2 飴色の回廊
私を乗せて、ブリキの列車はゆっくりと飛んでいく。
透明の線路が前に組まれていって、列車はその上を走る。様々な色の扉が目の前に現れては開いていって、私は列車の屋根につかまりながらそれを見ていた。
ぽっぽー。
ふいに列車が汽笛を鳴らして止まる。
「あれれ?」
立て札がたっていて、線路がそこで切れていた。私はそろそろと列車から降りる。
ぽっぽー。
「あ」
そうしたら列車は途端に元来た線路を戻り始めた。
「いっちゃった……」
おもちゃの列車はあっという間に見えなくなる。私はそれを見送って、ふるふると首を横に振る。
「わたしもいくぞ」
手をぎゅっと握りしめて歩き始める。けど、数歩で足が止まった。
歩く場所がなかった。ぽっかりと穴が空いていたのだ。
「わぁー……」
その穴は私がジャンプして届くような幅ではなく、向こう岸が見えないほどの大きな穴だった。
覗き込んでみると、不思議と明るい。
ふと見上げてみると、上にも穴が空いていた。
だけど上の果ても下の底も見えない。どこまで続いているのかさっぱりわからない巨大な空洞だ。
「ねぇ!」
耳元で突然大きな声が聞こえて、私は前のめりになる。
気付いた時には、バランスを崩して足を踏み外していた。
「わぁぁっ」
……落ちるっ。
そう思って目を閉じたけど、なぜか少し下がったところで落下が止まった。
「あはっ。ごめんね」
恐る恐る目を開けると、私の脇を男の子が抱えていた。
「君がまだ飛べないって知らなくて」
その子の背中には金色に輝く翼が生えていて、彼はそれを羽ばたかせている。
私は目を丸くしてたずねる。
「とぶ? わたし、はねないよ?」
男の子は不思議そうに首を傾げた。
「あるんじゃない? みんなあるもん」
空洞の向こう岸まで私を連れていって下ろすと、男の子は私の前に立つ。
彼は私よりちょっとだけ年上の十歳くらいで、黒髪に金色の目を持っていた。そのきらきらした飴色の目で、彼はじっと私を覗き込んでくる。
「そういえば見たことない顔だね。俺はルーア」
「わたし、ガイアだよ」
「女の子に会えて嬉しいな」
にこっと人懐っこい笑みを浮かべてルーアは言う。
「かわいい女の子でもっと嬉しい」
ルーアは屈みこんで私の頬にちょんと唇を当てた。
私がきょとんとしていたら、ルーアは首を傾けて笑い声をたてた。
「ガイアは不思議だね。黒い目なんだ」
言われて初めて、私はそうなのだと知る。ルーアに言われるまで、自分の目の色なんて気にしたことがなかったから。
「ふしぎ、なの?」
「うん。黒い目をしてるのは、ケイオス兄ちゃんくらいしか知らない」
私は目をぱちりとして訊く。
「ケイオスをしってるの?」
「みんな知ってるよ」
ルーアはにっこりと笑って頷いた。
「この間も一緒にゲームしたよ。ケイオス兄ちゃんはすごく強いよね」
私はそれを聞いて首を傾けた。
「わたし、ケイオスをさがしてるの。どこにいるのかなぁ?」
「うーん。ケイオス兄ちゃんは忙しいからなかなか捕まらないよね。会議したり、出張に行ったり、研究したり」
ケイオスって何をしてる人なんだろう。不思議に思ったところだった。
「でもお仕事はディーラーなんだから、地下カジノにいることが多いかな」
「でぃーらー? かじの?」
わからない言葉が多くて、ぐにに、と首を傾ける。そんな私を見て、ルーアは優しく笑った。
「そっか。ガイアは生まれたばかりの子なんだね」
ルーアは合点がいったように頷く。
「カジノは大人が集まって、ゲームをするところだよ。ケイオス兄ちゃんはそのゲームを取り仕切るお仕事をしてるんだ」
「カジノ……」
私がぽつりと呟くと、ル―アはそんな私の手を取る。
「それより、遊ぼうよ」
「でも、わたしカジノにいきたい」
ルーアは私の手をくいと引く。
「ダメ。子どもはね、お父さんかお母さんと一緒じゃないとカジノに入れない。迎えがくるまで遊んで待っていよう?」
飴色の瞳を輝かせて、ルーアは振り返った。
「行こっ、ガイア」
二人で手をつないで歩いていると、緩く曲がった廊下に出た。
私はごくんと息をのんでつぶやいた。
「きらきら……」
そこは壁が金色に淡く輝いていて、近付くといい匂いがする。ルーアは楽しそうに言った。
「これ、なめてごらん」
ルーアは壁に指を当てて丸く削り取る。そして金色のそれを私の手のひらに落とした。
私はルーアがくれた壁の欠片をなめてみた。
「あめ?」
それは舌がとろけるように甘い飴玉の味がした。
「これもおいしいよ」
少し高いところの壁にはまった星形の飾りを取ってくれる。私がかじったら、それはチョコレートだとわかった。
辺りを見ると、私たちくらいの子どもたちがあちこちにいた。ルーアがするように、壁のお菓子を取ってはおいしそうに食べている。
私は首をぐにぐにしてたずねた。
「おかしばっかりたべてると、おこられない?」
「まさか。このお菓子回廊に子どもが集められてるのは、子どもが大きくなるのにお菓子が必要だからだよ」
ルーアは笑って私を見下ろす。
「そして遊びながら、ルールを覚える。ゲームをするためにね」
そんな話をしている内に、天を衝くような巨大なオブジェが立っているのが見えた。
長い金色の巻き毛をして、穏やかな微笑みを浮かべたお姉さんの像だった。
「太母リリスの泉だよ」
高く掲げた手から水が流れ出て、豊かな金の髪を輝かせていた。
泉の周りには子どもたちが集まって、それぞれ絵を描いたりおもちゃで遊んだりしている。
「さ、遊ぼうよ」
「……わたし」
私はおもちゃを選ぼうとしたルーアの言葉を遮る。
「まってるのじゃ、だめなの」
きゅっと手を握ってルーアを見る。
「ケイオスがかえってこないから、さがしにいくんだもん」
「ガイアはケイオス兄ちゃんの子どもなの?」
「わからない……けど」
お父さんもお母さんも知らない。ケイオスのことも、年やお仕事のことさえわからない。
「ただ、ケイオスとゲームをしたいの」
――帰ったら、またゲームをしよう。
眠りにつく前にそう言われたことだけは覚えているから。
「カジノは子ども一人じゃ入れないのに?」
そっとルーアが言うから、私は彼の飴色の瞳を見返して言う。
「おねがいしていれてもらう。ちかだったら、さっきのところをおりればいいんだね?」
「困ったな……」
ルーアは苦笑して少し黙る。
「俺はこの階の子どもの世話を任されてるんだ。大人が来るまで、目の届くところで安全に守らなきゃいけない。けれど」
神妙に告げてから、ルーアはふっと笑う。
「相手を縛ることができるのはゲームだけだ。だからゲームをしよう、ガイア」
ルーアは泉の脇にある絨毯に座る。
「俺が勝ったら、君は迎えが来るまでここで俺と遊ぶこと」
「わたしがかったら、わたしがカジノにいくのをルーアはじゃましない」
私もルーアの向かい側に座った。
「決まりだ」
ルーアが指を鳴らすと、絨毯に散らばっていたカードが飛んできた。
「ポーカーはできる?」
「うん」
パタパタと音を立ててトランプが積み上がっていく。
ルーアは手を広げて言った。
「三つルールを確認しよう。俺は今ジョーカーを一枚入れたから、それは好きなカードにできる。あと、勝負までそれぞれ一回ずつ『チェンジ』を使うことで、相手の伏せた手札と一枚カードを交換できる。そして勝負を挑む時は『コール』と言う」
「わかった」
私はトランプを念入りに切って五枚ずつ配り、残りを真ん中に置いた。
私の初期カードはクローバーの六、ハートの三、ハートのジャック、スペードのジャック、ダイヤのエースだ。
「俺は後攻でいいよ」
最初からジャックのワンペアが揃っている。これを中心にして同じスートを揃えるのが早い。
「なになにー。ゲーム?」
「トランプだー」
ゲームを始めたら子どもたちが集まってきた。けれどみんなカードの中身を覗いたりはしないで、少し離れたところに座って見ている。
「アップルパイ食べる?」
「あ、ありがとう」
「これレーズンクッキー。おいしいよ」
自分たちも食べながら、子どもたちは私にお菓子を勧めてくれた。
二回山札からカードを引いたところで、ジャックが三枚揃った。
どうしよう。今コールをして決着をつけようか。この早い段階でスリーカードなら勝てるかもしれない。
私は考えを巡らせながらルーアを見やる。ちょうどこちらを見ていた彼と目が合った。
「そろそろスリーカードくらい揃ったかな」
金色の目を猫のように細めてルーアが何気なく呟いた言葉に、私はぎくりとする。
「勝負する?」
その目が流動したような気がして、私は咄嗟に首を横に振っていた。
それから二回カードを引いたけど、適当なカードが来ない。
少し焦って山札から一枚札を取ったところで、ルーアが言った。
「じゃあ、俺から『チェンジ』」
私は手札を隠したままルーアに示す。ルーアは私のカードに手をやって、一つのカードを選んだ。
「ふうん」
ハートのジャックを取られた。せっかく三枚まで集めたのに、ジャックで番号を揃えるのが一気に難しくなる。
代わりにルーアからクローバーのエースを取ってエースでワンペアが出た。けど、エースで揃えるつもりはなくて先ほどせっかくのスペードのエースを捨てたから、山札の中には一枚しかエースがない。
楽しそうにルーアの目が笑っている。まるで私の手札が見えているようだった。
……もしかして、本当に見えているのかな?
アリエルと同じように、ルーアも指を指すだけで物を動かせた。そういう不思議な力で、私の札や心さえもルーアには見透かせるんじゃないだろうか。ふとそんな疑問がよぎる。
「あ。時間だ」
子どもたちが一斉に立ってコップを手に泉へ向かう。
ぴたりと噴水が止んだかと思うと、次の瞬間勢いよくリリスお姉さんの手から淡いピンク色の水が出てきた。
「今日は桃ジュースだよー。飲んで飲んでー」
「ありがとう。ほら、ガイアもどうぞ」
嬉々としてジュースを汲んでくる子どもたちから、ルーアはコップを受け取って私にも渡してくれる。
ルーアの飴色の目が怖くなって、私が目を逸らした時だった。
――目を逸らしてはいけないよ、ガイア。
耳の奥に、低くて懐かしい声が蘇る。
――目は心の窓。心理戦で相手の心がもっとも現れる場所を見逃してはいけない。
ケイオスの声だ。私は思う。
――怖がらないで、みつめるんだ。そしてこの世で一番難しい謎を……他者の心を読み解け。
そっと頭が抱きしめられるような、そんな感触があった。
――お前にはできる。
「ガイア?」
ルーアに呼ばれて、私ははっとなる。
それからゆっくりとルーアの瞳をみつめた。彼は相変わらずにこやかで、底の見えないような目をしていた。
「……もってるね。ルーア」
だけどじっとみつめて、私は心を決める。
「『チェンジ』」
私の手札はエースのワンペアとジャックのワンペアだけ。今の状態では勝ちにいけない。
手札を差し出したルーアの目をみつめながら、私は一つのカードを選びとる。カードを手に取る瞬間、ルーアの目が揺らいだ気がした。
「やっぱり」
私の手に渡ったのはワイルドカード。何にでもなる、ジョーカーだ。
だけど代わりにスペードのジャックを取られる。これでジャックを揃えるのは絶望的になった。私の手持ちはジョーカーに補助されたエースのスリーカードだけで、これだけでは決め手にならない。
ルーアの目が自分の手札の上を走る。彼が何か迷っている気配がした。
けれどルーアは山札からカードを一枚引いた。私も無言で山札に手を置く。
欲しいのは、山札の中に残っている最後のエース。……ハートの、エースだ。
祈るような気持ちでカードを引く。そしてめくって、私は宣言した。
「『コール』」
さあ、勝負だ。
ルーアも一枚めくって、お互い手札を示した。
「俺はフルハウス」
強い手札だった。先ほどスリーカードで勝負をしていたら負けていただろう。
「わたしは、フォーカードだよ」
ジョーカーと、クローバー・ダイヤ……そして、ハートのエース。
私はうなずいて宣言した。
「わたしのかち」
立ち上がる私の前で、ルーアは静かに目を伏せる。
「じゃあわたし、いくよ」
「待って」
そう言って歩き出そうとした私に、ルーアの声がかかる。それに、私は少しむっとして返した。
「じゃましちゃだめだよ。わたし、かったもん」
「もちろん。『負けを受け入れられない者はゲームに参加してはならない』……ケイオス兄ちゃんに、そう教わった」
ルーアは翼で飛び上がると、噴水を出しているお姉さんの像の手の部分に降り立つ。
彼はポケットから金色の鍵を取り出して噴水の吹き出し口に差しこむ。
「わ……ぁっ」
ゴゴゴゴ、と音を立てて、お姉さんの像が前に進んだ。噴水が分かれて、像の後ろに空洞が出来る。
噴水の裏側に、あっという間に石造りの古い階段が現れた。
「ガイアは飛べないだろう? カジノにはこの階段を下っていくといい」
ルーアの飴色の瞳は、金の像と同じくらい優しく輝いていた。
「これはお礼だ。楽しいゲームをありがとう、ガイア」
微笑んだルーアに、私はありがとうと言葉を贈った。
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