幼女と冥界の王子様
真木
1 魔女のおもちゃ工房
「じゃあ、行ってくるよ」
大きな手で頭を撫でて、その人は言った。
「いい子で寝てるんだよ。すぐに帰って来る」
優しい声が、ゆっくりと離れていく。
「……そうしたらまたゲームをしよう、ガイア」
扉が閉まる音を、私は遠くで聞いていた。
目を覚ましたら、ふかふかの毛布に埋もれていた。
ずっと眠っていたくなるような温かさと柔らかさに一瞬目を閉じそうになって、私は呟く。
「……いかなきゃ」
ベッドから降りて、てくてくと扉に向かった。
赤茶色の扉の前に辿り着いたら、背伸びしてノブに手を伸ばす。
音を立てて、扉は開いた。
途端に飛び込んでくる光景に、私は思わず目を大きく開く。
「うわぁ……」
目を開いたそこには、無数のおもちゃが転がっていた。
積み木に人形、絵本、模型に、きらきら光る綺麗なガラス玉。
絨毯の上だけじゃなく、空中にも広がっている。七色に変わりながら宙を回転する風船や、紙でできた鳥が飛びまわる。
「ぽっぽーだ」
ブリキの列車が目の前を走っていって、私はそれを追いかける。そうしたら、私の体が丸ごと入りそうな箱にぶつかった。
……びよんっ。
「わぁっ」
突然箱が開いて中から何か飛び出してきたから、私はびっくりして尻持ちをつく。
舌を出したおばけのおもちゃが、バネで箱にくっついていた。
「ふふ」
くすくすと笑う声が聞こえてそちらを見る。木彫りの細工の中に埋もれるようにして、女の人が座っていた。
「おはよう、ガイア」
紫の帽子と紫のドレスを着た、紫の瞳をした綺麗なお姉さんだった。彼女は頬杖をついて私をみていた。
「おねえさん、だあれ?」
「私はアリエル。魔女よ」
私はきょとんとして首を傾げる。
「まじょは、カエルさんとかでおくすりをつくるんじゃないの?」
「それは絵本の中の、他の世界の魔女の話ね」
彼女は立ちあがって指を横に引く。おもちゃたちが勝手に横にどいた。アリエルはその隙間を歩いて近づいてくる。
「すごいっ。どうしておもちゃがうごくの?」
「普通のことよ。みんなできるわ」
「ふつう……」
私は試しにアリエルの真似をして指を横に引いてみた。
けれどおもちゃたちは私の言うことには従ってくれなかった。
「……できない」
しょぼんと顔を伏せると、アリエルは私の頭をぽんと叩いた。
「ガイアは持ち上げて動かせるでしょう。それで十分じゃない」
「そっかぁ」
頷いて、私はほっとした。
「ガイアはどうして起きてきたの? 眠っていてよかったのに」
「えとね」
私は首をひねって考える。
「さがしにいきたいの」
「何を?」
「……『けいおす』を」
その名前を口にして、私ははたと止まった。
「あれ? けいおすってなんだろう?」
いくら思いだそうとしても思いだせない。
そもそも、私は自分がガイアという名前であることしかわからなくて、ここがどこかも記憶にない。
「アリエル。けいおすをしらない?」
アリエルの袖を引いて尋ねる。それに、彼女は優雅に笑い返した。
「知ってるわよ」
「どこにいるの?」
私はアリエルの腰くらいの高さの背から彼女を見上げる。
「わたし、『けいおす』をさがしてるってことしかわからないの」
自分のことも、この場所のことも、どこに行こうとしていたのかもわからない。
「どうしても知りたい?」
「うん」
そのことは不安ではないけど、ただ知りたいと思った。
アリエルは困ったように言う。
「私、あなたを預けられたのよね。ゆっくり寝かしておくようにって言われて。ガイア、もう一度眠る気はない?」
「めがさめちゃったの。らんらんなの」
私は全然眠くないし、眠りたいとも思わない。
「わたしは『けいおす』をさがして、それで……」
それ以上の言葉は出て来なかったけど、私は強くアリエルをみつめる。
「いきたいの。けいおすのところに」
アリエルは私を見返して少し沈黙すると、紫の目を伏せて言った。
「じゃあ、試させてちょうだい」
彼女はひらりと袖を返して腕を高く上げる。
「わっ」
途端に大粒の雨が降ってきた。痛くはなかったけど、あまりにいっぺんに降ってきたから私は思わず目を閉じる。
「これ……ダイス?」
私の周りに海を作っていたのは、様々な無数のダイスだった。
ガラスや石やブリキで出来たものや、私の身長ほどもある大きなものから目をこらして見ないと数字が見えない小粒のもの、六つの面のものから数えきれない面を持つ形のものまで、素材も大きさも面の数も違う。
アリエルは手を差し伸べて言った。
「どれでもいいから一つ選んで、私より大きな数を出してごらんなさい」
彼女と私の間に丸テーブルが現れる。
アリエルはそっと手の中のものを転がす。数回転がって、それは一つの面を示した。
「私は四。さあ、あなたはどれを使う?」
私の周りには無数のダイスがある。
けど、私は手を前に出してアリエルに差しだした。
「アリエルのダイスがいい」
無言でアリエルは私の手に彼女のダイスを落とした。
それは小さな六面のダイスだった。白い面に黒い点がついただけの飾り気のないものだ。
「えいっ」
私はそれをテーブルに向かって転がす。
てん、てん、てん……と弾かれながら白黒ダイスは転がって、やがて止まる。
……六。
「やたっ。わたしのかち!」
飛び跳ねて喜ぶと、アリエルはそんな私を見て静かに問う。
「どうしてそれにしたの?」
アリエルの言いたいことはわかる。
もっとたくさんの目があるダイスも、狙った数を出しやすい重いダイスも、綺麗なダイスも、何だってあった。
私はアリエルをみつめて言う。
「ゲームは、おんなじではじめなきゃいけないの」
ダイスを見たら、一つ思いだした言葉がある。
「『ゲームは同じルールで始めよ』」
「あっ。うん、そんなことばなの」
アリエルはふっと笑って言った。
「そう。始めから片方に有利に出来ていてはゲームじゃない。対等であれ」
たいとうの意味はよくわからないけど、同じということだと気づいた。
「同じルールを守れない者はゲームに参加することができない。それがこの世界の決まり事」
アリエルは屈みこんで私と視線を合わせた。
「……そしてあなたはその始まりのルールをちゃんとわかってるようね」
パタパタパタ……と扉が紙細工のように次々と開けていった。
同時に、私はぐんと前に引っ張られる。
「『ゲームはすべての始まりである』……と、ケイオスは言ったわ」
左右におもちゃたちが退いていく。私はその間をブリキの列車に乗って飛んでいく。
「ゲームの祖、ケイオス。ゲームのあるところに、彼は必ずいる」
アリエルの声が、耳の奥に木霊した。
「ゲームの世界へ、行ってらっしゃい。ガイア」
私の背後で、扉が閉まった。
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