第19集 少女の願い
「てめえソレ持ってどこ行く気だ」
「この前も話しました。この子を器に会わせてあげたいんです」
「それは叶わねえ話だ。
「器がエデンを裏切らないとも限らないからですか?」
空霄と炎威の睨み合いが続く。なるべく穏便にすませようと
「
ギリっと奥歯を噛みしめた炎威の背中に
――3、2、1。
炎威が素早く後ろを振り返ると火璇に樹蓮を預ける。そのまま二人に覆いかぶさると頭上を銃弾が通過し、跳弾が火花を散らす。すぐさま身を翻した炎威が空霄に迫る。発砲をかいくぐり空霄の懐に飛び込む。銃撃の弱点は腕の角度が弾道を示す事。それさえ見極められれば引き金を引く前に避ける事も可能だ。
「行かせてください」
炎威が空霄の腕を掴むが、空霄もまた炎威の体を押さえつけようとする。その姿勢のまま炎威が壁を蹴り体を宙に捻り上げると、空霄の腕が捩じり上げられた。体勢を崩したところで銃を持つ手を蹴り飛ばす。思わず銃を手放すと、天籟の体が床に放り投げられた。
着地した炎威を逃すまいと空霄が覆いかぶされば向かい合ったまま二人が組み合う。どちらかが力を入れればバランスを崩す。一歩も引けぬままぎりぎりといがみ合う。「いってえ」と天籟が腰をさすりながら起き上がった。
「こいつを器に会わせてどうする」
空霄の低い声が炎威を制しようとしている。行かせることは炎威に不利益をもたらす。だからこそ行かせたくないという空霄の優しさだった。
「分かりません。でも樹蓮は訴えてきたんです。俺は、異能の願いをただ叶えたいだけです」
熱のこもった言葉に火璇の手に力が入る。樹蓮を抱く腕の中がもぞもぞと動いた。抱えていた樹蓮を見ると微かに睫毛が動いた。
「炎威! 樹蓮が起きた」
火璇の声に炎威の目の色が変わる。ホールドされた体はすり抜ける事を禁じられている。諦めろと訴える空霄の瞳を前に炎威がふっと息を吐くと力を抜く。降参したかと空霄の気が緩んだ瞬間、炎威が空霄目掛けて頭突きを食らわせた。
「いっっってえコノヤロウ!」
額を抑えて2、3歩下がる。
「マジですんません!」
そう叫ぶと炎威が出口へ向かい走り出す。その後ろを火璇が追いかけた。
まだくらくらとする頭を抱えながらふらつく空霄の元へ天籟が歩み寄る。
「だいじょうぶか?」
「あいつ俺より頭硬いわ」
「まさか火璇が加担するとはな」
天籟が二人が去った廊下を見つめる。そしてふっと吹きだした。その様子を空霄がじとっと睨む。
「火璇のやつ、なんか楽しそうだったな」
「お前も楽しんでる場合か。追うぞ」
「へいへい」と天籟が駆け出す前に研究室の中をのぞき込む。
「こいつらこのままでいいか?」
中では炎威たちにやられたグリファの研究員と衛兵がのびきっている。
「今心配なのはそいつらじゃねえだろ」
「そっか」と天籟が部屋に背を向ける。大きく伸びをして出口へと向かう。炎威たちの後を追いかけた。
「おい! 炎威どうした」
しかし雪蕾の声を振り切って二人は市街の方へと突っ切っていく。
「なんだ? またくだらん戯れでもしているのか?」
「様子がおかしい」
「しかも
茫然とする雪蕾たちの元に、次は
「空霄までどうした」
まだ頭突きの衝撃が残っているのか、空霄が頭をさする。
「すぐ
告げられた事実に雪蕾たちが驚く。
「まさか以前に訴えていた器に会わせたいとか言う」
「そうらしい。部屋の暗証番号も変えられて遠ざけられたからよ、このタイミングを狙ったんだろ」
顎に手をあてた
「シナルに鍵を開けさせたか。なかなか狡いヤツだな」
空霄がたまったもんじゃないとため息をつく。
「なんでお前ら異能組は楽しそうなのかねえ」
「なぜ? 異能の願いを叶えたいと一心に行動を起こす。嬉しくないと言えば嘘だろう、なあ
「やめてくれよ、同意したらおっさんに怒られるだろ」
やれやれと空霄が頭を抱える。
「わーったわーった。ただし非常事態は非常事態だ。俺らはアイツを追う。雪蕾は光躍に伝えてくれ。警戒してるグリファが出入りしてるんだ。騒ぎを悟られたくない」
4人が話していると城内の奥から赤いドラゴンが舞い上がった。そのまま市街へと飛んでいく。いよいよ空霄のため息が大きくなる。
「頼んだ」と雪蕾に託せば「分かった」と駆け出す。
「せめて目立つなと言ったらよかったか?」
「そんな聞き分けの良いイイ子ならこんなことにもなってないだろ」
「確かに」と肩を落とす空霄をスカイブルーのドラゴンが拾い上げる。
『全力で止めなかったのはどこの誰だよ』
「結局同罪だな」
『だな。だが俺はそんなお前が嫌いじゃねえよ』
一度大きく翼を羽ばたかせると大空へ飛び上がる。前を行く赤い光を追いかけた。
目を覚ました
「起きたか?」
知らない男の腕の中にいることを把握すると飛び上がった。確かに今の状態はマズかったかと炎威がぱっと体から離れる。しかし不安定なドラゴンの背の上でふらついた樹蓮の体を差しだした手で支えた。
樹蓮が自分を乗せている赤い鱗に気が付いた。
「
懐かしそうに背中を撫でる。
「樹蓮、俺は火璇の器で炎威って名前だ」
「ああ、貴方が」と改めて炎威の顔をのぞく。
「突然外に引っ張りだしてごめん。でも樹蓮が器に会いたがってたから、どうしても会わせたかった」
目を丸くした樹蓮だったが、すぐにそれを細めると笑顔を作る。まるで小さな花が綻んだように可憐で優しい笑顔だった。
「私の声が聞こえたの? 不思議な人ね」
『お前の声を聞きたいと強く願ったのかもしれない。だから異能の声が聞こえた』
「ロマンチックね」と樹蓮が微笑む。
樹蓮の力は強大で、それ故に隠されてきたはずだった。しかし彼女は思っていたよりも儚く物柔らかで、普通の女の子のように炎威には感じた。
「なあ、会いたい器ってのは、どこにいるのか分かるのか?」
樹蓮が焦がれるそうに街を眺める。「うん」と一度頷いた。
「東の門へお願いできる?」
火璇を撫でると赤いドラゴンが旋回し方向を変える。
「ちょちょちょちょ! 火璇、一回南区域で降ろしてくれ」
『後ろから空霄たちが追って来ているが?』
「一瞬一瞬! 10秒で戻る」
そう言って指定の場所へと降下する。南区域の市民たちが突然現れた真っ赤なドラゴンに驚き慌てふためく。炎威が飛び降り「俺だ俺!」と叫びながら走ると皆が顔を見合わせる。警戒し遠巻きに見ている大人たちとは反対に、子供たちがドラゴンの周りに集まってくると騒ぎ出す。「かっけー」「おっきいねー」などと口々に騒ぎ立てては楽しそうにしている。
「炎威は信頼されているのね。町の人にも、貴方にも」
心なしか火璇の胸が膨らむ。その様子に樹蓮が微笑んだ。
炎威が急いで向かった一軒の家から女性が姿を現した。炎威を見たとたん驚きで顔を赤く染める。
「ちょっとあんたぁ! 全然帰ってこないってどういうこと! みんな心配してって――ええ!?」
ドラゴンを見た女性が大きな叫び声を上げる。
「ねーちゃんすまん! でも今一大事! 妹の服貸して服! あと靴! 早く早く!」
「ぇぇえ。なんなの、黒い牙ってマジなの?」
炎威に姉と呼ばれた女性が挙動不審になりながらも家の奥に慌てて入っていく。すると数秒経たないうちに炎威が玄関から飛び出してきた。
「みんなサンキューな! お前らねーちゃんの言う事ちゃんと聞けよ!」
「行ってきます」とドラゴンに飛び乗った炎威を見送りにぞろぞろと兄弟たちが家から出てくる。
「にいにがんばってー」
「カッケー! ヤン兄マジすげー!」
「バカ兄! 今度一番可愛い服買って返してよね!」
「炎威! あんたたまには顔見せなよ!」
口々に叫び炎威を激励する。火璇がぶわっと風を起こし飛び立つと町中から歓声が上がった。嬉しそうに炎威が町に向かい手を振る。
再び東へ向かい飛んでいく火璇が口を開いた。
『思ったより賑やかだった』
「ん? 家族か? 言っただろ、うっせーって」
「それで、炎威は何を持ってきたの?」
「ああ」と炎威が抱えていたものを樹蓮に渡す。
「大事な人に会うんだろ? そんな恰好じゃかわいそうだろ」
樹蓮に服と靴が渡される。
「妹が同じくらいの背丈だったし、いけると思うんだけどな。まあ趣味じゃないとかは勘弁してくれ」
眉をひそめて炎威が頬を搔く。
「いいえ、嬉しい。ありがとう」
樹蓮が服を被り靴を履くと、身なりを整えた。「どうかな」と炎威の方を見れば、「バッチリだ」と親指を立てる。
「あ、あそこ」
樹蓮が指をさしたのは監視塔の下に位置する門。東区域は輸送の窓口となるため、広く拓けた一角に荷物が山積みにされている。警備や輸出業を担う市民でにぎわっていた。ドラゴンが降り立つと一人の警備員が駆け寄って来る。
「お疲れ様です! 何かありましたか。まさか、また奇襲とか」
焦る警備員に火璇が手をかざし制する。
「いや、今日は野暮用で来ただけだ。気にせず作業を続けてくれ」
「そうですか」と安心すると頭をさげ現場に戻っていく。すると続けてスカイブルーのドラゴンが降り立ち
「気にすんな気にすんな、野暮用だ」
次は
「空霄さん、お願いです――」
「わーったって。多数決で俺の負けなんだわ」
天籟を見遣ると舌をぺろっと出ししたり顔をしている。
「それで? 樹蓮の器ってのは本当にいるのか?」
樹蓮が一つ所に迷わず歩いていく。その背中を皆で見守った。
――胸が高鳴る。緊張で体がこわばる。上手く笑えているだろうか。あの人は、忘れていないだろうか――。
樹蓮が一人の男性の前で立ち止まる。門番をしているのか、木箱を椅子に座り込む男性は目の前の人物に気付かずぼうっと前を見つめていた。
その人物に炎威たち皆が驚いた。間違いではないかと目を瞬かせる。空霄が通りかかった警備員を呼び止める。
「おい、あの、あそこに座ってるじいさんは」
警備員が指さされた方を見遣ると眉をひそめ苦笑する。
「ああ、あのじいさんね。なんか昔は名剣士だったとかで、今でもまだまだ働けるってきかないんですよ。まあ、名剣士だったってのも本人が言ってるだけですよ? だから、一応あそこで門番やってもらってます。形だけですけどね」
そう言うとさっさとその場を離れ去っていく。本当にあの老人が樹蓮の器だというのだろうか。星光体の中でも随一の強大な力を誇る、それを扱えるほどの。
樹蓮が老人の前にしゃがみ込んだ。
「こんにちは」
花のような笑顔にようやく目の前の人影に気付く。老人は目も耳もすでに弱っているようだった。
「しゅー…りゃん…」
喉からか細く出た言葉に樹蓮の表情がぱっと華やぐ。うんうんと首を縦にふる。
「貴方が樹蓮の器ですね」
「樹蓮、わたしは、あの子を……」
樹蓮が老人の手に自分の手を重ねる。優しくその甲を撫でた。
「私は樹蓮の友人です。頼まれて貴方に会いに来ました」
「樹蓮は……樹蓮は、元気で……」
「はい。樹蓮は元気です。今は争いのない所で、幸せに、穏やかに暮らしています」
「そう」と垂らした目じりがキラリと光る。もらい泣きしそうになるのをぐっと堪える。ただ胸を張り、気丈にふるまった。
「だから貴方も、忘れてください。自身の罪を。最後は荷を降ろしてあげてください」
老人の目からほろりと涙が落ちた。その瞳の奥に遠い過去が思い出される。
「ありがとう」と老人が頭を下げる。目の前の人が本当は樹蓮だと気付いているのか、友人だと信じているのかは分からない。ただありがとうと深く頭を下げていた。
樹蓮が立ち上がると同じように深く頭を下げる。老人に背を向けると歩き出す。一歩一歩離れていくと、自然と足が駆け出していた。気付けば炎威の胸に飛び込み顔をうずめていた。炎威はそんな樹蓮の頭を優しく撫でてやる事しかできなかった。
しばらくして樹蓮が落ち着きを取り戻すと、一同は市街の中を歩き出した。城内ではやれグリファの陰謀、やれシナルとの攻防戦と、人の思惑が交差しているのに市街の中ではそんなことは梅雨知らず。活気にあふれエネルギーに満ちていた。
「みなさん、私のわがままを聞いてくれてありがとうございます」
皆が樹蓮の言葉に注目している。それを察してか樹蓮が立ち止まり皆の方に振り返った。
「気になりますよね」
樹蓮が苦し紛れに笑うと皆がさっと視線を逸らした。気にならないわけはない。しかし器と異能の関係にどれだけ立ち入っていいのか、それは各々が迷う一線だった。
樹蓮が柔らかく、しかし力強い声で話し始めた。
「60年前、私は器に殺されました。私を殺したのは、私の器であるあのご老人です」
炎威たちが樹蓮の言葉に目を見張った。
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