第13話

「──おねえちゃぁぁんっ!」


 ドロシー亭に入るなり、テーブルを拭いていたルミアンがあたしに向かってきた。


 あのとき別れたのが十四歳。たった三年でこれ程女っぽくなるなんて。背もあたしを超えちゃたじゃないの。


「こらこら、そんなに強く抱き締めたら内臓が飛び出しちゃうでしょう」


 この甲殻の法衣でなければ抱きつかれた瞬間に肋骨やら背骨やらが粉砕していたことでしょうね。


「うわぁあぁぁんっ!」


 あたしの言葉など耳に届いてない。もう泣くので必死だった。


 しょうがないと諦め、ルミアンの亜麻色の髪を優しく撫でてあげた。


 ルミアンは人魔族とウインノス族との混血。決して交わることがないといわれた種族が交わった奇蹟の子。世界の根源たる『魔』と生命精力たる『氣』を持った究極の生命体。あたし以上に"狙われる存在"なのだ。


「ほんと、泣き虫なんだから」


「……ひっく……ひっく、ご、ごめん、なさい……」


 しばらくして嗚咽が治まってきた。


 胸に埋もれるルミアンに気がつかれないように右手を振りあげた。


 その向こうで驚くネルレイアーに微笑みを送り黙らせる。


 法衣と一体化した手袋が短剣と変化。そのままルミアンに突き放った。


 と、胸に埋もれていたルミアンが消失。そう理解すると同時に左の手袋を盾へと変化させた──とたん、凄まじいまでの衝撃がのしかかってきた。


 それをなんとか受け流し、短剣を一閃させる。が、そこにルミアンはいない。そう判断すると同時に法衣を甲殻化──した瞬間、またも凄まじい衝撃が襲いかかってきた。


 辛うじてルミアンの拳ぎ腹部に当たったとは理解できたが、それ以上はなにもできないままお店の外へと吹き飛ばされてしまった。


〈……生きてるか?〉


 天騎に答えてる暇はない。短剣を解き、真上へと甲殻線を放つ。しかし、予想は見事に大ハズレ。喉元にマグナの戦棒を突き突けられた。


「……ふふ。強くなったこと。全然敵わなかったわ」


 全てを解き、いつもの姿に戻った。


 甲殻鎧に変化させたルミアンも鎧化を解き、マグナの戦棒を服の下に仕舞った。


「いっぱい鍛えたもん!」


「うん。いい答えだ。ちゃんといいつけを守ってたようね」


「生きたければ油断するな。いっぱいタンコブを作ったもの」


「それでこそあたしの妹だ」


 妹という言葉に心から喜ぶルミアン。まあ、あたしも妹と呼べる存在がいてくれて嬉しいけどね。


 ……上は真面目な姉だらけ。下は生意気な弟だもん。こんな愛らしい妹がいてくれて嬉しくないわけないじゃない……!


「しかし、随分と変わっちゃったものね……」


 両隣六軒先まで建物がなく、綺麗に整地されていた。


「なにか嫌がらせでも受けてる?」


「ううん。なにもないよ。ただ、交渉役の人が時々くるくらい」


 おや。よくある土地の買い占めじゃないみたいね? ちょっと早読みし過ぎちゃったかしら……。


「ルミアンおねえちゃん。話は中でしたら。お茶淹れるからさ」


 というので店に入り、事情を聞くことにした。


 女1人で営む店だから二人用のテーブル四つといった小料理屋だ。そんな小さな店の小さな厨房でネルレイアーが手慣れた感じでお茶を淹れていた。


「えへへ。ネルの方が上手だから任せちゃったんだ」


 これじゃどっちが主だかわからないわね。


「それで、どういうことなの?」


「うん。なんでもこの一帯に百人くらい収容できる宿屋や大型雑貨屋を建てるんだって」


「なんとも壮大な計画ね。いったい誰がそんなことを?」


 この一帯を買い占めるだけでも凄いことよ。


「おねえちゃんも知っているでしょう。奇蹟の姫と剣姫だよ」


 その名に絶句した。


「……ほ、本当、なの?」


「うん。ほら、剣を抱く乙女と変な形の剣……なんていったっけ?」


「フィルティナの首飾りにエリオルの剣」


「そうそう、それ。その二人が直接交渉にきたんだ」


「…………」


 衝撃の大きさに体の力が抜けてしまい、テーブルに突っ伏してしまった。


 この世に有名人数いれど、奇蹟の姫と剣姫ほど広まっている者はいない。それこそ人路未踏の村まで轟いているくらいだ。


 しかも裏の世界でも有名で、あたし以上に暴れ廻っているのだ。


「あの二人なら凄まじいまでのお金を出してきたんじゃないの?」


「うん。土地代だけで二万タム。次のお店を建てる資金に五百タム。それまでの損失分で百タム。しかもお詫びで五十タムだって」


 即座に売るぞ、あたしならっ!


 奇蹟の姫はルミナス王国の第二王女でありながら稀代の冒険商人。その財は1国を凌ぐとさえいわれている。噂では帝都の一等地を即金で買ったというくらいだ。その姫さまが買うとなれば凄まじいとは思ったけど、二万タムはないだろう。あたしがここを買ったときは五千タムでおつりがきたわよ。商人なら相場って言葉くらい知っているだろうがッ!


「……よく、売らなかったわね……?」


「だってここはおねえちゃんがくれたあたしの居場所だもん」


 まったく、律儀というか献身というか、あたしに依存し過ぎよ……。


「お待たせしました。ドロシー亭自慢のコルドのパイ包みです」


 お茶と一緒にここらの山で採れる果物で作ったパイが出てきた。


 なんとも香しい……ん? この匂い、エンゼンの花の蜜じゃない?


「ネルが山で採って来るんだ」


 なるほど、ルミアンがウインノス族の肉体を持つようにネルレイアーも精霊エルフ族の体を持っている。ならば、希少な花を見つけるのも可能でしょうよ。


 パイの皮を破ると、今度はフーゲの葉の薫りが鼻孔をくすぐる。エンゼンと同様、山奥でしか生息しない貴重な香草だ。これを帝都で出せば十タムは取られるでしょうね。


「美味しいってこういうときに使うのね。双竜の我が家亭にも負けてないわ」


 帝都で奇蹟の姫が経営している店で、皇帝ですらお忍びでやってくる程、お菓子が美味しいところなのよ。


 あたしも何度も行ったけど、毎日長蛇の列でなかなか食べれないのよ。


 惜しい。実に惜しいわ。


 これだけの腕なら帝都でも奇蹟の姫の店でも働ける。あたしなら大金を払ってでも手に入れるわ。捨てるなど愚者……。


「おねえちゃん?」


 ふっ。いうにことかいて愚者ときたか。なんとも身勝手なものね。


 あの日、ルミアンの前から消えたのは戦いの日々を送らせないため。表の世界にいさせるためだ。なのに、あたしったらなんでここにいるのよ。この後のことが目に見えてるじゃないのよ……。


「ダメね。こんなんじゃ腐れがついちゃうわ」


「おねえちゃん、どうしたの?」


 フォークをテーブルに置いてルミアンを見る。


「ルミアン。あたしと一緒にくる?」


「うん! 一緒に行くっ!」


 即座に答えた。


 あの日、いわれる前に消えたのだから。


 目を爛々と輝かす横で静かに微笑むネルレイアー。聞くまでもないけど、自主性は大事だから聞いておく。


「あなたもくる?」


「はい」


 いい出したからには責任取れよ、バカなあたしよ……。

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