1章 オレが英雄でよろしかったでしょうか 1

 イヤホン越しに、車の急ブレーキが聞こえたような気がした。

 ふり向いたのと同時に、何かがありえない勢いで全身を強く打つ。

 痛みより、身体中に響き渡った、スイカの割れるような生々しい音に気が遠くなった。


(ダメだ、オレ――――――――死んだ)


 人生最期の瞬間に浮かんだのはそんな言葉で。

 意味のあることを考える間もなく、ただただ何が起きたのか分からない混乱の中で、意識が強制終了される。

 けど、そのとき。


『死にたくない。死ねない』


 自分のものじゃない声を、途切れたはずの思考がとらえた。


『いまは死ねない。絶対に―――――チェル……!!』


 どうしても。

 何が何でもここを生きのびなくては。

 自然の摂理に逆らってもこの世にへばりつこうとする、がむしゃらな執念。

 それが、死にものぐるいの、竜巻みたいなうねりになって襲いかかってくる。

 オレを選んだっていうよりも、藁にすがろうとして、たまたま手につかんだのがオレだったって感じ。


 ようするに、何かにとっつかまったオレの意識は、わけが分からないまま否応なくその中に引きずり込まれていき、そして――――――


   *


 ぱかっと目を開けると、視界一面が白っぽかった。

 そのままぼんやり瞬きをくり返すうち、白い天井と、周りに置かれた計器の輪郭が、じわじわと浮かび上がってくる。

 病院っぽい場所だ。


 しばらくボーッとしてると、だんだん意識もはっきりしてきた。

(え、すげぇ。……オレ、助かったんだ?)

 記憶は、通学中におそらく事故に遭ったところで途切れている。

 絶対死んだと思ったんだけど……


「ん……っ」


 手と足と、身体のいろんなとこに力を入れて、試しに起き上がってみる。

 と、高い電子音がして、病室にバタバタと人が入ってきた。

 この状況で駆けつける人間なんて、看護師と親くらいしか心当たりがない。

 けど、やってきたのは予想と大きくちがう二人だった。


(――何だ、こいつら……!?!?)


 両方とも外国人。おまけになんかコスプレっぽい軍服を着ている。

 片方は、金髪碧眼ですんごい美人の、胸の大きなお姉さん。

 もう片方は、ふわふわした薄茶色の髪の毛をツインテールにしてくるくる巻いた、まぁまぁかわいい女の子。

 美人のお姉さんは三十代くらい? のような気がする。女の人の歳ってよく分かんないけど。

 女の子はどう見ても十代。


(な……っ)


 ナイストゥーミーチュー!

 言うべき言葉を頭の中で思いっきり空回りさせていると、目をうるうるさせてた女の子が、両腕を広げていきなり抱きついてきた。


「レックスぅ! 目を覚ましたぁ! よかったぁぁぁ」

(のえぇぇぇぇっ!?)


 知らない女の子にひしっとしがみつかれ、目を白黒させる。

 次いで美人のお姉さんが、呆然としてるオレから女の子を冷静にひっぺがした。

 さらにそれを突き飛ばすようにして押しのけ、俺の顔をのぞき込んでくる。


「レックス。具合はどう? あなた二週間も意識がなかったのよ?」

 目の前にせまる真っ赤なくちびるに目がちかちかした。

(何なのこのシチュエーション???)


 自分を落ち着かせるため、ひとまずスーハーと深呼吸する。

 それでは質問です!

 何でこの外国人達、あたりまえのように日本語を話してるんだ?

 ていうかレックスって誰? そもそもこいつら何者? ここはどこだ? うちの親は?


 無数の疑問符が、頭の中に湧いては消えていく。かててくわえて。

 絶対にこんな場所知らないって自信あるのに、頭のどこかで何度かここに来たことがあるって感じるのはなんでだ?


 さらに向こうの鏡に映ってる、なんかぼんやりしてる様子の、同じ年くらいのやつは誰だ?

 なんで見たこともない顔のそいつは、オレがおそるおそる右手を挙げるのと同じように手を挙げる?


(んなアホな――……)


 摩訶不思議な事態に、ただただ呆けて、ゆっくりと辺りを見まわした。

 ここはオレの知らない世界で。オレはオレの知らない誰かで。そしてみんな、オレじゃない人間としてのオレを知ってる。


「でもオレ……レックスじゃない、し……」


 動揺を引きずりながら言うと、美人のお姉さんが眉を寄せた。


「レックスじゃない? じゃあ誰だっていうの?」


 何言ってんのこいつ? と言わんばかりの反応に途方に暮れる。


「オレは――……」

(オレは群雲翔むらくも かける。東京に住む高校一年生)

 そんな、ごく当たり前のことに自信がなくなってきた。


 毎日学校に行って、オタク寄りとはいえグループの中に属してる。休み時間だって恐くない。

 家にいる時は大体マンガを読むか、ゲームをするか。

 実はロボットアニメが好きで、見た後はゲーセンに行って、主人公になりきってポッド型のアーケードゲームに挑戦する。――そして自分がニュータイプでも何でもない凡人だってことを思い出す。


 ごく普通の十六歳。それがオレ。……のはず。

 ぐるぐると混乱を極める頭の中で、必死に現状の把握を試みた。

(可能性として考えられることは、だ)


 一。これは、やたらリアルな夢。

 二。めちゃくちゃ独創的な死後の世界。

 三。タイムスリップした。

 四。異世界トリップした。


「――――――……」


(いや、オレだって信じねぇよフツーなら!!!!)


 自分の予想に、盛大にツッコむ。

(ていうかフツーに考えて現実じゃないだろ。夢だろ明らかに。落ち着けオレ)

 異様にリアルなのが気にかかるが、そもそもこれはきっと長い夢だ。絶対そう。

 最初の動揺が収まってくると、少しずつ気分も落ち着いてきた。

 とすると、いまオレがやんなきゃならないのは、なるべく早くこの現状になじむこと。


(……やべぇ、むしろワクワクするかも……)


 幸い異世界トリップものなら、今まで読みこんできている。せっかくおもしろい事態に陥ってんだから、めいっぱい楽しもう。


(よし、見せてやる。現代日本のゆるオタ高校生の環境適応能力の粋を……!)


 というわけで、これまで見たり読んだりしてきたコンテンツを思い返し、傾向と対策を考え、その結果やっぱ一番無難な策としてアレのふりをする。


「記憶喪失ぅ?」


 まぁまぁかわいい女の子――マノンは、オレの言葉にこてんと首をかしげた。

「あぁ、……何にも全然、覚えてなくて――」

 困り果てた感じの演技で言うと、二人は納得顔を見せる。

「まいったわね。まぁ死なないでくれただけ、ありがたいんだけど……」

 隣に腰を下ろしたお姉さんが、オレの頭をなでなでぽんぽんした。


 その説明によると、『オレ』の名前はレックス・ノヴァ。十六歳。

 鏡に映る顔は、西洋人になったこと以外、いままでのオレとほとんど雰囲気の変わらない普通の子供だった。

 人が大勢いたら真っ先に埋もれそうなモブ顔なんか、泣けてくるほどそっくりだ。


 とはいえ――ただの子供に、こうも顔面偏差値の高い知り合いがぞろぞろいるはずもなく。

 外見だけ見れば地味なことこの上ないレックスは、その実、モブとは対極にいる人間なんだそうな。


「レックスは英雄なのよ! 宇宙中の人があなたに憧れてるんだから!」


 マノンは顔を輝かせ、弾んだ声でそう言い切った。


「……英雄……?」

「そ、パクス連邦軍きってのエースパイロット♥ この間、戦闘中に集中攻撃受けてちょっと大変だったんだけど――」

「待て待て待て。意味わからん。もっと最初からプリーズ」

「はぁ? 最初って、どこからよぉ?」


 甘えた声で、マノンが薄茶色のくるくるツインテールを揺らす。

 そんな彼女に、基本的なことから色々質問を重ねた結果、オレはいま、宇宙空間に建造された人工植民衛星――いわゆるスペースコロニーにいると知って、感激のあまり鼻血を噴きそうになった。


(すげぇ! マジか! そっかー。ここがコロニーなのかぁぁぁ……!)


 興奮と共に、きょろきょろと周りを見る。

 言われてみれば天井には照明がなく、天井そのものが光っている。

 どんな仕組みかは分からないけど、ロボットアニメ好きとしては、ときめきが止まらない。


「世界観はわかった。で、舞台の設定は?」

「舞台?」

「あ、や、どんな国があんのかとか……、戦争してんのかとか……」

「戦争? あるある。ふたつの国があってね――」

「正確には、『多くの国がふたつの陣営に分かれている』のよ」


 主観的なマノンの説明と、冷静なお姉さんの補足とをまとめると、こういうことだ。


 21世紀末。人類はそれまでSF世界の話でしかなかった宇宙進出を飛躍的に拡大させた。月や火星に都市を造り、あるいはスペースコロニーを次々に建設した結果、当然国家レベルでの利害の衝突がたくさん起きて、宇宙規模の世界大戦が勃発。その過程を通して世界には新しい国際秩序が構築されていった。


 新しい秩序の柱は、大きく分けてふたつ。――都市国家ポリス同盟と、統一和平パクス連邦。

 ポリス同盟は、世界の三分の二くらいの国とコロニーが所属する超国家的な国際機関で、パクス連邦は、残りの三分の一によって構成されている巨大な連邦国家だそう。


(――ふむふむ)


 で、『レックス・ノヴァ』はパクス連邦側の人間なわけだな。

 さっき聞いた話を思い出しながら、頭を整理していく。


「そのふたつってどうちがうの?」

「どうって……全然ちがうわよ!」


 きっぱり言いきりながら、その続きが出てこないで視線をさまよわせるマノンに冷たい目を向け、金髪のお姉さんが口を開いた。


「ポリス同盟は民主的なシステムなのに比べて、パクス連邦は元首オーバーハウトを頂点にした独裁制なの」

「ど、独裁制……?」


(それって悪いもんじゃなかったっけ?)

 学校でそう習った気がする。


 けど、マノンとお姉さんの態度に、暗そうな感じはカケラもない。

 彼女達に言わせると、民主的だっていうポリス同盟は、所属する国々が自分の利益だけを追求しようとするせいで、いつも意見がまとまらないらしい。

 それに比べてパクス連邦は、上下関係がはっきりしてる分、はるかに秩序だっている。

 数で勝る同盟と渡り合えているのも、元首オーバーハウトを頂点に国がまとまっているから――


「そんなわけで戦争も、両者ゆずらずって感じで何十年も続いているのよ」

 からっと明るく言ってのけ、マノンは人差し指を立てた。

「で、レックスはそのパクス連邦軍側の『テクノノート』のパイロット。えっとぉ……さすがにテクノノートはわかる?」

「特殊装甲機動兵……」


 つぶやいたとたん、脳裏に巨大な人型ロボットのイメージがリアルに思い浮かんだ。

 ロボットアニメでは定番の、人が乗って戦うアレだ。


「覚えてるのね、よかったぁ! ……何か思い出した?」

「……少しだけ」


 正確には『思い出した』というのとは少しちがう。

 説明を聞けば聞くほど、オレは自分が知るはずのない情報を『知ってる』ことに気づいた。


(なんだこの記憶……?)


 頭の中に、自分でない人間の記憶がある。

 たぶん、言葉が通じるのもそのせいだ。


「ショックで記憶が混乱してるみたいね。でもこの様子なら時間が解決してくれそう。目は覚ましたものの廃人、なんて事態になんなくてよかったわー」


 美人のお姉さんが、なにげに恐いことを言って晴れやかにほほ笑んだ。

 ちなみにこの厚化粧のお姉さんは、『記憶』によるとベアトリス・フォン・レーヴィ大佐。

 レックスの直属の上官で、十年以上も絶賛婚活中。でも一度も結婚の話が持ち上がったことはないらしい。……なに、この人の情報で一番大事なのそこなの?


 ともあれ。

(で、ここはコロニー内にあるパクス連邦軍の基地――の中にある病院か……)


 ようやく少しずつ自分の置かれている状況がわかってきた。

 マノンは、レックスが率いる小隊に所属するパイロット。つまり部下だ。

 疑問を持って探れば『記憶』はいくらでも応えてくれた。


 レックスの所属は、軍内に数多くあるテクノノート部隊の中でも、最精鋭と言われる特殊作戦群装甲機動師団。そして二年前、ずば抜けた戦績を買われて小隊の隊長に抜擢された。

 もちろん史上最年少。階級も、十代では異例の大尉。


 そんなこんなの情報を『記憶』から引き出し、ほぅ……、とため息をつく。

 つまり何か。

 オレは世界の三分の一を支配する大国の英雄で、ロボットアニメに登場するようなアレに乗ることができて、現実世界では視界にも入れてもらえなさそうなカワイイ子が、「いつでも彼女にして?」って目で猛烈にアピってくるわけか。


 いや、なんていうか、もう――


(オレすげぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!!)


 心の中で、そう絶叫する。

 まさか自分が生きている間に、このセリフを現実に使う機会があるなんて思ってもみなかった。


 夢のような夢への感動に打ち震える俺の前で、マノンが虚空に向けて指を動かす。

「これ読めば何か思い出すかも……」

 そう言いながら宙で操作したのは、こっちの世界の携帯端末だ。


『記憶』によると、いろんな形があるらしい。女の子はアクセサリー、男はイヤーカフとか腕時計の形のものをつけていることが多い。


 意志を持ってふれると目の前にホログラムのモニターが展開して、視線でアプリが選べるってことだった――ふむふむ。

 実際、マノンの前にはホログラムの画面が浮かんでいる。

(かぁっけぇぇぇ……!)


「何なの?」

 レーヴィ大佐の問いに、彼女は何かのページを開きながら返した。

「女の子向けのオシャレ情報誌です♥ 今月はレックスの特集記事があるんですよぉ……――あ。あった、これこれ」


 ウキウキと言って画面を見せてくる。

 そこでは絵に描いたような金髪の超絶美少年が、さわやかなほほ笑みを浮かべていた。……え?

 画面の隅々までよく見たものの、モブ顔はどこにも見当たらない。


「どこ?」

「これこれ」


 軽く言い、マノンは美少年を指さす。その下には確かに「レックス・ノヴァ」と名前がある。

 その瞬間、オレは腹の底から思いきりツッコんだ。


「顔ちがうじゃん!!」


 と、反対側にいたレーヴィが、ベッドの傍らから何かぺらっとしたものを手に取る。


「いやだわ、忘れちゃったの? これ」


 ゴムっぽい素材でできたそれを目にすると、『記憶』がその正体をオレに告げる。

 光学マスク。

 つけると、あら不思議――自分とちがう顔になれるっていう仮面だ。


 長引く戦争からみんなの意識をそらすため、軍の上層部は常々、国民のハートをわしづかみするような英雄を欲していた。

 そこに現れたのがレックス。天才の名にふさわしい十六歳。

 パイロットとしての才能と実績は申し分なかったものの、いかんせん顔が地味だった。


(そんでこれをつけさせられてたってわけか……)


 気の毒に。全世界のモブ顔を代表して言わせてもらおう。はてしなく余計なお世話だと。


「これ、つけなきゃダメ?」

「あたりまえじゃない! 人間見た目が九割九分九厘。いくらパイロットとしての腕が突出してても、顔が地味じゃ人気なんか出ないわよ!」


 どきっぱりとしたレーヴィ大佐の答えに、しぶしぶマスクをつけてみる。

 そして鏡を見た、そのとき――ぬれた手でソケットをさわったときみたいな、ビリビリとした激烈な感動に胸を灼かれた。


(こ、これは……!!!!)


 雑誌に載ってる超絶美少年が、目の前にいる。

 オレが笑うと美少年も笑い、けだるく髪をかき上げると同じようにかき上げ、片目をつぶると同時にウィンクする。


(まちがいない。いま鏡に映ってるのはオレだ。にわかには信じがたいけど……!)


 白皙の肌、すっと通った鼻筋。涼やかな目元に甘い口元。きらびやかな金の髪(これは地毛だ)に縁取られた顔を、ウットリかつほれぼれと見つめた。


「すげぇー……」


 全世界のモブ顔の皆さん、これつけるべき! 人生変わるぜマジで!

 諸々の感情をかみしめてぎゅっと目をつぶったオレに、マノンが声をかけてくる。


「ちょ、レックス。……大丈夫?」

「大丈夫。……顔がいいことの感動を心ゆくまでかみしめてるだけ……」


 鏡をこんなに愛しく感じるのは初めてだ。

 ちなみに『記憶』によると、この光学マスクは製作にべらぼうな金がかかるため、庶民に手の届く代物じゃないらしい。けど有名人には、多かれ少なかれマスクの着用疑惑があるってこと。

 元の世界で言うところの整形や豊胸疑惑みたいなもんか。


 何はともあれ、この世界設定はすばらしすぎる。

 どんな成り行きでオレがここにいるのかは分かんないけど、なんならずっとこのままでもかまわないかも。

 ……これまで何の変哲もない日常に埋もれていたオレは、にわかに降ってわいた非日常的な出来事に心を浮き立たせ、あっという間に夢の世界に夢中になった。

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