寂しい家族

突然、静寂が訪れた。

しばらく時が止まる。

あたりを、ゆっくり見渡した。


見慣れた壁や床、

家具がいつもどおりの場所に置いてある。

かすかに、壁掛け時計の音が聞こえた。

ここは自分の部屋だった。


あまりに夢の余韻が強烈すぎて、

何も考えられない。

しばらく動くことができなかった。

自分は死ぬはずだった。


なかなか息が整わず、

夢の記憶がどんどんちぎれ溶けていく。

ようやく息が整いベッドから這い出た。


消えゆく記憶を手繰り寄せる。

白ずくめの小人たち、

振り上げられたハンマー。

そして、猿の面を被った男。


時計を見ると朝四時前だった。

もうじき夜明けだが、

まだ起きる時間でもない。


また眠る気にもなれず、

布団の中で体験したばかりの

恐ろしい夢の記憶を反芻していた。


朝になり日が昇ると、

部屋から出て階段を降りた。


洗面台の鏡には、

いつも通りの見慣れた自分がいる。

安心して寝ぐせを直し、顔を洗った。


私は女としては背が高く髪も短いので、

よく男に間違われた。


飾り気のないグレーのTシャツにショーツ姿、

寝ぐせ頭に歯ブラシを咥えている。

こんな格好じゃ無理もないなと納得する。


廊下に出ると庭のサザンカが見えた。

小さかった頃、父さんに無理を言って

植えてもらったものだ。


海辺に建ち風の強いこの家では

サザンカは育たない、

父さんにすぐ枯れると止められたが、

小さかった私は泣いて頼んだ。


大事にしている、

父さんとの思い出の花だった。

優しかった父さんは、

半年前に病気で亡くなった。


静かになった我が家は、

あの日から寂しさに包まれている。

母さんはそれ以来ずっと塞ぎ込んでいた。


母さんに、おはようと声をかける。

少し遅れて、

ああ、おはようと返ってきた。


台所に続く暖簾の向こうで、

母さんの影だけが揺れていた。


居間のテーブルには、

冷えたシチューが鍋のままぽつんと置かれていた。


鍋肌には冷え固まった膜が張り、

具材は沈殿して底に溜まっていた。


多分、これが朝ご飯なのだろう。

温め直し、胃もたれを覚悟しながら

スプーンを口に運ぶ。


自分以外誰もいないリビングは、

静寂に包まれていた。

深い孤独感が湧き上がり、

涙が溢れそうになった。


荷物を取りに、一旦自室に戻る。

本棚に、お小遣いでコツコツと買い揃えた、

好きな作家のハードカバーの本が並んでいた。

内容は恋愛小説など、

同年代の女の子が読みそうなものは無く、

ミステリー小説やホラー小説がほとんどだった。


「もっと女の子らしい本を読みなさい」

元気だった頃の母によく笑われたものだった。

その声が、今も耳に残っている。


ハードカバーの本たちに挟まれて、

古い赤い手帳が置いてある。

使い込まれ、所々ヒビが入ったレザーの表紙。

レザーの留め具がつながった部分は、

劣化して細くなっている。

高校に入学した頃に買った、思い出の手帳。


高校2年の夏に、初めてできた男。

そのときの甘い記憶が、

中にびっしり綴られている。

写真もたくさん貼り付けてある。

その男とは、先週別れた。


あの浮気者、もう思い出したくもない。

この手帳は、

何度もゴミ箱に入れては拾い上げている。

心のどこかにひっかかっていた。


別に、よりを戻したいわけではない。

ただ気持ちに踏ん切りをつけないと、

先に進めない気がしていた。

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