二枚目

 あれは十四歳の夏だった。僕は中学生で、君は高校生だったね。

 その頃の僕らの娯楽は、外で遊ぶことよりも、エアコンの効いた僕の部屋でやるスマブラで、その実力は拮抗していた。


「ハル、もう一戦! 次こそアイスクライマーで勝つ!」

「次で決着ね。ネス使っていい?」

「いいよ!」


 十年間熟成させたワインのボトルを、未だに開けられずにいた。ただ肩書が変わっただけの関係値に妙に固執していたのは僕だけで、爆発しそうな思春期の情動を制御するには時間をかけすぎた。そして、何より焦りを感じていた。


「亜貴ちゃん、次の試合で決着つけよう。その代わり、一個お願いあるんだけど、いい?」

「ハルがあたしに? 珍しいじゃん。どした?」

「そろそろ告白オーケーしてくれない?」


 君は僕の二の腕を無言で軽く握ってから、コントローラーを握り直したね。


「真剣勝負ね。お互い手を抜かない!」


 僕が圧勝した。僕は視線をテレビから君へと移した。

 家族は皆外出していて、今この場にいたのは、僕たち二人と飼っていたジャンガリアンハムスターだけだった。僕の熱を察してか、ハムスターは回し車をひたすら回転させていた。ホイールが空回りする音と、エアコンの微かな駆動音。僕はコントローラーから手を離して、喉の渇きを潤すためにサンペレグリノを一口飲んだ。


「さすがに三回目にもなったら、ちゃんと答えは聞かせてほしいんだよね」

「三回も告白されたっけ? 懲りないねぇ……」

「割とお互い様じゃない? 助かるけど」


 既に君の背は抜いていたね。立ち上がれば僕は君を見下ろせた。


「あなたのことが好きです。これまでも、多分これからも。だから、付き合ってください」

「……これさぁ、関係の呼び方が変わっただけじゃない? オーケーしても、断っても、二週間くらい経ったらまた一緒に遊んでるんだし」

「じゃあ断る理由なくない?」

「……それもそうか。わかったよ。じゃあ、それで。どうせ、やる事はなにも変わらないでしょ?」


 受け入れられた実感は後からやってきた。意を決した告白そのものに対する回答は煙に巻き、君は僕の提案になし崩し的に従った。今の関係性に名前が加わっただけの、そんな進歩。その小さな変化が、僕にはひどく大きなものに思えたのだ。

 守るだとか、幸せにするだとか、そんな殊勝な言葉は嘘になるから言えなかったし、言っても気持ち悪がられるだろうと思った。


 愛されたかった。

 自分が向けている想いに釣り合うほどの愛を返してほしかった。それは僕にとっては言葉で、行動で、自らの欲望を赦されることだった。


 それから一年経って、僕たちの関係性は何も変わらなかった。当時の僕がそれを良しとしているわけがなくて、何度もアプローチを繰り返し、その度にいなされ続ける日々だったね。

 僕は君から「好き」という言葉を引きだそうとした。「嫌いではない」と返された。外堀を埋めようとしては逃げられた。

 あれは戯れ合いだったのかな、君にとっては。でも、十五歳の僕は真剣に君からの一歩を求めていた。物理的な距離では隣にいるし、スキンシップは取る。それでも、心の距離は縮んでいない気がしたんだ。


 季節が巡って春がきて、僕は地元を離れることになった。週一回は実家に帰るが、今までのように頻繁に遊ぶことはできない。それまでに進展をしたかった。今のままでは、ただ付き合っているだけの関係だ。その先に行きたい。急いた気持ちが心を突き動かした。


「あのさ、そろそろキスとかしたくて……」

「えっ、今?」


 切り出し方も下手で、風情もなにもなかったよね。なにしろボンゴレ・ビアンコを食べている時だったんだから。十分くらいは説得したかな。あの時は、情けなさより欲が勝っていたんだ。


「……んー、ちょい待ち」


 君はそう言って、僕の目をふさいだね。それから、僕の頬に熱が宿った。柔らかく、湿度を伴った、アサリみたいな温もりを感じた。後に残った吐息が耳に届き、心臓が跳ねた。


「……そこは唇じゃない?」

「とりあえず、今はこれで我慢して」


 今でもこうやって思い出せるほどに記憶に焼きついて離れないんだ。視界を奪われ、一瞬のうちに頬にキスをされる。主導権を君にゆだねる感覚が妙に癖になった。けれど、僕は気になって尋ねた。


「なんで?」

「これ以上は責任取れない」


 君の言う「責任」が何を指していたのか、今ならなんとなく理解できる気がするよ。あの頃の僕たちは、大人と子供の狭間にあって、二歳の歳の差はまだ大きかった。君が抱いていた十八歳の価値観でできる精一杯だったのかもしれないね。

 これは君なりにリードをしようと行ったもので、同時に「それ以上」を求める僕への牽制でもあったんだと思っているよ。


 その後も「責任」という言葉が服についたミートソースのようにこびりついて離れなかった。時折僕の頭を撫でるような仕草も、僕の重すぎる愛をかわしながら付き合いだけは続けていく態度も、何かに対する「責任」が付随しているのか。だとしたら、僕は君に無理をさせていたのかな。あのキスはただの親愛の表れで、それ以上の好悪はなかったのかな。

 そして、僕は選択肢を誤ったんだ。

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