第16話:手料理・高井波子視点
「叔父さん、お帰りなさい」
迎えに来てくれた叔父さんを、翔子ちゃんが満面の笑みを浮かべて迎える。
叔父さんと呼ばれた真野邦康さんのお姉さんである母親と父親が、交通事故で亡くなったと聞いているので、息子夫婦や夫の事もあって他人事とは思えない。
家と違うのは、両親が生命保険に入っておらず、ご両親を轢き殺した奴は未成年で自動車保険にも入っておらず、保険金も賠償金ももらえなかった事だ。
しかも、お父さんの兄弟姉妹どころか両親までお母さんとの結婚に反対だった。
弟と孤児同然に育ったお母さんとの結婚を強く反対していたので、翔子ちゃんを引き取らないと言ったそうだ。
引き取らないどころか、葬式の間中、絶え間なく翔子ちゃんのお母さんの悪口を言い続けたそうだ。
話を聞いた時には、腹が立ってしかたがなかった。
今思い出しただけでも腹が立って仕方がない。
その場に私がいたら、叩きのめしてやったのに!
翔子ちゃんの救いだったのは、お母さんの弟、真野邦康さんがいた事だ。
幼くして両親を亡くしたお母さんと叔父さんは、親戚をたらい回しにされ、かばい合いながら育ったらしい。
それだけに姉弟仲はとても良く、直ぐに翔子ちゃんを引き取ると言ったそうだ。
両親を亡くした翔子ちゃんを虐める、お父さんの兄弟姉妹や両親を激しく面罵して、もう二度と側に寄るなと脅かし絶縁宣言をしてくれたと言う。
真野邦康さんは、小学生の時から中学生卒業まで新聞配達のアルバイトを続け、中学を出て直ぐに型枠大工として働きだしたので、勉強は苦手だが心優しいと翔子ちゃんが言っていた。
翔子ちゃんを不自由させないように、朝早くから夜遅くまで働いていると聞いた。
今日は偶々仕事を早く終われたのか、陽が暮れて直ぐに迎えに来た。
「おう、ただいま、ご飯は頂いたのか、いただいたのなら帰ろうか?」
「翔子ちゃんは料理の勉強をしている所だよ、少し待ってやりな」
白子さんが真野邦康さんに言い放つ。
「え、あ、はい、待たせていただきます」
そう言った真野邦康さんは、とても情けなさそうな顔をしている。
頑張って働いてきたから、お腹が空いているのだろう。
それなのに翔子ちゃんのために待つと言うのだから、いい親代わりだね。
「酒は出せないが、これでも食べてな」
あれ、私が今日食べた子ども食堂の料理と全く違う。
「え、あ、はい、幾らですか?」
「翔子ちゃんがあんたに食べさせたいと言って作った料理だ、金はいらないよ」
そう言われた真野邦康さんは、一瞬で真顔になった。
なるほど、そうかい、大切に育ててくれる叔父さんに食べさせたくて、白子さんに料理を習っていたのかい、泣かせるじゃないか。
「いただきます」
私や子供たちが食べたのは、親鶏の胸肉にチーズを挟んで揚げたチキンカツが主菜で、比較的余る事の多い親鶏の肝と玉ヒモの生姜醤油煮と温野菜のサラダが副菜で、いつも食べ放題のピクルスと糠漬けが添えられていた。
翔子ちゃんが作ったと言う料理の主菜は、チキンステーキだ。
1枚ずつオーブンかフライパンで焼かないといけないチキンステーキは、子ども食堂で作られる事はない、どうしても1度にたくさん作れる煮物か揚げ物になる。
白子さんは、翔子ちゃんが家でも危険なく作れる料理を教えたのだろう。
チキンステーキなら、揚げ物と違って火事になり難い。
鶏モモ肉の2枚くらいは、少し大きなフライパンなら1度に焼ける。
真野邦康さんに出されたチキンステーキは、翔子ちゃんが隠し包丁を入れたのか、所々形が崩れているが、家でならもっと上手にできるだろう。
親鶏だと筋が多くて肉自体も硬いから、筋切りの隠し包丁が難しいけれど、普通に家で作るのなら若鶏のもも肉なので、隠し包丁はほとんどいらない。
なんだい、そりゃ美味いだろうけれど、大の男が涙を流して食べるじゃないよ。
若くして独り親方として頑張っている一人前の職人だろう、泣くんじゃないよ。
私までもらい泣きしちまったじゃないか。
「おいしい、かたくない、すじきれている?」
翔子ちゃんが心配そうに聞く、心優しい子だね。
「……ああ、ああ、うまいぞ、もの凄く美味いぞ。
かたくない、ぜんぜん硬くないぞ、筋も切れていて食べやすいぞ」
「えへへへへ、よかった、野菜の昆布和えも食べてみて」
「おお、喰うぞ、いや、ごめん、食べさしてもらうぞ」
白子さんは、あまり包丁を使わなくてもいいようにしたのかね?
スーパーに売っているカット野菜や胡瓜だけでも簡単に作れる、野菜の昆布和えを教えたようだ。
カット野菜を買うならそのまま塩昆布で和えればいいし、胡瓜なら棒で叩いて潰せば包丁を使わなくても作れる。
邦康さんが家でお酒を飲むなら、昆布和えは良い肴になるかもしれない。
包丁を使う料理は、ここでもっと練習してからの方が良いしね。
「これもうまい、野菜の昆布和えも凄く美味いぞ。
翔子はねえちゃん、おっと、お母さんに似て料理が上手だな」
「ほんとう、わたし、お母さんと同じように料理が上手になれるかな?」
「なれるぞ、お母さんみたいに料理上手になれる、叔父さんが保証してやる」
「うん、がんばって料理上手になるよ」
翔子ちゃんも真野邦康さんも良い笑顔だねぇ。
こんな好い光景、最近では滅多に見られない。
もっとしっかりと瞼に焼き付けたいのに、涙でかすんじまうよ。
「翔子ちゃんの叔父さん良いなぁ~、チキンステーキおいしそうだなぁ~」
小上がりでご飯を食べていた子が小さな声で言う。
あの子くらいの歳だと、子ども食堂の事情など分からないだろう。
唐揚げとチキンステーキが同じもも肉なのも、分かっていないだろう。
大きなもも肉の塊が羨ましいのかもしれないし、大人が美味しそうに食べているから羨ましいだけかもしれない。
白子さんたちが1枚ずつ焼くのも大変だけれど、何より、丁寧な隠し包丁を入れてもけっこう硬くて、あのくらいの子には食べ難い。
あの子くらいの歳だと、誰かが側について切り分けてあげないといけない。
子ども食堂では、それだけの人手がないのだが、それも分からないのだろう。
「鈴音もチキンステーキが食べたいのかい?」
「……うん、食べたい」
「今日はもう材料がないし、1人ずつ作ってやる人手もない。
なにより、いつも言っているように、親鶏のもも肉はかなり硬い。
1枚のチキンステーキを鈴音くらいの子が切るのは無理だ。
食べられなかった時には、捨てるか誰かほかの人に食べてもらわないといけない。
小さな子もチキンステーキを食べられるようにするには、お手伝いが必要だ。
……明日以降ならもも肉を多めに持ち帰ってもらう事はできる。
作る時、小さい子に食べさせる時、手伝ってくれる子はいるかい?」
「手伝う、僕手伝う、だから鈴音ちゃんに食べさせてあげて」
「私も手伝う、私も手伝うから、小さい子に食べさせてあげて」
「私は切ってあげる、小さい子が自分で切れなかったら私が切ってあげる。
残したら代わりに食べてあげるから、食べさせてあげて」
「僕は料理はできないけど、食べさせてあげる。
食べ残したら代わりに全部食べてあげる」
ああ、もう、今日なんて日だ、こんなに泣かされるとは思っていなかったよ!
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