その光景を目にしたとき、チェルは恐くてたまらなくなった。

 テクノノートを収容する格納庫の屋上からは、処刑の舞台である輸送機だけでなく、人々のつめかけた広場までも一望できる。

 屋上に出たのは自分で思い立ってのことだ。


 指揮官として単独でかり出された炯は、いつでも出撃できる状態で待機しているよう、アレイオン小隊に指示を残していった。

 いつ誰にやられたのか――殴られたような口元の痣を痛そうに手で押さえながら、「ウィレム・ブラクモアの処刑が何事もなくすむとは思わない」と言って。


 そんなわけでチェルは、自分の機体ガルムを起動させた後、それをメカニックにまかせて、ひとり屋上に上ったのである。

 そして輸送機を見上げる人々の、殺意あふれる罵声と怒号を直接耳にし、こぶしを振り上げる様を間近に目の当たりにするはめになった。


 空気を震わせる憎悪の念に血の気が引き、それからふいに気づいた。

 レックスはチェルのために、ここまでの犠牲を払ったのだと。


『もうここには来ないでくれ』


 乾いて冷たかったあの言葉は、もしかしたら拒絶ではなく、チェルを巻き込むまいと考えてのものであったのかもしれない。

 彼を罵倒し、責める大衆を目の当たりにして、ようやくその可能性に思い至った。


(レックス……なんでそんなに、わたしのことばっかり――)


 不思議だ。チェルは彼のために何もしていないのに。

 どうして彼はチェルのためにそんなに一生懸命になってくれるのだろう?


「レックス――……」


 巨大な格納庫の屋上から輸送機を振り仰げば、開かれたままの貨物扉の中が、かろうじて見て取れる。

そこには貨物扉にしがみつくレックスの姿があった。

 そして《・・》されたようとした、まさにその瞬間、彼と目が合ったような気がした。

 いや、目が合った。


「レックス……っ」


 見ていられなくなって建物の中に戻り、格納庫へと降りていく。

 その階段の途中で、突然、警報音アラームが高く鳴り響いた。

 不安と焦りを誘う大きな音に、きょろきょろと周囲を見まわす。


(――なに? 何かあったの!?)


 駆け下りて行ったところ、巨大な格納庫の中はパイロットやメカニック達が足早に行き交い、短い指示や報告が飛び交う、緊迫した雰囲気だった。

 チェルは自分の機体ガルムへと走り、ケージの階段を駆け上って起動済みのコクピットに飛び込む。

 急いで公共通信オープンチャンネルを開くと、怒鳴るような声で、断片的な情報がひっきりなしに響いていた。


『輸送機より通信! 船内で異常が発生した模様!』

『異常とはなんだ!』

『通信途絶しました! 輸送機が制圧された模様!』

『くり返す! 輸送機が複数の人員に制圧された模様!』

『輸送機、上昇していきます!』


 レックスのいる輸送機で何かが起きたようだ。しかし詳細は分からない。


(レックスは!? レックスは無事なの……!?)


 心配を押し殺して耳を澄ませていると、ダブルナイン小隊の副長であるダグラス・ドナート中尉の演説が流れ出した。

 そしてそれに賛同する兵士の歓声と、制止する兵士の怒号が混ざり合い、通信チャンネル内が混沌とする。


 コクピットのホログラム・モニターを多数展開すると、そのうちの一枚に、ダブルナイン小隊の面々が連携し、輸送機をかばうように戦列を組む光景が映し出された。

 それらを束ねるように、真ん中の一機が指揮を執っている。

 察するに、あれがドナート中尉の機体だろう。


『反逆だ! 基地各地で被占領地クライス出身の兵士達が味方への攻撃を始めた! 至急応援をよこしてくれ!』


 切羽詰まった報告と同時に、同時多発的に基地のあちこちで銃撃や爆発の音が発生した。

 どうやらドナート中尉に味方する被占領地クライス出身の隊員達が、いっせいに反旗を翻したようだ。


 各所で赤い炎と黒煙が上がる。時折、散発的な銃撃の音まで響く。

 混乱する味方の通信をよそに、レックスを乗せた輸送機はみるみるうちに高度を上げていった。

 そうはさせじとばかり、地上にいた警備のテクノノートが上空の輸送機を銃撃する。


「やめて……っ」


 思わずそんな悲鳴がもれる。

 折しも公共通信オープンチャンネルの中では、ちょうどレーヴィ大佐がレックスを説得しているところだった。


『レックス、私達を敵にまわすつもり?』


 まるで彼の理解者ででもあるかのように、彼女は優しく諭しにかかる。


『バカなことは止めて。ねぇ、レックス。話し合いましょう? 思想矯正がいやなの? なら他の方法を考えてもいいわ。私達は、あなたの力を必要としているというだけなのよ』

『本気で話し合うつもりがあるなら、配置につけているテクノノート部隊を今すぐ下がらせろ。時間稼ぎをしてるだけって、気づいてないとでも思ってるのか?』


 あっさり見抜いたレックスに応じたのは、自分と同じくらいの少女の声だった。


『はぁぁぁん!? ヒーロー気取っちゃってバッカじゃないのぉ!? あんたのおかげでアタシまでいろいろ取調べされて、ほんといい迷惑! 代わりにあんたぶっ倒して手柄立てさせてくんないかなぁぁ!?』


『お、おぅ、マノン。……今日も絶好調だな』


『アッハハハー! だまって聞いてりゃおもしれぇ! 被占領地クライス出身のカス共が調子づきやがって笑えんだよ! きっちり教育してやるぁらぁぁあぁっっ!』

 少女の声は、可愛らしいぶん奇妙な凄みがある。


 チェルはごくりと唾を呑み込んだ。そうしながらも複数のセンサーで地上の状況を把握する。

 基地内では、複数箇所ですでに交戦が起きていた。

 広場を埋めていた人々は逃げまどい、基地正門のあたりで大混乱が起きている。


 炯がいつものように、小隊全機に向けて無造作に声をかけた。

『アレイオン小隊、手柄を立てるチャンスだよ』

『オォウ!!』


 すでに格納庫の外へ出ていた機体ガルムの隊員達が、意気軒昂に唱和する。

 チェルもあわててハッチを閉ざし、後を追った。

 炯はなおも機嫌良く続ける。


『ダブルナイン小隊はもう終わり。これからはあたし達が日の目を見る番だ。……そうでしょ? レーヴィ大佐』

『……そのようね』


 不服そうな声に、炯はくつくつと笑う。愉快でしかたがないとでも言うかのように。

 それを遮る形で、レーヴィ大佐が『でも……』と切り出した。


『ひとつだけ気になることがあるんだけど。――ブロッサム少尉』


 突然名指しで呼ばれ、チェルはあわてて返事をする。


「――えっ? はっ、はいっ……!」

『今朝、あなたに関して情報局から変な報告が上がってきたの』

「変な報告、ですか……?」

『そうよ。数ヶ月前の古いものとはいえ、あなたとあのウィレム・ブラクモアが街中でデートしてる映像が、あっちからも、こっちからも』

「あ…――――」


(どうしよう……っ)

 心の準備をしていなかったタイミングで急に訊ねられ、言葉に詰まった。


『ったく最近のガキぁこんな時勢だってのに色気づきやがって』


 ぶつぶつとこぼす大佐の声から、なんだか黒いものがにじみ出している。

 チェルの代わりに、炯があきれたように混ぜ返した。


『それがどうかしたの? 映像見ながら、うらやましさにヨダレたらしたの?』

『だ・ま・り・な・さ・い。フェンリル少佐』

『でもうちの隊員だしね。アタシの頭越しに何かされんのは困る』

『私が知りたいのは、彼女は我々の側につくかどうかってことよ』


 いらいらとした口調で言った後、レーヴィ大佐は語調を改める。


『ブロッサム少尉。報道カメラの前ではっきりとウィレム・ブラクモアを撃破するために、我々に協力する気がある?』

「……どういうことでしょうか」

『あなたは彼がやろうとしていることを知っていたの? 彼があの騒ぎを起こしたとき、あなたも何らかの協力をしたの?』

「――――……」


 通信上の簡易的なものとはいえ、それはれっきとした尋問だった。ひと言まちがえれば、一瞬にして人生を変えてしまうこともありうる類の。

 チェルは緊張にくちびるを引き結んだ。


――この状況じゃ、アイツを見放したとしても、逃げることにはならないよ。


 ひるみそうになる心を、炯の言葉にすがって何とか奮い立たせる。

 堂々と、はっきりと言え。

 自分の立ち位置は自分で示さないと。


「――いいえ、わたしは何も知りませんでした」


 冷静に聞こえるよう、チェルは極力感情を排して答えた。


「確かに彼とは、二人で会う程度の知り合いでした。でも反逆なんて考えたこともありません。そもそも彼が怪我をしてからは、ほとんど会っていません」


 胸が痛い。

(でも本当のことだもの……!)


 父親、母親。それに学校の友だち。

 ここに来るために引き離されたものに思いを馳せる。

 こんなところで、自分の意志でない成り行きで反逆者になんかなりたくない。

 いつになるかわからないけど、いつか――また故郷に帰りたい。

 うつむきがちだった顔を上げ、チェルは背筋をのばして言葉を紡ぐ。


「すべてブラクモアが勝手にやったことです。私は関係ありません」


 自分の誇りをねじ伏せるようにして返答すると、レーヴィは納得するように息をついた。


『……そう。ひとまずその言葉を信じましょう』


 その言葉を受けて、炯が指揮官の声で鋭く号令をかける。


『アレイオン小隊全機、これより総力を挙げてウィレム・ブラクモアを捕獲する。脱走兵を、あるべき末路に追い込め!』


 士気に満ちた短い返答と共に、各々の役割を全うするべく全機が素早く散開した。

 しかしそのとき――レーヴィ大佐が舌なめずりする口調で言う。


『でもまぁ、ひょっとするかもしれないから。やっぱりその子、ためしに餌にしてみない?』


 いやな予感に、チェルは背筋があわだつのを感じた。

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