第20集 罪の在り方

「あれはシナルとの戦禍での事でした」

 樹蓮しゅーりゃんが静かに話し始める。一度強い風が吹くと樹蓮の長い髪を煽る。風の行く方に向けた横顔は遠くを見つめる。睫毛が風になびき、炎威やんうぇいたちが思わず目を細める中、樹蓮は見開いた目でずっとその先を見つめていた。

「シナルが私の力に気付き始めた頃だったのでしょう。その時の作戦目標は私の略奪。ソルに次ぐ力があると示唆したのはグリファだったと考えています。だからあの時、シナルは総出で私を狙った。いえ、私というより器でしょうか」

 悲しい思い出が瞳にうつる。あの時の惨状を思い出し目を伏せる。

「圧倒的力を以てしても、奪い取らんとする欲には勝てなかった。彼はきっと優しすぎた。彼の手から離れたすきに連れ去られんとする私を見た彼の目に迷いはなかった。私が奪われることは何があっても防がなければいけなかった。私を手放した彼に出来ることは……」

「分かりますよね」と振り返った樹蓮が悲しそうに笑う。

「持っていた剣で私の命を奪う事。私は異能です。体が死んでもまた戻ってこれますから」

「そんな……」と炎威が消えそうな声を漏らす。だからといってパートナーの体に刃を突き立て、差し込むなど出来るわけがない。そんな感覚、何に変えても味わいたくない。

 きっと一生刻まれる。手のひらの感触、目に焼き付いた光景、心をえぐった傷として。

 よほど辛辣な顔をしていたのだろう。樹蓮が炎威に柔らかな表情を向ける。

「貴方は異能が好きみたいですから、考えられませんか? でもそうやって悲しんでくれるのは、異能としては嬉しいです」

 ね、と火璇ふぉーしゅえんに微笑みかける。

「きっと『天秤にかけるなんて出来ない』と思っているのでしょう?」

 考えを言い当てられて炎威が顔を上げる。

「でも彼は天秤になんてかけていません」

「じゃあ、どういう」

「どういう思いで」と炎威が問う。樹蓮は誇らしく胸を張った。

「『私を殺しても分かってくれる』と、その信頼があっただけです」

 炎威だけでない。その場にいた皆が目を見開いた。樹蓮とその器がどれだけの信頼を築いて来たのか、想像は容易である。器にとって樹蓮は殺してでも守らなければいけない存在だった。それはエデンのためではなく、彼女のため。彼女が兵器として使役されないため。

「その後はみなさんが知っての通り。私はクリーチャーに戻りましたがそのまま幽閉されました。器の事は聞いていません。ただ、異能なら分かると思いますが、器の安否やなんとなくの現状は察することが出来ます。彼は、もう長くはないでしょう」

 気丈に振舞えば振舞うほど、それを見ている者の胸が痛む。

「そばに、いなくていいのか?」

 炎威がゆっくりと問う。樹蓮は礼を言うように笑った。

「私の状況は分かっているつもりですから。それに、あの人が守ろうとしたものを自ら手放すわけにはいきません」

「行きましょう」と樹蓮が告げる。寄こしていた車が東区域に停まっていた。


 城内に戻り、主楼の前で車が停まる。ドアを開けたとたん飛び込んできたのは琳琳りんりんだった。

「久しぶりだな」

 琳琳が樹蓮しゅーりゃんの体をぎゅっと抱く。

「琳琳! 元気そうでよかった」

 少し離れたところで雪蕾しゅえれいが待っていた。樹蓮と目が合うと折り目正しく頭を下げる。

「あのご麗人が?」

「私の器、雪蕾だ」

 二人が顔を突き合わせふふっと笑う。小さな女子会が始まると男性陣は介入を許されず見守る事しか出来なくなる。それでも目の前の光景を微笑ましく思っていた。

 しかし炎威やんうぇいだけは心ここにあらずといった様子で立ち尽くす。今から向かうのは集会室。光躍がんやおの元だ。どんな制裁があろうと受け入れるつもりでいた。しかし、やはり状況が目の前に迫ると体がこわばる。みながぞろぞろと主楼に入っていく中、なかなか一歩を踏み出せずにいた。

「心配しなくていい」

 すっと横に並んだ火璇ふぉーしゅえんに声を掛けられる。

「お前は間違ったことはしていない」

「でも……」

「間違っていない事の何を責める」

「火璇を巻き込んだ」

 横並びになったまま火璇が炎威に顔を向ける。

「お前がいつ俺を釣り込んだ? 面白そうな事に誘ってくれないから勝手について行った。それだけだ」

 そう言うと主楼内へと歩き出す。「まったく」と困った様に、しかし嬉しそうに眉をひそめた炎威がその後を追いかけた。



 集会室には思った通り光躍と金瑞ちんるいの姿があった。しかしもう一人、炎威たちを待ち構える人物がいた。

「首領さん!」

 炎威が驚き声を上げる。もちろん公の場で見かけることはあったが、このように近くで話す機会などは今までなかった。

 皆が席につく。エデンの首領である宋毅そんいーが最初に向かったのは樹蓮しゅーりゃんの元だった。ちょこんと椅子に座る少女の前に跪く。その体勢のまま頭を下げた。

「今まで貴方の意思なしに幽閉したこと、お詫び申し上げる」

 樹蓮は下げられた頭を見つめたまま言葉を返す。

「それがあの方が身をなげうってでも選んだことなら、私は恨んでなどいません」

「犠牲になったのは貴方なのでは」

 顔を上げた宋毅が樹蓮を見上げる。凛とした表情のまま樹蓮は首を振った。

「本当に不思議です。ですが、異能は器と共に生きたいと思うのです。幸せであればそれを喜び、血塗られるなら共にと。私が恨むのであれば、閉じ込められた事ではなく、彼と離されたことに対してでしょうか」

 再び宋毅が頭を下げた。

「でもそれでも仕舞いです。炎威のお陰で間に合いましたから」

 にこりと微笑むと、ようやく項垂れた男の肩に触れ顔を上げさせた。

「さて、その炎威についてだけど」と金瑞が口を開く。一同の視線が光躍へと向く。みなが答えを待っていた。

「ちょっとお、そんな責める様な目で見てあげないでよ」

 金瑞が眉を下げ、体の前で手を振る。

 光躍に向いた炎威が大きく頭を下げた。

「俺がやったことはダメな事なのは分かってます。禁を犯したのは、分かってるので」

「禁を犯す?」

 光躍のとぼけた様なその声に炎威が顔を上げた。伝わらなかったのかと、もう一度謝罪を言葉にする。

「すみません。規則だとか、規律だとか、定めに背けば罰がある事くらい分かってますから」

 どんな制裁も受け入れる。それを覚悟の上で動いたのだ。しかし罰と引き換えてもしたかった自分の心に嘘はつきたくなかった。

「よく分からんな」

「……え?」

 またしても思いもよらぬ光躍の言い草に炎威の方が声を漏らす。

「黒い牙は軍隊でもなければお前たちは軍人でもない。俺は首領の側近をしているが命じられたわけでもない。指揮は取るが命じたことはない。ましてや誰かを裁く立場にない」

 金瑞がふふっと笑えば、空霄こんしゃお天籟てんらいは呆れたように宙を仰ぐ。

「あの、俺の方がよく分かってないんすけど」

 何が言いたいのか分からないと炎威やんうぇいが混乱する。そんな炎威に雪蕾しゅえれいが助け舟を出してくれた。

「炎威はなぜ黒い牙に入った?」

「連れて来られて」

「なにか契約は?」

「してません」

「説明は?」

「受けてません。てか、最初火璇ふぉーしゅえんは教えてくれなかったし」

「ただ、」と炎威が当時の事を思い出す。

「憧れだったんで。エデンを守れることも、赤いドラゴンも、かっこよくて。そんで入ってみたらすげえかっこいい先輩らがいて、火璇と出会って、光躍さんに着いて行こうって。ただそれだけで」

 雪蕾が頷く。

「私たちもだ。私たちも同じだ。それぞれ多少思いの違いはあれど、ここにいたいからいる。それだけだ」

 なぜか琳琳りんりんが得意げな顔で雪蕾の話を聞いている。

 そうだ。黒い牙は光躍のカリスマ性や人格に惹かれて、また仲間と都市を守ることに意義を見出して、尊敬する人に付いて行きたくて、の集団なのだ。

 雪蕾の話に金瑞が言葉を続ける。

「だから説明しろったって、ないものはないんだもん。ね、火璇」

 涼し気な顔をしている火璇の口が少しだけ尖っている。

「規律? 隊律? そんなのないんだから咎めようもないよね?」

 ね、と光躍の方に首を傾げる。光躍が伏せた目を上げた。

「炎威が相談を持ち掛けてきた時、突き返したのも俺だ。何かやりようがないか考えなかった俺にも非がある」

「いえいえいえいえ、そこまで言われると逆に罪悪感が」

 炎威が体の前で手を振り否定する。しかしすぐに肩を落とすと俯いた。ただ許されることは苦しい。償いの機会が与えられない事は許されない感覚に近い。しかし、だからこそ報いなければいけない。炎威が光躍に向き直る。

「それで、これからどうするんすか」

 集会室にいる全員がその後の発言を期待していた。

「炎威たちが暴れ半壊させたグリファの研究員だが、尋問させたがどうやら具体的な陰謀は知らされていない。樹蓮しゅーりゃんのデータを取ることが目的だったようだ」

「さすが、一君いーじゅんは手堅いねえ」

 炎威への追及がひと段落したところで空霄こんしゃおが煙草をふかしだす。

「また、衛兵はただ金で雇われただけの野賊同然の輩。まあ、グリファでは常套だな」

「はい」と炎威が手を上げる。

「この前火璇とグリファに潜入した時に聞いたんです。グリファは何かを実験しようとしてて。異能のエネルギーをいじることが出来れば、とか。増幅させられれば、とか」

「お前なあ、なんでそれを報告しない。その方が許容できんぞ」

 空霄が責め立てると炎威が肩をすくめる。

「炎威はたとえエデンであれ異能を悪用する組織の可能性があれば信用は出来ないと考えた。樹蓮の事を隠していたんだ。用心するのは当然の心理だ」

「おい火璇、もちょっと言い方あんだろ。俺はエデンを信じてなかったわけじゃねーだろ」

「エデンより異能を守ろうとした気持ちを肯定してるんだろ」

「だからって、これじゃあ俺がみんなを信じてないみてえに聞こえんだろ」

 ついにはふいっと火璇が顔をそむける。

「こら、またひねくれんなって」

「あーもう」と二人のやり取りを聞いていた天籟が声を上げる。

「痴話喧嘩は後でやれ。そんで? こっちはどうするわけ?」

 天籟が光躍に問う。光躍が腕を組んだまま考え込んでいた。考えはある、ただ心を決めかねているような顔つきだった。

「光躍さん! 俺は動きます。グリファやシナルが樹蓮を狙ってんなら守ります」

「守ろうというのは単純な事ではない」

 光躍の強い視線にも炎威は怯まなかった。

「俺だけでもやります。たぶん、俺は単純だから光躍さんたちより無鉄砲に動けるんで」

 へへっと笑うと頭を搔いた。

「お前だけで動くな。俺もやる」

 炎威の隣に座り、むすっと腕を組んだままの火璇の言葉にその場の皆が驚いたようだった。その空気が居心地悪かったのか火璇の表情がさらに不機嫌になる。

「こいつ一人だと不安しかないからだ」

 分かりやすい言い訳に天籟が眉を落とす。天籟だけじゃない、誰もが二人を止めるどころか、決意が突き動かされたようだった。


 一度その場が解散となると炎威たちは集会室から退散する。部屋に残されたのは光躍と金瑞。

「火璇、加担しちゃったね」

 金瑞の言葉にも光躍は表情一つ変えない。

「ねえ、お茶でも飲む?」

 金瑞が茶を提案するときは、決まって光躍の本心を聞きだしたい時だった。

「淹れるのは俺だろう」

 光躍が嫌味を言いながら席を立った。

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