第2話 転生は冒険の始まり




──好きなゲームの世界を冒険してみたい。


 

 

 そんな風に考えた経験、誰だって一度はあるだろう。

 

 俺の場合、それは『ギルティ・シン』というゲームだった。

 略して『ギルシン』。今となっては有名なゲームタイトルだが、記念すべき一作目はあろうことか同人エロゲーだ。

 しかし、同人エロゲーとしては破格の大ヒットをかましてシリーズ化せざるを得なくなったと制作会社が雑誌で語った裏話は今でも語り草である。

 

 ジャンルはRPG。

 よくある剣と魔法の世界で魔物と戦う王道ファンタジーである。

 それだけ聞けばファンタジーという飽食気味のジャンルで埋もれそうだが、ギルシンは常に最先端を突っ走っていた。

 

 新たなナンバリングごとにお出しされる、ゲームハードの容量ギリギリを攻めた美麗なグラフィックとシステム。

 『罪』をテーマに厨二心をくすぐる世界観。

 起用した大御所イラストレーターによって出力されるキャラデザイン。

 

 そして、何よりプレイヤーを引き付けたのは、シナリオ枚数原稿用紙数千枚にも及ぶシナリオライターの〈癖〉を隠さない重厚なストーリーだ。

 ギルシン名物のシステムとの兼ね合いからマルチエンディング方式を採用している本シリーズだが、これが中々の厄介なシステムだった。

 

 だって、捨てエンディングが無いんだもん!

 

 あるルートで大して深掘りされなかったキャラクターが、別ルートで味のある魅力的なキャラクターになるなんてザラだ。

 特定のルートでしかゲットできないアイテムやアーカイブも合わせて、収集要素をコンプリートしようものなら周回は大前提。それで新たなキャラの魅力に気づき、のめり込んでいく。

 

 これこそがギルシンの沼。

 俺もまたその沼に嵌まった一人だ。

 

 ⅠからⅦまであるナンバリングと外伝はすべてクリア済。当然、収集要素もコンプリートしている。

 漫画や小説といったメディアミックスは履修し、バイトの初任給は好きなギルシンのキャラクターのフィギュアにつぎ込んだ。

 

 そんな生粋のギルシンファンを自負する俺だが、如何に大大大好きなシリーズとは言え文句の一つや二つはある。

 

「アータンに救いはないんですか?」

 

 画面の向こうで死ぬ寸前のキャラクターを前に、俺は淡々と語りかけた。

 当然向こう側から返ってくる言葉はなく、実姉にトドメを刺されたアータンというキャラクターは塵になりつつある手を伸ばしていた。

 その先にはこの世の終わりを絵に描いたような表情を浮かべながら駆け寄る姉が居るが……。

 

『おねえ……ちゃん……』

『アータン……? 待って、消えないで……ッ!!』

『どうして……私、だけ……』

『!!』

『こんなことなら……生まれて、こなきゃ……幸せだったのに……』

『アータン!!』

 

 実姉が手を掴むより早く、アータンの腕は完全に塵となって消えた。

 

 うんうん。

 そらお姉ちゃんも涙を流して慟哭しますわ。

 

「人の心とかないんですか?」

 

 俺もちょっと泣く。

 いや、嘘。大分泣く。

 このルート五週目だけどアホみたいに涙出てくる。

 

 俺がプレイしているのは『ギルティ・シン外伝 悲嘆の贖罪者(スケープゴート)』。ギルシン初の外伝作であり問題作だ。

 何が問題かって、どのルートも救いがない話が多い。

 今までのナンバリングも後味が悪い話がなかったと言えば嘘になるが、それはあくまでプレイヤーの選択肢次第なところがある。

 

 けど、この外伝作はそれを差し引いても救いがない話が多い! 多過ぎる!

 たとえばたった今死んだキャラクターの『アータン』。黒髪触角ヘアーに緑色のインナーカラーと、エメラルドのような蛇目がクリクリと可愛らしい女の子である。ちんまりとした体格も相まって庇護欲を掻き立てる印象を与える彼女だが、ゲーム内ではこれでもかと不幸な目に遭わされる。

 

 前菜オードブル! 魔王によって故郷を滅ぼされて家族が離散。

 スープ! 避難した先で虐待紛いの暴力を振るわれる。

 魚料理! 邪教に買われて長い間劣悪な環境で生活。

 肉料理! 邪教から逃げた先でクズに拾われてしまう。

 サラダ! 無理やり加担させられた悪事で大勢が死ぬ。

 ドリンク! 好きになった勇者ひとを姉に取られる。

 主菜! 死。

 デザート! 死亡後に見つけられる夢を書き記していた日記。

 

 人でなしのフルコースがよぉ……。

 

 特にクズ──偽物の勇者に拾われたのがこの子の運の尽きだった。

 恩着せがましい偽物勇者によって悪事に加担させられ、自分の意志とは裏腹に多くの罪を重ねていく。

 その度にアータンは罪悪感に押し潰されて憔悴していく訳だが、中盤で主人公パーティーの一人と双子である事実が判明する。

 主人公の行く先で悪事を働く偽物勇者を撃破し、晴れてアータンは自由の身! 生き別れた姉の居る主人公のパーティーに加わる……のだが、そこで終わらないのがこの外伝である。

 

 パーティーで行動を共にする中、アータンは双子の姉と自分の境遇をどうしても比べてしまう。

 最初は小さな劣等感だった。

 それがいつしか本人にも抑えきれない嫉妬の炎へと変わってしまう。

 

 結果、悪堕ちからのパーティー離脱。

 いや、完全に自分の意志とかじゃないけどね?

 心の弱みにつけ込まれた感じで悪魔になる訳だけど、結局最後の最後まで姉とは和解できずに自分の境遇を呪いながら遺体の一つも残さずに消えていく。

 

 それがアータンというキャラクターだ。

 

 もう一度言おう。

 

「人の心とかないんですか?」

 

 この人でなし! とシナリオライターを心の中で呪ったことは一度や二度ではない。

 それほどまでにこのキャラクターには救いがない。

 いつぞや公式で開催された『ギルティ・シン 不幸な悲劇の死を迎えたヒロインランキング』では堂々の1位を飾った。飾るな、そんなもん。

 

 それほどまでにアータンというキャラクターのインパクトは凄まじかった。

 前代未聞のパーティー離脱からの死亡というのもあるが、何より全ルートで死ぬ方がプレイヤーの間で話題となった。

 今までの作品だといずれかのルートで死ぬキャラでも、別ルートであれば生存するというのがお約束だったからだ。

 

 そのお約束を初めて破ったキャラこそ……最早語るまでもないだろう。

 そう、アータンだ。破るな、そんなもん。

 

 しかし、こんなかわいそかわいいキャラ造形が一部の変態紳士に受けたのか、人気はシリーズの中でも随一。同作の他ヒロインを差し置いてフィギュア化されるという偉業を達成している。

 大人向けの薄い本では大概可哀そうな目に遭っているシチュエーションばかりというのが、このキャラクターを好む需要層を物語っていると言えよう。

 

 そして、竿役は彼女を奴隷同然にこき使った偽物の勇者。

 ゲスでカスでクズで救いようのない小悪党な癖に、嘘八百で他人を騙して不幸を振り撒くある意味諸悪の根源。

 

 

 

──すなわち、俺の転生先のことだ。

 

 

 

 神は死んだファッキュー

 両手の中指で十字切ってやろうか。

 

 なぁ~~~んでよりにもよってこの偽物勇者なのかな!?

 

 どうして俺がこいつを嫌っているのかというと、理由はたくさんある。

 その中からある程度抜粋すると、

 

 1、アータンの死の原因

 2、アータン以外にも色んなキャラの不幸の原因

 3、行く先々でトラブルを起こしてゲーム進行の邪魔になる

 4、各地で勇者を騙るせいで本物の主人公が迷惑を受ける

 5、散々ストレス溜められた上でのボス戦も、大して強くないせいですぐ終わる

 

 まあ、こんなところである。

 そんなせいでネットでは『なんでこんな奴を登場させた』とか『存在意義がない』とか散々罵倒されていた。公式も『元々そういうキャラとして作った』と弁明はしていたものの、発売直後は結構荒れていたものだ。

 しかし、しばらく経てばむしろ弱いのを逆手に取ってワンターンキルやら最大ダメージ検証やらと、色々とプレイ動画が出ていた気がする。幾度となく偽物勇者が消し炭にされる動画は、俺もよくストレスを晴らすために観たものだ。いいサンドバッグなのだ、こいつは。

 

 おお、神よ! どうして俺をそんなキャラに転生させてくれやがったんですか!?

 

 って最初の頃は絶望していた。

 だが、途中で気づいた。

 

 あれ? 別に俺が何もしなけりゃ良くね?

 

 だって、偽物勇者一行の悲劇とか主人公らのトラブルって、大概偽物勇者が余計な真似をしたせいだ。

 だったら俺が何もしなければ悲劇は起こらない。原作主人公も迷惑を被らず快適な冒険を続けられる。

 

 俺はこの時、天啓を得た。

 

「じゃあ好きにギルシン世界を楽しむかぁ!」

 

 俺のテンションは天元突破した。

 だって、小さい時からファンだったゲームの世界に転生できたのだ。男の子なら大概テンション上がっちゃうだろうて。

 

 原作主人公の邪魔さえしなければ無問題。

 それだけ心の片隅に置いて、俺は存分にギルシン世界を堪能することにした。

 

 知ってる町ィ!

 知ってる人ォ!

 知ってる建物ォ!

 

 町を一つ巡るだけでもファンが興奮する要素は満載だ!

 現実でも実際の土地をゲームのマップとして登場させるケースがあるだろう。俺の場合、その逆だ。ゲームで散々見たマップが目の前に広がっている!

 

「た~~~のし~~~!!!」

 

 ギルシンはストーリーに関わりさえしなければ、大体の設定は王道RPGと似通っている。

 町にはギルドもあるし、依頼クエストなんかも受けられる。それで得た報酬金を元手に装備を作ったりと、やれることはたくさんあった。

 

 しかも、このギルシン……ファンタジーRPGの例にもれず魔法も使える。

 こればかりは人によって適性があるのだが、俺も知ってる魔法をちょっぴりだけ使えた。それだけでもう絶頂ものだ。テンションが上がり過ぎて何度も魔法を使った。それで死にかけた。ウケる。

 

 そんなこんなでギルシン世界をとことん堪能していた俺だが、依頼をどんどんこなしていく内にギルドにも顔が利くようになって依頼を斡旋されるようになった。

 ゲームでも依頼をこなしていくと特別な依頼を受けられるようになるが、それの再現ともいうべきイベントに遭遇し、俺のテンションはうなぎ上り。

 

 最近人が姿を消してる? 調査してほしい? あー、あったねそんなん。いいよいいよ、俺やるからー!

 

 二つ返事で依頼を承諾した俺は、とある村を訪ねた。

 こういう類の事件に関わっている組織には心当たりがある。

 俺はきっと『あいつらだろうなー』なんてのんきに考えつつ、村で出会った猟師のおじさんに護衛を頼まれて、調査ついでに狩場の森に同行した。へへっ、俺は新しい町に着いたら片っ端からサブクエストをこなさないと気が済まねぇ性質なんだ……!

 

 お礼に捕まえた獲物のお肉を食べさせてくれると約束を取り付けながら森を歩いてると、どこかから悲鳴が聞こえた。

 聞こえた悲鳴の下まで駆けつけると、女の子が魔物に襲われてるではないか。

 あらら大変。そんなことを考えながら剣で魔物の首をスッパーン。俺もこの世界に慣れてきたもんだぜ。

 

 舞い上がる血飛沫から女の子を守ったところでご対面。

 フッ、大丈夫ですかお嬢さん……的な冗談を飛ばそうとしたんだが、目と目が合った瞬間に俺は固まってしまった。

 

 緑色の目。

 黒い髪に緑のインナーカラーの触角ヘア。

 それの右側だけに巻かれたリボン。

 小ぢんまりとした体躯。

 恰好こそ違うが、顔のパーツ一つ一つがとあるキャラクターと酷似していた。

 

 うんうんなるほど。

 

「──ギルシン史上最も不幸な悲劇の死を迎えたヒロインランキング1位!?」

 

 あっ、声に出ちゃった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 舞台は森から一軒家へと移っていた。

 質素な内装の部屋の中では、机を囲む三人の人間が居た。

 

「それじゃあ自己紹介といこうか」

 

 鉄仮面の男が音頭を取る。

 ビクリと少女の肩が跳ねるが、鉄仮面の男はあえて気づかないフリをしておどけた態度を続ける。

 

「このおっちゃんはここいらの森で細々と猟師やってるモンでさぁ」

「あれ、ワシの自己紹介奪われた?」

「俺はその護衛をしてたライアーだ。そういう訳でよろしく」

 

(どういう訳?)

 

 初っ端のボケに、台所で飲み物を淹れていた家主がツッコむ。いい反応だ。森で嘘嘘言い合っていた二人を黙らせただけはある。

 しかしながら、未だ少女の緊張が解けた様子は見られない。寧ろ困惑するばかりだ。

 

 ここは真面目に自己紹介を始めるべきだろう。

 場の空気がそう告げている。

 

「いわゆるギルド所属の冒険者って奴さ。この村にはここいらで増えた魔物の討伐に来てた」

「魔物……やっぱり増えてるんだ」

「まあな。さっきは猟の手伝いのついでだけどな」

 

 そこで偶然少女の悲鳴を聞きつけてやって来たというのが大まかな経緯だ。

 

「それにしてもお前は運が良いな」

「え?」

「誰が言ったかプルガトリア一の勇者とは俺のこと! 魔物なんてちょちょいのちょいの三枚おろしよ」

「おぉ……!」

「ま、嘘なんだけど」

「……」

 

 盛大な前振りと共に嘘を自認した鉄仮面の男──ライアーは、これまたわざとらしくボウ・アンド・スクレープで少女に頭を下げて自己紹介を終える

 対する少女は反応に困った様子で、机の方を向いたまま目も合わせず口を開く。

 

「アータンです……」

「アータンか。知ってる名前だな」

「えっ?!」

 

 あからさまにアータンが驚愕した面持ちを浮かべる。

 それもそうだ。彼女は元々教会から逃げてきた身。それ以前は不特定多数の孤児として育てられていたのだから、名前を知っている人間は限られてくる。

 

(もしかして、教会の──!?)

 

「──俺の故郷に伝わる、頭にマラカスぶっ刺した妖精の名前が確かそんなんだった気がする」

「誰!?」

「知らない? 幼子を泣き止ませるその道20年の妖精なんだけどなぁ」

「たった20年の伝説……!?」

「『たった』とはなんだ、『たった』とは。この業界で20年は大御所だぞ?」

「あ……ご、ごめんなさい」

「ただし年齢は1歳半だ」

「その道20年じゃなかったの!?」

 

 嘘じゃん!? と愕然とするアータンに向け、ライアーは曇りなき眼を向けたままサムズアップする。

 一応杞憂で済んだ訳だが、別ベクトルで押し寄せてくる疲労に少女は溜め息を漏らす。

 

(私、こんな人に助けられたの……?)

 

 自分が読み聞かされた御伽噺に出てくる勇者は、もっと勇敢で誠実な清廉な人物だったはずだ。

 

 だが、いざ助けてくれた人間はどうだろう?

 口を開けば二言目に嘘か真か分からない──否、十中八九嘘であろうホラを吹く嘘つきだ。それに鉄仮面で顔を覆っていて素顔が見えない。

 

 怪しい。怪しすぎる。

 

(でも……)

 

 意を決し、アータンはライアーの方へ振り向く。

 そして、

 

「助けてくれて……ありがとうございました」

「おう! どういたしまして」

 

 誠心誠意感謝の言葉を伝えれば、気さくな挨拶が返ってきた。

 それにアータンはきょとんと眼を丸め、呆気に取られた顔でライアーをマジマジと見つめる。

 

「どした?」

「いや……また何か変なこと言うんじゃないかって……」

「俺の事ホラ吹き爺さんかなんかだと思ってる?」

「そんなことは……いや……うん、ちょっと思った……」

「短絡的に他人を信用しない警戒心は大事だな」

 

(原因そっちなんだけどなぁ……)

 

 嘘を吐いている印象を与えている自覚はある分、まだマシと言えるだろうか。

 そうしている間にも、自己紹介を奪われた猟師の男性は、コップをテーブルの上へと並べていく。

 

「それにしてもビックリしただぁ。まさか人間が罠に掛かるなんてなぁ」

「ご、ごめんなさい……」

「いやいや、謝ることはねぇだよ! ……と、おじさんが言いたげにしている」

「どうしてもワシに喋らせたくないんか? いや、別にいいんだけども……」

「だってさ。良かったな」

「は、はぁ……?」

 

 いい笑顔を浮かべるライアーに、アータンは釈然としないながらも相槌を返す。

 

 その間に少女が考えていたのはこれからどうすべきか、その一点だ。着の身着のまま逃げ出してきたが、頼れる人間などいない。たまたま人に出会い村まで案内されはしたが、広い活動範囲を持つ教会が近隣の村を探さないなどあり得ない。

 早々に村を出るべきだと理性が訴えている。

 せめてギルドまで辿り着けば、教会で過ごす間に覚えた魔法で冒険者なり生計を立てる手段を見つけられるかもしれない。

 しかし、何の用意もないまま村を出たところで、次の村に辿り着くまでもなく行き倒れる自分の姿は想像に難くなかった。

 

(せめて、一緒について来てくれる人が居れば……)

 

 チラリと視線を向けた先には、たった今冒険者と名乗った男がコップに口をつけていた。

 鉄仮面を着けたまま。

 もう一度言おう、鉄仮面を着けたままだ。

 なのにちゃんとコップの中身はみるみるうちに減っていく。

 どこから飲んでるの? と疑問を抱いているのはアータンだけではなく、猟師も謎の原理で減っていく水を凝視している。

 

(…この人だけはちょっと)

 

 決心は早かった。

 この人だけは、ない。

 人を見る目に自信があるとは言えないアータンであったが、それでも眼前の鉄仮面の男だけは選んでいけないと直感で理解した。

 猶予は、恐らく残されていない。

 決めるや否や、アータンはコップに注がれていた水を一気に飲み干した。

 

「あのっ!」

「おかわり?」

「あっ、いただきます……じゃなくって!」

 

 言っている間にも水はなみなみと注がれる。

 

「……えっと、ここから一番近いギルドがある町ってどこですか? 教えていただけると助かります……」

「なんだ、冒険者にでもなりたいのか?」

「えと……まあ、そんな感じというか……」

 

 いざ本題に入る。

 

 

 

「探しましたよ、アータン」

 

 

 その瞬間だった。

 

 不意に扉が開く音が鳴り響いた。

 ただの生活音だ。にも関わらず、アータンはこの上ない悍ましい感覚を覚えた。誰も居るはずがない廃墟や墓地で聞こえてくる物音が恐ろしく思うように、少女はその声をここに居てはならない存在だと認識していた。

 

 恐る恐る振り返れば──

 仰々しい装飾が施された司祭服とミトラを身に纏い、高位の聖職者しか持つことを許されぬ荘厳なバクルスを携える男。

 眼鏡をかけた優しい目元は微笑んだ相手に柔らかな印象を与えるが、傍らに控える教団所属の兵士の存在も相まってどうしようもない威圧感へと様変わりしていた。金糸のように滑らかな長髪はそよ風に揺れ、煌びやかな反射光を輝かせる。

 

「ア……アイム司祭……!」

「突然居なくなったものだから心配しましたよ、アータン。一体どうしたというのです?」

「これは……!」

 

 

 

「違ぁーーーーーうっ!!!」

 

 

 

『っ!?』

 

 突如、一人の男が大声を上げる。

 空になったコップに水を注ぎ終わったライアーだ。突然声を荒げた彼は玄関まで……もとい、アイムと兵士の下までズンズン迫っていく。

 あっという間に距離は詰められ、ライアーとアイムは鼻先が触れ合う距離感で睨み合う形と相成った。

 

「ええと、どちら様ですか?」

「初めまして、家主じゃない人間です」

「そうですか……では、少しお待ちいただけないでしょうか? この子は私達にとって大切な──」

「断る。てめえらみてえなお宅訪問の礼儀もなっちゃいない野郎はな」

「は?」

 

 次の瞬間、面食らったアイムの表情は静かに閉じられる扉と共に消えていった。

 

「……え」

 

 二人部屋に取り残されたアータンと猟師が呆然とする間、扉越しに話し声が聞こえてくる。

 

『いいか? まずは扉をノックする。それで家の人が出てきたらこう言うんだ。『あなたは今幸せですか?』って』

『いや……なんなんですか、それ?』

『俺の故郷で有名な宗教勧誘の謳い文句だ』

『別に宗教勧誘に来た訳じゃないのですが……』

『まあまあ、とりあえずやってみろ。話はそれからだ』

 

 再び扉が開かれるとライアーだけが部屋に入ってくる。

 それから躊躇するような間を置いてから扉をノックする音が響いた。

 

『す、すみません……』

 

 演技を恥じらうような声音だった。

 それを聞いたライアーはと言えば、なぜか腰を低くして恐る恐ると扉を開く。異様におどおどとした態度だった。

 

「……なんです?」

「え~……あなたは今幸せでしょうか?」

「いや……うち、そういうの興味ないんで……」

「え?」

「じゃあ」

 

 

 

 キィ……。

 

 パタンッ。

 

 ガチャ。

 

 

 

(今鍵掛けた?)

 

 再び外と隔絶された部屋の中、アータンは確かに彼が戸締りする姿を垣間見た。

 しばし信じられない光景に呆気に取られていると、玄関近くの窓からそっと覗き込んでくる司祭と兵士の姿もあった。やはり彼らも信じられないものを見る目を鉄仮面の変態に向けていた。

 

「──よし、さっきの話の続きするか」

「このまま!?」

「近場のギルドだったっけか? へへっ、安心しな。それなら俺が知ってる」

「散々レクチャーしてやらせた上で追い出したよね?! すっごい外から見られてるよ!?」

「お前の心の弱さが見せる幻覚だ。心を強く持て」

「これを幻覚と見なすのはただの図太い人だよ!?」

 

 

 

『開けなさぁーーーいッ!!』

 

 

 

「ほら、怒ってる!! あぁあ、今開けます!!」

「コラ、アータン! 知らない人をお家に上げないの!」

「黙ってて!!」

 

 やっぱりこいつだけはない。

 呼び方もワンランク下がったように、アータンの決意はさらに固まった。

 

 しかし、そうこうしている間にも外に追い出された者達がズンズンと家の中へと押し入ってくる。

 

「フフッ、ユニークな方だ。まるで王都の漫談家のようですねぇ」

 

 ニコニコと笑顔を絶やさない司祭だが、仄かに青筋がピクピクと隆起している。

 ズレる眼鏡の位置を直しながら、なんとか平静を取り繕いながらライアーの方を向く。

 

「ですが、漫談ならまた今度のご機会で……」

「遠慮しないでいいっすよ。まだ行けます、やらせてください」

「遠慮しておきます」

 

 含みを持たせた言い方もするも、食い気味に断られた。

 ライアーはしょんぼりと眉尻を下げてアータンの隣へ戻る。

 

「断られちゃった」

(だろうね……)

 

 これにはアータンも司祭側に賛同せざるを得なかった。

 自分の立場だったとしても、こんなふざけた人を育てた両親には会いたくない──いいや、やっぱりちょっとだけ気になる。

 

「アータン」

 

 しかし、現実逃避染みた少女の思考は司祭の声で中断させられる。

 恐る恐ると伏せた目を上がれば、そこにはにこやかに微笑む司祭の顔があった。人が良い印象を与える柔和な笑みであるが、それでも背筋を這う冷たい感触は拭えない。

 

──動けない。

 

 それこそ蛇に睨まれた蛙の如く。

 微笑みで細められた目から覗く視線に気づいてしまえば、全身を二股に分かれた舌で舐られるような錯覚に陥った。

 

 その瞬間、脳裏に過るのは逃げ出す直前の会話。

 

──『次は……アータンが頃合いでしょう』

──『他の者達では失敗しましたが』

──『きっと〈洗礼〉も上手くいくでしょう』

──『その為に長い時と安くない金を掛けたのですから』

 

 不明瞭であったが、穏やかな内容であるとは到底思えなかった。

 だからこそ本能的に逃げ出したというのに、奴(・)はすぐ自分の下までやって来た。

 

「っ……!」

「いったいどうしたというのです? 何も告げずに出ていくなんて貴方らしくもない……」

「はい……」

「貴方が居なくなって孤児院の者達も心配していますよ」

 

 穏やかな声音も、今となっては全てが不穏に聞こえてしまう。

 これが思い違いで済んでしまえば、どれだけいいだろうか。

 

 居なくなった友達も、司祭の会話も。

 全部が全部、自分の妄想の産物であるならば笑い話で済むだろうに。

 

「さあ、皆の下へ帰りましょう」

 

 けれど。

 けれど、もしも全部嘘でなかったら。

 

 その時を想像してしまった瞬間、この差し伸べられる手を取ってはいけないと心が訴えている。

 いつの間にか培われた経験則からくる警鐘だ。

 

「どうしました、アータン?」

「──待て」

 

 瞼の裏に浮かぶ最悪の光景。

 その光景が、途端にまっさらに消し去さられた。

 

「ぐっ……何をするのです!?」

「家出したんならしたで理由があんだろ?」

 

 アータンへ差し伸べられた腕を掴む手。

 くすんだ鈍色が輝く手甲を嵌めた男は、それ以上司祭の手が少女の方へ近づかぬように拘束していた。

 相当な握力なのか、司祭は腕を振り払おうとするがピクリとも動けない。

 代わりに睨みつけようとする司祭であったが、それよりも早くライアーは鉄仮面を被った顔をギリギリまで司祭の顔まで寄せていた。

 

「それをはっきりさせない内には……な?」

「くっ……暴力に訴えるのはやめてもらいましょうか」

 

 

 

 

 

『大変だぁーーー!! 魔物が出たぁーーー!!』

 

 

 

 

 

「!」

 

 外から聞こえてくる声があった。

 ひどく切羽詰まった声色だった。ドタバタとした足音がすぐそこまで迫った瞬間、先程司祭を締め出した扉が勢いよく開かれる。

 現れたのは恰幅の良い中年の村人だ。滝のような汗を流し、焦燥の色を隠さぬ表情で部屋の中を見渡し、ライアーを見つけるや大急ぎで駆け寄ってくる。

 

「ぼ、冒険者さん! ここに居ただか! ま、ま、魔物が……!」

「落ち着け落ち着け。どんな魔物だ? 普通の動物とは違うのか?」

「違う! ありゃあ蛇髪女メデューサだ!」

 

 メデューサの出現を耳にし、ライアーは司祭から手を放す。

 メデューサとは半人半蛇の魔物だ。嫉妬深い人間が悪魔堕ちした末路であり、髪の一本一本が蛇と化した恐ろしい姿をしている。

 悪魔堕ちした人間は魔物同然の存在だ。早急に討伐しなければ、偶然出くわした人間が犠牲になることは想像に難くない。

 

「──分かった。行くよ」

「ホントだかッ!? すまねえ、危ねぇとは思うがアンタしか頼れる人が居ねえ……!」

「こういう時の為の依頼だろ? 任せな」

 

 剣を佩いて、ライアーは外へと向かう。

 しかし、遅れて立ち上がる音が背後から聞こえた。

 

「よろしければ私も同行しましょう」

「ん?」

「悪魔堕ちは危険です。一人でも戦力が多い方が……」

「いやいやいや、平気だって。なんたって俺様、毒蛇竜(ヒュドラ)だって倒したことがあるし。メデューサなんてちょちょいのちょいよ」

「フフッ、ヒュドラをですか。それはぜひとも聖堂騎士団に欲しい人材ですね」

「だろ? だから同行はいらないよ」

 

 同行を申し出る司祭に対し、にべもなく断ったライアーは振り返る。

 

「俺個人の依頼に聖職者様は巻き込めないっての。傷つけでもしたら信用に関わる問題だからな」

「……そうですか」

「安心しな。討伐ならしっかりこなしてきてやるよ」

「……そういうことなら私の出る幕ではありませんね」

「それにしても」

「?」

 

 ゆっくりと司祭に歩み寄ったライアーは、耳元でそっと顔を寄せる。

 

 

 司祭は、少し間を置きながらメガネの位置を直す。

 

「……魔物……特に悪魔は知性がある分、行動範囲が広いですからね」

「……それもそうだ。ご教示いただきありがとうございます、っと」

「いえいえ」

 

 しかし、と司祭は話題を変える。

 

「先の手荒な真似……あれは感心致しませんね。こればかりはギルドに報告させていただきましょう」

「げぇー」

「……いや、まさか貴方がこの子をかどわかしたのではないでしょうね?」

「さて、ここで問題です。俺は一体いつアータンと知り合ったでしょうか? 制限時間は10秒です。はい、いーち! 残念! さっき知り合ったばっかでしたー!」

「……貴方と話していると頭が痛くなってくる」

「おいおい。俺の質問には答えてくれないのか? それでこいつから家出の理由を訊こうってのは筋が通らないんじゃないかぁ?」

「えぇ。貴方が居ない場所で本人から聞かせてもらいますとも」

 

 暗に告げている。

 関わるな、と。

 

 だが、ここまでのふざけた言動を考慮すれば当然の判断だとも言える。真面な神経をしていれば素性の分からない外野を含めながら、繊細な話題を取り扱おうとは思わないだろう。

 

──

 

「……アータン。一先ずは孤児院に帰りましょう。大丈夫、人には言えないことくらい誰にだってあるものですから」

「……は、い……」

「そういう訳です。うちの者が大変ご迷惑をおかけしました。もし、差し支えなければお詫びの品を後日お届けいたします」

 

「いえいえ、そんなぁ!」

 

 恐れ多いと猟師が手を振って断る間、結局最後までアータンの手を取ることはなかった司祭が席を立つ。そして目配せだけで横に控えていた兵士に指示を送った。

 直後、兵士に腕を掴まれたアータンは、抵抗する間もなく立たせられる。

 長年の粗食でやせ細った腕では、掴んでくる手を振り払うことすらままならない。

 

「あっ……!」

 

 連れて行かれる少女はある一人へ視線を注ぐ。

 その人物は素顔も分からず態度もふざけている。

 けれども、ロクに事情も話していない自分の為に動いてくれた──ただその一点が、彼女にとっての最後の希望だった。

 だからこそ、後ろ髪を引かれるように振り向いた時、声には出さずともありったけの心の叫びを乗せる。

 

──たすけて。

 

 淡い桜色の唇が紡いだ瞬間、くすんだ鈍色の鉄仮面がアータンの方を向く。

 アメジストを彷彿とさせる色合いの双眸は、少女を視界に収めるや弧を描く。見えないはずの口元も、ニヤリと吊り上がったように見えた。

 

「行けたら行く」

「え?」

 

──届いた?

 

「おい、行くぞ」

 

 そうとしか思えぬ返答に呆気に取られている間も、兵士によって外へと連れ出されている。

 

 だが、その瞬間だけは不思議と恐怖心が消えていた。

 目の前の彼が全てを持ち去っていった。

 

(なんで)

 

 あれだけふざけていたのに。

 あれだけ嘘を吐いていたのに。

 

 その言葉だけは、何故だか心からの本心のように思えた。

 

 外へと連れ出され、用意されていた馬車に乗せられる。

 そうして教会へと向かう間にも、アータンの頭の中では幾度となく彼の声が繰り返されていた。

 

(本当に……助けてくれるの?)

 

 答えてくれる当人の姿はもう見えない。

 ただ、あの時向けられた真っすぐな眼差しが、全ての答えであるように思えた。

 

(……でも)

 

──本当は、違う。

──本当の本当は、今すぐにでも。

──今すぐにでも、助けてほしかった。

 

(そう思うのは私の我儘なのかな?)

 

 


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