3 大人の地下カジノ
石造りの階段は、らせん状に地下へ続いていく。
「んしょ、んしょ」
幅が広くて一段ずつ下りるしかない私の足元を、小さな明かりが順々に灯って照らしてくれる。辺りは真っ暗だけど、その先を示す灯りのおかげで怖くなかった。
静まり返った石造りの階段に、私の足音だけが木霊する。ひたすら石の壁が続いているだけで、どこかに出る扉は見当たらない。
「いま、なんかいだろ……?」
だけどいつまで経っても階段が途切れることがなかった。
私は階段の軸部分にぽっかりと空いた闇の中を、そっと覗き込んでみる。
闇の果ては見えることがない。永遠に続くような底に沈黙して、私はついと見上げてみた。
そこには私が歩いてきた道を示すように、灯りが残っていた。行き先は見えなくても、今まで歩いたところはちゃんと見える。
「ぐるぐる……」
そのことにほっとしたのと同時に、円を描くような道のりの灯りに目を回す。
とと、と足をふらつかせて、私は後ろに倒れ込んだ。
「わぁーっ」
階段の軸部分の穴に落ちてしまった。
景色が高速で左右を通り過ぎていく。伸ばした手は空を切るだけで、つかまるものが何もない。
目をぎゅっと閉じて思う。
ゴツンってしたら、いたい。きっとしんじゃう。それで、しんじゃったらケイオスのところにいけなくなる。しにたくない。
「……ゴツンしないなぁ」
そこまで考えたところで、私はずいぶん長いこと落ちているのにまだ底につかないことに気付いた。
不思議に思って目を開けてみる。
私は金色の風に包まっていた。ふわふわの毛布みたいな風が私を取り巻いて、ゆっくりと下降している。
「おねえさん?」
そしてその風は、目の前を飛ぶお姉さんから吹いてきていた。
波打つ黄金の髪と同色の瞳をしたお姉さんだった。愛おしむような眼差しで、じっと私を見ている。
「えと……」
どこかで見た覚えがある。名前を思い出そうとしたけど、咄嗟に口から言葉が出て来なかった。
お姉さんはふんわりと微笑んだだけで、何も言わなかった。
間もなく私たちはらせん階段の底に着く。
私の目の前には、見上げるような鉄の扉がそびえたっていた。
「うー……」
私が扉を押しても引いても、びくともしない。そうしたらお姉さんがふいと前に出て、扉にそっと片手を当てた。
「わぁ」
その途端扉は水のように透明になった。私も同じように手を当ててみると、扉の中に手が沈む。
「おねえさんはこないの?」
ぴょんと扉の中に入った私の後ろで、お姉さんは動こうとしない。静かに手を振る。
「ありがとう、おねえさん。ばいばーいっ」
私はそれに手を振り返して、お姉さんと別れた。
前に向きなおって、私は息を呑む。
そこには無数のテーブルが並べられていた。
ダイスやカード、チップにルーレット。それらを囲む数えきれないお兄さんとお姉さんの姿が浮かび上がる。
ドーム状の天井は細かなタイルが埋め込まれていて、色とりどりに点灯していた。ピアノの音が静かにドームに響いている。
「コール」
「おい、またか。遠慮しろよ」
「ゲームにそんなもの要らないだろ」
右を向くと、十人ほどのお兄さんたちがジョッキを片手に騒いでいた。
「今日の君の手はいつもに増して小悪魔だね」
「あなた、それが好きなんでしょ?」
左を見たら、お兄さんとお姉さんが二人でトランプをしながらくすくす笑っている。
薄暗くて、どこか秘めやかで、どきどきしながら覗いてみたくなる異質な世界。
「おとなのせかいだ……」
ごくんと息を呑んで呟いたら、肩に誰かの手が触れた。
「もし。あなた、ここは子ども一人で入ってきてはいけませんよ」
振り返ると、そこには四十ほどのおじさんが立っていた。
肩につくくらいのセミロングの黒髪に鋭角的な顔立ちで、片眼鏡をかけている厳しそうなおじさんだった。
私は小さな声でぼそりと言う。
「……おねえさんが、いれてくれたんだもん」
「誰?」
「かみと、めがきんいろの、やさしそうなおねえさん」
叱られるかと思ってうつむくと、彼は片眼鏡の奥の理知的な青い瞳を細める。
「また彼女ですか。まったく、すぐ甘やかすのだから困ったものです」
小さく息をついて、彼は苦笑を浮かべる。
「しかし彼女が招き入れたのなら仕方ない。確かに、彼女は母ですから」
「え?」
私はきょとんとして首を傾げる。
「ルーアのおかあさんじゃないの?」
瞳が同じ金色だから、てっきりそう思っていた。私が何気なく問いかけると、おじさんは眉を上げる。
「知らないということは、あなたは生まれたばかりの子ですね。そんな子がどうして地下カジノに来たんですか?」
「あ、えとね」
私はここに来た目的を思い出して言う。
「ケイオスをさがしてるの。ゲームをするために」
ぴしっと片眼鏡のおじさんが凍りついたような気がした。
「……ほう、ケイオス」
にっこりと笑いながら、奇妙にゆっくりとおじさんは言う。
「こんな小さな子にまでゲームを教えているとは、彼にも困ったものですね。私は前々から反対していたのに。子どもにはゲームより前に教育が必要だと」
おじさんは私の手を取った。
「来なさい。幼いあなたがまず行くべきなのは、カジノでなくて学校です」
「お、おべんきょうもするよ。けどケイオスにあってから」
「いけません」
「……『あいてをしばることができるのはゲームだけ』っ」
私はルーアの言葉を思い出して叫ぶ。
「ゲームできめよう。わたしがかったら、わたしはケイオスのところにいく」
青い目のおじさんは前に進もうとしていた足を止める。
「そういう厄介なルールがあるんでしたね。私はそれにも反対したんですけど」
憂えるようにため息をついて、おじさんは私を見下ろす。
「わかりました。私が勝ったら、あなたは学校に行くんですよ」
「うん。それで、ゲームは……」
何にしようと私が首をひねったら、おじさんが先に口を開いた。
「私は教育者ですので賭け事は基本的に嫌いです」
おじさんはきっぱりと言いきる。
「クイズにしましょう。私が三つ質問するので、丸かバツで答えてください。全部正解したらあなたの勝ちとします」
彼はふいに顔を上向けて声を放つ。
「みなさん、聞いていましたか?」
「はい」
「学長らしいゲームですね」
するとドームの天井から無数の声が降ってくる。私が声の出所を知ろうときょろきょろすると、近くにいたお兄さんがウインクしてきた。
「この地下カジノに来ている大人のみなさんに、ジャッジをお願いします」
「構いませんよ。楽しそうだから」
「お手柔らかにね、学長」
もう少し遠くにいるお姉さんも手を降って、がんばって、と応援してくれた。
学長と言うらしいおじさんは私に言う。
「準備はいいですか?」
「うん」
ふと私は訊いてみたくなった。
「おじさんのおなまえは?」
「ああ、私のことも知りませんか」
おじさんは少し沈黙してそっと答える。
「私は学長メビウス。先生と呼びなさい」
「せんせい」
こくんと頷いたら、メビウス先生は私の手を取る。冷たいけれど、そっと包み込むような優しい力加減だった。
「一問目は、歴史から」
テーブルの間を歩きながら、彼は切り出した。
「この冥界は神界を追放された四人の堕天使によって創生されました。まずはすべての母、太母リリス。あなたをここへ招き入れた女性です」
「きんいろのおねえさん?」
「そう。生を終えた今も、この世界の大気となって私たちを見守っています」
柔らかな微笑みを思い出すと、胸の奥がぽかぽかしてくる。
「みんなのおかあさんだったんだ」
「ええ。あなたのことも我が子のように思っているはずです」
「おかあさん……。うれしい」
「あなたの母からリリスのことを聞いていないのですか?」
私は目を逸らして答える。
「おかあさんやおとうさんのこと、しらないの」
しょんぼりした気持ちになったけど、今はゲームの途中だったと気を引き締める。
「えと、せんせい。つづきをどうぞ」
一拍置いて、メビウス先生は話を再開した。
「私たちの母は元を辿ればリリスですが、父祖は三人います。ベルゼバブとベリアルと……そしてもう一人」
片眼鏡の奥の青い目で私をじっとみつめながら、メビウス先生は問いかけた。
「一つ目の質問です。最大の父祖であり、今もこの世界を治めている冥王の名は、ケイオス。丸かバツか?」
私はうなって、ごくんと息を呑んだ。
私は首を横に振って言う。
「ばつ」
「判定は?」
メビウス先生が顔を上向けた途端、天井が動いたように見えた。
「わぁ」
天井のタイルの色が変わっていく。一つ一つが意思を持つように塗り替わる。
ひときわ強く光ったかと思うと、天井にバツ印が浮かび上がっていた。
「……当たりです。父祖であり私たちの主はケイオスではなく、サタン様。これは子どもでも知っていて当然の知識です」
メビウス先生はさらりと答える。それに、大人たちの声が付け加わる。
「ケイオス様も創生のときからこの世界にいらっしゃるけど」
「子孫が一人もいませんから、父祖とはいえませんね」
大人たちはひそひそと話しあう。
「そういえば、ケイオス様を見かけないな。誰か知らないか?」
「この間ベルゼバブ様とカウンターで飲んでたわよ」
「それはいつもの話じゃないか」
「次の質問にいきますよ。審判をしなさい、みなさん」
雑談を始めた大人たちに、メビウス先生はそっと言った。
でもおとなたちは笑いながら言った。
「まあ焦らず。せっかく正解したんですから」
「ご褒美をあげましょうよ」
床から白い霧が立ち上ったかと思うと、それは透明なグラスを形作った。
私は驚いてそれをみつめる。
「こおりのコップだ」
ひんやりと冷たいコップが私の両手に収まる。
今度は上からポットが下りてきた。
トポポポ、と氷のグラスに白い水が注がれていく。
最後にストローがコップに落ちてきた。
「はい。できあがり」
ストローで飲んでみると、それはよく冷えた甘いミルクだった。
「ありがとう。おにいさん、おねえさん」
おいしくてごくごく飲んだ。おかわりしたら、三杯も入れてもらえた。
「学長も一杯いかがです?」
ふわりとどこからかともなくお酒の瓶が飛んでくる。
「私は結構です」
「あら、珍しいことですね。お好きな白ワインですのに」
メビウス先生は軽く断って、私が飲み終わったのを見計らってから言った。
「二問目は、魔法から」
「せんせい、しつもん」
私は手を上げて首を傾げる。
「まほうってなぁに?」
「魔法とは、『説明できないもの』」
メビウス先生がテーブルの上の燭台を指さすと、ぽっと火が灯った。
「私たちに生まれながらにして備わっている力で、未だ理屈で説明できないもののことを言います」
「わからないもの?」
私が呟くと、先生は首を横に振る。
「私たちにはわかります。けれど言葉や数字で表すことができないので、地界の人間たちには伝わらず、魔法と呼ばれるのです」
「ちかい……にんげん?」
わからないことがいっぱいで、私は首をぐにぐにしていた。それに、先生は青い目を鋭く細める。
「やはりあなたには教育が必要なようですが」
「え、えと。まずクイズのふたつめをどうぞ」
私が慌てて勧めたら、メビウス先生は仕方なさそうに首を横に降った。
彼は手のひらを上に乗せて息をふきかける。
すぐに先生の手の上に一つの光が現れた。
それは私の片手に乗ってしまいそうな光の泡だった。泡の中には小さな粒が一つ入っている。
「一人前の大人として当然できなければならない魔法がこれです。魔法の力を凝縮したもの、「種」を作る。これが地界にまかれます」
「まほうのたね? おはながさくの?」
「さて、それが質問です」
メビウス先生は光の泡を手の上に浮かせて問う。
「この種が育つと水になる。丸かバツか?」
私は初めて見たものに目をぱちくりとさせた。
種は育ったらお花か木になる。それが普通だと思っていたから、種がお水になったら不思議だ。
そう思って、どうして私はそれを普通だと考えていたのかわからなくなった。
……普通って、どこの普通のことだっただろう。
私はこくりと頷いて言った。
「まる」
先生の青い瞳と水色に光る泡をみつめている内に、その泡から水が湧きあがることがくっきりと想像できた。
「判定は?」
メビウス先生が問いかけると、ドームの天井のタイルがパチパチと光り始めた。
ところどころ歪な形だけど、一応丸印が現れる。
「正解です。しかし」
先生は不機嫌そうに眉を上げる。
「誰ですか、間違えたのは。学校の卒業試験の問題ですよ、これは」
「まあまあ。仕方ないですよ」
苦笑するような声があちこちから返ってくる。
「だって私たちは種を作ってお渡しするだけ」
「実際に地界に行って種をまけるのは、父祖とケイオス様だけでしょう」
「それでも自分の種が何かくらいはわかって作りなさい。学校で幼等部からやり直したいのなら別ですが」
冷ややかな先生の言葉に、大人たちはひそひそ話をする。
「今日の学長は手厳しいね」
「研究でカンヅメになってたってお聞きしてたからな」
ふいに近くにいたお姉さんが私を手招きする。
「二つ目の正解のご褒美に、いいものを見せてあげる」
私がてくてく歩いていくと、ルーレットを囲んでいる五人ほどのお姉さんがいた。
彼女たちがテーブルの中心を指すと、そこに大人が両手を広げたくらいの大きな泡が現れた。
「今、地界は植物の種が芽吹いた頃なのよ。顔をつけて覗いてごらんなさい」
「うん」
こくんと頷いて、私は泡に顔をつけた。
お水に顔をつけたら息ができない。そう思っていたけど、私の顔には水の感触がなくて、空気も勝手に入って来た。
目を開けたそこには、広大な大地がどこまでも広がっていた。ところどころに泉があって、そのほとりに鮮やかな緑が見える。
「え?」
ふいに、目の前に二本の腕が現れて私をつかまえる。
ぐいと私は体ごと泡の中に引っ張られそうになった。
「わぁっ」
「やめなさい、ベルゼバブ!」
だけど泡が勢いよく弾けて、私は後ろに引き戻される。
「こんな子どもを地界に落とすつもりですか。悪戯にも程がありますよ!」
私を抱えて、メビウス先生が顔を険しくしていた。
「おかしい。いくら悪戯好きとはいえ父祖の一人がこんなことを」
「せんせい?」
「……もしかして」
先生は口元に手を当てて思案する。それからはっとして抱き上げたままの私を見た。
「怪我はありませんでしたか?」
「ううん。びっくりしただけ」
「ならばいいのですが」
先生は息をついてまだ考えていた。私は先生に問いかける。
「せんせい。ケイオスは、「べるぜばぶ」といっしょにいたんだよね」
私をそっと床に下ろす先生に、私はさきほどの大人たちの内緒話を思い出して言う。
「だったらわたし、「べるぜばぶ」のところにいってみたい」
「いけません。彼はどうしてか、あなたを危険に巻き込もうとしました」
メビウス先生を見上げて、私は言う。
「いく。クイズのさいごのもんだいを、ください」
たぶん、ケイオスはここにいない。そしてメビウス先生はそれを知っている気がした。
「わかりました。では」
メビウス先生は一度目を伏せて話し始めた。
「この世界の中心は、ゲームです。誰もがゲームで物事を決める。当然、古くからゲームについて研究が熱心に進められ、皆が勝つ方法を探ってきました」
片眼鏡の奥の青い瞳で私を見据えて、先生は問う。
「今、この世界で「必ず勝つ方法」のあるゲームの数は、百より多いか? ……これが、最後の質問です」
私は記憶の糸を探ってみた。ケイオスに教えてもらったことを思い出そうとした。
私はケイオスといろんなゲームをした気がする。
――ケイオス。どうしたらゲームにかてる?
そう問いかけたこともあったと思う。
ケイオスはあまりに強くて、私は一度も勝てなかったのだから。
――わたしが、かちかたをしらないの?
そう問いかけた時、ケイオスは何と言っただろうか。
――ガイア。ゲームに勝ち方は必要なのかな。
ケイオスの声が耳の奥に蘇る。
――たった一つのもので、すべてに立ち向かえるのに。……これだ。
私の額を指さした、そのケイオスの指のぬくもりが思い出される。
目を閉じてじっと考えた。
それから私は顔を上げて、メビウス先生に告げた。
「こたえは、ばつ」
メビウス先生が何か言う前に、天井は一瞬で塗り変わっていた。
……綺麗な金色のバツ印が浮かび上がったのと同時に、ドームが真昼のように明るくなった。
「全問正解おめでとう」
「よくがんばったね!」
グラスに飲み物を注いで、あちこちで乾杯の声が上がった。
「さあ、飲んで!」
私のコップにもジュースが注がれて、お姉さんたちがにこにこしながら立っていた。
私はメビウス先生を振り返る。先生は静かに答えた。
「そう。この世界のゲームに、必勝法は一つもない。誰もが勝てる可能性を持っているのが、「ゲーム」なのだから」
ぽつりとメビウス先生が呟く。
「幼いのに、よく三つとも答えを知っていましたね」
「ううん。ひとつもしらなかったよ」
私はメビウス先生を見上げて言う。
「だけどしらなくていいんだって。ケイオスが、ゲームはじぶんのあたまでかんがえるものだって」
「……『ゲームは他者の力を借りてはならない』、ですね」
今回のクイズゲームのように、周りの大人たちが答えを知っていたとしても、一人で考えて答えを出さなければいけない。それがゲームの厳しいルール。
「ただし、『自分の中のあらゆるものを使ってよい』。知識がなくとも、法則や連想、直感を使えば勝つことができる。そういう風に、ケイオスはゲームを作ったのだから」
大人たちはお酒を片手に、楽しそうにゲームを始める。
だけど先生は黙っている。私は少し怖くて先生の顔が見られないでいた。
ふいに、ぽん、と私の頭に先生の手が触れた。
恐る恐る顔を上げる。その時だった。
「よくできました」
囁くような声だったけど、メビウス先生はそう言った。
それから一瞬だけ、慈しむように笑ったのを、私は確かに見た。
「そういえばまだ訊いていませんでした。あなたの名は?」
「あ、わたし、ガイアだよ」
はっとして私が答えると、メビウス先生は青い目を細める。
「なるほど、あなたが何者かようやくわかってきました」
「え?」
「ガイアとはね、古い言葉で『希望の大地』。……今の、地界のことを指すんですよ」
静かな声で、メビウス先生は続ける。
「ケイオスから聞いています。ガイアは自分にとって、たった一粒の希望の種なのだと。あなたのことだったんですね」
ケイオスと私が呟くと、先生は頷く。
「彼はガイアの命を咲かせたいとも言っていました」
「わたしの、いのち?」
「そう。そしてそれは自分に任せてほしい。自分がすべて解決するから、と」
「……わたし」
ぐっと体の横で手を握り締めて私は言う。
「ケイオスのところにいく。わたしも、ゲームできるもん。なぞ、とけるよっ」
よくわからないけど、私のことでケイオスが頑張ってることだけは理解できた。
「そうですね。あなたはもう、ケイオスの手の中で守らなければならないほど小さな種ではないようだ」
メビウス先生の青い目と私の目が合う。
「そしてあなたに課せられた謎は、あなた自身で解くのがよろしい」
ふいに地下カジノの中にざわめきが走った。
「これは……何年ぶりだろう」
「みんな、外に出てごらんよ」
私はお兄さんたちに導かれて、一緒にカジノの表口の方に向かった。
扉の外に出て天を見上げる。
そこには私が上で見た、巨大な空洞があった。けれど前に見た時とは全く違っていた。
「虹の橋が掛かりましたね。父祖の導きの証です」
七色に輝く虹の橋が天に伸びていた。
振り返ると、メビウス先生も天を仰いでいた。私に気づくと、少し驚いたように目を見開く。
「誰かが父祖にゲームで勝ったんですね。……おっと、ところでこんな小さな子がどうして地下カジノにいるんです?」
「何言ってるんですか、学長。さっきからそのガイアとゲームをしてたじゃありませんか」
「は?」
メビウス先生は軽く首を傾げる。
「私は論文が仕上がって、今来たばかりですよ。ゲームなどしていませんが」
水を打ったような沈黙が流れる。
よく見るとメビウス先生は先ほどとはずいぶん様子が違っていた。寝不足なのか目の下にクマができていて、疲れたように肩が下がっている。
「ははぁ。さてはみなさん、また間違えたんですね」
「……面目ない」
「なぁに?」
きょとんとして私がメビウス先生の袖を引くと、彼は先ほどとは違って温厚そうな微笑みを浮かべた。
「あなたがゲームをした相手は、私の父であるベリアル。私が本物の学長メビウスです」
先生はそっと私の頭を撫でる。その手の感触は、確かに先ほどゲームをした相手……父祖ベリアルととてもよく似ていた。
「母のリリスと同じで、もう亡くなってはいるのですが。子どもが困っていると放っておけないところは変わりがなくて」
彼がくすくすと笑うと、周りの大人たちも同意するように頷いた。
指を指して、本物のメビウス先生は虹の下を示す。
「あのブランコに乗っていけば、上層まで運んでくれるはずです。父祖の魔法ですから、間違いなく目的地まで辿りつけるでしょう」
「うんっ」
私は虹にぶらさがったブランコに座る。言われた通りしっかりと掴まると、それはするすると上へと登り始めた。
「用事が終わったら学校に来て、勉強するんですよ。ガイア」
手を振ってくれるメビウス学長に、私はこくんと頷いた。
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