第10話 告解は罪化の始まり


 アータンとセパルの好きなところを告白したら二人が身悶えた。

 いや、それで喜んでくれるなら何回でも言うけどさ。別に隠すほどのものでもないし。


「まあいいや。ほれ、アータン」

「? なにこれ」

「プレゼント」

「……えええっ!?」


 俺がアータンを一冊の本を手渡したら、やけに驚かれた。


「プレゼントって……本って高いんじゃないの!?」

「……フスゥ~」

「口笛吹けてないよ」


 ヤベ。

 誤魔化す為に口笛を吹こうとしたが、全然吹けないことを今思い出した。


 チッ、バレちまっちゃあ仕方ねぇ。

 確かにそこそこの値段はした。現代日本ではノート一冊なんて100円ぐらいで買えるだろうが、中世ファンタジー風な世界じゃあ紙の本なんて貴重品もいいところ。


 そのお値段、なんと現代日本の約100倍だ。

 目ん玉飛び出る値段ですよ、奥さん。


「まあまあ。こいつはどうしても冒険に欠かせない代物なのさ。とりあえず中を見てみろよ」

「そうなの? そこまで言うなら……」


 言われるがままアータンは受け取った本を開く。

 興奮を隠せていない様子で分厚い見返しを捲れば、そこには──。


「……何も書いてないよ?」

「何も書いてないよ?」

「白紙!?」


 まあまあ落ち着きたまえ。

 俺が何の考えもなしに白紙の本を渡すと思うか?

 次に俺は困惑するアータンにペンとインクを渡す。相変わらず疑問符を頭の上に浮かべている可愛らしい反応を見せているが、俺の説明を聞けば歓喜にむせび泣くだろう。


「こいつは冒険の記録を書き残す為の本……いわば、冒険の書だ!」

「……誰の?」

「この流れでアータンじゃないことある?」

「……なんで?」

「おやおや?」


 思った流れじゃないな、これ。

 でも言われてみれば、日記が浸透していない世界観じゃ日々の記録を残すといってもそんな反応になるね、ちくしょう! 俺の見通しが甘かった。

 アータンはじっと白紙の本を凝視している。

 喜怒哀楽のいずれも出さず無の表情を浮かべている姿を見ると、俺が自分のプレゼントセンスの無さに挫けそうになる。


「いや……あのー、あれだ。別に冒険の記録とかじゃなくていいから。料理のレシピとかでもいいからね?」

「急に家庭的ですわね」

「なんなら自由帳にしてもいいから」


 とりあえず何かしらの役に立てばこっちのもんなんだよ!


「ど、どう? お気に召した……?」

「……ぐすっ」

「えっ、泣かれるほどセンスなかった?」

「あっ、いや!」


 涙ぐむアータンは『そういうわけじゃなくて!』と自刃しようとする俺を制止する。


「嬉しくて、つい……」

「無理して言ってない? 残酷な真実でも包み隠さないことが相手の為になる時もあるんだよ?」

「嘘じゃないって!」


 だって、とアータンは続けた。


「誰かから何か買ってもらうのって初めてだったから……」


 はにかむアータン。

 彼女は本当に愛おしそうに贈られた本を抱きしめた。


「ありがとう、ライアー。私本当に嬉しいよっ!」

「と゛う゛い゛た゛し゛ま゛し゛て゛ッ゛……!」

「滝のような涙ッ?!」


 そりゃあ泣くよぉ……。

 そうか、アータンの故郷って田舎だったみたいだしな。孤児院だって金銭面もきつかっただろうし、他人から買い与えられるなんて機会はほとんどなかったはずだ。

 純粋に喜んでくれるアータンの姿に俺は涙した。ちなみにちゃんと〈幻惑魔法〉で涙を滝のように演出している。これホント便利。


「ずびっ……これからはぜひそいつで日々の出来事を綴っていってくれ」

「ほ、本当にいいの?」

「ああ、いいとも。なんなら『勇者アータンの伝説』とかで後世に自伝として出版してくれてもいい」

「それは嫌だよ!?」


 断固として拒否されてしまった。

 いいアイデアだと思ったんだけどなぁ。


 そんなことを考えていると、横からもじもじと身を捩るセパルが徐々に距離を詰めてきた。


「あのぅ、ライアー様……」

「どうした?」

「わたくしには……その、何か……ありませんか……?」

「なんで?」

「だってぇ! わたくし、アータンちゃんの罪冠具を浄化したんですよぉ!?」

「何の為の小切手じゃい!? あー、もう分かった! 投げキッスしてやらぁ!? ンーッマ♡」

「きゃあああ!? これはもう誓いのキッスでは!? 挙式はいつにいたしましょう!? 日取りは!? 会場は!? ご飯にしますかお風呂にしますか、それともわ・た・く・し!?」

「こ、こいつ……自らが生み出した虚構の世界に生きてやがる……!?」


 押しが強過ぎて怖いよぉ。

 原作じゃこんなキャラじゃなかったから尚更だ。一体どこで道を外れてしまったのだと俺は頭を抱えた。


 すると、こんな混沌とした一室にノックする音が響いた。

 返事を待たずに扉が開かれれば、そこには銀刺繍の団章を優美に靡かせる女騎士が立っていた。


「失礼いたします、馬……団長」

「あら、ザンちゃん。どうかしたの──今『馬鹿』って言いかけなかった?」

「気のせいです、馬鹿だんちょう

「『殺す気はない』と言われながらナイフを突き付けられた経験はあるかしら?」


 入室してきたのは〈海の乙女〉副団長ことザンであった。

 眩い小麦色の肌にエメラルドグリーンのショートカットが輝いている気の強そうな女性であり、度々浮かれポンチに昇華して巻き込んでいく団長を食い止める防波堤である。


「お楽しみのところ失礼いたしますが緊急事態です。留置所に収容していた罪派の司祭が脱獄しました」

「罪派の……って、あの眼鏡の?」

「あの陰険性悪クソ眼鏡の司祭アイムです。名前くらい憶えてください」

「それ以前の印象が強過ぎて憶えられないわ」


 そして、口が非常に悪い。

 だけども、あの司祭への評価としては間違っていないのだから人を見定める目はある。


 ……あれ?


「え、あいつ脱獄したの?」

「そう言ってるじゃないですか。あの陰険性悪小胆嫉妬塗れのクソ眼鏡が逃げ出したんですよ」


 ザンはあっけらかんと報告した。

 なんだか蔑称がさらに膨れ上がった気がしたが、勿論問題はそこではない。


「どうやって脱獄したんだ? 留置所ったって、魔法が使えないよう拘束具くらい取り付けてたはずだろ?」

「こっちが聞きたいくらいですよ。牢番に事情を聞いても用を足しに行ってたから分からないって……てめえを便器にしてやろうかと思いましたよ」


「ザンちゃん」


「おっと」


 いや、『おっと』って口押さえてももう遅いのよ。

 垂れ流された毒は皆のお耳に届いちゃってるのよ。聞いていたアータンが居た堪れない表情を浮かべてしまっているのよ。


「そういうわけですので、今現在聖都に出向いている団員総出で逃げ出したアイムを追っております。団長も出動願います」

「えぇ~……」

「出動願います」

「待って、ザンちゃん。二言目で胸倉掴んで顔を寄せてくるのは殴り合い一歩手前なのよ」

「はぁ~……分かりました」


 いまいち乗り気でない団長を見かねたザンはといえば、何故か俺の方に振り向いた。


「ライアーさんもご同行願えますか? 貴方の力を貸していただければ心強いのですが」

「誠に心苦しいのでありますが実は俺達この後用事がありまして……」

「そうですか。ご同行頂けたら後で王都の良いお店で、お食事でも奢ろうかと思ったのですが……」

「ってのは嘘だ。許さんぞ、罪派め! この手でひっ捕らえてやる!」

「……とのことです、団長」


「ザンちゃん。もしかしてだけどそのお金騎士団持ちじゃないでしょうね?」


 接待費で俺を動かそうとする副団長にセパルは苦笑いを浮かべる。

 許せ、セパル。俺も物入りで金欠なんだ。ちょっとぐらい奢ってくれたっていいじゃない。


 しかし、こういうところで案外しっかりしているのがセパルという女だ。

 ムムム、と顎に手を当てている彼女は難しい顔を浮かべながら悩んでいた。


「いくらライアー様の腕が立つとは言え、我々教団の後始末に協力させてしまうのは憚られてしまいますわ……」

「でも、ライアーさんは団長のカッコいい姿見たいですよね? 見たいと言え」

「見たい見たぁーい!!」


「わたくしの勇姿を見せる時が今! いざ、参りましょう!」


 やる気満々になったセパルが奮い立つ。それでいいのか団長。

 それにしてもなんて凄い魔力なんだ。どうか気苦労の多い副団長の為に普段からそのやる気を出してほしいものである。


 奮起するセパルが意気揚々と教会の外へと赴く。

 俺とアータンも続いて外に出れば、騒然としている町の雰囲気が嫌でも伝わってくる。


「司祭の場所は? ある程度絞れているのですか?」

「残念ながらまだ──」


 ザンが報告する途中、少し離れた場所から轟音が鳴り響いた。

 全員の視線が音の出所の方を向いた。そこでは黒煙と砂煙が濛々と立ち上っており、尋常ではない事態が起こっていることは想像に難くなかった。


「……ありゃあ『Butter-Fly』の厨房が爆発した音だな」

「爆心地知り合いのお店!?」

「よくあることだ」

「よくあるの!?」


 勿論嘘だが、俺は同時にこう思い至った。




 これ厄ネタだ。




 ***




 王都ペトロ インヴィー教区。

 普段は敬虔なインヴィー教徒となんてことはない住民や観光客、冒険者等が行きかう往来は騒然としていた。

 事態の収拾にあたっていた衛兵は、力なく倒れ、石造りの道路の上でうめき声を上げていた。武器である鉄の槍は大きく拉げ、頭部を守る兜も大きく凹んでしまっていた。

 血を流す衛兵の一人は、激痛に襲われる身を起こしながら自分に掛かる影の主を見上げる。人の物とは思えぬ異形の影を──。


「グッ……この化物め……!」




「──王都の衛兵と言えドこの程度ですカ。他愛もナイ」




 人一人飲み込めそうな大蛇に跨り、宙に浮かんでいる悪魔が居た。

 それは人間の頭部の左右に蛇と猫の頭部を生やし、額からは禍々しい光を放つ星らしき宝石を埋め込んでいた。

 深緑の体色は最早人のものではなく、白目が黒く反転した瞳も人としての理性を捨て去っているかのような風貌だった。


「アぁ……そレにしテモなんと素晴らしイ力なのでショウ」


 恍惚とした表情で、身も心も魔に堕ちたアイムが呟く。

 倒れ伏す衛兵。逃げ惑う住民。泣き喚く子供。その全てを自分の力が作り出したものだという実感こそ、理性を溶かす毒となって彼の全身を巡っていく。


「だからコソ理解しカネる。教団ノ連中は、どうシテ私に〈このチカラ〉を与えなかっタノか……!!」


 次の瞬間、沸騰する怒りに顔を大きく歪ませるアイム。

 その形相こそが教団が彼に〈罪〉を与えなかった理由だとは理解できぬまま、漲る魔力は暴風と化して辺り一帯を襲う。

 すると、衛兵が持っていた槍の一つが風に煽られて手元から離れた。

 それの向かう先は騒ぎ巻き込まれた結果親から逸れ、ただ泣き喚くことしかできなかった子供の下であった。


 そして何の偶然か穂先は子供の喉元を向いていた。

 人が振るわずともその鋭い刃は子供の柔肌を裂くなど容易だろう。

 ゆえに、今まさに子供を見つけた母親が数秒先の未来に顔を蒼褪めさせ、絶叫することは当然であった──が、しかし。


「あらよっ」


 何者かが槍と子供の間に割って入る。

 直後、甲高い音と共に槍が弾かれた。


「──危ねえ危ねえ。怪我無いか、坊主?」


 抜き身の剣を一旦鞘へと戻した鉄仮面の男は、泣き喚く子供を抱えるや、駆け寄ってきた子供の母親へその子を引き渡す。

 そして、ゆらりと振り返る。

 視線は宙に佇む一体の悪魔の方を向く。

 すれば悪魔の方が見覚えのある顔に青筋を隆起させた。


「貴様ハッ……!」

「よう、面白ケルベロス。新種に名乗りを上げたいなら王立研究所は向こうだぜ」

「ラいあァああぁアぁ!!」


 怨敵の登場に激昂するアイム。

 次の瞬間、彼の跨っている大蛇が口を開いたかと思えば、毒牙から分泌された毒液がライアーの居る場所とは別の地点目掛けて噴射される。


 直後、ライアーの姿が大きく歪んだかと思えば、毒液が噴射された地点にいつの間にか立っていた彼が回避行動に移った。

 最小限の動きで回避したものの、背後でドロドロと溶けている石畳の光景が避けられなかった未来を示唆しているようで、ライアーは肝を冷やす。


「こっわ。これだから蛇系の魔物は嫌いなんだよ」

「フンッ、運が良かったナ……」

「あぁん? 違いますぅ~、俺が避けたのは俺の実力ですぅ~。外したのはお前のエイムがクソなだけですぅ~」

「……殺スッ!!」


 殺意に漲るアイムから次々に毒液が噴射される。

 ほとんどウォータージェットに等しい勢いで放たれる毒液に、ライアーは〈幻惑魔法〉で作り出した囮を複数くり出す。

 しかしながら、毒液の水刃は微塵の迷いもなく一人のライアーだけを追尾してくる。

 これにはライアーも目が点になりながら回避に専念せざるを得なくなる。


「っとと!? おいおいおいおい、!!」


 逃げながらもライアーはアイムの方を向き、敵の動きに注視する。

 悪魔へと変貌したアイム。特に目を引くのは頭部の左右に生えた猫と蛇の頭部だが、ライアーは蛇の動きに注目した。


 跨る大蛇とは違い、舌をピロピロと動かすだけの蛇。

 その動きに彼は覚えがあった。


「熱で探ってやがるのか!」

「気づイたところでもウ遅イ!!」


 ライアーが袋小路に追い詰められて身動きが取れなくなった瞬間、アイムの大蛇は袈裟斬りの如く彼の体に毒液を噴きかけた。

 ジュッ! と焼けるような音が鳴り響いたかと思えば、限界まで目を見開いたライアーの胴体は上半身と下半身が泣き別れになってしまっていた。


「がっ……!?」


 体を両断された人間が生きていられる道理はない。

 瞬く間にライアーの瞳からは光が失われ、どちゃりと音を立てて崩れ落ちる。


「……フゥ」


 その様を見届けたアイムは、まるでやり遂げたと言わんばかりに息を吐いた。


──これで一人目。


 じわじわと沸き上がる実感に口角を吊り上げるアイムは、今一度ライアー目掛けて毒液を噴射する。

 今度は圧よりも量。多量の毒液は地面に伏していたライアーを跡形もなく溶かす。鎧どころか肉や骨も残さず、死体は溶解した地面と一緒になってしまった。


 これにアイムは今度こそ醜悪な笑みを浮かべてみせる。


「ククッ……クククッ、アーッハッハッハ!! 見たことカ!! これが私ヲ侮辱した者ノ末路ダ!!」

「やだ! なんて恐ろしい末路なの!?」

「次はアの小娘ト女を……」


 言っている途中、極大の違和感を覚えてアイムが振り返る。

 そこには自身も跨る大蛇に器用に立つライアーの姿があった。彼はきょとんとした顔で不思議そうに問いかけてくる。


「……どした? 続けて言ってごらんよぉ」

「……貴様、何故生キて──ッ!!?」

「〈大魔弾マギア〉」

「ぐォあああ!?」


 驚愕した傍から顔面に叩き込まれる魔法の弾丸に、アイムは絶叫しながら墜落する。

 〈魔弾マギ〉の上位魔法〈大魔弾マギア〉。属性こそ付与されていないものの、術者本人の魔法力に左右される弾丸は、時に凶悪な威力を発揮する。

 魔力の爆発に叩き落されるアイムは石畳を割り砕くように着地。遅れて彼を踏み場にライアーも華麗に着地を決め、見る者を苛立たせること間違いなしのニヤケ面をアイムに向ける。


「人の話を聞かないからそうなるんだよ。蛇系の魔物嫌いっつったら、『なんで嫌か』と『じゃあどうしてるか』まで思い至らねえか? ……別に至らねえか」

「グッ……離レろォ!!」

「おっと、危ね」


 背後のライアー目掛けて腕を振るうアイム。

 巨木の幹同然の腕に叩きつけられれば骨折は必至だろうが、それを理解しているからこそ、ライアーは余裕をもって飛び退いて躱す。


 が、それはアイムにとって不服ながら予測済みの動き。

 今度こそ怨敵を仕留めんとする殺意に満ちた眼差しは、そのまま照準を定める動きへと繋がった。


「死ネぇえェエええェ!!」


 吼える悪魔の左横に生えた蛇の大口が開かれる。

 先程まで索敵に用いられていた部位ではあるが、見破られたどころか不意打ちに利用されてしまった以上、攻撃に用いるより他に手段は考えられなかった。


 当たれば必殺を誇る毒液を噴射する。

 今度は的確に狙う真似などしない。とにかく当たるよう広範囲に撒き散らした。


 見境の無い攻撃にライアーは眉を顰める。

 これでは自分が躱しても周囲の人間が危険だ。


「手当たり次第かよ。──セパル!」

「はい」


 刹那、ライアーの背後から水流が迫ってきた。

 まるで龍を彷彿とさせる水流は、一滴すらも住民や石畳に触れさせぬよう毒液を巻き込み、沈黙する。

 そしてそのままアイムとライアーを阻む盾となる水壁を築き上げてみせた。


「ッ!!」


「ありがとう。助かった」

「当然のことをしたまでですわ」


「貴様ァ……聖堂騎士団長セパル!!」


 金刺繍を輝かせながら現れた美女を前に、アイムは怒りの声を上げる。


「よくモ私の前ニのこのこと現れラレたものだナ……!! 貴様にサレた所業、私ハ片時モ忘れテはおらんゾぉ!!」


「……随分お怒りのようですがなにされたんですか、セパルさん?」

「ちゃんとルールに則った尋問ですが」

「ちゃんとルールに則ったかぁ~」


 満面の笑顔で言い放つセパルに、ライアーはそれ以上言及できなかった。


「ふざケるナぁあアァあああアアアあッ!!!」


 しかし、それで悪魔の怒りが収まるわけもない。

 むしろ火に油を注いだかの如く燃え上がる怒りに震えるアイムは、眼前の水壁目掛けて掌を翳す。


「〈風魔槍ベントハスター〉!!」

「!」


 アイムが繰り出したのは魔力で生成した風の槍。

 風魔法に貫通力を付与した一撃は、水壁諸共二人の怨敵を打ち砕かんと解き放たれる。


 だが、それを見過ごすセパルではない。

 現在、水壁の中にはアイムが噴射した毒液が混じっている状態。万が一にも水壁が飛散しようものなら、大量の水によって嵩増しされた毒が周囲一帯を汚染するだろう。


 ゆえにセパルは歌う。

 透き通った歌声のような詠唱を紡げば、彼女を中心に魔法陣が広がっていき、間もなく水壁に変化が訪れた。


「〈氷魔法ラキエ〉!」


 直後、〈風魔槍〉に立ちふさがる水壁が氷結する。

 液体から固体へと凝結した防壁は、そのまま風の槍に余裕を持って受け切った後、バラバラとその場に崩れ落ちていく。


「ふぅ。ここまでされてはもう言い訳は通じませんよ、アイム司祭」

「黙レ、阿婆擦れガ……貴様ノよウに権力に股を開く女にハ、我々の崇高な思想ハ理解できまイ」

「誰が阿婆擦れですか!!? わたくしが股を開くのは既に心に決めた一人のみ!!!」


「セパルさんセパルさん。女の子が股を開くとか言わないの」


 激昂するセパルをライアーが宥め、場は仕切り直される。

 こほんと咳払いをしたセパルは凛然とした団長の顔を取り戻し、冷徹な声色で眼前の悪魔へと語り掛けていく。


「脱獄に留まらず建物の破壊、何よりも住民への危害……大人しく投降されないのであれば聖堂騎士団の権限をもってこの場で断罪致しますが、それでよろしくて?」

「馬鹿ヲ言え。断罪されるノは貴様ラの方ダ──見ルがイイ!!!」


 不遜な物言いで言い返すアイムは、これみよがしに自身に嵌められた腕輪──否、罪冠具を見せつける。


「それはッ……!?」

「フハハハハ!! 恐れルがいイ!! 慄クがイい!! そシて、私ヲ見下したコトを地獄ニ墜チても尚後悔しテみせロ!!」


 刹那、アイムが嵌める罪冠具が光を放つ。

 そして彼に生えた三つの頭部全てが、こう紡いだ。




「「「──告解すル」」」




 三体の獣が紡ぐ呪詛の如き詠唱。

 その不協和音が唱えられるや否や、アイムから途轍もない魔力の波動が迸った。先の暴風など比較にもならないほどの突風。露店の商品や逃げ遅れた人々を飲み込むように吹き荒れる風は、王都の一角に塵旋風を巻き起こしたところでようやく収まった。


「我が〈罪〉は〈艶羨えんせん〉……我、〈艶羨のアイム〉!!!」


 その中央に佇んでいた悪魔は恍惚とした表情で漲る魔力に酔いしれる。

 罪冠具を中心に広がった紋様──罪紋シギルは全身にまで及んでおり、まるで罪人に彫られた刺青の如く、見る者にただならぬ緊張感を覚えさせた。


「ドうダ……この力!!! この魔力!!! こレが私の罪化シンかダ!!!」


 アイムは高らかな笑い声を響かせ、溢れ出る魔力を周囲に解き放つ。

 その魔力圧は以前とは比べ物にもならない。二つの意味で人間をやめた司祭の姿に、ライアーとセパルの二人は得も言われぬ表情を浮かべる。


「初期段階の悪魔堕ちならなんとかできるが、これはな……」

「……カルマが深すぎますわ」


 諦めるような声色だった。


──救いようがない。


 そう言わんとしていたセパルに対し、当のアイムはと言えば勝ち誇った笑みを湛えていた。


「恐レ慄イたか!!? こノ〈罪〉さエあれバ、貴様ラなぞ敵でハナイでスねぇ!!! ハハハ、ヒャアハハハハ!!!」


 一頻り哄笑したアイムは、ふととある方向を見遣る。


「つマり、貴様モ用済ミです。アータン」

「ッ……!!」


 建物の陰に身を隠していたアータンの肩が飛び跳ねる。

 恐る恐る顔を覗かせる少女の表情は、変わり果てた司祭の姿に心底恐怖する色に染まり切っていた。完全にかつての司祭の面影はなくなった。そこにはただ魔に堕ちた一人の罪人が居るのみ。

 それでもかつての思い出の中の笑顔が脳裏を過り、アータンは呼びかけずにはいられなかった。


「し、神父様……ですか?」

「当然でショウ。ゴ覧なさイ、こノ神々しイ姿ヲ。クックック……罪冠具と〈シン〉さエ手ニ入れてしまエば、貴様ヲ魔王にすル等とイウ回りくどイ真似をせずニ済ミますヨ」

「ッ……正気に戻ってください!! まだやり直せます!! こんなことをしなくたって、ちゃんと償いさえすれば──」

「黙レぇ!!! 元はと言エば貴様が悪イんダ!!! 貴様がァ……私の洗礼ヲ受け入れなイ所為で……!!!」

「そんな……!?」


 聞く耳を持たぬアイムに、アータンは力なく項垂れる。

 最早、かつての優しい神父は居ない。いや、元々居なかったのかもしれないが、彼はその優しい神父の仮面さえも捨ててしまった。

 その理由の一端が自分にあると考えた少女は、一人の人間の更生の機会を奪ってしまった事実に打ちひしがれる。


 悪魔はその隙を見逃さなかった。


「アータン……私ハ貴様が憎かッタ」

「……神父様?」

「だカラ──死ネ」


 〈罪化〉によって増幅した魔力で形成された〈風魔槍〉をアイムが握る。

 それを投擲槍の如く放り投げる悪魔。狙いは無論、たった今端的に憎悪を告げた少女にだった。


 少女は動けない。

 恐怖ではない。

 ただ、再び純粋な憎悪を向けられた。その事実が何よりもショックで。


「──〈風魔槍〉」


 が、風の凶刃が少女に届くより前に、合わせ鏡のような風の槍が一人の女騎士の手から紡がれる。

 暴風VS暴風。周囲の人間は二つの強大な魔法の激突を前に思わず身構える。

 しかしながら、セパルの放った〈風魔槍〉がアイムの放った魔法とぶつかった瞬間、両者の魔法は音もなく消えていった。


「ナ゛っ……!!?」


 目を剥くアイム。


(アり得ン!!? 魔法を相殺!!? 防御するナリ逸らスならマダ分かる……だガ、相殺だト!!?)


 魔法の余波さえ周囲に及ぼさず魔法を相殺する。

 つまりそれは、あの一瞬で自身の魔法と同威力で同速度、なおかつ逆回転の魔法をぶつけたことに等しい。


 そんな刹那の神業ができるはずがない。

 いや、あっていいはずがない!


「ふ……ザけるナ!!! 罪化しタ私の魔法ヲ、ただの人間如きノ貴様がどウやって……!!?」

「誰が、ただの人間ですか?」

「っ……!!?」


 全身が総毛立った。

 アイムは即座にその場から飛びのき、たった今差し向けられた魔力の圧の源に目を向ける。


 金刺繍の団章が縫われた聖歌隊服が靡いていた。

 女は自身の右目を隠す前髪を掻き上げる。

 一見すればなんてことはないただの仕草。


 だがしかし、そこにあったのは無機質な輝き。

 前髪と共に捲り上げられた眼帯から覗く──黄金の義眼だ。


「──


 たとえるならば、津波。

 解き放たれる魔力はそれまで周囲を圧倒していたアイムの魔力を飲み込まんとする勢いで膨れ上がり、あっという間に周囲を彼女の魔力で包み込んだ。

 禍々しく荒々しいアイムのものとは違い、温かく透き通った洗練された魔力。

 後方で身を隠していたアータンも、思わず恐怖を忘れて魔力の質に感嘆の息を吐くほどだった。


「す、すごい……こんな純度の高い魔力は初めて……!」

「よーく目に焼き付けておけよ、アータン」

「ライアー……?」


 興奮を隠しきれないアータンの下へライアーが歩み寄る。

 そして、たった今〈罪〉を解き放った一人の罪人シンとの方を見遣った。


「今、目の前にいるのは大陸でも一、二を争う魔法使いだ……ここまでオーケー?」

「お、おーけー?」

「つまり、今から見られるのはそんな騎士団長様の最高峰の魔法と──」




──罪化が見られるってこった。




 

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