第29話:親権喪失審判・松浦節子視点
義孝の言葉がきっかけで助けた兄妹、向井樹希君と向井由真ちゃんの事は、最後まで手伝う事にしました。
看護師学校に入る試験を受けるのはまだまだ先ですし、働き過ぎて収入を増やしてもいけないと言われたので、後学のために手伝う事にしました。
警察が頑張って捜査してくれたのか、樹希君と由真ちゃんのお母さん、向井洋子さんと内縁の男性が捕まりました。
診断書がかなり危険を訴える物だったそうで、検察は未必の故意による殺人未遂と責任者保護遺棄の罪で訴えました。
母親についた国選弁護人は、責任者保護遺棄の罪は認めましたが、未必の故意による殺人未遂は否定しました。
内縁の男も未必の故意による殺人未遂で訴えられましたが、国選弁護人は保護者でもないので無罪だと主張しました。
今回の件で親しくなった元警察官で保護司の鈴木建造さんが教えてくれましたが、未必の故意による殺人未遂はなかなか認められないという事でした。
普通なら未必の故意による傷害罪で提訴するという事でした。
最初は不思議に思っていたのです。
子供を助けるのを優先する金子さんたちが、罰を強く求めるのが不思議でした。
金子さんたちには、他に手に入れたいモノがあったのだと、後で分かりました。
金子さんたちは、同時に親権喪失審判を起こしていたのです。
向井洋子から、樹希君と由真ちゃんの親権を完全に奪いたかったのです。
これも鈴木建造さんから教えてもらったのですが、実の親の親権はとても強くて、どれほど虐待している親からも、親権を完全に奪う事は滅多にないそうです。
大抵は親権を一定期間停止させるだけだそうです。
これは、親に保護者の責任、扶養義務を果たさせる為でもあるそうです。
財産が有るのなら、子供に与える為なのだそうです。
ですが、それが、ようやく救われた子供をまた虐待の日々に戻す事があります。
最悪の場合は、ようやく救われた子供たちを殺させる事になります。
そんな哀しい事件が数多くあったと、鈴木建造さんが教えてくれました。
金子さんたちは、向井洋子なら同じ事を繰り返すと判断したのでしょう。
樹希君と由真ちゃんの為には、完全に親権を喪失させた方が良いと思ったから、親権喪失審判を起こしたのでしょう。
親権喪失審判や親権停止審判は、子供本人、子供の親族、児童相談所の所長などが訴えるのですが、今回は向井洋子を恐れたのか、兄妹を育てる責任を背負いたくないのか、全ての親族が訴えるのを拒否しました。
まだ幼い樹希君と由真ちゃんの訴えは、なかなか認められませんが、今回は児童相談所の所長が訴えたので審判されました。
普通の児童相談所長なら親権停止審判を起こすのでしょうが、金子さんが手をまわしたようで、親権喪失審判になりました。
親権喪失審判は大阪家庭裁判所で審理されました。
未必の故意による殺人未遂と責任者保護遺棄の罪は、大阪地方裁判所の本庁で審理されました。
子ども食堂のある柏原市は堺支部の管轄なのですが、向井洋子が兄妹を放置していたアパートが八尾市にあり、樹希君と由真ちゃんが保護されて連れていかれたのが八尾警察署だったので、本庁での審理となったそうです。
別々の審理なので全く関係ないと思っていたのですが、大阪地方裁判所と大阪家庭裁判所に提出される証拠の内容は同じ物でした。
大阪地方裁判所で未必の故意による殺人未遂の判決が出れば、母親が上告したとしても親権喪失が認められるだろうと、鈴木建造さんが言っていました。
このまま最後まで、最高裁まで争うのかと思っていました。
親権喪失は認められず、親権停止で終わるのかと思っていました。
それが、思いがけない結果になりました。
向井洋子についた国選弁護人が、思いがけない戦術を使って来たのです。
未必の故意による殺人未遂は強く否定しましたが、未必の故意による傷害はあったと認め、今後そんな事を絶対しないように、親権停止を認めると言ったのです。
この裁判は司法取引の対象ではないと教えてもらいましたが、親権停止を認める事で、検察官や裁判官の心証が変わるのだそうです。
向井洋子の親権が喪失され、刑期を終えて刑務所から出てきても、樹希君と由真ちゃんを害する可能性がなくなるのなら、刑期が短くても構わないのです。
金子さんたちが求めているの、樹希君と由真ちゃんが安全に暮らせる事だけです。
私が聞いた時に『向井洋子が死のうが生きようが知った事ではない』と吐き捨てていましたから。
向井洋子の刑事裁判と親権喪失審判は、寒さが厳しくなる頃に終わりました。
向井洋子本人だけでなく、樹希君と由真ちゃんの要望もあり、親権喪失が認められました。
未必の故意による殺人未遂ではなく、未必の故意による傷害と保護義務遺棄になり、思っていたよりも短い刑期で済んだので、向井洋子は上告をしませんでした。
「ご飯ができたぞ、勉強をやめて食べさない」
次郎さんが子供たちの晩ご飯を小上がりの机に置きました。
「わぁああああ、おでんだぁ~」
子ども食堂はいつも暖かで、雰囲気も良いので、何を食べても美味しいのですが、寒さの厳しい冬の間は熱々のおでんを特に美味しく感じます。
子ども食堂に長年来られている常連さんの中には、おでんの事を関東炊きと呼ぶ人もいますが、中に入る具材が少し違うだけで、同じ物だと思っていました。
ですが、思っていたよりも違っていました。
子ども食堂のおでんには、福岡では必ず入る魚のすり身で餃子を包んで揚げた「餃子巻き」がなかったのです。
ロールキャベツが入っていないのは、人手が少ないからだと思いました。
子供たちに公平に具材を食べさせてあげるために、手間のかかる具材が作れないからだと思いました。
福岡おでんの特徴は、餃子巻き、ごぼう巻き、ロールキャベツ、餅入り巾着、牛すじといった、店が本気でやれば手間暇の掛かる具材なのだそうです。
子ども食堂のおでんは、当然大阪のおでんなのですが、運営資金の関係で、特徴である鯨肉やタコが入れられないそうです。
牛すじはフードバンクから回って来る事があり、寄付される事もあるそうなのですが、できれば入れたい鯨肉やタコは子供の数だけそろえるのが無理だと聞きました。
「私は豆腐が好き」
「えええええ、厚揚げの方が美味しいよ」
「レイチクの方が、味が染みていておいしいよ」
「ごぼ天の方が美味しくない?」
「玉子だよ、玉子が1番美味しいよ」
「ちがうよ、肉が1番だよ、鶏肉が1番美味しいんだよ」
保護者の都合で預けられている小さい子、金子さんたちが一時里親になっている曜日毎にくる施設の子、アルバイト帰りに食べて行く中高生がワイワイ言っています。
子ども食堂の躾がいいので、大きな子が小さい子の面倒を見ています。
熱々おでんの湯気越しに見える子供たちの笑顔が眩しいです。
特に樹希君と由真ちゃんの幸せそうな笑顔が眩しいです。
「おかあさん食べないの?」
「食べるわよ、義孝も美味しくいただきなさい」
「うん」
しっかり煮込まれた親鶏の手羽元がとても美味しいです。
骨付きなので良い出汁が出るそうで、おでんの時には必ず入れるそうなのですが、手羽元自体もとても美味しいです。
常連さんの中には、ダシを取るのに入れた親鶏の胴殻を持ち帰って、熱燗を片手にチビチビと食べるのが美味しいと言う人がいました。
母子生活支援施設には、少しの晩酌を楽しみにしているお母さんもいるので、帰りに1つもらいましょうか?
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