殺し屋サチは舞台俳優の推し君と関わらざるをえない

みどりくま🐻‍❄️🌱

第1話 仕事と推し活

 サチは生まれながらにして殺し屋だった。江戸時代から代々続く殺し屋、トムロの家系で、生まれた時から他の人と違った生き方が定められている。《トムロの家の者は無感情であれ。》これがサチの家の教えだった。


 この日、サチは市庁舎の女子トイレにいた。手や顔に付着した赤黒い血をそばにあったトイレットペーパーで拭き取り流し終える。汚れた女性もののスーツから黒のトレーニングウェアへ着替えた。女子トイレの鏡に映ったのは無表情のサチの顔だ。淡々と仕事をこなし、息ひとつ乱すことすらない、冷徹な殺し屋の顔。

 手に持つスマホの電源を入れる。数秒間を置いてスマホは小さく震え、通知画面には「まもなくタローの配信がはじまります!」の文字。それを一瞥してトイレから非常階段へ。

「緒方市長どうしましたか‼︎ なにか凄い音が ……うわあああっ、死んでる⁉︎」

 非常階段で遠くに聞いたのは男の悲鳴だった。サチは振り返らず一気に1階まで駆け降り裏手のコンビニの前に止めていた原付に跨った。人通りの少ない路地を抜け、大通りへ。

 2キロ先の自宅兼拠点である単身者用アパートの前に原付をとめた。階段を駆け上がる頃には息が上がる。玄関の中に体を押し込んだとき時刻は20時。ワイヤレスイヤホンを耳に押し込んで、アプリを立ち上げれば軽快な音楽と共にタイトルコールが始まる。

「タローのゆったりタイムはじまりました!こんばんは〜タローです!」

 サチの小さなスマホ画面の向こうには端正な顔立ちを青年が笑顔を振りまいている。画面越しに映る青年、タローの柔らかく下がった目尻と綺麗に持ち上がった口角を見ると、同時にサチの鼓動は早まっていく。そのタローこそがサチの唯一無二の推しだった。


 サチが住まうのは単身向きの2階建ボロアパートでほとんどの音は筒抜けだった。下階には大家である老人の部屋から流れるテレビの音が漏れ聞こえたし、隣からは顔見知りのヤクザの生活音が時折聞こえてくる。年頃の女子が住まうには見窄らしい住まいだったが、サチの生活を邪魔する要素はひとつもなかった。

 春、快晴の朝は通勤と通学のため家を出る人々の気配がサチの住むアパートの周囲にあった。

 サチはこの日もカーテンで締め切った暗い部屋で過ごしていた。推しであるタローの出演した舞台のブルーレイディスクを小さなポータブルプレイヤーに挿れ、頭から布団をかぶりイヤホンを耳に差し込む。殺しの師である祖父から「イヤホンなんて周囲の気配が探れなくなるようなものを使うな」と言われていたがそんな言いつけにいちいち応じるような子供でもない。

 ポータブルプレイヤーから流れるオープニングBGM。カメラは舞台の中心に向いていて、タローはその右端に映っていた。サチがそれを視線で追う様は生まれたての雛が親鳥を追うようだ。じっとその手足の動きや表情を観察すれば自然と記憶に焼きついていった。


 ヴー、ヴー。サチの膝上にあったスマホが2度振動する。サチは至福の時間を中断されたことに眉を顰めてから重い腰をあげる。壁にかけていた、いくつか種類がある女子高生の制服から1着を選び袖を通す。隣県の商業高校の制服。そしてミディアムヘアのヘアウィッグを被り、紙マスクをつけ、玄関に転がる靴の中から茶色のローファーを選び履く。女子高生には似つかわしくないリュックを背負って、そして外へと静かに踏み出す。

 アパートの前には見覚えのある白い軽トラックが1台。その中からスーツ姿の初老の女が顔を出す。

「サチ、いくよ」トラックを運転するのはサチの母親だ。

 サチは「うん」と短く応答し頷いて軽トラックの助手席に座ると、軽トラックは山の方へと走り出した。


 軽トラックが市街地を抜けるより前にサチの母は仕事の話を始めた。サチはぼうっと車の正面を眺めたままそれに応対する。

「こないだの仕事は問題なし。不運な事故で片付いたみたい」

「うん」

「報酬はその封筒。仕事が早かったから色つけてくれたみたい」

「うん」

「それで次の仕事なんだけど。ターゲットの情報は……そう、その紙」

「うん」

「アンタが仕事した後、私が“掃除”に入るからあんまり汚さないようにしてちょうだい」

「うん」

「……返事がうんうんばっかりね、アンタ」

 サチの母に対するサチの返答は変わらず「うん」だった。サチの母は小さくため息を吐いてから話題を変える。

「っていうか。アンタさぁ、また隣のマンションのネット回線使ったでしょ。あちこちに痕跡残すのはやめろって言ってんのに」

苛立ち混じりにサチに言う。「うん」と素直に応じるかのようにサチは答える。それがサチの常套手段“従ったフリ”なのだとサチの母は理解している。

「……また、それだ。どうせ、例のイケメン。アイドルだっけ」

「いや、俳優」

 サチの返答にサチの母は鼻で笑った。サチの母はサチを挑発するように続ける。

「でも歌とかも歌って踊るんだからアイドルでしょ。顔でも売ってるわけだし」

「演劇舞台だけじゃなくてミュージカルもやってるから歌も歌うし踊る。顔でも売ってはいるけれど顔だけで売れてるわけじゃないし」

 抑揚のなかったサチの声に僅かな波を感じてサチの母はゾッとした。「オタクじゃん」茶化すようにサチに言えば、サチは「オタクかな」と自信なさげに答えた。


 ケラケラと笑うサチの母を横目にサチは手元の1枚の紙に目を通す。

 《今夜の仕事場所は◯◯県の中心地のホテル。夜にはターゲットが到着してホテルで1人になる。失踪扱いとするため遺体処分を希望。ターゲット詳細は……》

 山に向かっているのは山を越えた先の◯◯県を目指しているから。そして、さっきサチの母が話していた“掃除”というのは遺体処分のことだ。作業分担した方が良いだろうということらしい。サチの母が今日スーツを着ているのもホテル従業員になりすますためなのだと察する。

 サチは頭の中に情報を入れ終えるとサチの母の飲みかけのペットボトルのお茶の中に紙を押し込んで溶かした。サチが受け取る指示書はたいてい水に溶ける紙に書かれていた。

「アンタさぁ自分の飲み物で溶かしなよ。私のお茶もう飲めなくなったじゃん」

「うん、今度からそうする」

 ぐちぐちと飲みかけのお茶の恨み言を続けるサチの母の声に、サチはもう耳を傾けていなかった。

 サチの頭の中はそんなことよりも明日のことでいっぱいになっていた。明日はその◯◯県でタローが出演する舞台の地方公演がある。ひょっとしたら当日のキャンセル待ち券にありつけるかもしれない。キャンセル待ちの待機列はたいてい朝早くに形成するから、それに間に合うように支度をして向かえばいい。会場内物販を買い漁る軍資金もいまさっき手に入った。

 報酬の入った封筒を持参したリュックの深いところに押し込めると自然とサチの口元が緩む。それを横目で見たサチの母は絶句する。

「まさか、アンタ……笑ってんの。目がにやついてる」

「笑ってない」

 サチはいつもの抑揚のない声で否定した。

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殺し屋サチは舞台俳優の推し君と関わらざるをえない みどりくま🐻‍❄️🌱 @midori_kuma

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