第13話 愛は良き未来の始まり




──それはセパルが救出された数日後の出来事。




「──逃げましょう」


 セパルが開口一番放った言葉だった。

 他の団員は目を見開いて固まる。当時まだ副団長ですらなかったザンも、硬直した人間の一人であった。


「せ……セパルさん? それってどういう……」

「今の教団にわたくし達の居場所はありません。のこのこ帰ったところで消されるのが関の山です。それならいっそ、余所の国で生きていくしかないでしょう」


 やつれた顔のセパルは、そのまま目を伏せて黙り込んだ。

 団員の反応は三者三様だった。怒りに任せて反論しようとする者、恐怖でガタガタと震える者、さめざめと涙を流す者。

 しかし、誰もがセパルの言葉を否定できなかった。


 腐敗しているとはいえ、教団内部の実権を握っているのは現上層部だ。

 単なる一派閥に過ぎない自分達が帰還し、彼らにされた所業を告発したところで、再び真実を握り潰されるだけである。そうするだけの力があることを嫌というほど思い知らされたばかりなのだ。


「……ごめんなさい」


 ぽつりと声が響いた。

 震えた声の主はセパルだった。


 寝かされていたベッドの上で拳を握る彼女。

 その布団の上には次第に零れ落ちる雫が描く染みが増えていった。


「ごめんなさい……わたくしが弱いばかりに……!」


 涙ぐむ声に、つられて団員の目尻にも涙が浮かび始める。


「わたくしが、もっと上手くやれていれば……!」


 そんなことはないと叫びたかった。

 だが、胸の奥から込み上がる嗚咽により、団員は意味のある声を発することはできなかった。


 心のどこかで甘く見ていた。

 教団の腐敗など、自分達の正義で簡単に正すことができると。


 だが、現実はそうはいかなかった。

 少数派が訴える真実など、金と欲に溺れた多数派の嘘によって容易く捻じ曲げられた。


──何が足りなかった?


 今この場に居る騎士は全員考えていた。

 しかし、考えれば考えるほどに自身らの浅慮という容赦のない現実を突きつけられる。



 もう、騎士は終わりの時間だ。



 二度と国に帰ることはできないだろう。

 今後、生涯を見知らぬ土地で自分を偽ることでしか、自分達が生きる道はない。さもなければ自分達を敵と見做した教団上層部は全力で消しにかかってくるだろう。


「……慎ましく、暮らしましょう」

「セパルさん……」

「大丈夫。流石に教団でも余所の国にまで手は回さないでしょう」


 重く沈んだ空気の中、セパルの声が反響した。

 やけに弾んだ声だった。

 場の雰囲気を盛り上げようとする気遣いであろうが、それが逆に今は虚しかった。


 それでも彼女はなんとか取り繕った笑顔を浮かべ、涙する団員一人一人の慰めに入った。


「故郷に帰れないのは辛いでしょうが、謀反を起こした大罪人として処刑されるよりはマシです。これからは第二の人生を生きていくと思って──」


「……本当にそれでいいのか?」


「……え?」


 不意に響いた男の声に、セパルは口を止めた。

 声が聞こえた方に振り向けば、壁に寄りかかる鉄仮面の剣士が腕を組んでいた。

 セパルとザンを含めた団員を救った冒険者──ライアーであるが、彼は不服を態度で示しながら、怪訝な瞳をセパルへと向ける。


「話聞いてりゃあ余所の国に逃げる流れになってるけどよ、それで納得できるのか?」

「納得って……」


 みるみるうちにセパルの顔が憤怒に染まる。

 たとえ相手が命の恩人でも聞き捨てならない言葉だった。


「納得なんて……できるはずないじゃありませんか!!」


 自身の覚悟を踏み躙られたようで憤慨するセパル。

 長い監禁生活と精神の摩耗。少し休息を取ったとはいえ完全回復からは程遠い彼女は、最早気丈に振る舞えるだけの余裕を完全に失っていた。


「納得ができなかったから立ち上がったのです!! わたくし達がやるしかないと!! でも……その結果がこれなのです!!」


 セパルは拳を叩きつける。

 だが、彼女の拳を受け止めた布団からは、空気が抜ける弱弱しい音が虚しく響くばかりであった。


「納得なんかできるはずがありません!! けれど、わたくし達は誤ったのです!!」


 今や反逆者のレッテルを貼られてしまった団員達を前に、セパルは後悔から溢れる涙を隠さず垂れ流す。


「頭の足らぬ小娘だったばかりに!! 足らなかった……力も……知恵も……」

「味方もか」

「! ……たしかに、そうですわ」


 諦めたような笑みを作り、セパルは涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔をライアーへ向けた。


「せめて……せめて、あなたのような方さえ味方で居てくれたなら、こんな取返しのつかないことだけには……」

「じゃ、味方になっちゃうかぁ~」

「……え?」


 ライアーは指を鳴らし、部屋に背を向けて出て行こうとする。

 突然の行動に面食らうセパルであったが、彼が見えなくなる寸前でハッと我に返った。


「ちょ……ちょっとお待ちください!!?」

「待たない」

「待って!!? お願いだから!!」


 鬼気迫る懇願を聞き入れたライアーは、渋々ながら部屋に戻ってきた。


「なによぉ~? 折角味方になったからカッコつけようとしたのにぃ~」

「味方になったって……一体何をするつもりだったのです?!」

「今そっちが言ったじゃん」

「は?」

、って」


 鉄仮面の奥で双眸が輝いた。

 なぜだかセパルの目には、彼が鉄仮面の裏で不敵な笑みを浮かべているように見えた。


 次の瞬間、彼女はライアーの言わんとすることを理解したのか、ベッドから降りようとドタバタし始める。


「おっ、お待ちください!! あれは言葉の綾でして……けしてあなたを巻き込ませようとする意図は──ほぁああーーー!?」

「病み上がりが無茶をなさるからぁーーーッ!!?」


 まだ本調子でないにも関わらずベッドから降りようとしたセパルは、案の定バランスを崩した。

 このままでは床に激突すると悟ったライアー。素っ頓狂な声を上げる彼は、全速力で落下地点目掛けてスラインディングした。


「わぷッ!?」

「ごぶぇ!?」


 そして、見事セパルを抱き止めた。

 声に色気がないのはご愛敬だ。


 肌と肌が触れ合う距離。

 ここから始まる恋の予感……などというものはなく、落下したセパルと彼女の頭突きが鳩尾に入ったライアーは苦痛に身悶えていた。


「も……申し訳ございません……」

「無理しないでくださる? 貴方一応病み上がりよ?」

「重ね重ね申し訳ございません……」

「まったくもぉ~」


 都会の若い少女のようにプリプリ怒るライアーは、そのままセパルを抱き上げた。


「あ……」


 この時、顔がライアーの鉄仮面と至近距離まで迫ったセパルは顔を赤く染めた。

 怒りとは違う感情だ。頭ではなく、胸が熱くなるような謎の感覚。

 セパルはこの感情の正体を掴めぬ内に、静かにベッドの上へと降ろされる。


 まるで、御伽噺に出てくる勇者と姫の一幕のようだ。


 そう思い至った瞬間、病み上がりで白いセパルの頬が真っ赤に紅潮した。

 直後、ギリィ! と歯を食いしばる音が部屋中に鳴り響いた。ある団員がザンの方へ振り向けば、凄絶な表情を浮かべる彼女を目撃し、恐怖に肩を抱いて震える羽目になった。


 けれども、依然としてセパルの眼中には彼しか映っていない。


「あの……」

「うん?」

「どうしてそこまでしてくださるのですか? わたくしとあなたは、別にそこまで親しい訳でもありませんのに」


 羞恥やら緊張やらで紅潮しているのを誤魔化すべく、セパルは至極当然な疑問を投げかけた。

 自分と彼はあの時初対面だった。

 にも関わらず、牢から連れ出しただけではなくそれ以上の問題に首を突っ込もうとするのは、献身にしても常軌を逸しているように思えた。


「何故なのです?」

「楽しくない」

「……え?」


 思わず聞き返してしまった。


──楽しくない?

──なにが?


「あのぅ、それはいったいどういう意味で……?」

「あんたらは教団の腐敗を正そうとした。なぜなら、それだと回り回って魔物やら魔王の被害から人を守れないから。ここまでオーケー?」

「まあ、そういうことですけれども……」

「俺ね、そういうの大好き」


 ライアーはビンビンに立ったサムズアップを見せつける。

 対してセパルは鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まっていた。


「す、好き……?」

「高潔な精神バッチコイよ。騎士斯くあるべし! 的な?」

「は、はぁ?」

「でも、あんたらは腐った上層部の策略で殺されそうになったと」


 声のトーンが一段落ちたライアーは、やれやれと首を振る。


「そういうの、楽しくない」

「あの……いまいち理解し難いと言いますか……」

「単純な話だ。良い奴が酷い目に遭って、悪い奴が甘い汁啜ってんのが嫌だってこと」


 「それだけだ」と言い切ったライアーは、改めて部屋から出て行こうとする。

 善は急げとは言うが、それにしたって気早だ。今度は落下せぬよう、セパルはベッドの上から手を伸ばす。


「お、お待ちください!」

「なによなによぉ~? まだ理解できないことあったぁ~?」

「あなたの言い分は理解できましたが、本当にそれだけなのですか……?」

「うん」

「それだけの為に教団を……インヴィー教を敵に回すというのですか!!?」


 悔しいが、今の実権を握っているのは腐敗した上層部だ。

 今回の一件で罪派とも通じていると分かった以上、保有している戦力は並みの騎士団を一蹴できるものと思われる。


 それをたかが一人。

 冒険者一人が相手するなど、自殺に行くようなものであった。


「考え直してください!! あなたがわたくし達の為に動こうという気持ちは嬉しいです……しかし、それとこれとは話が違います!! 恩人であればこそ、あなたを死にに行かせるわけにはいきません!!」

「俺が負けるって?」

「負けるもなにも、勝てる道理がありません!!」


 一個人にできることなどたかが知れている。

 突出した一の武力があったとしても、集団という武力を前には敵わない。それこそ天と地ほど超絶した力がなくば、戦力差は易々とは覆せないのだ。


「どうかお考え直しください!! このままあなたを行かせてしまうことは、それはわたくしにとってあなたを殺すも同然!! どうか行かないでください……!!」

「……」

「お願いします……!! どうか、どうか……!」

「……もしかして俺一人で行くと思われてる?」

「……え?」


 違うんですか? と言わんばかりに全員の視線がライアーに突き刺さる。

 次の瞬間、力強い瞳を宿していた瞳はへにゃりと歪み、瞬く間に男は泣きっ面を浮かべた。


「待ってよぉ~。俺一人でどうにかできる訳ないじゃんよぉ~」

「あ……ぃや……そ、そうですね……」


 先程とは一変、情けない泣き言を吐くライアーにセパルの頭も冷えていく。

 無茶をしないと分かって安心した反面、心のどこかでは冷めていく感情がある。


 しかし、熱が完全に消え入る寸前、ライアーはこう続けた。


「まあ、そういうわけだから。やるにしても他の人の手を借りるつもりだ」

「! 心当たりがあるのですか!?」

「まあな。なんたって俺には色んな知り合いが居るからな。天使から悪魔までなんでもござれよ」


 冗談めかしてそう語ったライアーに、セパルはフッと口元を綻ばせる。


「それは……とても心強いですわ」


 嘘だと分かっていても嬉しかった。

 神からも見放された自分達を助けようとする存在の、どれだけ心強いことか。


 もう、どう転がったとしても文句はなかった。

 たとえどうにもできなかったとしても、誰かが自分の為に動いてくれた──その事実だけで、一時は死んだ心に温かな熱が灯るのを感じ取った。


「ありがとうございます。その想いだけで、わたくしは……」

「じゃあ、まずはどいつがどんな悪行やってるかからの把握だな。証拠になりそうなもんがあるなら言ってくれ」

「……はい?」

「あとはそうだなー、相手側の戦力も知りたいなー。あいつら呼んだら負けるこたぁないと思うけど、人質取られて動けなくなるのも考えものだし」

「あの……ちょっと……?」


 雲行きが変わってきたのを感じ、セパルの頬が引き攣り始める。


「その……本当に教団を相手取るつもりで……?」

「うん? あれ、そういう話の流れじゃなかったの?」

「てっきり比喩とか冗談の類かと……」

「冗談て」


 嘘だと思われていたことにげんなりとするライアー。

 彼は戸惑いを隠せぬセパル一同を見渡しながら言い放つ。


「冗談じゃねえよ。本気マジ本気ガチ本気ホンキ本気ホンキよ。いいか? 俺は嘘が好きだけどな、楽しくない嘘と他人を傷つける嘘は大ッ嫌いなんだよ!」


 真摯な声で、はっきりと。


「お前らを傷つけたのが腐ったミカン共のくっだらねえ嘘なら、俺がその嘘を嘘にしてきてやる。神に誓ってやってやる」


 「やれなかったらハリセンボン飲んでやる!」と大声を張りながら、ライアーは出て行った。

 その後ろ姿を見送ってしばらく経った後、呆然としていたセパルの頬には一粒の雫が伝った。


(あの御方は本気でわたくし達のことを──)



「あ、言い忘れてたんけどさ」



「きょあああああっ!!?」


 突如、窓から身を乗り出してきたライアーにセパルは奇声染みた悲鳴を上げた。

 ビックリは声をかけて来た男にも伝播し、そのまま彼は窓から「ぉああああ!!?」と滑り落ちてしまった。


「はぁ……はぁ……!!?」

「こ、後頭部打ったけど自業自得ですわねこれ、うん。ビックリさせてスマン」

「い、いえ……それで、言い忘れていたこととは?」

「ああ、そのことなんだけど」


 ライアーはヌッと右手を差し出してきた。

 意味が分からずセパルが小首を傾げれば、男は悪戯っぽい笑みを鉄仮面の奥に浮かべる。


「俺一人じゃどうにもできない。だから、あんた達の力も借りたい」

「……え?」

「一緒に教団を良い物にしていこうぜ」


 彼が求めていたものは握手か、それとも味方か。


 どちらにせよ不敬にも捉えられかねない言葉を紡ぎながらの申し出だった。周りに居た団員の中には、信じられぬ物を見る目でライアーを睨む者さえ居た。


 だが、そんな彼の手をセパルは取った。


「はい……はいっ……!!!」


 決壊した堰から溢れ出す涙は止まらない。

 零れ落ちた涙が手に触れれば、火傷しそうなくらいの熱がじんわりと伝わってくる。


 自分が求めていたものが、今この手の中にある。


 信念か、あるいは信仰か。

 いいや、そのどちらでもない。


 志を共にする仲間の存在こそ、セパルの心を温めるに必要だったもの。


 今まで彼女は暗く冷たい闇の中に居た。

 しかし、この瞬間を以てようやく彼女は連れ出された。


 肉体的にも、精神的にも。

 本当の意味で、彼女は日の光の下へと連れ出された。


 この勇者の手に引かれ。


(嗚呼、成程)


 同時に彼女は確信を抱いていた。

 目の前の男に対する、自身が抱いていた感情の正体を。


(これが恋……)


 そこまで考え至ったところで、セパルはううんと首を振る。


(いいえ──愛なのですね)


 この日、彼女の信仰する神が二人に増えた。


 一人はあったこともない神話の登場人物。


 もう一人は、今、目の前で手を握ってくれていた。



 ***




 ライアー様。

 ああ、ライアー様。

 ライアー様。


 あなたがわたくしに向ける愛は尊いもの。

 あなたがこの世界に向ける愛は尊いもの。


 どれだけわたくしが貴方に愛を注いだところで、あなたがこの世界に向ける愛に比べればちっぽけなもの。

 あなたの愛は余りにも大きすぎる。


 ライアー様。ああ、わたくしの勇者よ。

 もしも仮にあなたが道を誤ることがあろうとも、わたくしだけはあなたに愛を注ぎましょう。


 あなたはわたくしの勇者。

 あなたはわたくしの信じる神。

 たとえあなたが魔王と呼ばれることがあったとして、それでもわたくしはあなたのお傍におりましょうとも。




 それほどまでにあなたに与えられた愛は、わたくしにとって光なのです。



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