第18集 信頼、裏切り、真実

 研究室の薄暗い照明に照らされた金瑞ちんるいの頬が緩む。笑んでいるのに目元にかかった影が仄暗さを浮かび上がらせる。

光躍がんやおはね、僕が腕を失くすまではもっと強かった。誰よりも、圧倒的に。今まで体が欠損して、使えなくなって、それでも生きろと言われた事なんてなかった。欠陥品を殺そうとしなかった器は彼が初めてだった」

「嬉しかった」と、その表情は恍惚を湛える。

 皆が感情を表さずに話を聞く中、炎威やんうぇいだけが苦しそうに顔を歪めた。

「だから僕は、光躍の為なら何でもするし、光躍がしたいように動くし、それを邪魔するなら誰であっても許さない」

 話終わるといつもの穏やかな笑顔を作る。琳琳りんりんが俯いたまま小さく首を振ると顔を上げた。

「隠せと命じていたのは光躍と、そして首領か?」

「隠していたわけじゃないよ。ただ、60年間ずっと守っていた。身内を疑いたくはない、だけどどこから情報は漏れるか分からない。だからずっと極秘に扱われていた。でも今では野賊にも噂は広がっている。光躍はいずれ君たちには話し協力を仰ぐつもりだったよ」

「あの」と炎威が控えめな声を上げる。

「勝手に探るような真似をしてすいません。俺も疑うつもりはなかったんです。だけど、もし誰かが樹蓮しゅーりゃんを、というか異能を悪用するのなら、俺もそれは許せないと思ったんです。それがたとえエデンであれ」

 炎威の言葉が意外だったようで、金瑞が少し驚いている。

「炎威はエデンより異能を守りたいと思ったの?」

「いや、それは、ちょっと違くて。なんつーか。あー、考えまとまんないっす」

 わしゃわしゃと頭をかきながら唸る炎威を火璇ふぉーしゅえんが見つめていた。そんな火璇に金瑞の表情が自然と和らぐ。

「嬉しそうだね、火璇」

「は? 何言ってるんですか」

 ぶっきらぼうに返されると金瑞が苦笑する。分かってないのは火璇自信なのかと、あえてそれ以上は突っ込まないことにした。

「で、光躍が君たちに協力してほしいって言うなら僕は何も言わない。まずは炎威、グリファへの潜入調査を頼むよ。また改めて香頭しゃんとうへの招集がかかると思うけど」

 金瑞が部屋の鍵を開けると部屋を出ていく。それに続き雪蕾しゅえれいたちもぞろぞろと部屋を後にした。

 ドアに向かおうと炎威がタンクに背を向けた時、何か、音が遠くに聞こえた。それは微かな声。炎威が耳を澄ますと、まぎれもなく樹蓮の方から聞こえて来た。

「――いたい。会いたい」

 炎威が思わず振り返る。

「――に、会いたい」

 養水の中にいるはずなのに、樹蓮の目元に涙が見えた。見間違えや幻影だったのかもしれない。しかし炎威には確かに涙が見えた。

「おい、炎威。早く行くぞ」

 火璇に呼ばれてはっとする。

「すまん、今行く」

 金瑞を先頭に連れ立って歩く中、炎威が火璇の手首を掴み引き留める。

「火璇、後でちょっと」

 また何か面倒な事を思いついたのかとため息を付く。しかし「分かった」と返すと再び歩き出した。



 3日後、炎威やんうぇい火璇ふぉーしゅえんと共に再びグリファへ赴いた。今回は防衛組織の代表として炎威がその地に足を踏み入れる。前回から感じていたが、やはりここの市民からは歓迎されているムードを感じない。都市の雰囲気はシナルよりもずっと閉鎖的に感じる。「何を考えているのか分からない」という感覚は流涛るーたおの言う通りだと思った。

 この日は炎威と火璇二人だけが庁舎に通された。客室で炎威が大きく息を吸う。

「そわそわとするな。怪しまれる」

「んなこと言ったって、一君いーじゅんだっけか? ああいうタイプは苦手なんだよ」

 出会ったばかりの火璇みたいだとは敢えて言わない。

「いいか火璇。今から目にすることは他言無用だ。これはきっと俺の汚点になる」

「炎威、お前何する気だ……」

 二人が話しているとドアが開く。久々に見た細く吊り上がった一君の目はやはり他者の信用を寄せ付けない。

「いーじゅんさーーーん!」

 炎威が突然大声を上げ一君に駆け寄る。

「お久しぶりっす。前は戦闘の力にもなれずすんませんっした!」

 炎威が一君の手をとると半ば強引に握手をする。その後ろでは火璇が目をぱちくりとさせている。

「君は、香頭の新しい……」

「炎威っす」

「香頭がわざわざ。どういう魂胆だ?」

 手を握ったままの炎威が首を傾げる。

「コンタン? そういうのは分かんないっすけど、なんか俺香頭の中でも手に余る? ってやつみたいで、下っ端扱いっすよ。ひどいっしょ!?」

「それで、平組員とともに防衛組織か」

「そーなんっす。あ、これエデンからくすねて来ました」

 炎威が持っていた紙袋から瓶を取り出す。

「酒か」

「はい。グリファじゃこれだけの度数のもん輸入できないんでしょ? 北の方の酒でかなり珍しいんですよ。あ、秘密で」

「これも?」

「あっ」と炎威が片目を瞑り言葉を濁す。

「とりあえず、守秘義務は守って大人しくしてればそれでいいってキツく言われてるんで」

「守秘義務?」

「そうそう、最近シナルがやたら攻めてきてて結構エデン内も騒々しくて。あれを狙って来てるから対策を考えなきゃって」

 一君の目が細縁の眼鏡の奥で光る。

「シナルが狙うアレとは?」

「いやーなんか研究室にいる星光体で、樹蓮しゅーりゃんっていう――」

「炎威!」

 火璇の焦った声が炎威の言葉を遮る。一君が薄く口角を上げた。

「まあ、君の都市でもいろいろと大変だろう。仕事はほどほどに後ででも飲もう」

 一君が炎威の持つ紙袋に目を遣る。

「うっすうっす! じゃあ俺たちは町の警備に。あ、あとグリファの研究所も見たいっす。光躍がんやおさんがいろいろ勉強して来いってうるさくて」

「それなら誰かを案内役に寄こす。うちは隠してる物なんてないからな。好きに見学していけばいい」

 そう言うと一君が近くの者を呼び、誰か寄こすようにと命じる。心なしか機嫌が良さそうなまま部屋を後にした。ドアの向こうの足音が遠くなる。部屋の中がしんと静まり返った。

「はーーーーーーーーー」

 炎威やんうぇいががっくりと肩を落とすと、傍に火璇ふぉーしゅえんが近づいて来た。

「ノッってくれてマジでサンキューな」

 がっしりと火璇に抱きつくと背中をバンバンと叩く。

「そういう作戦で行くなら言っておけ」

 火璇が暑苦しいと炎威の腕を払う。 

「いけたか?」

「さあな。一君いーじゅんは人一倍疑い深い。しかしバカがうっかり口を滑らせた感は出ていた」

「なんかお前楽しそうだな」

 二人が部屋の外へと出る。長く続く廊下を歩き出した。

「俺が媚びうるのは光躍さんだけなんだけど。なんか穢れた気分」

「よく頑張ったな」

 歩く炎威の背中をぽんぽんと叩く。触れられた部分が温かい。

「あ、ちょっと浄化されたかも」

「それはよかった」

 廊下の前にはグリファの研究員が二人を待ち構えている。

「よっしゃ、第二戦目だぜ火璇」

 大きく息を吸い込むと、炎威が気合を入れなおした。



 グリファから赤いドラゴンが飛び立つ。その背中には炎威が乗っていた。

「おーい、火璇さん。ご機嫌ナナメか?」

『別に。待ちぼうけをくらってヒマだっただけだ』

「やっぱり機嫌悪いじゃねえか」

 あえてドラゴンで帰途に就いたのは内内に話しをしたかったため。すっかり陽が落ちた平野はとても静かだった。鳥たちの群れが近づいてくるとドラゴンと並走する。ドラゴンは恐れるものでも兵器でもない。大自然そのものなのだ。そんな火璇が誇らしく愛おしい。

「酒はサシで飲み交わすと威力発揮すんだよ」

「ふーん」と火璇が聞き流す。

『それで、ご機嫌になった一君は何か吐いたか?』

樹蓮しゅーりゃんの事は触れてこなかった。だけど今グリファである実験が行われているらしい」

『実験?』

「異能に関する開発をしてるとか。エネルギーをいじって、力を増強できれば面白いとか言ってたな」

 ドラゴンの翼が上下に大きく羽ばたくと、風を扇ぐ音が轟く。

「異能をどうこうしようと考えてるのなら、樹蓮のことを抜きにしても俺は気分悪い」

 火璇は言葉を返すことなく静かに空を飛ぶ。

「異能を利用したり、ましてや実験なんて許せねえ」

『炎威が思うように動けばいい。“同流合汚”――器と異能の誓いだ』

 最近の火璇の声は心地いい。炎威が嬉しそうに赤く美しい鱗を撫でる。そしてその背中に身をうずめる。

『……おい、お前だけ寝るなよ。この酔っ払い』

「あったけー」

『やっぱり車で帰るんだった』

「そう言うなよ。この場所は俺の特権なんだからよ」

 綺麗だ。夜空も、近い星も、傍を並んで飛ぶ鳥たちも、どこまでも続く平野も、それらすべてを凌駕する赤いドラゴンも。大きな心臓の音が鼓動すれば、その心地良さにやはりうつらうつらと瞼が重くなる。抵抗できるわけもなく、ゆっくりと瞳を閉じた。



 グリファの潜入の報告を済ませてから数日。その日以来初めてグリファの研究員がクリーチャーの研究協力へと訪れる。

 光躍がんやおへは「やはりグリファは何かを企んでいる」と報告をした。そして光躍からの指令であった樹蓮しゅーりゃん保有のも果たしたことを伝える。

 今回のグリファの来訪は急な申し入れだった。光躍の思惑通り、グリファが動いた。黒い牙内にも緊張が走っていた。

「またお前はそわそわして」

火璇ふぉーしゅえんが落ち着きすぎなんだろ」

 炎威やんうぇいがパンパンと顔を叩くと気合いを入れる。

「だってよ、もうここしかチャンスはねえんだからよ」

 光躍には無理を言って研究室の監視を任せてもらっていた。主楼の階段を下り、グリファの研究員たちがやってくる。炎威が連れ立って歩く研究員たちを注視する。

「ここからは我々たちだけに任せてもらいたい。エデンの研究室とはいえ、技術はグリファの特許であるからな」

 偉そうに部屋へ入っていく研究員たちに炎威がへこへこと頭を下げ道を通す。最後に入っていった数人が炎威を訝しむような目で睨んでいく。思わず炎威が苦笑いを向ける。パタリとドアが閉まると大きく息を吐いた。

「お守りは3人ってとこだな」

 炎威が最後に入っていった研究員人物の顔を思い出す。

「鍵のネタは教えてあるのか?」

「おうよ、どんなテンキーだったか形状からなにから喋ってきた」

 前回グリファで一君いーじゅんと酒を交わした時の事を思い出す。

「頭のいいグリファのお方たちなら訳ないだろうよ」

 ドアの傍から耳を澄まし、中の様子を伺う。どうやら一同は部屋の奥へと向かったらしい。樹蓮が隔離されている部屋だろう。

 炎威たちがそっとドアを開ける。物音は立てずに静かに部屋の奥へと歩を進める。お守りと呼んだ衛兵がこちら側を睨み見張っている。思わずタンクの影に身を潜めた。

 耳をそばだてれば遠くから研究員たちの話声が聞こえてくる。どうやらテンキーの解除装置を試しているらしい。炎威が奥へと視線を遣りながら火璇に手を伸ばす。火璇がその手に触れ、すぐ傍にいることを知らせた。

 静かに息を吸い、ゆっくりと吐く。張りつめた糸がギリギリと切れそうになった時。

 ピピ――。

 テンキーが解除される音がした。同時に炎威がタンクの陰から飛び出す。突然現れた炎威に驚いた衛兵がすぐに構えると襲い掛かってくる。飛び掛かる相手を躱し急所をつき倒していく。相手がどれほど手練れであろうと、長年市街で鍛え上げられたステゴロは誰にも負けない。

「さすが、チンピラの腕は鈍ってないな」

「うるせえな。お前は中へ回れ」

 感心する火璇に炎威が叫ぶ。火璇が取っ組み合いを繰り広げる渦中を抜け、奥の部屋へと駆け付ける。狼狽える研究員たちに、こちらも急所を衝き眠らせる。閉まりそうになったドアをギリギリのところで掴むと中へ滑り込んだ。後から息をきらした炎威がやってくる。

 入り込んだ部屋の中にはやはりタンクが一つ。中には目を閉じた樹蓮しゅーりゃんがいた。

「眠ってんのか?」

 炎威が樹蓮を目の前にする。

「さあ、出せば起きるだろ」

 炎威がタンクによじ登り養水の中から樹蓮を引き上げる。バランスを崩すと、樹蓮を抱いたままどさりと床に転げ落ちた。

 ずぶぬれの樹蓮を抱きかかえ、びしょびしょになった炎威が固まっている。

「火璇! 火璇!」

「何してんだ、早く行くぞ」

 ちょいちょいと手招きしながら必死に火璇を呼ぶ。

「服服服服! 上着貸せ。貸してください。お願いします」

 裸の少女を抱きかかえ、どうにか直視しないようにと顔をそむける。

「はあ。それくらい準備しとけ」

 しぶしぶ着ていた上着を脱ぐと炎威に渡す。火璇の服を着せると、ようやく樹蓮を抱きかかえ炎威が立ち上がった。

「第一関門突破。次が難関!」

 樹蓮を連れたまま炎威たちが研究室の外へと駆け出す。主楼に続く階段に差し掛かったところで、上の階から駆け降りて来た空霄こんしゃお天籟てんらいに鉢合った。二人が炎威の状態を見て驚く。

「騒々しいが何があった!」

 空霄が炎威が抱え込んでいるものに目を遣る。

「炎威、お前何してる!」

 炎威がじりっと態勢を低くすると構えを取った。

「すみません。行かせてください」

 空霄と天籟、炎威と火璇。両者が互いに睨み合った。

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