3章 作戦決行 1
『わたしは死にたくないし、人を殺すのも絶対にいや……!』
言ってもしかたのないことと分かってて、レックスに言葉をぶつけた。
まさか彼がそれを真に受けて、何とかしようとするなんて思ってもみなかった。
昨日から自分を苦しめる胸のモヤモヤに、チェルは足元をにらみつけながら訓練棟を歩いていた。
つい半年前までは平和な辺境コロニーで普通に暮らしていた。なのに突然家族から引き離され、軍での生活を余儀なくされた。
早朝の起床に始まり、消灯の時間まで、まるで囚人のように厳しい訓練と任務が課せられる。自由な時間はほとんどない。
いやだと言うことは許されず、少しでもなまけたり、逆らったりすればどなられ、罰が与えられる。体罰だってめずらしくない。
それでも、一万歩ゆずってそこまでは我慢できた。
耐えられないのは、戦場に引っ張り出されて、人の命を奪う行為を強制されること。
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ……!
ここに来てからずっと抱き続けている、その思いを目に見える何かにぶつけなければ、心が折れてしまいそうだった。――だから『レックス・ノヴァ』を恨み、憎んだ。
両親が方々からお金を借りてまで作ってくれた逃亡のチャンスを、目前であっさり潰してくれた、パクス連邦の鼻持ちならない人殺しを!
なのに、知らないうちに本人に出会っていただなんて。おまけに――……
「はぁ……」
(お父さんとお母さん、どうしてるかなぁ……?)
チェルの父親は、軍の辺境の基地で働く、テクノノートの保守管理を手がける技術者だ。
両親は共働きで、小さい頃チェルの子守をするのは父親の役目だった。職場に連れて行き、テクノノートのコクピットに座らせておけばご機嫌だったらしい。
大きくなるとチェルはテクノノートに乗りたがり、パイロット達のひざに乗せてもらう形でよく試乗した。
門前の小僧で、知識だけは技術者顔負けだったチェルは、初めてでも立派な操縦をしてみせた。以降、ちょっとしたテストなどは、チェルが担当することを黙認されるようになった。
やがて本職のパイロット達が色々と教えてくれるようになり、上達するのがうれしくて訓練施設に入り浸り――
(……バカだった――)
いま考えると、それは完全に軍の思惑だった。
ようするに彼らは、早くからチェルに目をつけていたのだ。
招集状が来て、初めてそのことに気づいた。
「――レックス……っ」
彼を恨みたい。悪いことは全部、あの人のせいだと思いたい。
だからもう二度と会いたくなかった。
会えば、彼が悪い人間ではないことを思い出してしまうから。
(――なんで?)
なぜ彼はあんなふうに、チェルのことに一生懸命になるのだろう?
(嫌なことばっかり言ったのに……!)
自分なんかを助けるために、彼は恐ろしい賭けに出ようとしている。
『おまえ、ここから出ない?』
(出たいよ。当たり前じゃん!)
もしそうできれば、両親はきっと喜ぶだろう。この間電話をしたとき、彼らは泣いていた。娘が無事でいるのかどうか、確信の持てない毎日がつらいと言っていた。
(脱出して、ポリスに亡命して、お父さんとお母さんを呼んで、また一緒に暮らしたい。普通に暮らしたい……!)
でももう遅い。
自分はここでの生活になじんでしまった。仲間もいる。
足早に歩いていた訓練棟の廊下の先に、大きな時計があるのが目に入った。
まるでチェルに選択を迫るかのように。
『明日、
『出発の二十分前に、
今は出発の三十分前。ここから
レックスの指示に従うのであれば、今すぐこの場を抜け出して、待ち合わせ場所に向けて全力で走らなければ間に合わない。
今がタイムリミットだ。
行くか。否か。
「――――……っっ」
意を決して、チェルは床を蹴った。
自分だけ助かるんじゃ意味はないなんて戯言だ。どんな御託を並べてもあきらめきれない。それが本音。
力の限り走り出す。自由へ。誰かの命令で人を殺さなくてもいい生活へ。
だが、そのとき。
――――! ――――! ――――!
基地中に臨時招集のアラームが鳴り響いた。
あらゆる人員へ、直ちに持ち場に戻るよう告げる警報だ。
(こんなときに……!?)
敵の襲来か、あるいはそれを想定した訓練か。
何にせよ、これを耳にした場合、基地内にいる人間は自分の職務を果たすべく迅速に行動しなければならない。
(うぅん、かえって好都合……っ)
みんなが浮き足立つこの状況でなら、誰にも見とがめられずに
そう考え、チェルは走る足に力を込めた。
しかしその瞬間。
「チェリー・ブロッサム少尉!!」
背中に、鞭のような声が飛んでくる。耳になじんだその声に、チェルは思わず足を止めた。
「どこ行く気?」
軽やかな――けれど逆らうことを許さない、威圧的な声音で訊ねられ、身体が凍りつく。
まさか。まさかまさかまさか。
動揺のあまりうまく動かない身体で、ぎくしゃくとふり返る。
そこには思った通りの人物がいた。
まるでチェルがそこを通ることを予期していたかのように、壁によりかかり、腕を組んで。
相手は、癖のある茶色の髪を揺らして小首をかしげる。
赤いピアスが鮮やかに目に焼きつく。
チェルはあえぐように、か細い声でうめいた。
「隊長…………」
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