第1話 ある柔術家

ここに2人の人間がいる。方や190に届くほどの大男。その体格は熊にも似て、あらゆる物が小さく見える。


方や身長は150弱の少女。肩幅も狭く華奢。全く同じ道着を見ても体格の差は明らかだ。


子供と大人。パッと見ではそう見える。そんな2人が今戦おうとしているのだから驚きだ。



「いつでも……」

「お言葉に甘えて」


先に仕掛けたのは男の方。棒立ちの少女の襟首を掴んだ――。


「ぬぅん――!!!」


気合一閃。手は男の真上を通過し、狐の軌道を描きながら地面へと叩きつけられる。



――が、そこには何もない。掴んでいたはずの道着もなく。傍から見れば、男がただ腕を地面に叩きつけているだけ。


男も驚いていた。来るはずの感触もなく。来るはずの衝撃もない。ならば空になったこの手以外に、少女はどこへ行ったのか。



答えは単純。その場から動いていない。少女は背を向けている男の軸足を軽く蹴飛ばした。


倒れる男に流れ込むように潜り込み――足へと座る。



ミシッ。


男のアキレス腱を締め上げる。


「っっっ――――!!??」


アキレス腱は人体の弱点。それはどんな大男とも変わらない。


固定された脚を締め上げるだけなら体格差も関係ない。肉体のハンデなど差にすらならない。比べくもない体格差はむしろ逆転し、少女を大きい存在へと変えた。




「もうやめてやれよ姉ちゃん」


静止。声に反応した少女は締め上げるのを辞め、立ち上がる。


「――はい!私の勝ち!今日のお昼ご飯代よろしくぅ!」

「酷いっすよ師範!本気出さないでくださいよ!」

「本気じゃないと意味ないでしょ?」


未だ痛みに悶える男に少女は言い放つ。さっきまでの大きなオーラはどこへ。少女は外見相応の見た目と雰囲気へ戻っていた。


「あんまり虐めてやるなよ」

「いじめてないもーん。むしろ私がいじめられそうだったし」

「はぁ、ったく――」




――黒木花音くろきかのん。年齢は21歳。若くして両親を亡くし、現在は弟の蓮花れんげと2人で道場を経営している。


立ち技、絞め技、関節技、投げ技。あらゆる局面に対応した多彩な柔術が特徴の『黒木流柔術』の使い手であり、強さは少女の見た目ながら一級品。男に引けを取らない――どころか、大男すら花音の前に屈服するほどの強さ。あらゆる柔術の大会を総ナメしている『可憐の天才』だ。




「――はいそこ!もっと腰落とす!」


その強さは有名であり、道場には男女年齢問わず多くの人たちが来ている。


「姉ちゃん。武さんから野菜貰ったよ」

「そこ置いといて」


両親が死んでいるということもあってか、この道場にお金以外も寄付されることが多い。それは花音の優しい人柄があってこそである。


「強くて優しくて慕われてて可愛い……私ってば完璧だね」

「なに1人で言ってんの」


事実である。この街1番の愛されっ子は、今日も今日とて日常を過ごす――はずだった。





「――それとさ姉ちゃん。なんか――とんでもない手紙が来てる」

「手紙?」


真っ赤な封筒。一時期に貧乏だった頃のトラウマが蘇り冷や汗が流れる。


「催促……状。わ、わわ、私お金ちゃんと払ってるよ!」

「違う違う。それじゃない。でももっと偉い人からだね」

「偉い人――?」


封筒には『義真廻楽』と名前が書かれてある。


「義真――って、なんかでっかい会社の社長じゃなかったっけ!?」

「確か色んな金融企業の親会社……その社長だったね」

「なんで!?なんでそんな人が私なんかに!?」

「さぁ?とにかく見てみようぜ」




『賞金は1000億。最強に成る気があるのなら来い 黒木花音へ』




封筒の中身はそう書かれた手紙と謎のチケットだった。


「……誰かのイタズラだろ」


蓮花はそう言う――が、花音の目はキラキラと宝石のように光っていた。


「最強……最強!いい響きだね」


金ではなく、『最強』という文字に。花音は惹かれていた。嬉しそうに。恍惚とした表情で。花音はニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る