第3話 真夏のトラウマ

 小学校に入学して初めての夏休み。私はかなり重症な夏風邪を引いた。症状としては風邪の症状に加え、腹痛と嘔吐を繰り返した。体調が悪いせいでせっかくの夏休みをほとんど家で過ごした。新学期になる頃には体調は回復していたのだが、腹痛と嘔吐がかなり苦しくその思い出が脳裏にこびりついてしまったせいで、ご飯を食べたらまた苦しい思いをする。という思い込みに支配されてしまっていた。お腹は空くものの、食事の時間が近づくにつれ不安に襲われ、食事を見たり匂いを嗅いだだけで食欲が消え食べることができなくなった。そのせいでどんどん体重が減り、同年代の平均体重より大幅に軽くなり皮膚から骨が浮き出た状態であった。栄養は点滴や栄養価の高いゼリー等でどうにか補っていたが、やつれていく娘を見て両親は酷く心配した。

 母は色々な病院を訪ねて周り、父は…少し心配が行き過ぎたのか、私がご飯を食べきるまで目の前で監視。食べられないようだったら無理にでも口に食事をねじ込む行為をしてきたため、母の前では少しなら食事が摂れていたのに父が休みの日に食卓を一緒に囲む際は口を開けることも困難になっていた。

 こんな状態であったため、新学期が始まることに不安を抱えていた。一番の不安は給食の時間である。

 1年生の教室は給食室と一番近い位置にあり、2時限目頃になると給食の香りが教室に流れ込んでくる。様々な食べ物の混ざった匂いでもうすでにこれから食事を摂らなくてはならない不安で、授業を受けるどころではない。今すぐにでも教室から逃げ出したい気持ちと戦う日々であった。

 私が通っていた学校の方針で、他クラスの担任が日替わりで給食担当になり児童と教諭の交流が図られていたのだが、若い教諭や優しい教諭は無理して食べなくて良いというスタンスだったのだが、年配の教諭は食事を残すことを絶対に許さず、残そうとすれば「飢餓で苦しんでいる人」の話を延々とする。それはこちらも十分わかっているが、食事が摂れなくて困っている目の前の児童に対してももう少し気を遣ってほしいと子どもながらに思っていた。というか、もともと少なめによそってくれれば良いものの、教諭が食べる量を全員に配膳し少なめにしてほしいという言葉も聞いてくれないため、出された大量の食事を目の前に体は硬直し冷や汗はダラダラ。怒られるから食事を口に運ぶものの恐怖と緊張で味なんて全く感じられず、異物が口の中に入ってきた感覚で今にも吐き出しそうになる。口にやっと含める量もスプーンの1/3程だが、そのペースでいると給食中に食べきれず、教諭に叱られながら泣く泣く残飯入れに流すか、昼休み返上で食べ続けた。(昼休み中に食器を給食室に持っていくと、今度は食器が片付かないと給食のおばちゃんに怒られる。)

 できることなら給食を完食したい。もっと言うと友達とお喋りをして楽しみながらも余裕を持って食べ切れるようになりたいし、食後のデザートジャンケンに参加したかった。

 大人になぜ食べられないのか問われるが、私はお腹が痛いからとしか言葉が見つからなかった。本当は全くお腹は痛くないし、むしろお腹が空いている。しかしなぜか食事を目前にすると食べられなくなるのだ。原因を解明するために大学病院で精密検査を受けるも原因は見つからず、もうこの状態がずっと続くと思っていた。

 ところが2学期の保護者面談をきっかけに状況が少しだが良い方向へ向かった。

母は面談で担任に娘の状態と何をしても治らないことを事細かく説明した。もう最後に頼れる人が担任だけだったため母も必死に話したと後日語っていた。母の話を一通り聞いた担任は思いもよらなかった言葉を返した。

 「僕も娘さんが給食を食べることが辛そうだということは見ていて感じました。せっかく学校生活を楽しそうに過ごせている様子なのに、給食だけが理由で学校を嫌いになってしまっては良くないと思います。確かに栄養面は心配ですが辛い気持ちが消えるまで給食前に帰宅するのはどうでしょう。勉強はお家でもできます。給食如きで苦労するのはもったいないですよ。」

 母はそんな方法をとって良いとは思ってもいなかったため、担任のその言葉を聞いてかなり救われたと言う。すぐに帰宅した母と私で話し合いが行われた。確かに給食の時間は苦痛だが、大好きな学校を途中で帰ることには抵抗があった。しかし給食を食べなくて良いというのはかなり安心する。そこで私はまた悩んでしまった。母は後日再度私の意見も伝えに担任と話し合いをした。その結果、食べられそうなもの1品を食べられる量だけ食べるということに落ち着いた。何種類もあるおかずを攻略することは大変だったが1品だけならなんとか頑張れる気がした。

 話し合いの翌日、担任は早急に全教諭とクラスに周知してくれた。はじめは1品でもきつい時があったり、厳しい教諭に小言を言われ以前と同じ量を食べさせられそうになったり、クラスの子には質問責めにあったりと色々あったが、以前より食べることへのハードルが低くなり給食の時間への不安も半減した。さらに心に余裕ができたおかげか、いままで食べることに全神経を向けていたのに、次第に食事をしながら友達と会話する楽しさを知ることができた。

 最初は1品完食を目指していた私だが、高学年になり成長期を迎えると食事に対する不安より、食欲の方が勝り全品完食できるまでに成長していた。さらには残り物のジャンケンに参加できるようになっていた。1年生の頃の私を知っている教諭たちの中にはこの成長に涙を流して喜んでくれた方もいた。

 あれから20年は経っているが、食事が怖いという気持ちは完全に消えておらず、はじめての飲食店や混んでいる飲食店では食べられない時がある。結婚前、主人とでかけた時はそのせいでテイクアウトのあるお店を探し回る羽目になったりと不便をかけた。しかし、昔より食事が楽しいと思えるようになり、その幸せから順調に肥えて言ってる。

 ほんの些細なことでトラウマは形成され、ほんの些細なことで克服できる事がある。囚われ過ぎず、少し考え方を変えるだけで解決に繋がることを身を持って経験した。

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