5 創生のパズル

 扉の向こうにいたのは、私の知るケイオスそっくりの青年だった。

「やあ、ガイア」

 声の調子も、穏やかな表情も、そっと屈みこんでくれる優しさも同じだ。

「よくここまで来たね。待ってたよ」

 私と視線の高さを合わせて、秀麗な顔立ちに微笑みを浮かべる。

「おうさま?」

 私がまじまじとみつめると、彼はゆっくりと頷く。

「そう。私が、冥王サタン」

 たった一つだけ記憶の中のケイオスと違ったのは、瞳が赤色をしていたことだ。

「ケイオスの父だ」

 けれどその赤は暖炉の火のような、ほっと温まるような色だった。

「おうさまが、ケイオスをとじこめちゃったの?」

「いいや。ケイオスは、自分で自らを封じ込めたのだよ」

「じぶんで……?」

 私がぐに、と首を傾げると、王様は私を抱き上げた。

「一杯、お茶に付き合ってもらえるかな。君に話したいことがあるんだが」

「うん。いいよ」

 こくんと頷くと、王様は奥のテーブルに連れて行って私を座らせた。

 雲みたいにふわふわした椅子だった。王様はその間に、棚からティーカップを下ろしてポットでお茶を淹れ始める。

「おうさまたちは、えいってすればうごかせるんじゃないの?」

 不思議に思って訊いてみると、王様は振り返った。

「魔法を使わない生活もいいものだよ。行動の意味を考えて動ける」

 つと手を止めて、王様は目を伏せる。

「……それに、こうしてると魔法が使えないケイオスの心に近付けるような気がしてね」

 憂えるように呟いて、王様は首を横に振った。

 ティーカップとポットをテーブルに持ってくると、生クリームのケーキを切り分けて、王様はそれも並べた。

「いただきまーす」

 私はケーキをぱくりと食べて笑う。

「おいしいねっ。おうさま」

「それはよかった」

 王様はハーブティーを飲んで、優しく頷いた。

「ベルゼバブがすまないことをしたね」

「おにいさんが?」

「君を劣る者などと失礼なことを言ったり、喧嘩を売ったりして。あの子は未だに幼さが抜けていないんだ」

「ううん。いいよ」

 私がケーキを飲みこんで首を横に振る。

「おにいさんは、ケイオスがだいすきなだけだもん」

「そうだね」

 ふっと苦笑して、王様はカップに指先を置く。

「優しい子ではあるんだがね。地界の種が枯れてしまうといつも泣くのはあの子だ。リリスたちが亡くなった時も三日三晩泣いていた」

 そこで王様は笑みを収めてため息をつく。

「私はベルゼを含めて、子どもたちの心は部分的だがわかるんだ。感情を示してくれるからね。……ただ、ケイオスだけは全くわからない」

 つと、王様は私を赤い目で見下ろした。

「ガイア。ケイオスに会わせよう。ついておいで」

 王様は扉を開けて私を誘う。

 隣室は古い円卓と椅子が置かれているだけの小さな部屋だった。

 けれど並べられている椅子の背の部分には、それぞれ輝く宝石がはまっていて綺麗だった。

 赤のルビー、青のサファイア、金のコハク、銀のパール、そして黒のダイヤ。

「いち、に、さん、し……ご」

 五つの椅子は、今はもう使われていないようだった。

 風が部屋の中を通り過ぎていく。

 ふと懐かしい香りを感じた気がして私はそちらに振り向く。

 私が振り向いた先の扉に、王様は入っていった。

「こっちだ」

 王様が私を通した部屋は寝室だった。

 天蓋つきのベッドに誰かいるようだった。私はそっと近づいて息を呑む。

「ケイオス……っ」

 二十代後半ほどの黒髪の青年が、そこで目を閉じて横になっていた。

「おきて、ケイオス。わたし、きたよっ」

 ベッドに飛び乗って揺さぶる。けれどケイオスはぴくりとも動かない。

「あれ……?」

「今のケイオスには、心がないんだ。自分で粉々に砕いてしまったから」

 王様はそっとケイオスの額に手を当てて、悲しそうに目を閉じる。

「どうしてそんなことをしたのかわからない。ルールの外にいる存在をゲームに参加させたからだとベルゼは言うが、私もベルゼも、この世界の誰一人、そのようなことでケイオスを責めたことはないのだ」

 ケイオスの手を取って、王様はそれに自らの額を当てた。

「なぜ戻って来ない。皆がケイオスを待っている。この世界にとって大切な仲間だと思っている」

 強く目を閉じて、王様はうめくように呟く。

「それなのにお前は、この世界の誰も愛してはいないのか?」

「ちがう」

 王様が振り向く。私は自分が出した声だと一拍遅れて気づいて、それから自分の胸を押さえる。

「……と、おもう」

 どうしてか口をついて出た言葉に、私はしょぼんとする。

「ごめんなさい。わたし、ケイオスのことよくしらないのに」

「いや」

 王様は私の頭をぽんと叩いて言う。

「君ならわかるかもしれない。君の中には、ケイオスの心の欠片が入っているんだろう」

「こころの、かけら?」

「そう。今はケイオスの中にある、君の心の欠片と交換したんだ」

 王様はケイオスに向きなおって、ケイオスの胸の辺りに手をかざす。

 ケイオスの中から黒い泡がたちのぼってくる。その泡の中には、細かな宝石の欠片のようなものがたくさん入っているのが見えた。

 王様がその泡に触れようとすると、稲妻が走ったように手が弾かれた。

「私がケイオスの心を修復しようとしても、ケイオスに拒まれる。心を触れさせないんだ。だが、ケイオスが心を注いだ君なら、あるいは……」

 私は手を伸ばして泡に触れようとする。

「う」

 けど、ぱち、と音を立てて私の手も弾かれた。

「君でも弾かれてしまうか」

 私は少し考えて、呟く。

「『ゲームはおなじルールではじめよ』」

 そうだと私は思いついた。

「……おうさま。わたしのこころも、こなごなにして」

「何だって?」

「それで、このケイオスのあわといっしょにして。おんなじにするの」

 私は黒い泡に向き直る。

「ケイオスなら、ぜったいこたえてくれる。ゲームなら、かならず」

 ケイオスの心に向かって、私は話しかける。

「わたしとゲームをしよう、ケイオス」

 私は泡に両手を差し出す。

「わたしはケイオスのこころをつくる。ケイオスはわたしのこころをつくる。どちらがはやくかんせいさせるか、きょうそうするの」

 ケイオスは私の挑戦を受けるはずだ。ゲームを司る彼が、ルールに則ったゲームを挑まれて無視することはできない。

「わたしがかったら、ケイオスはかえってきて。ケイオスがかったら、すきにしていい」

 そう言ってケイオスの泡に触れる。

 今度は弾かれなかった。……挑戦を受けるという、ケイオスの意思表示だ。

「いいのかい?」

 王様は心配そうに私を見る。

「他者の心はこの世で一番難しい謎だといわれている。君の心が壊れたまま戻らなかったら……」

「だいじょうぶ。ケイオスにとけないパズルなんてない」

 私はケイオスを見て頷く。

「ゲームなら、わたしにもかてるかもしれない」

 息を吸って、私は王様を見上げる。

「おねがい。おうさま」

 王様は目を伏せて考え込んで、やがて頷いた。

「よろしい。私が審判をしよう」

 私とケイオスに手をかざして、王様は告げた。

「ゲーム開始」

 そう宣言した瞬間、私は黒い泡に吸い込まれた。

 渦を通って、やがてどこかに落ちる。

「……まっくら」

 そこは闇の中だった。ただひたすら黒の世界。

 その中に、鏡のように光る欠片がぽつぽつと浮いているのだけが見える。

 さて、どこから解こうかと私は考える。

「パズルは、だいじなところからとく」

 確かケイオスに教わった気がする。メインとなる所を完成させて、それから周りを作り上げていくのだと。

「ゲーム……」

 ケイオスの心の中心は、ゲームだった。ベルゼバブは、ケイオスがゲームを作ったというようなことを言っていた。

「ケイオスは、なんでゲームをつくったんだろう?」

 その疑問を浮かべた瞬間、少し辺りが明るくなった。

 闇の中に足幅くらいしかない細い道が浮かび上がる。私がそこを歩いていくと、欠片に何か映っているのが見えた。

 細切れの映像があちこちの欠片に映っている。私はその欠片たちを集めてつなぎ合わせ始めた。

「提案があるんだ」

 ケイオスが立って話している。そこは小さな部屋のようで、円卓を囲んで五人が座っていた。

「この世界にゲームを取り入れよう」

 五人の椅子に宝石がはまっているのを見て、私はそこが先ほど見た王様の部屋の一つだと気づく。

「決して確実には勝てないが、勝つ可能性を誰もが秘めたものを」

「僕は反対だよ」

 銀色の瞳のベルゼバブが、頬杖をつきながら不機嫌そうに言う。

「ゲームって、地界の人間がやってるやつでしょ? あいつらから学ぶものなんて僕らには何一つないじゃない」

「ベルゼ」

 たしなめるような声がケイオスからかかる。

「だってあいつら、また種を枯らしたんだよ。今度こそはっていっぱい播いたのに……えぐっ」

 思いだしたように目に涙を浮かべるベルゼバブに、ケイオスがハンカチを差し出す。

「地界のものをそのまま取り入れはしない。改良して、俺たちの世界に合うように昇華させる」

「私は賛成ね」

 ベルゼバブの隣に座っていた、金の瞳のリリスがおっとりと言う。

「希望を与えてくれるものなんでしょう? 楽しみ、喜びを生み出せるなんて素敵。取り入れてみるのもいいんじゃないかしら」

「私は反対します」

 青い瞳のベリアルが、厳しい声で告げる。

「地界のものがすべて悪いとは申しません。しかし現実に、地界の人間たちはゲームによって享楽へ堕落しました。勝利に目を奪われて敗者に過酷な罰を与えました。それによって滅びた国がいくつもあったでしょう?」

 ベリアルは口元を引き締める。

「不確実なものではなく、堅実に努力した者がそれに見合った益を得る。それが世界のあり方のはずです」

「ベリアルの意見にも一理ある」

 ケイオスの左隣で、赤い瞳のサタンがその目を細める。

「だが、私はケイオスに賛成だ」

「陛下」

「ベリアル。私たちの世界に足りないものは何だと思う?」

 ベリアルは眉を寄せて考え込む。

「欠けたるところなどないと考えます」

「そう。私たちは魔法によってどんなことでもできる。だがベリアル、お前はそれで満たされているか?」

 王の静かな言葉に、ベリアルは少しだけ目を逸らして、いいえ、と答えた。

「私たちに足りないのは、可能性なのだよ。思い通りにならないものがあってこそ、達成したときに満足感が得られるのだ。……ケイオスだからこそ、可能性に気付いたのだろう」

 それから五人で議論した後、ケイオスが評決を取った。

「賛成三、反対二。ゲームを取り入れることに決定する」

 黒い瞳で皆をじっとみつめながら、ケイオスは感情の見えない声で告げた。

「俺が提示する暫定ルールは以下の通り。ゲームは楽しくあれ、負けを受け入れよ、利用できるのは己のみ」

 ケイオスの目は、石そのもののような瞳だった。

「初めにルールありき。ルールが守れない者は、ゲームに参加できないこととする」

 そこで記憶が途切れていて、私は欠片をつなぎあわせる手を止める。

「……ケイオスだから、『かのうせい』にきづいた?」

 王様の言葉を繰り返して、私は立ち上がる。

「ここ、だいじだ。ピースがたくさんかけてる」

 欠片は大体完成したのに、その辺りだけ大きく穴が空いている。おそらく、ケイオスの心が多く詰まっている部分なのだろう。

「どうしてケイオスはきづいたんだろう?」

 暗闇に向かって問いかけてみると、上に階段が現れた。

 私が上っていくと、そこにも欠片に映像が映っていた。

「明日でお別れだな」

 地下カジノで、ケイオスが円卓を囲んで座っているのが見えた。

「ええ。私とリリスは、明日命を終えることにしました」

 ベリアルが紅茶を飲みながら、天気の話をするように言った。

「なんでなんでっ? 僕ら、不死の体を持ってるじゃない」

「言ったでしょう。十分生きて満足したからです。後のことはメビウスたちがうまく取りはからってくれるでしょう」

「まだ一緒にいようよ。いて悪いことはないじゃない」

「あるんですよ、ベルゼバブ」

 落ち着き払って紅茶をひと口喉に通してから、ベリアルは青い目でベルゼバブを見る。

「私とリリスがいる限り、あなたは私たちに甘えて大人になろうとしない。あなただって父祖なのですから、そろそろ大人の自覚を持ってケイオスと共に陛下を支えなければ」

「ぼ、僕のせいだっていうのっ」

「それも一因にはあると言っただけです」

 勢いよくベルゼバブが立ち上がって、隣のリリスに抱きつく。

「リリス、行っちゃやだぁっ」

「まあまあ、ベルゼちゃん。甘えんぼさんねぇ」

「リリスはベリアルみたいに僕をいじめないよね。いてくれるよねっ」

 ころころと笑って、リリスはベルゼバブの頭を撫でる。

「でもねぇ、ベリアルが私たちは引退した方がいいっていうから。それもいいわねって、私うなずいちゃったのよ。ベルゼちゃんはいい子だから、わかってくれるわよね?」

「ひどいやっ」

 ベルゼバブは泣きながらカジノを飛び出していく。その後を、リリスはゆったりとついていった。

 ケイオスは心配そうにそれを見送って言った。

「ベルゼは大丈夫でしょうか?」

「平気ですよ。それにあの子は忘れているようですが、私たちの意識は死なないので、これからも時々は様子を見に来ます」

 ベリアルは悪びれずに返す。

「私たちもあなたとベルゼバブがいるからこそ、安心して引退できるのですし」

 少し黙ったケイオスの肩に、ベリアルは手を乗せる。

「ケイオス。まだ自分に劣等感を抱いているのですか?」

 答えないケイオスに、ベリアルは続ける。

「確かにあなたには半分、地界の人間の血が流れています。魔法が使えません。でも私は教えたはずですね? 魔法のほとんどは、学問によって代わることができるのだと」

「ええ」

「そしてあなたは魔法が使えないからこそ、私たちに欠けたものが可能性なのだと気づけた」

 周りのテーブルでゲームに興じる者たちを示しながら、ベリアルは言う。

「ごらんなさい。あなたが取り入れたゲームシステムは実にうまく機能してる。皆に笑顔が戻って来た。あなたがいたから出来たことだと、自信を持ちなさい」

「……でも、ベリアル」

 ふいにケイオスは声を発する。

「本当は、俺はルールの外にいるんじゃないでしょうか? 一度もゲームで負けたことがないのです」

「それはあなたが強いからでしょう。誰もあなたが不正をしているなどとは思っていませんよ」

「そうだとしても……俺が皆と違うことは事実です。そのような者を、ゲームに参加させてよいのでしょうか」

 一つ息をついて、ベリアルはケイオスを見やる。

「その内現れますよ。あなたに勝つ者がね」

 子どもにするように頭をぽんと叩いて、ベリアルは言った。

「そしてあなたが心から愛しいと思える相手は、きっといます」

 欠片の記憶が途切れる。

 ふいに、私の頭上から雫の結晶が降って来た。氷ではなく、柔らかい水の塊の欠片だった。

「あ、あっちも」

 暗闇の中に点々と落ちている。飛び石のような足場を跳んで移動しながら、私は雫の欠片を拾い集めた。

 段々と上に向かっている。拾い集めた欠片を見て、私ははっとした。

「わたしだ」

 欠片に私が映っている。私は慌てて欠片をつなぎ合わせてみた。

 ケイオスはどこかの荒野に暗い顔で立っていた。側で、ベルゼバブが呆然とうずくまっている。

「酷いな……草一本まで枯れてる」

 そこは地平線の果てまでガレキに埋め尽くされていた。

「帰ろう、ベルゼ。地界は滅びた。また一から種の播きなおしだ」

 泣く気力もないようで、ベルゼバブは微かに頷いただけだった。よろよろと立ちあがって、どこかに行こうとする。

「……待ってくれ」

 ふいにケイオスは足を止めて、ガレキをかき分ける。

 ガレキの下から、体のほとんどを吹き飛ばされた黒髪の女の子を引き上げる。

「奇跡だ。まだ生きてる! ベルゼ、生きてる人間がまだいたんだ!」

 ケイオスは女の子を抱き上げて懸命に言った。

「しっかりしろ。必ず助けてやるから」

 記憶はそこで切れたけれど、すぐに次の記憶が映っている欠片をみつけた。

 私は欠片をつなぎ合わせて、それを覗き込む。

「だいぶ具合がよくなったな」

 ケイオスはベッドの脇に立って、女の子に話しかけていた。

「医術をやっていてよかった。もうすぐ体の全部が完成するぞ。それで、地界の種がほどほどに芽吹いてきたら……帰してやれるからな」

 ケイオスは側の椅子にかけて、一人でチェスを始める。

 コロコロ。

 何かの音が耳に入ったのか、ケイオスは顔を上げて女の子を見た。

「何をしてるんだ?」

「ケイオスのまねだよ」

 女の子はベッドに横になったまま、ダイスを転がしていた。

「ああ、悪い。退屈してたか。今おもちゃを持ってくるから」

「ううん。これがいい」

 何度もダイスを転がして、女の子はそれを飽きることなくみつめていた。

「楽しいか? ダイスを転がすだけなんて」

「とってもたのしい」

 黒い瞳の女の子はにっこりと笑った。

「ころころすると、ちがうのがでるの。おもしろいね」

「……え」

 ケイオスはそれを聞いて、凍りついたように静止した。

 それからゆっくりと手を上げて、自分の顔を押さえる。

「そうだ。俺も以前はそうだった。転がすたびに違う数字が出る。それだけで楽しかった」

 ケイオスの指の間から、一滴の涙が落ちる。

「ゲームは楽しくあれ。何千年も生きた俺より、お前の方がずっとルールをよくわかってるんだな」

「どうしたの、おにいちゃん」

 女の子が体を起こそうとしたら、ケイオスはその肩を留めて言う。

「今は休んでいなさい。元気になったら、お前にいろんなゲームを教えてあげる」

 ケイオスはふっと優しく笑った。

「そのダイスは一人でコロコロするより、二人でコロコロした方が楽しいんだよ。ガイア」

 私は一つの欠片に触れた瞬間目を見開いた。

 今確かに、ケイオスは嬉しいと感じた。私はようやくケイオスの心の一部に触れることができたのだ。

 父親にすら感情をほとんど見せなかったというケイオス。

 でも私は何度も笑うケイオスを見てきた。ケイオスは私に一からルールを教えてくれて、そして数えきれないほどゲームをして、その中でケイオスの感情にも触れてきた。

 知っている。ケイオスは謙虚で、仲間思いで、見ず知らずの子どもだって懸命に看病する優しさを持ってる。

 闇の中にあったとしても、その中に灯がともってさえいれば歩くことはできるように、希望はある。

 みつけよう、ケイオスの心を。どんな小さな欠片でも、組み合わせれば必ずパズルは完成する。

「ケイオスは、どうしてこころをくだいたの?」

 それがわかれば、戻す方法だってわかるはずだ。

「みんないいっていってるのに、ケイオスはだめっておもったんだよね。ルールをやぶったから」

 闇の中に、私は話しかける。

「ケイオスの、ルールってなに?」

 がくん、と私は下へ引っ張られた。欠片が次々と横を通り過ぎていく。

 ケイオスは言っていた。初めにルールありき、と。

「みせて。ケイオスの、はじまりを」

 闇の底に辿り着いた時、そこには大量の欠片が散らばっていた。

 私はそれをひっくり返したりしながらつなぎ合わせる。

 映った景色は、どこかの岩山だった。そこのテントの中に、王様や他の父祖たちがいた。

 王様は今と変わりがなかったけれど、他のみんなは若かった。リリスは十代半ばほどに見えたし、ベリアルは二十歳程度で、ベルゼバブは十歳ほどの子どもだった。

 みんなみすぼらしい格好をしていた。王様のマントでさえ破れていて、ベリアルはリリスに包帯を巻いてもらっていた。

「ねえ、とうさま」

 その中で、王様に抱っこされた五歳ほどのケイオスが言った。

「かみさまのせかいをおいだされたのは、ぼくのせいなの?」

「誰が言ったのだ。そのようなことを」

 王様は怜悧な目を少し険しくして皆を見やった。ベリアルが冷静に返す。

「私です。質問された以上、事実を曲げて答えることはできませんので」

「ケイオスはまだ子どもだぞ」

「ベルゼバブだってそうです。けれど事実を理解した上で、追手と戦っています」

 傍らで寝息を立てているベルゼバブを見下ろして、王様は目を伏せる。

「わかった。ならせめて、ケイオスには私から伝える」

「それがよろしいでしょう」

 王様は膝の上のケイオスを隣に座らせて、話し始める。

「ケイオス。確かに、私たちは神界にはいられなくなった。私が、今は亡きお前の母様と心を通じ、お前を生み出したために」

「どうして?」

「神界では、男女の結びつきで子を成してはならないのだ。ベリアルとベルゼは私一人で、リリスは別の天使一人で生みだされた。男女の結びつきは忌まれしものとして、私たち天使は行ってはならないのだよ」

 ケイオスはまだ少し難しいようで首を傾げていた。

「ケイオス。私たち五人は、水をみつけたら皆同じ分ずつ飲むと決まってるね」

「うん。それが、ルールだもんね」

 王様は頷いて言う。

「私はルールを破ったから、神の世界にはいられなくなった。ベリアルたちはその私についてきたから、やはりルールを破ったことになった」

「ルール……」

「お前自身には何の咎もないのだけどね」

 ケイオスはじっと考え込む。

「ルールをやぶったら、そこにはいられないんだ……」

「そう。だから私たちは神界を出て新しい世界を作ることにした。まあそれにも反対されて、天使たちに追い回されているわけだがね」

「とうさまたちは、かみさまのせかいがきらいだったの?」

 王様はケイオスを抱き上げて頭を撫でる。

「いや。いい所だったよ。平和で豊かだった。ずっといたかった」

「じゃあどうしてルールをやぶったの?」

 ベリアルとリリスが目を合わせてふっと笑った。王様も小さく笑みを浮かべる。

「お前にも、心通わす相手ができればわかるよ。ルールの真の意味もね」

 ケイオスは俯いて、ルール、と繰り返し呟いていた。

「ルール」

 私は心の欠片をつなぎ合わせる手を止めて、口の中でそう言った。

「そっか」

 ケイオスにとって、ルールとは神のようなものなのだ。

 そして自分の存在がルールに、絶対神に反するものだと、ケイオスは思っていた。そんな自分がいていいのかと、ずっと不安だった。

「ルールが、こわかったんだね。だからまもろうとしてたんだ」

 恐怖の対象、外れることが許されないもの、それがルールだと考えたのだ。

「……ちがうよ、ケイオス」

 私は胸を押さえて言う。

「ルールはそういうものじゃない。ケイオスだって、ほんとうはわかってる」

 私の体が光る。私の中から、ケイオスの心の欠片が出てくる。

「ケイオスがくれたこころが、わたしにおしえてくれたんだよ」

 砂粒のように小さな、けれど闇の隅々まで届く光の結晶だ。

 その光の結晶に、辺りから集まって来た欠片が組み合わさって一つの記憶を作り上げる。

「ガイア。聞いてくれ」

 ケイオスと私が向かい合って話していた。

「俺と同じで、この世界のルールに則って生まれていないお前をこの世界に入れてはいけないとわかっていた。それはルールの外にある者をゲームに参加させること。許されないことだ」

 けれど、とケイオスは首を横に振る。

「だがお前と過ごして、お前とゲームをしているのが、俺は何より幸せなんだ。父たちが禁忌に触れたわけがようやくわかった。ルールを破ってでも守りたいものが、この世にはあるんだ」

 ケイオスは黒い瞳でじっと私をみつめる。

「けど、俺はゲームの祖。ルールを破った罪は償わなければならない。俺の考えられるもっとも難しい心のゲームに挑戦して、それを自分で解く。……もしかしたら解けなくて、消えてしまうかもしれない」

 それでも少しも後悔などないというように、ケイオスは穏やかな顔をしていた。

「お前の記憶は消しておく。お前が、自分をルールに反した存在だと思わなくていいように、お前のルール違反は俺が背負う。俺が戻らなくても、お前には生きていてほしい」

 微笑んで、ケイオスは自分の胸から黒ダイヤに似た輝石を取り出す。

「……代わりに、お前を愛した心を置いていく」

 私をベッドに寝かせて、ケイオスは額にキスする。

「じゃあ、行ってくるよ」

 大きな手で頭を撫でて、ケイオスは言った。

「いい子で寝てるんだよ。すぐに帰って来る」

 優しい声が、ゆっくりと離れていく。

「そうしたらまたゲームをしよう、ガイア」

 扉が閉まる音を、私は遠くで聞いていた。

 ケイオスの心の中心が組み立てられようとしていた。

「ケイオス。ルールは、はじめからあるんじゃないんだよ」

 自分と、そしてケイオスに伝わるように声に出しながらパズルを解く。

「みんながいいとおもったものを、ルールにするんだ。ケイオスがきめるんじゃない。みんなで、つくるの。わたしも、ケイオスもプレーヤーになれるルールをかんがえよう」

 私は光の中で、一生懸命欠片を組み合わせる。

「いっしょにルールを、せかいをつくるの」

 光の粒を、私は闇の中に向かってかざす。

「……そしてまたゲームをしよう。ケイオス」

 カチリと、私の手元でピースがはまる音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る