嘘吐きは勇者の始まり
柴猫侍
第一章 嫉妬の魔女
第1話 嘘吐きは出会いの始まり
物語は嘘ばっかりだ。
これは悲観ではない。
端的な事実だった。
物心を覚えた時に故郷の村は魔王の手によって焼かれた。
勇者は来てくれなかった。
その時に両親は死んだ。双子の姉と私を庇ったからだ。
しかも、逃げる途中に双子の姉とはぐれてしまった。それが私の運の尽きだったのだろう。
必死に逃げた先で、私は一組の夫婦に拾われた。とうに顔も声も思い出せない───いいや、思い出したくもない人間だったことだけは鮮明に覚えている。
毎日が地獄だった。
夫婦には子供が一人居た。私はその子供の体のいい子分だった。
無理な命令を言い渡されては、出来なかったと暴力を振るわれる。
最初は抵抗した。けれど、それがいけなかった。反撃を貰った子供がでっち上げた嘘を喚けば、親が手を出してくる。当たり前の話だった。
(どうして、私だけ)
罵詈雑言を浴びせられるだけならまだマシで、少し口答えしようものなら生傷が一つ増えた。
まだ幼かった私は、拾われた恩義を盾に過酷な労働を強いられた。他の子供は違かった。私が働いている傍で皆集まって遊んでいた。
(どうして、私だけ)
胸の中に暗い感情が生まれるまで、そう時間は掛からなかった。
毎日夜遅くまで働かせられ、クタクタになって帰れば冷えてボソボソになったパンと野菜クズが入ったスープだけが、食卓ではなく床に置かれていた。
時折、外を出歩いていると家の窓から一家団欒となって食卓を囲む光景が目に入った。
(どうして、私だけ)
私は世界に祝福されていないのだろう。
当時、信心深くなかった私でさえそう思った。
そんな生活が数か月経った頃だろうか。
ある教会の司祭を名乗る男性が家を訪れた。司祭を前に、親代わりであった夫婦は頭をペコペコとされ数枚の金貨を受け取っていた。
すると、私の家は教会が面倒を看る孤児院へと移り変わった。
「いいですか、アータン。貴方は神に祝福されて生まれてきたのです。神は貴方の祈りをけっして見過ごしたりはしないでしょう」
優しい声色だった。
その日、私は枯れ切っていたはずの涙を流した。
勇者は来てくれなかったけれど、救いの手は現れた。
司祭の優しい声と、頭を撫でる温かな掌に心から安堵したのだ。連れて行かれた先の教会では、私と同じ境遇の子供が大勢居た。姉の姿はなかったけれど、それでも歳の近い子供が居るだけで私にとっては心強かった。
孤児院での生活は、けっして楽ではない。
清貧を心掛けた教会での生活は、質素と呼ぶ他なかった。食事の前に長い祈りを捧げ、その間に冷え切ったパンとスープをゆっくりと食べる。以前よりは大分マシになったけれど、ふいに故郷で食べていたシチューがどうしても恋しくなる。
それでも耐えられたのは、ひとえに友達が居たから。
私だけが不幸じゃないと錯覚できていたから。
「はぁ……はぁ……はぁ……!!」
幻想は、打ち砕かれた。
ある日、司祭に呼び出された友達が居た。その友達とは『陰で野草を食べていたのがバレたかも……』と冗談を言い合ったことを鮮明に覚えている。
次の日からだった。
その友達の姿を見なくなった。
司祭は彼女の引き取り手が見つかったのだという。それは祝福すべきことだと皆に伝えていたけれど、私は得も言われぬ違和感を覚えた。
『お別れの言葉くらい言ってもいいのに……』
『ねー』
頷いてくれた友達も、一か月後に姿を消した。
司祭は言う。彼女もまた、新天地に旅立ったのだと。
私は、その頃から強い不信感を抱くようになった。
そして、とうとう聞いてしまったのだ。
『次は……アータンが頃合いでしょう』
『ええ。他の者達では失敗しましたが、あの子には天賦の才がある……きっと〈洗礼〉も上手くいくでしょう』
『当然です。その為に長い時と安くない金を掛けたのですから』
偶然聞こえてきた会話に脚はいつの間にか動いていた。
正直、話している内容なんてちっとも理解できなかった。
ただ、唯一分かったのはその〈洗礼〉のせいで友達が居なくなったであろうということ。このまま教会に居続ければ明日にでも───いいや、明日を迎えない内に良くない出来事が起きる。
そう思い至った時には、既に私は森の中を無我夢中で走り回っていた。
「はぁ……はぁ……!!」
「バウッ!! バウッ!!」
「グルルルッ!!」
「来ないでッ……お願いだから……!!」
後ろから迫る足音と唸り声に急かされるように前へと走る。
身を守る道具なんて持っていない。着の身着のまま逃げ出したのだから当たり前だ。
行く当てもなく、それでもせめて身を隠せるようにと森に逃げ込んだのがそもそもの間違いだったのだろう。ロクな知恵も与えられず飼い慣らされてきた人間なぞ、森の獣にとっては格好の獲物だ。
「はぁ……はぁ……あぅ!?」
突如、足を締め付ける感覚にバランスを崩して転倒する。
木の根にでも躓いた?
しかし、それにしてはしっかりと足首を締め付ける感触だった。
(くくり罠……!?)
そうだ、森は何も動物や魔物の狩場ではない。
他ならぬ人間が日々の食料を確保するべく仕掛けた罠。それがこの時ばかりは人間に牙を剥いたのだ。
───ああ、こんな時も。
すぐ後ろから魔物が迫る足音が迫る。
急いでくくり罠を外そうとするけれど、しっかりと足首を締め付ける縄はちょっとやそっとでは解けそうにない。
そうして慌てていればいるほど手元は狂い、さらに魔物が迫る時間を与えてしまう。
魔法を使おうにも、とうに魔力は枯渇している。魔物を撃退することも、くくり罠を焼き切るだけの力も残されてはいない。
「……けて……」
か細い指で縄を解こうとする間、自然と声が溢れた。
「助けて……」
今までに何度も何度も心の中で唱えてきた言葉。
願ったところで御伽噺に出てくる勇者や英雄が来てくれたことはなかったけれど。
それでも、この時は口に出さずには居られなかった。
「助けて……!」
必死に声を搾り出す。
いつの間にか涙が零れ落ちていたのもあってか、声は酷く震えていた。
「助けて……!!」
魔物は背後まで迫っている。
血肉の味を思い出し、涎を滴らせる魔物の生温かな吐息は鮮明に聞こえていた。一刻の猶予もないのは明白だった。
その時、地面を蹴る音が鼓膜を打った。
標的へと飛び掛かる為の跳躍。
きっと瞼を開いた時、私は魔物の手に掛かっているであろう。
そんな今わの際になってまで御伽噺に縋っていた。
いつの時代の誰が書いたかも分からない法螺話。
いつも楽しそうに読み聞かせてくれる姉との思い出───そこに出てくる勇者が来てくれるのではないかと。
「誰か……誰か助けてぇえええええ!!!」
私は、天に向けて祈った。
───……。
───…………。
───………………。
いつまで経っても痛みは訪れない。
不可解に思った私は目を開いた。
「……え?」
そこに広がっていたのは死屍累々。
とはいっても、自身を追いかけて来た魔物が倒れているだけだ。
遅れて地面に血の雨が降り注いだ。それが魔物の首の断面から噴き上がった血飛沫だと理解するには10秒ほど要した。
けれども、その間私が血の雨に打たれることはなかった。
マントだ。私の頭上を覆うくすんだ赤色は、すぐ隣に並ぶ何者かの手によって広げられていた。
(助、かった……?)
恐る恐る視線を横に向ければ、物々しい
どこかチグハグな、それでいて顔だけを覆い隠す意図が見えなくもない出で立ちだ。
けれど、私には彼が救世主に見えた。
そうだ、それこそ御伽噺に出てくるような───。
「勇者……様……?」
「うん?」
若い声だった。
同時に焼けた鈍色の鉄仮面のスリットから瞳が覗く。
予想に反し、くりくりとした瞳だった。
そんな瞳でマジマジと見つめられるものだから、一抹の不安が胸を過る。
───もしもこの人が教会の手先だったら?
「お前、もしかして……」
バクンッ、と心臓が跳ねた。
「あ、あの……!」
「───ギルシン史上最も不幸な悲劇の死を迎えたヒロインランキング1位!?」
「え?」
「あっ」
今、とても嫌な単語が聞こえた気がする。
ところどころ意味の分からない単語もあったが、そればかりははっきりと聞こえた。
「あの……私、死ぬ……?」
「……」
「……」
「……フッ」
次の瞬間、スリットから覗く眩い笑顔と共にサムズアップが向けられた。
鉄仮面をかぶった得体の知れない相手はこう言い放つ。
「ウ・ソ☆」
「嘘だ」
反射的に出てしまった言葉に、相手は慌てて手を振る。
「いやいやいや、嘘じゃないって」
「嘘だもん……顔が嘘って言ってる」
「じゃあ嘘じゃないじゃん。ん? 今の流れだと嘘になんのか? あれ、どっち?」
「嘘が嘘」
「あ、そう? いやいや、嘘じゃないって。ホントホント」
「私死ぬ方?」
「違う違う。そっちじゃなくて」
「嘘だぁ……」
「嘘じゃないって」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘!!」
「嘘じゃなぁーい!!」
「嘘だ!!」
「嘘なんて嘘って言ってるでしょ、もぉ~!! リピート・アフタ・ミー!! 『嘘じゃない!!』。さん、はいっ!!」
「嘘だぁーーーーー!!」
「嘘だって!! 嘘嘘嘘嘘全部嘘ぉーーーーー!!」
「嘘嘘嘘嘘うるせぇーーー!!! カワウソか、おめえらは!!! 獲物が逃げるだろうがぁーーー!!!」
「「あ、はい」」
木陰から現れた猟師らしき人。
彼の怒号で私達の言い合いは強制終了した。
これが〈彼〉との出会い。
神なんかいない。
勇者なんかいない。
物語は嘘ばっかり。
そんな世界で出会った、嘘つきで偽物を名乗る勇者との物語の序章である。
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