第二十九話 人生の『脇役』

「遅くなりました!」


 美術室はすっかり模様替えだ。システムデスクを幾つか入れて、パソコンやプリンターも置き、すっかり漫画家の仕事場チックになっている。


「出来たか!」


 そのシステムデスクの一つ……一個だけ別の方向を向いて『先生』っぽさをアピールした席に座ったベレー帽姿の部長は、俺の姿を見るなりそう言った。


「……まだです」


「まだか! ラストの台詞、どれだけ長台詞にしても精々二、三ページだろう! いつまで時間をかけるつもりだ!」


「仕方ないですよ。沢渡、すっかり部長の事意識しちゃってて」


「むう……自分で言うのもなんだが、結構ビックネームだな、私」


「局地的には、ですが」


「しかし……どうする? 流石にこのままでは製本まで間に合わないぞ? 最悪、お前ら三人をジャンプさせて『沢渡先生の次回作にご期待を!』エンドにするか?」


「連載漫画の打ちきりみたいですね、それ」


「もしくは『続きはWEBで!』エンドだな」


「どこのCMですか。イヤですよ、そんなの」


「私だってイヤだ」


 そう言って二人でため息。


「まあ私はただの漫画家だ。原作者が原作を作り上げるのをひたすら待つしかないな」


「部長が意見すれば、少しは事態が好転すると思いますけど……」


「揉めるだけだ。原作者と漫画家の仲がいいなんて、お話の中ぐらいのもんだ」


「そうなんですか?」


「クリエイターは基本的に我儘だからな。『俺の作品が一番面白い! ケチつけるな!』ぐらいの気概を持っているし、そうでないと一流のクリエイターにはなれないさ。子供と一緒だ」


「……部長、一流のクリエイターの素質がありますよ?」


「そうでもないさ。私は大人だ」


「どの口が言うんですか、そんな事」


「ふん。事実だ。私は……『諦め』が良すぎるんだよ」


 不意に、真面目な顔をしてそう呟く部長。


「『北川結衣はあれだけの才能を持っているのに、何でもすぐ飽きる』……ふん、飽きている訳じゃない。諦めているだけだ」


「部長?」


「人間はどこかで逃げ場を作る。『諦め』とか『妥協』とか……まあ、そういう物だ。自慢では無いが、私は何をやらしてもそこそこ出来る。しかもたいして努力をせずに、だ」


「……十分自慢ですよ。天才肌、って事でしょ?」


「器用貧乏なだけだ。本当の天才は愚直なまでにその道を突き詰める。オイラーは目が見えなくなっても数式を解き続けたし、モーツァルトは耳が聞こえなくなっても作曲を続けた。末期ガンで、文字通り、『命を削って』高座に立ち続けた落語家もいる」


「……」


「今上げた人間は良い意味で『子供』だ。それが好きで、好きで、堪らない。そういう人間でないと、結局の所大成しない」


「努力が一番、って事ですか?」


「いいや。努力している人間が必ず報われるとは言わないし、努力していない人間でも、潜在能力と運で道を切り開く者もいる。ただ、成功している人間の大多数は努力をしているし、努力をしていない成功者は本当の『天才』」」


 そう言って自嘲気味に笑う。


「残念ながら、私は『天才』ではないし、愚直なまでにそれにのめり込む事も出来ない。ただの凡人だよ、私は」


「……」


「……なあ、小太郎。最高の人生、とは何だと思う?」


「……いやに哲学的ですね。どうしたんですか?」


「茶化すな。良いから答えろ」


「何って……」


 言葉に詰まる。そんな難しい事、考えたこともねえ。


「オイラーは全数学者の憧れだし、モーツァルトは神格視すらされている。彼らは自身の進むべき道に一点の曇りも無く突き進んだ結果、人の人生に『影響』を与えられる程の人間になった」


「……」


「結局、それが悲劇であれ喜劇であれ、充実していても、いなくても、自分の人生の主役は何処まで行っても自分だ。今日、幕が下りるとしても、明日、幕が下りたとしても……或いは、昨日、既に下りていたとしても、その最後の瞬間まで、泣いても、叫んでも、その舞台から降りる事はない。否、降りる事は許されない。たとえ贅沢な暮しをしても……死んだ瞬間、舞台から降りる。無意味だな」


「……それは……じゃあ、部長の言う最高の人生って何ですか?」


「『他の人の人生において、どれだけ良い脇役になる事が出来たか』」


「……」


「某熱血教師では無いが、人は一人では生きていけん。ならば、多くの人に影響を与えて、多くの人に愛されて、多くの人の人生で重要なポジションを占めて……そして逝く時、多くの人に悲しんでもらえる。それが、最高の人生じゃないのか?」


 部長の言葉に頷く。俺がゲームが好きな理由の一つ。


 主人公は絶対、他の人に『必要』とされている。


 そのなんと羨ましく、なんと輝かしい事か。


 ぶっちゃけた話、俺が死んでも俺の代わりは腐るほど居る。絶対無二ではないのだ、俺なんて。もし、俺が今日死んだら……そら、親とかは悲しんでくれるだろうけど……それだけ。いきなりお日様は西から昇る事は無いし、犬が逆立ちする事も無い。


「私は天才では無い。多くの人に影響を与えられるような、そんな大それた器ではない。その事が分かっているから、何を始めても限界が見えるし、すぐに『諦め』られる」


 ため息一つ。


「そして、そういう自分に一番『諦め』ているのさ」


 沈黙。


無言の時間が流れる。


心地よい訳でも、さりとて不快な訳でも無い、今まで経験した事の無い沈黙。それは、俺が四年間の付き合いで初めて聞く部長の『弱音』だったからだろうか?


「……ふん」


 沈黙を破ったのは部長だった。面白くなさそうにそっぽを向き、カバンに手をかける。


「柄にもなくセンチな事を言ってしまった。まるで女子高生のようだ」


「……」


「そこは『アンタは本当に女子高生でしょうが!』と突っ込む所だろうが」


「……」


「……突っ込みも出来ないか。今日言った事は忘れろ。部長の命令だ」


「……はい」


「らしく無い事を言ったな。今日は帰る。お前も早く帰れ」


「……部長」


「……なんだ?」


「どうして……急に?」


「さっきも言ったが、柄にもなくセンチになったんだ。中等部から足掛け六年、優に人生の三分の一を過ごした学び舎を春には巣立つ。これが最後の文化祭だ。感傷的にもなるさ」


「じゃあ……なんで俺に?」


「さあな。たまたまそんな気分の時にお前が居たからだ」


「……」


「……或いは……」


「……或いは?」



「私は、お前の人生の『良い脇役』を務めたいのかも知れないな」



 部長の言葉を理解するまでに、少しの時間がかかった。


 俺の人生の『良い脇役』を務めたい。


『良い脇役』イコール、深い関係。


 俺は男。部長は女。


 男女の深い関係……




……恋人?



「ぶぶぶ部長!」


「何をそんなに驚いている?」


「な、な、何をって!」


「ふん。天英館の七不思議を知らないのか?」



『北川結衣が、中高併せて六年も美術部に在籍している』



「……」


「それが、一人の男の為なら……なかなか、ロマンチックだと思わないか?」


 そう言って悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる部長。やべ……可愛いんですけ――



「まあ冗談だが」



「冗談かい! 俺のドキドキを返せ!」


「なに? ドキドキしたか?」


「そ、そりゃ……しょうがないでしょ!」


「なんだ、それなら冗談なんて言うんじゃ無かったな」


「ぶ、部長。からかうのもいい加減にして下さい!」


「わかったわかった」


 そう言って、部長は扉を開け部屋の外へ。と、顔だけ室内に向ける。


「小太郎」


「何です?」


「私達、何年の付き合いだ?」


「四年ですけど?」


「なら、もう分かるな」


「……何がです?」



「私は……冗談は言っても、嘘は言わない」



 そう言ってウインク一つ。部長は美術部を後にした。



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