叔父さんと姪
第13話:孫の将来・高井波子視点
息子夫婦と連れ合いを交通事故で失くしてしまった。
元々神など信じていなかったが、神などいないと改めて思った。
何にも頼らず、私の力だけで、たった一人残された孫を育てるのだと決意した。
幸いなどとは口が裂けても言わないが、息子夫婦も夫も生命保険と自動車保険に入っていた。
追突事故を起こした奴も自動車保険に入っていた。
向こうの保険屋とこちらの保険屋が、談合して保険金を安くしようとしやがったので、地区の国会議員さんに頼んで優秀な弁護士を紹介してもらい、訴えた。
知人の整骨院院長から、本来なら自賠責保険や自動車保険を使わなければいけない交通事故を、被害者と加害者を言い包めて国民健康保険を使っていると聞いていたので、その点をついてやったら、一般的な保険金額の倍支払うと言ってきた。
そんな事もあって、残された孫の隆志を育てるお金には不自由していない。
お金には不自由していなかったが、心配だったのは私の寿命だった。
健康には気を付ける心算だったが、何時何が起こるか分からないと、息子夫婦たちの交通事故で想い知った。
身贔屓ではないが、隆志は祖母の私が独りで育てたにしてはとても良い子だ。
朗らかで屈託がなく、いつも周りに友達があふれていた。
友達たちもとても好い子ばかりで、テレビで騒いでいるような虐めなんて、孫の周りには縁のない話だった。
だけど……この世の中に神様はいない、断言する。
この世界にいるのは悪魔と悪神だけだ、この世界には神も仏もない。
隆志が5歳の時に、難病の筋ジストロフィーだと分かった。
デュシェンヌ型と呼ばれる、遺伝子が悪くなる病気だそうで、5000人に1人の男の子が発症すると言われた。
5000人に1人なら、家の隆志でなくても好いじゃないか!
それでなくても隆志は不幸に襲われているんだ!
何で二度も不幸に襲われなけりゃいけないんだ!
大病院の先生に何度も頭を下げて、最新の治療をしてもらえるように頼んだ。
地区の国会議員にも頼んで、先進治療が受けられるようにしてもらった。
息子夫婦と夫の保険金を全部使ってでも隆志を治す心算だった。
幸いな事に、筋ジストロフィーは色々な補助が下りると言われた。
臨床試験に協力するなら、最新の治療を受けられるとも言われた。
……だけど、最新の治療をしているのに、良くならない……
最初に説明された時に、2歳から5歳で筋力が低下して、11歳から13歳で歩行が困難になり、20歳から40歳で心不全や呼吸不全で死んでしまうと言われた。
11歳になった隆志は、言われていた通り車椅子無しでは歩けなくなった。
神も仏もいやしない、私しか隆志を守ってやれる者はいない。
そう思って、石にかじりついてでも隆志より長生きすると誓った。
神や仏ではなく、亡くなった息子夫婦と夫に祈った。
なのに、死なないために受けた検査で、心臓弁膜症だと分かった。
まだ早期だが、放って置くと徐々に悪くなり、いつ死ぬか分からないと言われた。
隆志を残して死ねない、だから早いうちに手術を受ける事にした。
医者の未熟やミスなんかで、隆志を残して死ぬ訳にはいかない。
国会議員を含めた伝手を全て使って、日本一の先生に手術してもらう事になった。
同時に、神も仏もいない世界では、どれほど善行を積み重ね、どれほど気を付けても、不幸に見舞われると分かっているから、死んだ後の事も真剣に考えた。
私が元気な間は、保険金目当ての腐った親戚連中を隆志に近寄らせないようにしてきたが、私が死んでしまったら、ハエのように群がってくるのが目に見えていた。
だからといって、普段立派な言動をしている議員や弁護士も信じられない。
そんな連中が、後見人になった障碍者のお金を使い込んだ話をよく聞く。
普段は良くしてくれる近所の人たちも、目の前に大金をあれば邪になる。
順調に暮らしている間は良心に従えても、何か追い込まれるような事があれば、大金に目が眩んでしまうのが人間だ。
手術に踏み切るまでに、安心して隆志を任せられる人を見つけたかった。
民生委員の橋本昭次さんなら信頼できるが、残念ながら私よりも10歳も年上で、とても隆志を任せられる歳ではない。
思い悩んでいる内に、児童公園で子供連れの若い女性に言われた事を思い出した。
困っている所を子ども食堂の人たちに助けてもらったと言っていた。
駄目元で、藁にも縋る思いで、橋本昭次さんに子ども食堂を調べてもらった。
橋本昭次さんの調べてくれた話は、信じられないくらいの美談に満ちていた。
実際、余りにもうまい話なので、信じられなかった。
橋本昭次さんの言う事でなければ一笑に付していた。
年齢不詳の五姉妹が交代で女将を務めている事も、連れ合いが五人ともやくざ顔負けの大男な事も、口が悪い事も、八尾で生まれ育った私には怖くもなんともない。
怖かったのは、余りにも評判が良過ぎた事だ。
今も神も仏もいないと思っているが、あの時はもっと心が荒んでいて、余りにも良い評判を素直に受け取る事ができなかった。
だから、橋本昭次さんに頼んで子ども食堂を試すような事をした。
まだ手術日も決めていないのに、直ぐに手術するように言ってもらって、隆志を預かってくれるように交渉してもらった。
この世界には神も仏もいない、それは間違いのない事実だ。
ほとんどの人間が身勝手で、他人を踏みつけにしても欲を満たそうとする。
だけど、極稀に、とても思い遣りに満ちた人がいる、それが分かった。
「おはようございます、朝御飯を二人前お願いします」
「波子さん、隆志君、おはよう、小上がりで食べな」
隆志の車椅子を押して子ども食堂に入ると、白子さんが元気な声をかけてくれる。
五姉妹は瓜二つで、髪を染め分けてくれているから辛うじて誰なのか分かる。
今朝は白髪に染めた白子さんが朝の当番だった。
「「「「「隆志君だ」」」」」
「おばあちゃんは先に小上がりに上がって」
「隆志君、一緒に食べよう」
「トイレだいじょうぶ、先に行く?」
先に小上がりに来ていた子供たちがいっせいに話しかけてくれる。
事情があって家で寝られない子が、子ども食堂で寝泊まりしていると聞いている。
隆志が二カ月弱ここで暮らした時に仲良くなった子供たちだ。
その時に色々手伝ってくれたから、隆志の事を分かってくれているのだろう。
車椅子に乗る隆志がトイレで困らないか心配してくれている。
「大丈夫だよ、来る前にしてきたよ」
「そっか、だったら一緒に食べよう」
「うん!」
もう何をしても大丈夫だと思うのだが、白子さんたちに言われて、家では料理をしないようにした。
台所はガスを使う仕組みなので、料理中に心臓に何かあったら、火事につながってしまう。
IHに改築するくらいのお金はあるし、卓上のIHを買えば済むのだが、ここに来る子供たちとも仲良くなった方が良いと言われたのだ。
両親を失った隆志に家庭料理を食べさせてあげたいと思って自分で作っていたが、ここで作っている料理を食べてみて、意地を張る事はないと思えた。
「今朝は肉野菜うどんだ、その御櫃にご飯が入っているから好きなだけ食べな」
「ありがとう、いただきます!」
「いただきます」
「僕がよそってあげる」
「私よ、隆志君には私がよそってあげるの」
「じゃあ僕はおばあちゃんの分をよそう!」
先に小上がりにいた子供たちが競うようにお世話してくれる。
大人たちが何も言わないのに、隆志が急にトイレに行きたくなった時の為に、小上がりの一番奥にあるトイレに近い食卓を空けてくれる。
隆志が小上がりに座るのが苦手なのを知っていて、車椅子のまま食べられるように、食卓を通路の方に寄せてくれる。
四郎さんが運んできてくれた熱々のうどんには、甘く煮られた牛肉と野菜が、普通の食堂では考えられないくらい沢山入っている。
1つ入れられている卵が、生卵や煮卵ではなく甘く煮たポーチドエッグなのは、割れ卵を使っているからなのだろう、寄付される食材の事は聞いている。
肉と野菜と卵だけでも、男茶碗二杯は白御飯が食べられるが、他にも色んな野菜のピクルスと糠漬けが添えられていて、幾らでもご飯が食べられる。
「朝しっかり食べないと体育も勉強もできないよ。
うどんも肉も野菜もお替り自由だから、お腹一杯お食べ」
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