第23集 最期への狼煙
「炎威は黒い牙に来て長くはない。いきなりこんな事態になって、話も出来ないままで申し訳ない」
光躍から謝られれば、それ以上は何も言えなくなる。
「火璇、お前から話せるな?」
静まり返った集会室で、ただ火璇が頷いた。何のことか分からない炎威は、この異様な空気に胃が締め付けられるようだった。嫌な予感とは、どうして感じることができるのだろう。
人間が超能力や異能を持っているはずはない。未来の予知が出来るわけでも相手の心が読めるわけでもない。それなのに、「嫌な予感」は空気を伝い感じる。後で分かることなら、そんな不快感はその時だけ味わえば十分だった。
部屋を出た火璇の背中に着いて行く。
「
そう提案した火璇にただ賛同する。
黒い牙の組員全員が知ることとなった樹蓮の存在は、すでに隠す必要もなくなっていた。しかし出歩くことは制限され、今は主に主楼の一室で過ごしている。
火璇がドアをノックする。開かれたドアから顔を見せた樹蓮が柔らかく微笑む。ちょうど暇をしていた、そんな風に二人の来訪を嬉しそうに迎えた。
「お茶でも淹れましょうか」
樹蓮の好意を遠慮しようとしたその直後、火璇の前に茶菓子が差し出される。以東の都市からの輸入品らしく見たこともない珍しい菓子。それには火璇も興味をそそられたようだった。
「じゃあ、もうらおうか」などと澄ました口調で返事をする。素直じゃないなと炎威は呆れたが、樹蓮は嬉しそうに「はい」と答えた。
正直、炎威にとって茶の存在はありがたかった。茶を飲みながらの会話は心を落ち着ける事が出来る。先ほど感じていた「嫌な予感」も幾分か軽くなっていた。
「せっかくタンクから出られたのに、城内も自由に歩くことができないんですよ」
樹蓮が口を尖らせて話す。
「しょうがないぜ。今は樹蓮の事を他都市に開示すべきかどうか、光躍さんも悩んでるみたいだしよ」
樹蓮が目の前に座る二人を交互に見ると、出来る限り柔らかい笑顔を作った。
「それで、どうされましたか?」
何があったのか、何を伝えようとしているのか、樹蓮には分かっていた。ただ、火璇は炎威と二人きりだと気まずかったのだろう。茶を淹れたのも、心を決めるまでの時間が必要だと思ったから。
火璇がゆっくりと口を開いた。
「さっき集会室で話していたことだが。エデンはグリファの開発した装置を利用し、樹蓮のコラプサー化を決め、決行する」
始めて聞く単語に炎威が首をひねった。
同じ時刻、
険しい顔で椅子に座る宋毅の前に、心を決めた表情の光躍が立っていた。
「樹蓮のコラプサー化か。ついにその時が来たか」
宋毅は顔の前で組んだ手を額にあてがうと俯いた。眉間には深いしわが寄っている。
「グリファがついに装置を開発しました。この機を逃すわけにはいかないかと。いや、この機を逃せばさらに情勢は悪化するでしょう。エデンのためにも、そして他の都市や野賊、このクニのバランスを守るためにもグリファの計画の阻止、そしてコラプサー化計画の実行を所望します」
迷いなく告げる光躍の言葉に金瑞が顔をしかめる。宋毅がそれでも別の考えの余地を問う。
「ソルはその巨大エネルギーによって異能を引き寄せる力を発生させている。しかし異能それぞれのエネルギーがソルの引力と反発しバランスを保ってきた。グリファの計画は樹蓮にエネルギーを注ぎ込み、ソルに匹敵する力とすること。そうすれば樹蓮に強い引力が生まれ新たな異能が引き寄せられる」
「樹蓮を手中に収めればそれらの異能も意のままです」
光躍が後ろ手に組んだ手を緩めず、胸を張ったまま答える。
「しかしもし注ぎ込むエネルギーが許容値を超えた場合、エネルギー源は崩壊し散布する。あとには強力な引力だけが残り、それは集めた異能を引き寄せ飲み込む。もしグリファの技術を利用し、樹蓮にエネルギーを注ぎ込み続ければ、いずれソルの力を超えすべてを飲み込むコラプサーとなる」
「コラプサー自身も最後には自らのエネルギーに飲み込まれ、異能は完全に消滅します」と、淡々と付け加えた。
宋毅の大きなため息が部屋に響く。
「黒い牙ならば、いや異能を扱うものなら誰しもこの未来を想像しているだろう。シナルはそれを拒否し、エデンはいざとなればコラプサー化計画を辞さない覚悟でいた。私も万が一に備え貿易や資源調達の準備はしている。しかし、しかしだ」
宋毅が顔をあげ、光躍と、そして金瑞を見た。
「君たちは、本当にそれでいいのか」
表情を変えない光躍の後ろで、思わず俯いてしまう金瑞がいた。
「異能と器は信頼の元に成り立つパートナー。それを失う未来で、本当にいいのか」
光躍が折り目正しく頭を下げる。それは異存がない事の意思表示であった。
「どういうことだよ! 意味分かんねえって!」
荒げた声が
「だから、樹蓮のエネルギー値を上げればすべてを飲み込む力になって――」
「んなこと聞いてんじゃねえよ、異能を消滅させるってなんだって言ってんだよ!」
吠え散らかす炎威に樹蓮も目を伏せるしかできなかった。
「お前はここに来て1年も経っていないから知らなかっただけで、黒い牙で過ごせばみな薄々気付いていく。異能を使った戦闘の虚しさを、誰かもがこんな戦い方を辞めたいと思っている事を」
「俺だって思ってるよ。言っただろ、平和になった世界でお前は茶を飲んでればいいって。本当に戦いなんて終わらせたいって思ってんだよ」
「でも終わらない」と
「もし樹蓮が奪取されれば、シナル側につけば、グリファがパラソルシステムを手に入れれば。俺たち異能は本当の自由を失う。俺たちだけじゃない、エデンの人たちも。シナルやグリファが『みんなで平和に暮らしましょう』なんて言うわけがない」
まっとうな意見に炎威は言い返す事もできない。だったら守ればいいだろうなんて、保証のないやる気だけでは最悪の結果の責を負えない。
「お前は、異能はみんないなくなるのか?」
「たぶん、この体ごと消えて無くなる。それは間違いない」
肩を落とす炎威に火璇がゆっくりと、出来るだけ穏やかに話す。
「異能はいつか消滅する運命にある。それは必然なんだと思う。異能を消滅させるには誰かが装置を作らなければいけなかった。でもエデンでは誰も出来なかった。それは俺たちをパートナーだと愛してくれたから。失くしたくなかったから。だからどこかで誰かが作ってくれることを待っていた。器も、異能も」
炎威が目頭を押さえながら感情を抑え込む。
「樹蓮はいいのかよ、それで」
問われた樹蓮が俯いたままの炎威に微笑みかける。
「自分の事ですから。いつか来る未来だと思ってました」
「なんだよそれ」と弱弱しい声が漏れる。項垂れた体からは掠れた声が漏れた。
「なあ、火璇。俺が現れなかったら、器になってなけりゃ、お前に憧れなけりゃ良かったのかよ。黒い牙の事情を知らなきゃ、首を突っ込まなきゃ、樹蓮に同情しなけりゃ良かったのかよ。お前は、このままここにいれたのかよ」
火璇が情けない男の頬を掴むと顔を上げさせる。両頬をぎゅっと挟まれればさらに情けない顔になった。
「俺はすでに長く生きた。最後に裏切られて終わるのかと思った。でもお前は違った。違う結末をくれた。炎威に会えてよかった。嬉しかった。楽しかった。幸せだった。だから、もういい」
そんなに困った様に、優しく笑わないでほしかった。火璇はクールで、少し冷たくて、冷静で、いつでも炎威をからかって――。
「俺がよくねえっつってんだよ!」
まるでそう言うだろう事が分かっていたかのように火璇は表情を崩さない。
「なあ、あるだろ他に方法とか。
「なあ!」と食らいつく炎威に火璇が首を振る。
「みんな、すでに覚悟は決めている」
茶杯に入った茶はすでに冷めきっていた。茶壺の中身ももう渋味がでてしまっているだろう。「淹れなおそう」などと言える者はいなかった。
コラプサー化計画実行へ向けての作戦会議が行われる。まずは香頭が揃い、光躍から計画案が伝えられた。
「まずは俺と
ぼうっと焦点の合わない目が一点を見つめている。虚ろな目は今まで炎威が見せたことのないものだった。
「炎威」
「あ、すまん」とようやく意識が戻ってくると事態を把握した。
「す、すみません」
光躍に謝辞を入れるが、謝られた方は顔色一つ変えない。
「火璇、後で伝えておけ」
それだけ言うと計画の続きを話し始めた。
炎威が膝の上に置いた拳に力を入れる。しっかりしろと言い聞かせる。ただ、誰も炎威を責める事がない。むしろ触れてこないのは皆の優しさなのだと馬鹿でも分かる。
『ちゃんと聞いておけ』
『炎威、ぼーっとしてんじゃねえぞ。お前一人のせいで被害が出んだぞ』
『すんません! もっかいお願いします!』
『まったく、これだからバカは困る』
いつものように叱ってくれれば、怒ってくれれば、呆れてくれれば自分を叩きなおす事ができるのに。
許されるとは、なんて冷酷なのだろう。
炎威が自分自身を責める。その横顔を火璇が横目で見た後、そっと視線を前へと戻した。
コラプサー化計画の実行が決定すると、光躍が首領
しかしこの申し出を受けた一君が素直に応じるわけはない。そしてグリファ側の許諾を光躍が信じているはずもなかった。
テーブルの上で握手を交わし、天板の下では刃物を向け合う。涼しい顔をお互いに向け、相手の動向真相を見抜かんと視線を刺し合う。
一君にとっては光躍の考えなどはお見通しで、出し抜く事さえできれば勝利も同然だった。
「それでは後日、樹蓮をグリファへ連れてまいります。これが成功すれば傲岸不遜のシナルも制圧することが出来るだろう」
光躍の言葉に同調し、グリファから送り出す。
一君にとって厄介なのは傲慢や権威主義ではない。「平和主義」それこそが目の上のたんこぶであった。
力で支配しようとするものは力を与えれば操るのも易し。しかし正しくあろうとする者は何を与えようが支配されることはない。
一君がその正しい背中を見つめ、爪をカリっと噛む。
「なに、樹蓮さえこちらへ寄こせば思うつぼ」
傍にいた使用人にシナルへの伝達を伝えた。
ついに樹蓮をグリファへと送り込む日を迎える。同行するのは
そしてこの日はコプラサー化計画の実行日でもあった。成功すれば異能は消滅する。成功を願い、これほどまでに願わない日はなかった。
「いってきます」といつも通りにこやかに笑う
「任せたぞ」といつも通り激励する雪蕾。そして誇り高く雪蕾のパートナーを務める琳琳。
「任せとけ」と
「お願いします」と頭を下げた
「炎威、まだしょぼくれているのか。元気がないお前はなんだか気持ち悪いな」
炎威に向けた呆れ顔が視界に入る。瞳にうつったそれはいつでも自分を信じてくれた火璇の目。どれだけ無謀だと思っても、自分を信じ、ついて来てくれた心強い目。
そうだ。これが最後というなら、全力の自分で、いつもの自分で、明け透けに明るく威勢だけ良くてバカでまっすぐで考えなしで直感で動く、火璇が信じてくれた自分でなくてどうする。
下げた頭を勢いよく上げる。突然の事に横にいた火璇が驚いた。
「樹蓮! 頼んだぜ! こっちのことは心配すんなよ!」
「はい!」
いつも通りの底抜けに明るい笑顔に樹蓮が満面の笑みで答える。
元気がもどった炎威の横顔を見て、バカみたいな笑顔だなと呆れる火璇の頬がゆるむ。
「おっしゃあ、俺らと炎威はエデンを守り切る。雪蕾は装置のこと任せたぜ。あとは光躍たちを無事送り出すまで気を抜くなよ」
空霄が組員らに叫ぶ。待機している黒い牙の面々が勝ち鬨を上げる。
この計画に賛同できない者もいるだろう、その後を考えれば憂鬱になる者もいるだろう。
ただ今は、異能との時間を全力で、全身全霊をささげ全うする。それが器たちの気力になっていた。
樹蓮を乗せた車が出発する。エデンからの狼煙があげられた。
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