第八話 君は残念系美少女



「ふむふむ……なるほど」


 美術部の部室でもある美術準備室。扉を開けてその部屋に足を踏み入れると、そこではショートカットのメガネの女生徒が一人、パソコンの画面を喰い入る様に見つめていた。何やら机の上には『東大生が教えるデイトレード』や『十万円から始める投資信託』や『必携! チャート早読み術!』なんて本が並んでいる。


 ……断っておくが、ここは美術部だ。


「……何してるんですか、部長!」


「おお、小太郎! おはよう」


「おはようって時間じゃ……ってそうじゃなくて! 何してるんですが!」


「見て分からないか?」


「分からないから聞いてるんです!」


「デイトレードだ」


「……は?」


「だから、デイトレードをしているんだ。知らないのか、デイトレード」


「知ってますよ、デイトレードくらい! そうじゃなくて! 何でデイトレードなんてしてるんですか! もうすぐ文化祭ですよ!」


「まあ聞け小太郎。いいか? 今、この国はインフレになっているんだ」


「……そうなんですか?」


 そもそもインフレってなんだっけ? アレか? 物が高くなるってやつだっけ?


「そうだ。物価は爆上がり、今の詐欺みたいに安い銀行金利では物価の上昇率を賄えない。お前もお年玉やら入学祝なんかを定期預金という形で銀行に預けているだろう?」


「預けてますけど……多分」


 母親預金に預けているケド。きっと、俺の将来の為に貯めてくれているハズ!


「いいか? 仮にお前の預金が百万あるとしよう。このまま物価が上がれば、百万預けているお前の預金は十年後、実質百万の価値は無いという事だ! 要因はこれだけではなく、外国為替相場の影響や金・地金などの商品、それに小豆相場などの先物商品市場を総合的に勘案すると――」


「部長、ストップ」


 ……何を小難しい話をしているのだ、この人は。


「なんだ? 良い所なのに」


「もう少し噛み砕いてお願いします」


「株やら外貨やらで儲けたい」


「……」


「東京の一等地にオフィスを構えるくらいに」


 思わず頭を抱える。全く、この人は……


 この人の名前は北川結衣。天英館の三年生で、美術部部長。ユメの様な『綺麗』なタイプではないが、黙って立っていればまあ、美少女に入る部類。成績も悪くないし、美術部部長だけあって当然絵も上手い。


 何より特筆すべきは、その多趣味さ。その趣味の広さは殆ど冗談みたいで、アニメ、ゲーム、漫画、宗教、芸能人、政治、経済……と、まあ数え上げればきりが無く、何を始めてもあっという間にある一定のレベルに到達する、一種の『天才肌』。どれか一つに絞って打ち込めば物凄い境地に辿りつけそうなのに……残念なことにこの人、壊滅的に『飽き』っぽく、一つの事を継続して続けていく事はまず不可能という性質の悪い性格をしていらっしゃる。『北川結衣が、中高併せて六年も美術部に在籍している』というタダの事実が、天英館七不思議の一つに数えられているぐらいには有名な話。


 ……恐らく株やら為替やらも刹那的に初めて、刹那的に辞めていくのだろう。


「……とにかく、株でも何でも好きなようにしてくれれば良いですから! 取りあえず学校ではしないで下さい!」


「なぜだ? 折角、投資の面白さに目覚めた所なのに……FXで十万を十二万に増やしたんだぞ? 三日で百二十パーセントだ! このペースで行けば十年後には……」


 目を『¥』マークにしてそんな事を言う部長。うわー……イヤすぎるぞ、こんな女子高生。美人だけに余計に物悲しいんですが。


「……ねえ」


 くいくいと俺の袖を引っ張る感覚。ユメだ。


「……何だよ」


「この人、だれ?」


「……非常に残念だが、我が部の部長、北川結衣先輩だ」


「……小太郎、美術に興味無かったらモチベーションが下がるってさっき言って無かった?」


「……絵は、抜群に上手い。非常に悔しいが」


「……そんなんで良いの?」


「良くは無い。良くは無いけど……一応、先輩だから」


「……年功序列?」


「体育会系だからな」


「美術部はバリバリ文化会系じゃない?」


「精神の問題だ」


「……そう」


 納得したのか……それとも諦めたのか、ユメは残念そうにため息をつく。


「聞いてるのか小太郎! ……と、なんだ? その美少女は?」


 ようやくユメに気付いたのか、部長が興味深そうにユメに視線を走らす。


「あ、ああ。部長、この子は……」


「攫って来たのか? 自首しろ、今なら罪は軽くなるぞ」


「違いますよ!」


「なに? 違うのか!」


「その驚きは地味に傷つく! 貴方は俺をどんな目で見てるんだ!」


「だって……小太郎だぞ?」


「どういう意味だ!」


「どういうって……小太郎だぞ? 何をやっても一々地味だし、根性は無いし、いまいちぱっとしないし、美術の成績だけは辛うじて5だが、その他は3しかないような小太郎だぞ?」


「英語と世界史は4だ!」


「ほら、地味。5を取るほど優秀ではなく、さりとて1ほど悪くない。ギャルゲーでいうところの……そうだな、主人公の友人キャラ。いや、友人キャラですら無いな、モブキャラだ、モブキャラ」


「そこまで言います? 可愛い後輩を!」


「可愛い……? ……ふっ」


「なにその悟りきった表情!」


「……まあいい」


「俺は全然良くないわ!」


「一々話を逸らすな。落ち着きの無い奴だ」


「アンタが音を立てて話の腰を折ったんでしょうが!」


「とにかく、だ。その女の子は誰だ? 小太郎のコレか?」


「なぜ中指を立てる! そこは小指を立てろ!」


「小指? 小指は『彼女』の事だろ? 天地が引っ繰り返っても、小太郎にこんな美少女の彼女が出来るなんて有り得ない」


「バカにしてるのか! 俺だって本気を出せば彼女の一人や二人……」


「……出来るのか?」


「……」


「……本当に……出来るのか?」


 ……。


「……その話は置いておいてください」


「賢明な判断だ。私も、あたら優秀な後輩を失うのは惜しい」


 ……この展開、今朝も無かった? デジャブ?


「それで、その子は誰だ? まさか本当に小太郎の彼女とか言うなよ?」


「別に彼女じゃないですけど、その言い方はカチンと来ますね。この子は、俺のクラスに今日転校してきた、美術部の入部希望者ですよ」


「ほう。この季節の転校生も珍しいが、部員数三名のこの弱小クラブへの入部希望者はもっと珍しいな。君、前の学校では美術部に入っていたのか?」


 ユメの方に視線をずらし、問いかける部長。


「い、いえ。前の学校では帰宅部でした」


「なぜ美術部に?」


「えっと……その……小太郎が居たから」


「……」


「……」


「……」


 ギギギッと、油の切れたブリキ人形みたいに部長がこちらに顔を向ける。


「……小太郎」


「……なんです?」


「お前、この子に何をした!」


「な、何ですか急に!」


 目をくわっと釣り上げそういう部長。な、なんですか! この子に何したってどういう意味だよ!!



「こんな可愛い子が、小太郎が居るから美術部に入部するだと!? そんな事が有り得るか! 貴様、どんな弱みを握ってる! やっぱり自首しろ!」



 ……どんだけ失礼なんだ、アンタ!


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