第17集 光と金

 光躍がんやお空霄こんしゃおたちが出払ったタイミングで炎威やんうぇいが訪れたのは研究室だった。

 廊下の角から顔を出しそっと入り口を覗くと、研究員たちが部屋を出入しているのを確認する。しかしその数は多くない。

「おし、今日なら行けそうだぜ」

 コソコソと隠れる炎威の後ろには火璇ふぉーしゅえんが呆れた様子で腕を組み立っている。

「いいか火璇、お前を巻き込んだ事は悪いと思ってねえけど、ここでバレたら今後手出しできなくなるからさ。ここは慎重に慎重を重ねてだな――」

 角に縮こまる炎威の脇を火璇が通り過ぎ研究室へと歩いていく。その後ろ姿を炎威が慌てて呼び止める。

「おいコラ! 火璇、話聞いてたのかよ」

 小声で叫ぶ炎威を無視すると、火璇が部屋から出て来た研究員に声を掛けた。

「すまない、光躍がんやおの使いで来たのだが」

 声を掛けられた研究員は疑いもせず「何でしょう」と足を止める。

「極秘で調べたいことがあって、少しだけ研究員たちを外で待機させても構わないだろうか」

「え、全員ですか?」

「ああ、そういう命令だ」

「そ、そういう事でしたら」と研究員が中にいる者に声を掛ける。作業していた研究員たちが部屋から出てくると火璇が炎威の方に振り向いた。

「大丈夫だそうだ」

 淡々と言い放つ火璇に炎威ががっくしと肩を落とす。

「そうだよな、お前はそういうヤツだった」

 部屋の入り口までトボトボと歩いていくと、火璇の肩を叩く。

「冷静かつ大胆なこって。一応バレねえように動こうと思ってたのによ」

 肩を落とす炎威に対して火璇が不思議そうな顔をする。

「お前は悪い事をしているわけじゃないだろ?」

 当たり前のように炎威を信じる。そのまっすぐな瞳に炎威が目を丸くすると小さく笑いを零す。

 出会った頃の火璇から徐々にイメージが変わっていく。炎威を寄せ付けまいと引かれた線が消え、知ろうとせず伏せられていた視線は前を向き、伝えても意味はないと閉ざされた声が今は聞こえてくる。

 のではない。これが本来の火璇の姿なのだろう。

「ニヤついてて気持ち悪い」

 冷たい視線が炎威を刺す。

 タンクの間を火璇がためらいもなく進んでいく。その後を慌てて炎威が追った。

 改めて見ると、研究室の光景は異様だった。生きてもいない、死んでもいない人の体がずらりと並ぶ。しかし恐怖は感じない。どちらかというと神聖なものが眠っているような、炎威にはそう感じた。

琳姉りんねえの話じゃ奥に部屋があるって言ってたな。火璇知ってるのか?」

「いや、初めて聞いた。俺は体に戻ったらすぐに外に出されてたから」

「そういうのってタイミング選べるん?」

 火璇が琳琳を思い出しはあっと息をつく。

琳琳あの人はそういうの好きだから、ワザとしてたんだろ」

「なるほどお」と妙に納得する。

 部屋の一番奥にたどり着くと、琳琳が言った通りもう一つの扉が現れた。しかし扉の解除には暗証番号が必要だった。テンキーを前に頭を抱える。探し物が簡単に見つかると思っていた訳ではないが、早すぎる手づまり。

「適当に押してみるか?」

 テンキーに手をかざす火璇を慌てて制する。

「おいおい、なんでお前はそんな大胆なんだよ」

「じゃあ研究員に聞く」

「光躍さんの使いじゃねえってバラすようなもんだろ」

 つまらなそうに火璇がむくれる。こんなにも子供っぽかっただろうかと最近になり思うことがある。

「じゃあどうしろって言うんだよ」

「5135745648531592」

 突然背後から聞こえた声に炎威と火璇が勢いよく振り返る。

「なんだ? せっかく教えてやったのに、そんなに敵意剥き出しの顔をして」

 獲物を追い詰めたように、ニヤリと愉快そうに笑う琳琳が立っていた。その後ろには雪蕾しゅえれいが付いている。

「や、あの、これは」

 動揺する炎威が手を振り無実を主張する。

樹蓮しゅーりゃんの存在を確かめに来た。本当の事が知りたかったから、光躍には内緒で」

 冷静に白状する火璇が意外だったようで、琳琳は少し驚いたようだった。

「火璇は光躍を疑っているのか?」

「分からない。だから二人で真実を見極めればいいとここに来た」

 火璇の迷いないまっすぐな目に琳琳が吹きだす。

「お前はすっかり炎威に懐きおって」

「なっ」と言い返そうとする火璇をさらに面白がる。

「あの、琳姉と雪蕾さんは俺たちを付けてきたんすか?」

 炎威の質問には雪蕾が答えた。

「すまない。隠れて探るようなマネをした。しかし実は私たちも樹蓮の事に関しては疑問に思っていた」

 雪蕾が小さなパートナーに目を遣ると、琳琳がその視線を見返した。

「そのドアの暗証番号は琳琳に事前に探ってもらっていた」

「琳姉そんな事ができるんすか!?」

「琳琳の得意技だ」

「え、どうやったんすか?」

 「それはだな」と雪蕾が話し始めようとしたところで琳琳が大きく咳払いをし、話を逸らす。

「それで、中へは入るのだろう?」

 琳琳の言葉に全員がドアへと視線を移す。

 火璇ふぉーしゅえんがくいっとドアへ視線を遣り、炎威やんうぇいを促す。促されるがまま緊張した手で暗証番号を入力する。ピピっと鳴った電子音が解錠を知らせる。恐る恐る伸ばした手をノブにかけるとゆっくりとドアを押し開けた。

 薄暗い部屋の中、さほど広くはないそこにはタンクが一台だけ置かれていた。そこに眠っていたのは少女の姿をしたクリーチャー。薄い栗色をした長い髪に幼い顔。見た目だと16歳くらいだろうが。歌をさえずり出しそうな柔らかく優しい顔をしていた。

「これが、樹蓮しゅーりゃん?」

 炎威がタンクに近づきその顔をのぞき込む。

 そんな炎威に雪蕾しゅえれいが咳ばらいをすると、炎威とタンクの間に琳琳が割り込んだ。腰に手を当て睨むように炎威を見上げる。

「あまりまじまじと見るではないわ」

 タンクに眠るクリーチャーは一糸まとわぬ姿だとようやく思い出すと、炎威が慌ててタンクから離れる。

「ごめっ。でもクリーチャーってなんか神秘的っつうか、綺麗すぎてつい。あ、そういえば火璇がタンクで眠ってた時もずっと見惚れてたんだっけなあ……」

 嬉しそうに思い出す炎威の後ろから刺すような視線を感じる。ゆっくりと振り返ると明らかに引いている火璇がこちらを睨んでいた。

「だから、神聖なもんを拝むのと一緒だって。変な風に勘違いすんなって」

 炎威がタンクに背を向けると腕を組み首をひねる。

「で、この子が樹蓮で、シナルやグリファが狙ってるってので間違いないのか? 戦闘要員としてシナルが狙うのは理解できても、グリファがなんでだ?」

「琳琳は他にグリファの会話は聞いてないのか?」

 火璇が尋ねると琳琳が首を振る。

「肝になりそうな話は聞いていない。しかし、戦闘能力を欲していないグリファが狙っているという事こそきな臭いな」

「ここにある書類にも手がかりになりそうなものはないな」

 棚に立てられている書類をめくりながら雪蕾が話す。炎威たちも何かヒントになりそうなものはないかと部屋の中を捜索しだした。


「ねえ、こんなところで何してるの?」

 突然入り口から聞こえた声に四人が顔を上げる。

「揃いも揃って、ここには鍵が掛けられてたはずだけど、何してるの?」

 にこりと笑った金瑞ちんるいがドアにもたれて立っていた。炎威やんうぇいの背中がゾクリとする。しかし他の三人は取り繕うどころか責める様な目を金瑞に向けていた。

「隠すような事をしておれば気になると言うものだろ?」

 琳琳りんりんが臆することなく口を開く。金瑞がふっと笑うとドアを閉め鍵をかけた。

「確かにそうだね」

 部屋に広がる冷たい空気に炎威の心臓が煩く鳴る。

「どうして隠す必要が?」

 雪蕾しゅえれいが問うと壁にもたれた金瑞が頬を緩める。

光躍がんやおがそう決めたから。樹蓮はね、ソルに匹敵するほどのエネルギーを持っている。もしそれがシナルの手に渡れば、どうなるかは言わなくても分かるよね」

「グリファは、グリファはどうして狙ってんすか!?」

「そう、それは本当に盲点だった。これから調べないといけない」

 どこか他人事のように話す金瑞に炎威が違和感を感じる。

「あの、グリファでソルシステムを見た時に、確かに樹蓮は存在していました。このクリーチャーにはすでに異能が宿っているということですよね? どうしてタンクで眠ったままにしてるんすか? なんだか、かわいそうじゃ……」

「光躍がそれがいいって言うから――」

 先ほど感じた違和感の理由がなんとなく分かった気がする。金瑞は自分の意見ではなく、光躍の意思で動いている。それゆえになのだ。

「金瑞さんなら、こんなとこ閉じ込められたままじゃ悲しくないですか? 光躍さんの言う事が正しいかどうかじゃなくて、金瑞さんはどう思うんすか」

 強く発せられた炎威の声に火璇ふぉーしゅえんが顔をしかめる。火璇にとって、今の炎威のまっすぐな言葉は辛いほどに胸に刺さる。

「光躍はさ、『僕が良い』って言ってくれてるんだよ。使えなくなったのに、そのせいで光躍は弱くなったのに。力より僕を選んだんだよ」

 熱を帯びた目が嬉しそうに笑む。

「義手の事、ですか」

 金瑞が左手首を握る。懐かしむように宙を扇いだ。



 今から5年前。シナルの襲撃を受けた黒い牙は前線に空霄こんしゃお光躍がんやお、外郭周辺を入隊したての雪蕾しゅえれいと当時の火璇ふぉーしゅえんの器とで守っていた。当時21歳という若さで指揮官をまかされていた光躍、そして空霄はシナル軍の勢いに押されていた。流涛るーたお寛宇がんう、そして湖光ふーがんの三人を相手取りながら苦戦を強いられる二人。ようやく再起不能となった流涛を撤退されると、空霄と湖光の一騎打ちとなった。

「いい加減落ちたらどうなんですか」

 鎖を振り回しながら湖光が叫ぶ。迫りくるクナイを銃で撃ち落としながら躱していると、離れた場所で爆発が起きた。光躍が寛宇が操る異能部隊を吹き飛ばす。わが身をかえりみず敵部隊に飛び込んでいくと、次々と剣でシナル軍を蹴散らしていく。果ては剣から辺り一帯に稲妻を放つと、雷撃に襲われた相手の神経を損傷させる。意識を喪失した敵兵がバタバタと倒れた。この時の光躍の力は目に見えてだった。

 そんな光躍の戦いぶりを横目で見ていた空霄にクナイの先端が突き刺さる。既の所でバレルがそれを防いだ。

「よそ見してんじゃねえよ」

 湖光が再び距離を空けると四方からクナイの攻撃が襲う。トリガーを引く隙も与えない猛攻に空霄が追い詰められる。

『空霄、いったん下がれ。光躍の援護を待て』

「人の助けに頼ってられるかよ。こいつは俺が仕留めんだよ」

『躍起になってんじゃねえ。冷静になれ』

 天籟てんらいの言葉にさらに空霄が熱くなる。天籟が察する通り、当時空霄にとって光躍は屈辱の対象だった。13歳という史上最年少で入団した少年が、みるみる力をつけ司令官になりあがった。「神童」だった。それは空霄も分かっていた。しかしプライドがその事実を受け入れなかった。

「落ちろや! 湖光!」

 力任せに銃をぶっ放す。トリガーを引く空霄の気持ちを、天籟が誰よりも分かっていた。

 熱は冷静さを取り上げる。焦りは沈着を奪う。上がった息で、血が上った頭で周りが見えていなかった。

 突然死角からクナイが飛び込んできた。

 クナイが銃に掠ると、衝撃で銃から手を放してしまう。

 湖光が本気で放ったクナイはいとも簡単に人体を貫通する。岩をも砕く。当てられた銃への衝撃は少なくない。

 投げられた銃が人の姿へと変わっていく。

 天籟の体が地に打ち付けられた瞬間、クナイが天籟の正面を目掛けて飛んできた。

 先ほどの衝撃で骨が数本折れたのかもしれない。体が動かない。避けられないと天籟が目を瞑る。

 別に体が失われることに執着はなかった。また新しい体に生まれ変わればいい。ただ、空霄は悲しむだろうか、そんな事を考えた。

「天籟‼」

 空霄が叫ぶ声が鼓膜を震わせる。空霄が走ってくる姿が視界に入った。

「お前がやられちゃ意味ねえだろ」

 「間に合わない」という焦燥感、そして喪失感で顔をひきつらせた空霄に向けて穏やかに笑ってみせる。これが空霄が見る最後の顔になればいいと、そう思った。

 しかし天籟の瞳に映ったのは飛び散る血汐。球粒になった血液が宙を舞ったかと思うと千切れた腕が目の前を飛んでいく。何が起こったのかと思考が停止した。

 ずさっと音を立て、金瑞ちんるいが天籟の前に倒れ込む。その傍にぼたりと切断された腕が落ちた。

「ちん、るい……?」

「うはっ、本当に間に合った」

 眉をしかめて笑う金瑞の額に玉汗が滲み出る。金瑞の姿に動揺した天籟の体が固まる。

「天籟!」

 怒号のような空霄の声にはっとするとすぐさまマシンガンに姿を変える。雨のような銃撃が湖光を襲う。慌てて水晶すいちんがドラゴンに変化すると空高く飛び上がる。背後の空から赤いドラゴンがこちらに向かってきた。思わぬ後援に湖光たちが退散する。

 シナル軍が撤退していくと、天籟が金瑞に駆け寄りその体を起こした。

「おい、金瑞、どうして」

 無くなった左手を抱えるようにして金瑞が座り込む。服にはじわじわと血痕が広がっていく。

光躍がんやおが守れって、無理言うんだもん。困っちゃうよね」

 空霄が金瑞の傍に立ちすくむ。光躍の指示で天籟を庇ったという事実に衝撃を受けた。

 そこへ光躍が駆け付けてくると、組員に救護班を呼ぶように指示をする。

「応急処置だけして救護班の元へ連れて行け」

「光躍」

 冷静に指示を出す光躍の名を金瑞が呼ぶ。その顔は血の気が引き、息が上がっていた。

「光躍、いいから、僕を殺って?」

「早く手当てをしろ」

 金瑞の声に耳を貸さず光躍が周りに声を掛ける。

「ねえ、処置したって腕は戻らないんだ。早く!」

 縋る金瑞に光躍は顔色一つ変える事はない。

「もう僕は使えないんだって! 腕ないんだよ!? つるぎも使い物になるか……。分かってるでしょ! こんな体生かしてどうするの‼」

 血相を変えた金瑞が今度は空霄に向き直る。

「撃って! 撃ってってば! 新しい体に、戻らなきゃ!」

 涙を浮かべた目で訴えられ、空霄がたじろぐ。どうしたらいいのかと光躍を見るがその態度を変えることはない。

「大人しく手当てをしろ。それ以上損傷を広げたいのか」

 泣き崩れる金瑞が組員たちに運ばれていく。

 その辛さを知っているのは天籟だった。欠損した体など、器の足手まといにしかならない。戦禍では器を危険にさらしてしまうだろう。守りたいものを守れないなど、そんな苦しいことはない。

 その場を去っていく光躍の背中を見つめる。

 その胸の内を知るのは空霄だった。たとえ自分の力が衰えようが、それで命を脅かされることになろうが、自らクリーチャーを殺すほど残酷な選択肢はない。姿かたちが変わってもパートナーはパートナーだと、きれいに折り合いをつけられるほど心は強くない。それは神童と呼ばれて来た光躍とて同じだった。

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