進む馬車に乗せてもらうことがベターな移動方法であるが、ここでもう一つの問題が顔を覗かせる。


「いいか、アータン。俺達は冒険者だ」

「うん」

「つまり、金がない」

「……そーなの?」

「ないんですよ、それが」


 そう、金銭面の問題だ。

 冒険者もといギルド所属の人間は、基本的に定職に就いていないその日暮らしの人間。高ランクで稼ぎがいい依頼を受けられる冒険者以外、恒常的に金に困っているのが実情である。それは時折罪派を引き渡して報奨金を貰っているライアーも例外ではなかった。


「だから移動ついでにお金を貰える馬車護衛をするって寸法だ。一石二鳥だろ?」

「お待たせいたしました。ご相談に預かった内容と合致する依頼がございましたよ」

「おっ、グッドタイミング」


 指を鳴らして数枚提示された依頼書を吟味するライアー。

 彼は数分も経たぬ内に『これでお願いします』と一枚の依頼書を指差した。慣れた手つきで受注を済ませれば、受付嬢は依頼書を奥の方へと持って行った。


「これで受注は完了だ。あとは昼に依頼出した人と顔合わせして出発って流れだな」

「えっ、そんなに早いの!?」

「王都と聖都の行き来は多いからな」


 依頼は毎日出ていて毎日受注される。

 馬車の護衛任務はそんなものだとライアーは語り、鉄仮面の奥に悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「さぁーて、アータンの人生史上初の依頼だぞ? 華々しい冒険者としての一歩を歩もうじゃあないか!」

「おぉ……! そう言われると凄いことをしてる気がしてきたかも……!」

「アータンには期待してるからな。魔法で魔物をバッタバッタとなぎ倒してくれ」

「うん!」


 気合は十分。

 懐から短めの杖を取り出したアータンは、ギュッとその柄を握りしめた。


 かくして、初めての護衛任務は始まった。


 鬼が出るか蛇が出るか。

 冒険とは、行ってみるまで分からないものだ。




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