四年後
それから何事もなく、
4年が過ぎ去った。
母さんは、相変わらずふさぎこんでいる。
ゴミ出しや近所への簡単な買い出し以外は、
一日中家の中にいることが多かった。
それでも生活できていたのは、
父さんの残してくれた貯金のおかげだった。
けして多くは無かったが、
親子ふたりが質素な生活を送るには
十分な額だった。
別れた男は今、どこで何をしているのだろう。
一度だけ、浮気相手の顔を見たことがある。
自分とは正反対の女だった。
背が低く栗毛のロングヘア、
大人しそうな女だった。
今頃、二人で幸せに暮らしているのだろうか。
私もこのままではいけないと思い、
新しい相手を見つけようと思うのだが、
どうしても踏み出すことができなかった。
あの恐ろしい悪夢のことは、
今でもたまに思い出す。
つんざくような悲鳴、気持ちの悪い販売員の女、
ハンマーを引きずり歩く小人、
そして、猿の仮面を被った車掌。
夢とはいえ、本当に殺されるかと思った。
あれから時間が経つにつれ、
思い出す回数は減っていったが、
完全に忘れ去ることはできないでいた。
私は今、新幹線の座席に座り、
外の景色を眺めている。
今日はあいにくの曇天で、
白黒フィルムのように色褪せた景色が、
次々と後ろに流れていった。
高校卒業後、私は地元の小さい出版社に就職した。
初めての就職で苦労もしたが、
先輩方に支えられ、少しずつ仕事を覚えていった。
そして最初の1年をこえようとしていたときだった。
突然決まった出張で、
どうしても新幹線に乗らなくてはならなくなった。
あの悪夢をみてから4年たった今でも
電車に乗るのは苦手だ。
移動はなるべく車を使い、
それができなければバスで移動していた。
電車と新幹線との違いはあれど、
あの思い出が蘇り、心が挫けそうになる。
窓の外を流れる景色を見つめながら、
心の中で何度も自分に言い聞かせる。
あれはただの夢だ、きっと疲れていたんだと。
心臓が普段より、少し早く鼓動するのを感じていた。
車内で深呼吸し、過去の恐怖と向き合う覚悟を決める。
曇り空の下、
白黒の景色が流れる新幹線の窓に映る自分の顔が、
無理して笑顔を作っていた。
ここは窓際の席なので、
体を傾けないと通路が見えない。
化け物が通路をゆっくり歩いてきて、
こちらにぬっと顔を向ける妄想がよぎったが、
頭を振り、気持ちを誤魔化した。
初めは緊張していたが、
何事もなく時間が過ぎると、
少しずつ安堵の気持ちが芽生えてきた。
「なんだ、何もないじゃないか。」
心の中でつぶやきながら少し肩の力を抜く。
1時間ほど走ると外の景色が急に暗くなり、
新幹線はトンネルの中に入った。
窓の外を流れていた田園風景が消える。
窓ガラスに、
車内にいる自分の姿が浮かび上がった。
見慣れてきたスーツ姿の自分。
あの頃の自分とは違う、成長したはずだ。
庭のサザンカを思い出す。
父さんに植えてもらった思い出の花。
庭のすみっこに植木鉢を置いて毎日水をやった。
海風に負けずに強く育ってくれたサザンカ。
私もこんなに強くなれたらいいのにな。
そう思いながら水をやった日のことを思い出す。
優しかった父さん、そして母さん。
記憶の中の懐かしい声、
そして笑顔が、胸に温かく広がる。
涙が一雫、頬にたれた。
過去の思い出が心に溢れ、
今の自分を支えていることを実感する。
その瞬間、トンネルを抜けた。
新幹線が、猿電車に変わっていた。
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