「炯ぃぃぃぃ! いやぁぁぁぁぁ!! こっち向いてぇぇぇぇぇ!!」

「見たぁ! いま目が合ったぁぁぁ! ぎゃぁぁぁあぁぁ!!」


 甲高い雄叫びが空高く響く。

 すさまじいその高音は、基地中の建物の窓をビリビリと振動させそうなほど。

 鼓膜に突き刺さる黄色い歓声に向け、炯は慣れた様子で手を振っている。

 同じステージにいながら、慣れないチェルはその後ろに所在ない思いで立っていた。


(ホントすごい人気だなぁ……)


 ウィレム・ブラクモアの奪還を目的とした自由騎士党フリーナイツによるテロ攻撃、および彼らに扇動された一部兵士による蜂起から三ヶ月。


 基地内は、一般向けのイベントを開催する余裕がようやく戻ってきたところだった。

 戦場に散った英雄を偲んで改称されたノエル・ザキ基地では、本日メインゲート付近の広場を開放して新兵募集の広報イベントが行われている。


 参謀本部のいかめしい建物を背景にした広場には、場違いなほどポップに飾り立てられた特設ステージが設置され、大勢の若い客や、子供のいる家族連れなどが詰めかけていた。

 希望者の殺到することが予想されたため、客は抽選で招かれているらしい。


 周囲にはたくさんの出店が並んでいたものの、詰めかけた人々の注意はステージ上の一点に向かっている。――レックス・ノヴァ亡き今、他の追随を許さない勢いでランキング首位に君臨する新たな英雄、炯・フェンリルへと。


 隊長専用機を奪取されたダブルナイン小隊は解体された。

 ダブルナインの後継機を新たに開発中とのことだが、完成までには時間がかかるはずだ。

 その間はおそらくアレイオンの独壇場だろう。

 元々高い彼女の人気は、今やとどまるところを知らない勢いだった。


 チェルはステージの中央から、その下に居並ぶ観客へと目を移す。

 そこでは目を輝かせた炯のファンが、彼女のひと言ひと言に逐一悲鳴を上げていた。

 質疑を担当する司会者が、それに負けじとマイクの声を張り上げる。


「はい! 今日このイベントは、一般市民の皆さんと軍人われわれの距離を、少しでも縮めようという趣旨で催されているわけですが、ご来場いただいた皆さんに何かメッセージはありますか?」


 質問に、炯はにこやかに答えた。


「もちろん、いつも応援をありがとうってことだね。あともうひとつ。常々考えているのは、ここにいる皆と、できればステージの上と下じゃなくて、同じ場所に立つ関係で会いたいなーって」


 とたん、高い歓声が湧き上がる。

 きゃぁぁぁぁぁぁ……!!

 わざとらしいまでにあざとい炯の返答を、司会者が具体的に解説した。


「なるほど! この場にいる皆さんも、入隊すれば基地内でフェンリル少佐と顔を合わせる機会に恵まれるかもしれないということですね!? ものすごくうまくいってパイロットになれれば、まさかの同僚に! という可能性も出てくるかもしれませんよー!」


 その光景を夢想したのか、またしてもファンの歓声が高く響き渡る。

 炯はそれを煽るように、甘く声をひそめた。


「それだけじゃない。運のいい子は同室になるかもよ? ――ねぇ、チェル?」


 炯がこちらをふり向いて手を差し出してくる。


(キター……!)


 チェルは目をつぶった。

 ステージの下に集っているファン達から、ギリギリギリ……と歯ぎしりの音が聞こえてくる。

 神経まですりつぶされてしまいそうな音に青ざめた。

 本当はこんなところに来たくなかった。けれど上からの命令で行けと言われたのだ。――炯の言う通りにしろと。


「チェル?」


 再度うながすように手招きされ、渋々前に進み出る。


「そちらがフェンリル少佐のルームメイトになったというブロッサム少尉ですね!? どういった経緯があったのか、訊いてもいいですか!?」


 明るく訊ねる司会者に向け、炯はうれしそうに応じた。


「アレイオン小隊に入ってきたとき、チェルはすごい人見知りでね。打ち解ければもっと仲良くなれそうなのにって思って、アタシから誘ったの」


 言いながら、炯はチェルの肩に腕をまわしてくる。


「わぁ! フェンリル少佐から誘ったんですか~。うらやましい! それで? 仲良くなれたんですか?」


 司会者から無邪気にマイクを向けられ、チェルは顔をぎくしゃくとうなずいた。


「ぼ……ぼちぼち……」

「ね? つれないんだ、彼女。根はいい子なんだけど」


 ほっぺたを近づけてそう言った炯が、チェルの頬にちゅっとキスをする。

 とたん、ステージ下でどよめきと雄叫びが上がる。


「ぎゃぁぁぁぁ!」

「いやぁぁっ!」

「やめてぇぇぇぇぇ!!」


 断末魔の叫び声に恐れおののきながら、チェルは泣きたい思いで声を押し殺し、ささやいた。


「……炯! そういうのは止めた方が……っ」

「そういうのって?」

「だから、そういう悪ふざけ!」


 笑顔を引きつらせながら訴えるルームメイトの耳元で、炯は「ふふふ」と意味ありげに笑う。


「あんたがそれ言う?」

「え?」


 観客に向けて笑顔で手を振りながら、炯は、意味がわからず目をしばたたかせるチェルに、ちらりと視線を流してくる。



「航空宇宙局内のシステムに侵入してデータを改ざんする悪ふざけしてる人がさ」



 ともすれば聞き逃してしまいそうなやわらかい声で、彼女は言った。

 ぎくりと心臓がこわばる。


「――え……?」


 どきどきと騒ぎ出す鼓動を感じながら、チェルは必死に動揺を押し殺した。


「……何のこと?」


 そ知らぬフリで訊き返すと、炯は声をひそめてささやいてくる。


「見くびっててごめんネ。あんたはすごい子だわ。……気がついた時、本当に感心したんだよ」

「……だから……何の、話――……」

「誰にも悟らせないように、誰よりも鋭い牙を隠し持ってる。好きだな、そういう子」


 そして彼女は、何もかも見透かしたような目を、チェルに向けてきた。

 その瞬間、あきらめとともに悟る。

(知ってるんだ。私のやってること――……)


「ちがうの、炯。わたしは……っ」

「そんな顔しなさんな。責めてるわけじゃない。それどころか褒めてるんだから」


 からかうように言いながら、彼女は喉の奥で笑う。

(――――……っ)

 今のところは見ないフリをしてくれるようだ。

 そう知って、チェルはホッと息をついた。

(でも気をつけないと……)


 もっと慎重にやらないと。炯にも、これ以上は悟られないように。


「ナイショ話ですか? 本当に仲がいいんですね。妬けちゃいます~!」


 明るい司会者の声に、ギクシャクとした笑顔を浮かべる。

 レックスはバカだ。連邦軍にひとりで立ち向かうだなんて。

 おかげでいまやパクス連邦の全域で追われている。

 しかし――全軍をあげた捜索にもかかわらず、発見には至らなかった。


 軍はウィレム・ブラクモアの被占領地クライスへの求心力を危険視し、お得意の情報操作によって、極悪非道な過激思想の持ち主――世界平和の敵に仕立て上げた。

 ノエル・ザキ率いるNGOを、冷酷無比な海賊に仕立て上げたときと同じように。


(英雄になったり、世界の敵になったり……いそがしいね)


 そして古い英雄は過去の引き出しにしまわれ、いま世の中は新しい英雄に熱狂している。

 チェルはその傍らで、『炯のルームメイトにして、唯一心を許すクールな友達』っていう役柄を与えられ、カメラの前で彼女からほっぺたチューやハグを受けては連邦中の女の子達からの射殺しそうな嫉妬の眼差しを受ける日々だ。

 一介の兵士だった頃に比べて待遇は格段に良くなり、生活も以前ほど悪くなくなった。


(レックス。今どうしているの……?)


 彼の手を取り損ねたのは偶発的な成り行きのせいだったけど、後悔はしていない。

 今はここに残ってよかったと思っている。


(レックス――)


 あんなことしなければ、一緒にここにいられたかもしれないのに――。

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