第26集 選ぶ道

 エデンとシナルの境界線の近くでは、未だ空霄こんしゃお湖光ふーがんの一騎打ちが続いていた。

 地上から空に向けて大きな水柱が立ち上がる。渦を巻いたそれが空霄を襲う。

 しかしその水柱の中からランチャーが発射されると、水壁に穴を空け湖光に襲い掛かった。思わず水晶すいちんが体でそれを受ける。

 見事に翼に命中するとバランスを崩し、飛行は歪な軌道を描きだした。

 「今だ」と天籟てんらいが水晶に向かい急接近する。水晶の背に湖光の姿を捕えた。

 空霄が飛び上がるとその手には銃が握られる。近距離から確実に湖光を狙う。降下しながら撃ち込んだ数発が鎖に当たり飛弾する。

 落ちていく湖光に手を伸ばす。もう少しで手が届きそうかと思った瞬間、背後から水渦が空霄を襲った。ゴボゴボと溺れそうになりながら必死に湖光の姿を探す。水晶が起こした水渦が現れたということは、今湖光は武器を手にしていない。

 波と水沫で霞んだ水の奥底に湖光を見つけた。

「天籟、頼んだ」と心で叫ぶ。水晶の異能である水の中にドラゴンを放つのはリスキーだった。自らが地の中に、火の中に放り込まれたらと考えれば想像は容易。それでも空霄の思いを受け取ったのか、手を離れた天籟がみるみるとドラゴンに変化し水渦を遡行する。

 徐々に湖光との距離を詰める。背後からは水柱の端が巻き込み出す。水晶が湖光の元に戻ろうとするのを感じ取る。

 ついに天籟の口先が湖光を捕える。そのまま水渦の外へ押し出すと、水を抜けた湖光と天籟が地面に転がり込んだ。すぐに空霄が湖光の上に落下すると覆いかぶさる。湖光の胸元を掴み上げ、銃を突きつけた。

「よーやくここまで来れた」

 息を切らした空霄が湖光を見下ろす。背後から襲い掛かろうとする水晶に人質を見せつけると、空霄を睨みながらも大人しくその場に留まった。

「その銃、まだ撃てるんですか?」

 水禍でダメージを受けているであろう天籟を見た湖光がニヤつく。

「こいつの体がダメになろうと俺は撃つ」

 空霄がトリガーに掛けた指に力を入れる。

「そんなにまで敵を殺したいんですか。パートナーを失くしてまで」

「今までならな。天籟ならそうしたって文句は言わねえだろうよ」

 湖光に突きつけた銃を降ろした。それを見た水晶が駆け付けようとしたが、湖光が制した。次に銃口を向けられるのは水晶かもしれないと警戒しての判断だった。

「そんなに言うなら早く撃てばどうですか?」

 挑発する言葉に空霄が顔をしかめた。ついには掴んでいた胸ぐらを手放す。

「エデンはコラプサー化計画を実行した」

 空霄の言葉に湖光が目を見開く。

「正確には、実行しようとしている。まだ成功の報告は入ってきていない」

 空霄は湖光の事を狡猾だのインテリもどきだの揶揄してきたが、その頭の良さは理解していた。だからこの時見せた湖光の皮肉な笑みがどういう意味を持っていたのかも、すぐに分かった。

「だから慈悲を掛けようとでも? 最後は仲良く握手でもしますか?」

 いつの間にか武器を手放していた空霄の傍に天籟がしゃがみ込む。体力を消耗しているのか肩で息をしながら項垂れていた。

「分かんねえよ、俺だって。別にお前を殺るのに躊躇いはねえ。これからも許せるわけはねえ。だけど大事な後輩が助けた命だ。それに意味があるのかと思っちまうんだよ」

 トボトボと歩いてきた水晶が湖光の傍にしゃがむ。

 先ほどまでの敵に対して、空霄も天籟も刃を向ける気はすでになかった。

「こちらの負けですね」

 水晶がにっこりと湖光に笑いかけた。

 水晶が立ち上がると空霄に向き直る。

「こんな勝敗の決め方があったのかと驚きました。しかし私たちはあなた方には謝りませんよ?」

「別に構わねえよ」と空霄が吐き捨てる。

「でも、私からは多少の謝辞を。湖光からは期待しないでください」

 そう言うと水晶が浅く頭を下げた。

 そんなやりとりを面白くなさそうに聞いていた湖光が口を開く。

「成功したかも分かってないんでしょ? これでなら貴方こそ狡猾なのでは?」

 その言われように空霄の顔に嘲笑が浮かぶ。

「するだろうよ、きっと。当分はてめえの顔を見る事がねえと思うと清々するわ」

「天籟」と叫ぶとスカイブルーのドラゴンが空へと舞い上がる。陽の光を集めたその姿は湖光に敗北感を覚えさた。

 負けを突きつけられたはずの水晶は、それでも満足そうな顔をしている。

 空霄たちが去っていくと、湖光の隣に腰を下ろす。

「あーあ、貴方をトップへと押し上げるのが異能としての最後の楽しみだったのになあ」

「諦めるには時期尚早ではないですか?」

 目を細めた湖光の横顔に水晶が首をひねる。

「赤のガキが寛宇がんうを倒せばトップも同然です」

「加勢する?」と水晶が目を輝かせる。

「運次第」と湖光がなだめると、つまらなそうにしながらも嬉しそうにする。しばらくの間、二人肩を並べ戦闘の跡地となったその場所に座っていた。



 グリファに赴いた雪蕾しゅえれい樹蓮しゅーりゃんを送り出したと同時に衛兵たちに囲まれていた。異能である琳琳りんりんが雪蕾から引きはがされる。体術には多少の自信があった琳琳も屈強な男たちに固められ、ここは抵抗しない方が賢明だと判断する。器にとっての弱点は見透かされている。

「彼女を手荒に扱えば私も大人しくしている保証はない」

「大口を叩ける立場か」と雪蕾の脇を固める男が煽る。雪蕾が脇差の鍔に親指を掛ける。しかし男の目ざとい視線にその手を降ろした。

「すまない。何もここで争おうというのではない。私は樹蓮を送り届けただけ。しかし報告義務がある。施設へ案内してくれないか」

 琳琳は捕えられたまま、雪蕾だけが研究施設へと通された。

 5人の衛兵に囲まれ、しばらく大人しく施設内を歩いていく。

「樹蓮が連れられた部屋というのは?」

「それは実験が終わるまで教えられない」

……」雪蕾が嫌悪感を含み、言葉を繰り返す。

「私はどこにいればいい」

「終わるまでは空き部屋にでも待機していてもらう」

「監禁か、なるほど」

「何」と衛兵が雪蕾を睨む。

「研究員から聞きだすしかなさそうだな」

「貴様何を!」と衛兵の一人が雪蕾を拘束しようとするや否や、雪蕾が脇差を抜き斬り捨てる。

「貴様あ!」

 他の男たちが雪蕾目掛けて飛び掛かる。

「安心しろ、峰打ちだ。斬ってはいない」

 しかし雪蕾の言葉を聞く者はおらず、それぞれが剣を振り回し襲い掛かる。衛兵は残り4人。雪蕾にとってその程度の人数は取るに足りない。あっさりと廊下に5人の体が倒れ込んでいた。

「なんだ、拍子抜けだな」

 背後から聞こえた声に振り向く。

「琳琳、うまく抜け出せたか」

「何の事はない。ただ、消えた人質を探しだしておるからな。事は急いだ方がよい」

 雪蕾が頷く。廊下の先に一部始終を見ていたのであろう研究員が腰を抜かし震えあがっている。座り込む研究員の傍に近づき声を掛けた。

「例の装置まで案内してほしい。大人しくしてもらえれば手荒な真似はしない」

 そう言いつつも握り締められた鞘は、いつでも刀を引き抜く準備が出来ていると物語る。

 しかし震え切った研究員は立ち上がる事も出来ない。これではいつ衛兵たちが集まって来るともしれない。次第に騒がしい声が近づいて来ると雪蕾にも焦りの色が見えた。

「ドラゴンだー! ドラゴンと黒い牙が攻めて来たぞ!」

 突然表の方から叫び声が聞こえた。叫び声にかぶせるように咆哮が轟く。建物の外にドラゴンが現れたのは明らかだった。瞬く間にグリファ内が騒がしくなり、衛兵たちが表へ駆け出してく。

海燕はいやんか」

 琳琳がその獣声に目を細める。

流涛るーたおが攻めて来たのか!」

 雪蕾が瞬時に刀に手を掛ける。しかしそれを琳琳が制した。

「いや、大丈夫だ。手薄になった今が好機。行こう雪蕾」

 琳琳がなかなか立ち上がらない研究員を無理やり引きずり起こす。

「お前には危害は加えない。だから早く案内しろ」

 赤く血走る目で誰かを睨む琳琳の姿を、雪蕾でさえ初めて見た。きっと海燕の咆哮が理由に違いない。自分の異能以外のドラゴンの言葉は分からない。しかし琳琳は海燕に思いを託された。言葉は分からなくても、パートナーの心を当てることなど容易かった。

「頼む」と雪蕾も研究員に告げると脇を抱え連れて行く。この機会を逃すわけにはいかなかった。


 おぼつかない足取りの研究員に雪蕾しゅえれいが問いかける。

「エネルギーを増幅させるという装置がある場所に樹蓮しゅーりゃんもいるのか?」

「い、いえ。このような事態を想定して、別の場所に」

 樹蓮と装置が一度に奪われるという想定だろう。

「それは好都合。私たちは装置にのみ用がある」

「へ?」と研究員から間抜けな声が漏れた。

 思わぬドラゴンの出現に施設内は静かだった。研究員たちは避難し、衛兵たちは総出で迎撃にあたっているのであろう。

「ここがコントロール装置がある部屋です」

 脅えながら研究員がそのドアを開ける。暗い部屋が薄ら青いライトだけで照らされている。中には養水が入ったフラスコがずらりとならんだ培養ケース、数字が流れ続けるモニターに、ゴウンゴウンと音を響かせる装置が並んでいる。

「案内ありがとう。最後に聞きたい。私たちは今樹蓮に注がれているエネルギーを制御不能にしたい」

 研究員の目がぎょっと開かれた。研究に携わっている者ならその意味はすぐに分かって当然だった。

「そ、そんなことをすれば、異能は、貴方たちは」

「そうだ。私たちは終わらせに来た」

 その方法だけは漏らすわけにはいかないと研究員が口を噤む。そんな研究員の目の前に白刃が光った。突きつけられた刃に「ひい」と小さな悲鳴が上がる。

「言う事を聞いてもらえれば、貴方を傷つけることはしないと」

「こ、このボタンは養水タンクの部屋のものと同時に押せばエネルギー注入が停止します。しかし、この一つが壊れてしまえば……」

 そこまで言うと震えた声が消え入る。

「分かった。ありがとう」

 雪蕾が刀を仕舞うと研究員を解放する。前のめりに転げそうになりながら研究員が走り去る。

 雪蕾が装置に付いている赤いボタンを見つめる。その寂しそうな瞳を、琳琳が見つめていた。

「琳琳」

「私は最後まで其方の傍におるよ」

 その言葉を聞くと雪蕾が刀を大きく振り上げる。つかかしらを下にかざし大きく振りかぶる。いつも冷静で狼狽えることなどなく、揺るがぬ心を持っていたはずの雪蕾の手が震える。感情が抑えきれず腕を震わせる。呼吸が乱れ息が浅くなる。

「早よせい。もう時間はない」

 ごくりと唾を飲み込み、柄を握る手に力を入れた。

「何をしているんです!」

 勢いよく扉が開くと一君いーじゅんが駆け込んできた。

「先のヤツが垂れ込んだか?」

 琳琳が雪蕾を守るように背後に立つ。一君の後ろには衛兵たちが集まっている。

「まさか本当にそんな愚行を犯すとは思いませんでしたよ!」

 一君が衛兵に命じると一気に部屋になだれ込み雪蕾たちに襲い掛かる。

「雪蕾! 早うやれ!」

 それでも雪蕾の体が言う事を聞かない。心がそれを拒否する。

 ボタンを破壊すればコラプサー化が始まる。もう後戻りはできない。いくら願っても異能が消える未来を変える事は出来なくなる。琳琳が消えた未来が、確実に訪れる。

 襲い掛かる刃が二人の背中に振り下ろされようとした時――。

「終わらせるなら其方の手でと! なぜ分からない!」

 琳琳が雪蕾に叫ぶ。琳琳の最後の願いを、叶えるのは今しかなかった。


 ガシャンと装置を砕く音がすると同時に襲ってきた衛兵がバタバタとその場に倒れた。そこには衛兵たちを居合で斬り伏せた雪蕾しゅえれいの姿があった。手には琳琳が握られている。ゆっくりと息をし、体を落ち着かせる。

 おもむろに姿勢を正すと伏せた目を上げた。そこには青白い顔をした一君いーじゅんが立ちすくんでいた。

「なんてことを。これまでどれほどの苦労があったと……」

 蚊の鳴くような声が一君から漏れる。

「樹蓮を、樹蓮を装置から外せばまだ可能性は……」

「一君! 動けばこの刃が貴方を貫きます」

 切っ先を一君に向ける。絶望した一君が灰になったようにその場にへたり込んだ。

 刀を手放すと琳琳が雪蕾の横に並んだ。

 雪蕾が寂しそうな目でパートナーを見遣る。

「琳琳」

「ようやった。誇らしく、麗しい人よ」

 琳琳が笑いかけると、雪蕾が泣きそうな顔で笑顔を作る。それはまるで子供のように、ただ愛しい人に向けた無防備な顔だった。



 樹蓮しゅーりゃんがタンクから外の様子を探る。慌てる様に出ていった一君が戻ってこない所を見ると、作戦はうまくいったのだろう。あとはこのまま待っていればいい。気が付けば事は終わり、無くなっているだけなのだから。

 そんなことをぼうっと考えていると、誰もいない部屋のドアが開いた。こちらへ向かって来る足音は不規則で、どうやら片足を引きずっているらしい。

 来訪者がタンクの前に姿を現した。

「あら、海燕はいやん。お久しぶり」

「無謀ですね、エデンは」

 そう言うと海燕が近くにあった椅子に腰かける。体はボロボロだった。聞かずとも戦闘をくぐり抜けて来たのだと分かる。どちらに付き、何のために戦ったのか、そんなことはもうどうでもいい事だった。

「海燕、貴方の器は?」

「先に行きました」

 樹蓮が寂しく笑む。

「そうですか。どうしてここへ?」

流涛るーたおに会うまで時間がありますから、ヒマつぶしに」

「よかった。ソルになるって案外大変みたいで、あと一週間くらいかかるそうなので。私もヒマを持て余すところだったので丁度良かった」

 一週間と聞いて海燕がうんざりした表情になる。

「では、まず60年間でどんな事があったのかお話ししてください」

 樹蓮の屈託ない笑顔に「勘弁してください」と海燕が大きく息をついた。

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