第11話 詠唱は聖歌の始まり




 〈シン〉の解放は〈告解〉より始まる。




 これが初代ギルシンから守られてきた設定だ。

 パワーアップに呪文なり口上なり必要なのはありきたりな設定だが、ギルシン名物の〈罪〉にもそれは適用される。


 告解──すなわち、自らの罪を告白することによりそれまでのカルマに応じた報いを得られるのだ。


 善行を積めば神聖な力を。

 悪行を積めば邪悪な力を。


 要は良いことをしたか悪いことをしたかで、得られる力の方向性が変わってくるというものだ。

 勿論、悪さを働く罪派や魔物を取り締まる側の聖堂騎士団は善行を積んでいる訳で、得られる力は聖なる性質を得る。

 これが限界まで行けば天使っぽい姿になるのだが──まあ、今回はそこまでする相手ではないということだろう。


「──わたくしの〈シン〉は〈悋気りんき〉」


 セパルは己の罪を告白する。

 悋気。それは〈嫉妬〉の系譜に属する罪の一つ。主に男女間に抱く焼きもちを指す言葉であり、それだけ聞けば可愛く聞こえてくるが、時には殺人沙汰も辞さぬ程に膨れ上がる激情にも成り得る。


 ……が、今のセパルからそんな感情は毛ほども感じられはしない。


 小川の清流を彷彿とさせる澄み切った魔力。

 彼女の体表に浮かび上がる罪紋シギルも、そんな魔力の輝きを受けて淡く美しい翠色を放っている。

 さらには魔力回路に収まり切らぬ魔力が、彼女の全身から立ち上っていた。

 しかし、それもすらも天女の纏う羽衣が如く滑らかに宙を揺蕩っている。


 同じ罪化を遂げるアイムとはまるで別物。

 そういう印象を受けるのが彼女の──。


「わたくしは……〈悋気のセパル〉」


 インヴィー教国聖堂騎士団長ことセパルの罪化だった。

 まさに〈海の乙女シーレーン〉の名に相応しい姿に、束の間、目撃した全員の目と心は奪われる。




 それにしても、




「くぅ~~~、かっちょえぇ~~~!!!」

「えぇ……今言うことなの……?」

「アータン……オタクはな、本編で見られなかった強化フォームとかが大好物なんだ」

「どういうこと?」

「考えるんじゃない。感じてほしいんだ」

「???」


 信じられないものを見る目をアータンから向けられるが、それでも俺は興奮を隠せなかった。

 だって仕方ないじゃん……ナマで見る罪化って迫力が違うんだもん。


 テレビと映画じゃ迫力が違うじゃん?

 映画でも普通のと4Dじゃ違うじゃん?


 それと同じなのよ……。


「はぁ……はぁ……わたくしの姿、ライアー様に隅々まで見られていますわ……!!」


 本人は少々残念な言動を言い放っているが、それを差し引いてもカッコよさと美しさが勝る。

 この劇的なビフォーアフターこそ、日本全国の青少年に厨二病を患わせた罪深いゲームこと『ギルティ・シン』の名物なのだ。形態変化は男の子の浪漫よ。


「援護は?」

「お構いなく」


 端的なやり取りをセパルと交わした後、俺とアータンは安全な場所へと移動する。

 曲がりなりにも相手も罪化している以上、増大した魔力に伴って戦闘の規模は大規模になるはずだ。


 まあ、セパルほどの腕さえあれば杞憂かもしれないが。


「これが最後通牒です。直ちに投降しなければ、騎士団の権限を持ってあなたを断罪致します」

「言わセてオけバ……調子に乗るナァ!!!」


 セパルの魔力に慄いていたアイムは、自分を奮い立たせるように吠えながら毒液を噴射する。俺の〈幻惑魔法〉を溶断した技だ。真面に食らえば即死は免れないだろうが、セパルは悠然と右手を翳す。


「──〈水魔大盾オーラ・スクートゥム〉」


 一瞬の出来事だった。

 魔力によって生成された水が瞬時に大きな盾を形成し、噴射された毒液を一滴たりとも後ろに通さず、全てを水の中に受け止めてみせた。

 あれは〈盾魔法スクート〉の上位互換〈大盾魔法スクートゥム〉に水属性を付与した魔法だ。ゲームだと火属性の攻撃をしてくる相手に有効な防御手段ではあったが、それを現実に再現すると、同じ液体による攻撃を辺りに撒き散らさず受け止める手段になるわけだ。


「さすが元聖歌隊クワイヤ所属。魔法の造詣が深いな」

「くわいや……?」

「あれ?」


 この反応、もしかすると知らない感じか?


「アータン。聖堂騎士団でも部隊が複数に分かれてることは知ってるか?」

「……し、知らない……」

「そうかそうか──じゃあ、語らせてもらっていいかい?」

「え? あ……うん」

「ありがとう」


 引き気味ではあったが言質を得られたので、俺は語り始めるよ。


「聖堂騎士団内には色んな部隊があってな。まずは剣やら槍やらを使うオーソドックスな騎士の隊。こいつを『騎士隊エクエス』って呼ぶんだ」

「うん」

「逆に武器なんかを持たずに魔法一本で戦う部隊もある。こいつが『聖歌隊クワイヤ』だ」

「なんで『』なんて呼び方なの?」

「いい質問ですね」

「え、急に距離取られた?」


 待ち望んでいた質問に思わず丁寧語になる。拍手も追加してあげよう。

 そう、アータンの言う通り魔法で戦うなら『魔法隊』って呼び方でもいいはずだ。

 それなのにわざわざ『聖歌隊』と呼ぶのはちゃんとした理由が存在する。


「オ゛ォのレぇぇエえェエええエッ!!!」


 毒液が通用しないと見るや、激昂するアイムは別の攻撃手段で〈魔水大盾〉を破壊しようと試みる。


「こウなレバ……我ガ炎に焼カレるがイい!!!」


 叫ぶアイムは頭部の右側に生えた猫の顔を正面に向ける。

 直後、猫の口からは紅蓮に燃え盛る業火が水壁に向かって吐き出された。


 火と水。

 一見後者に軍配が上がる相性に見えるものの、聡明なセパルは水壁が焼かれて蒸発された時の事態に先んじて予想がついたようだ。

 神々しい光を放つ美貌を険しくすれば、彼女はやることが決まったと言わんばかりに口を開いた。


「~♪」


 澄んだ歌声──いいや、魔法の詠唱が辺りに響き渡る。

 すると、それまで不動の構えを崩さなかった水壁に変化が起こった。


 灼熱の炎を逃さまいと包み込むように拡がった水壁は、毒液を含んだまま蒸発した水分を〈風魔法ベント〉で運び、アイムを囲む陣を作った。

 熱された蒸気と気化した毒に苦悶の表情を浮かべるアイム。

 その隙を見逃さないセパルは、流れるように詠唱を繋げていき、今度は残った水壁で無数の水の槍を形成する。


「……綺麗」


 その詠唱を聞いていたアータンが見惚れながら呟いた。

 これが彼ら魔法使いを『聖歌隊』と呼ぶ所以。唱える魔法の詠唱が、まるで唄のように辺りに響き渡っている。それは術者が熟練していればいるほど、絶え間なく、そして流暢に紡がれていく。


 だからこその『聖歌隊』。

 悪しき魔の鎮魂歌を歌う、聖堂騎士団の一角担う存在。


 彼らにしてみれば、たとえ罪化して魔力が増えた悪魔の魔法程度、児戯に等しく見えることだろう。


 そうこうしている内に水の槍は一瞬の内にアイムの周囲を取り囲み、少しでも身動ぎすれば穂先が肉体に突き刺さる位置で静止した。

 たかが水──そう侮って無理に動こうとすれば、水の凶刃は間違いなくアイムより血を啜り、赤く染まることだろう。

 それはアイム自身が良く分かっているのか、それまでの余裕が完全に消え失せた表情を浮かべていた。


「グぅウッ……!!?」

「──〈多連大水魔槍ムルタ・マグナ・オーラハスター〉」


 毒液を含んだ水で再形成した毒水の槍。

 その数は数十に上り、肥大化したアイムの身体ではどうやっても潜り抜けられない密度で奴を包囲していた。

 すでに詰みチェックメイトだ。奴があそこから逆転できる可能性は万に一つにも存在しない。


「これ以上罪を重ねるのはおやめなさい。これ以上はあなた自身の魂を穢すばかりです」

「ク、くソぉ……!!!」


 アイムは観念したように項垂れた。


 決着はついた。

 アイムの命を奪うところまで至らなかった事実に、アータンはホッと胸を撫でおろしていた。


「……あれ?」


 だが、何か強烈な違和感を覚えたのだろう。

 咄嗟に面を上げたアータンは、焦燥に駆られた表情で辺りを見渡した後、セパルの足下へ視線を向けた。


「セパル様!! 下です!!」


 切羽詰まった声を掻き消すように轟音が奏でられた。

 セパルの足下で砕かれる石畳。そこから這い出てきたのは、いつのまにやらアイムの股座から姿を消していた大蛇の姿であった。

 地面を毒液で溶かしながら掘り進んできたと思しき大蛇は、限界まで顎関節を開き、セパルを一息に呑み込まんと襲い掛かる。


「ヒ──ヒャァはハはは!!! 油断しタなァ!!!」


 水の槍に囲まれるアイムは勝ち誇ったように哄笑を上げる。


「もウ詠唱は間に合わン!!! 魔法が使エねば、魔法使イなぞただノ人間同然だァ!!!」


 大蛇の口は、もうセパルの目と鼻の先まで迫っていた。

 ここから長々と詠唱を紡ぐ時間などない。それより早く、言の葉を紡ぐ口諸共頭から飲み込まれるだけだ。


 絶体絶命。

 敵は勝利に笑みを零し、味方は絶望に顔を彩らせる。


「はぁ~あ、わかってないねぇ……」


 ただし、俺以外の話だ。




だぜ?」




──なあ? セパル。




 ザンッ!!! と。

 固い皮諸共肉を引き千切る音が辺りを突き抜けた。


「ナッ……あっ……!!?」


 驚愕の光景にアイムは口を閉じられずに居る。

 まあ、それも仕方ない。形勢逆転の一手であった大蛇が、目の前で頭を切り飛ばされて血飛沫を上げようものなら、誰だってそうなるわな。

 ただし、相手を騎士団長と分かっていたのなら想定が甘過ぎて胸やけしてくるぜ。


「槍の扱いも知らぬ生娘と侮りましたか?」


 は、慈しむような指先で柄をなぞりながら、艶々と潤った唇を動かし始める。

 それは魔法の詠唱ではない。

 しかし、たしかに相手の戦意を削ぎ落す呪文ではあった。

 歌のように澄み切った声音とは裏腹に、冷え切った眼光を敵に突き刺す騎士団長はこう紡いだ。


「騎士を率いる長たるもの、人並み以上に扱えますとも」


 刹那、セパルの姿が大きくぶれた。

 まるでそれまでの彼女が蜃気楼だったとでも言わんばかりに。


 ……俺もよく使う〈幻惑魔法〉だが、やっぱり練度が違うな。周囲の景色との同化が滑らかだ。


「ド、どこニ行った!!? えエイ……そこカぁ!!」


 頭の横に生えた蛇の舌をピロピロさせるアイムが毒液を噴射する。

 直後、毒液は景色に同化したセパルに命中する──が、それは魔法で生成した水の分身。


「ナぁ!!?」

「──あなたの索敵は頭部の蛇による熱感知によるもの。それなら人肌に温めた水を置物にしておけば、勝手に誤認してくれると踏んでいましたよ」

「ギ、ぃあアア!!?」


 音もなくアイムの真横に出現したセパルは、そのまま蛇の頭部を斬り飛ばした。

 ヒェ……後から生えてきたとは言え、自分の頭の真横にあるものを斬り飛ばされるのは生きた心地がしないだろう。

 現にアイムは深緑色の体色の上からでも分かるほど蒼褪めており、眼前全体を恐怖に引き攣らせていた。


「まあ、わたくしの幻術などライアー様に比べれば遊びもいいところですが……」


 三度、セパルは水の槍を振るう。

 鋭利に研ぎ澄まされた穂先は迷いなくアイムの手首へと吸い込まれる。よく注意してみれば分かるが、あの〈水魔槍オーラハスター〉は穂先をチェーンソーのように高速回転させて切断力を上げている。


 つまりだ。


「ぎゃあアあ!!?」


 アイムの手首が罪冠具ごと斬り落とされる。

 するとみるみるうちにアイムの魔力が衰えていき、見るからに男の姿が悪魔から人の形に変わっていった。あれぐらいなら物凄く血色の悪い人で通るだろう。いや、嘘。やっぱ無理が過ぎるわ。悪魔の力が抜けきってない見た目してるわ。


「ザンちゃん。拘束を」

「はっ」

「おてても拾ってあげてちょうだい。罪冠具さえ摘出してしまえば後でくっつけてあげられるから」

「……お優しいことで」


 今の今までジッと後ろで待機し被害の拡大を防いでいた副団長のザンは、拘束の命令を受けるや、慣れた手際で司教を拘束する。

 隙を見て暴れる可能性は否めないが、変に拘束具で捕らえるよりは後ろに副団長が控えていた方がよっぽど恐ろしい。次に暴れた時が奴の運の尽きだ。


 だが、圧倒的な実力差を前に観念した司祭にはそれも杞憂だろう。


 事態の収束を肌で感じ取った顔を出す住民たちは、その一部始終に感動したのか自然と拍手を送り始める。


 俺の隣にいるアータンも、その一人であった。


「すごい……」


 瞳を爛々と輝かせる彼女は、紛れもなく童心に帰っていた。


「魔法って、あんなに自由なんだ……」


 ……自由、か。

 魔法使いらしい観点というか、やはりアータンは魔法使いとしてアイベルに劣らぬポテンシャルを感じさせる“目”を持っているように見える。

 今回の戦闘はアータンにとってはいい勉強になったことだろうて。

 なにせ魔法使いとしても罪使いとしても最高峰の女の戦いなのだ。その価値はこれからの彼女の成長にとって何にも勝るものがある。


 いやぁ~……、


 ~。


 そらポッと出の中ボスなんざ相手にならんわな、って感じだ。

 セパルが人類の味方ってだけで色々と助かるわ。なんせ原作だと教団上層部の腐敗を正そうとした挙句、監禁されて部下は死亡。セパル自身も囚われ続けて精神が疲弊したところに、魔王軍からの勧誘を受けてコロッと乗っちゃったんだよな。

 それまでストーリーで出会うと気さくなお姉さんでしかなかったからショックデカかったし、恩師を討たなきゃいけなくなったアイベルの絶妙な表情がまた辛いんだわ……罪派潰しツアー開催しといて本当に良かった。


「やったな、セパル」

「ライアー様、ご覧になられましたか!!? わたくしの勇姿を!!!」

「ちゃんと見たぞー」


 ……なんか、そのせいで若干キャラ変した気がするけども。

 まあ選んだルート次第でキャラの性格が激変するなんてギルシンあるあるだ。原作だと救済ルートがなかっただけで、助かったらこういう感じになるのだろうと受け止めておこう。


 敵だった奴が味方になる。

 うーん、こういうのも俺の大好物なんだよな。


「よーく目に焼き付けておくんだぞ。あれが魔王から人類を守る盾であり、打ち倒す剣でもある騎士の姿だ」

「…うん」

「アータンにはあれを目指してもらう」

「え……えぇ!!?」


 冗談半分にアータンに告げれば、アータンが驚愕の声をけたたましく響かせる。

 おいおい、この程度で驚かれちゃあこの先思いやられるぜ。なんたって世界にはあれくらい強い化物を抱えた聖堂騎士団があと六つはあるんだから。


 不死鳥の如く再起を図る百折不撓の騎士団、〈灰かぶりシンデレラ〉。


 高潔かつ鉄壁の精神で魔の誘いを振り払う、〈鋼鉄の処女アイアン・メイデン〉。


 数多の人種を抱え込む完全実力主義の修羅の集団、〈鬼の涙ラクリマ・ラルウァ〉。


 統率され、洗練された人と魔物の連携で追い詰める〈冥府の番犬ケルベルス〉。


 過酷な環境を物ともしない強靭な肉体と精神を持つ〈一本角ウニコルニス〉。


 七大聖教最強の聖堂騎士団、魔王軍に対する人類の矛〈獅子の心臓コル・レオニス


 これらの騎士団長はどいつも化物揃いだ。

 全員が揃えばたとえ魔王相手にだって負けないはず。

 ……まあ、面子が面子だから一同勢ぞろいなんてオタクの想像の産物の域を出ないんだが。


「ま、これにて一件落着だな」


 悪魔に堕ちて暴れた司祭は取り押さえられた。

 これで王都を騒がせた脱獄事件は収束。

 ゆくゆくは本物勇者様が魔王を倒してハッピーエンドよ。俺はそれまでエンジョイ勢を極めることにするよ。


 途中の面倒事は……なんとかなる!




 ***




「あぁ……我が王よ☆ 王冠を取られてしまったのデスね♢」


 王都の一角。

 一時は騒然としていた往来が喝采と歓声に沸き立つ風景を少し離れた場所から眺める者が居た。


「貴方という主をアタシは忘れないデスよ♡ それにしても……☆」


 本当に悲しんでいるか否か定かではない声色を紡ぎながら、彼の細められた瞳はとある人間を視界に収めた。

 鉄仮面を被った一人の剣士だった。

 少女を守るように傍らに立つ様は、まるで姫を守る騎士のような佇まいだ。


 その姿に道化師は不敵な笑みを浮かべる。


「サンディークがお熱な彼がいるとは☆ ぜひとも彼に教えてあげなくてはデスね♡」


 指を鳴らす道化師。

 次の瞬間、道化師の姿はその場から消えていなくなった。




 一輪の白い薔薇をその場に残して。




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