第8集 火璇の瞳
戦闘が日常に馴染んでしまっている城内では、他都市や野賊の奇襲があった翌日でも普段通りの生活が戻っている。商店は賑々しく、子供たちが走り回り、女性たちが集まり話す笑い声が聞こえ、組員たちも揚々と街を行き交う。
「
勢いよく開かれた扉に視線を向けたのは
見れば机には茶器が用意され、茶を淹れている最中だったらしい。しかし、準備をしているのは光躍だった。その光景が意外だった。
「火璇はいないよ」
金瑞がにこりと笑み答える。
「え、あ、そうっすか! すみませんノックもせず」
「
茶を蒸らすいい香りが部屋に充満している。茶壺を見つめる光躍は語らずとも強烈なオーラを放つ。委縮した炎威はドアの傍で直立不動にのまま動けなくなる。
「ほらあ、光躍が無愛想だから炎威が怖がってるじゃない」
金瑞が光躍の顔の前で手をひらひらとさせると、ようやく気付いたように光躍がはっと意識を戻した。光躍が炎威へと振り向く。その所作、表情、どれも品格が漂い紳士的で目が釘付けになる。
「すまない。飲むか?」
ただ、どれだけ風格があろうと怖いものは怖い。同じ席で茶を飲むなど、味がしないほど緊張するに決まっている。
「いえいえ! 俺は大丈夫です。それより、光躍さんが淹れるんすね。金瑞さんとか、そういうの上手そうだなーとか思ったんすけど」
「えー、僕は面倒くさいからやらない」
そう言うとどかりと背もたれに背を預ける。そんな金瑞の前に光躍が茶を差し出した。
「アレしないんですか?
ジェスチャーをして見せる炎威に向け、金瑞が目を細めて笑む。
「もう何回も飲んだお茶だし、今更やらないんだよ」
「そういうもんっすか」
素直に納得した炎威だったが、金瑞の細めた目が気にかかった。少しだけ、たいしたことではなかったのですぐに忘れるほどの事だった。
その時、
「お! やっと見つけた!」
輝く炎威の瞳に火璇がうざったそうに眉をひそめる。
「火璇、この後予定は?」
「ある」
「おう、ないな。ちょっと付き合え」
「はあ? だからあるって」
「お前は嘘つけないタイプな」
炎威が火璇の手首を掴み部屋の外へと引きずっていく。強引に連れ去れらて行く火璇を
「いいね、
窓の傍に行くと外を見下ろす。しばらくすると炎威たちが主楼から出て来た。未だ手を引かれながら連れられる火璇はそれほど抵抗しているようには見えない。
「市街に行くのかな」
少しだけ焦がれる色が金瑞の目にうつる。
「行きたいのか?」
「外は暑いし煩いし、ここで君と茶を飲んでるのが一番いい」
「それにまたいつ奇襲があるか知れないし」とソファに腰を下ろした。光躍の入れた茶を鼻に近づけすんと香りをかぐ。「いい匂い」と頬を緩めた。
「どこに行くんだ」と
「市街。火璇はあんまし行った事ねーだろ?」
市街という言葉で晴れた顔にはならない。
「城内にいりゃあ事足りるもんなあ。物も治安もいいし」
「それに、クリーチャーは月に一度しか出る事を許されていない。出ても市民と言葉を交わすことも禁じられている。出たいと思う理由がない」
「じゃあ、俺のわがままに付き合うっていうテイならいいだろ?」
諦めてため息を吐く火璇にニカっと白い歯を見せて笑う。
家や商店の建築的な構造は城内のものと変わらない。しかし整備されていない道路は砂埃が舞い、建物のレンガは土色が剥き出しになりところどころ崩れている。古い自転車の後方に取り付けられた荷台にはたくさんの品物が積まれ運ばれていく。無邪気に聞こえてくる子供の声は城内よりも多く、ついさっきも火璇の足元を子供たちが横切り駆けて行った。ギリギリぶつかりそうになり驚いた火璇に「ごめんなさい」と丁寧に頭をさげ再び走り出す子供たち。すべてが賑やかで活気にあふれていた。
「城内に比べればまあ、綺麗とはいいがたいけどな。領主さんのお陰でみんな結構いい暮らし出来てんだよ」
黒い牙に入ってそれほど時間は経っていないが、それ以来初めて市街へ出た。こんなにも恋しかったのかと、炎威が懐かしそうに街を見回す。
「南区域では以東都市へ輸出する織物の管理が主でな。エデンは繊維工業が主産業だろ? と、見せかけて武器のメンテナンスやヤクや酒の管理をしてる」
ニヤっと悪い顔を火璇に向ける。
「
「先制してエデンに賭博場を作り、多くの他都市民が出入りする環境を作った。それで密売の流通ルートやツテを作ったのが領主の手腕と言われているな」
「そうそう。北区域が賭博場や他都市との窓口、東区域が輸出業を担ってる。そんで黒い牙が西で守備に徹してくれてる。結構この都市って団結してんだろ?」
自分の都市を自慢げに話す炎威の声が心地いい。
「まあでも南はちょおっと血の気が多い奴が多くてさ。縄張り争いって言って喧嘩や抗争が絶えないんだけどさ」
先ほどまで団結がどうのと言っていたのに話が変わってきている。
「それもこれも自分の家族やダチや仲間の生活を豊かにしてやりてえって思いがあっての事だからさ」
「上手く制して均衡を保つのがオマエ……炎威が属していたグループの役割だったのか」
「ん? まあ、そんなとこ。争い事はないにこしたことがないだろ? なくなればその方がいい」
「大層なことはしてねえぞ」と炎威が軽く流し笑っている。火璇が少し思いを詰まらせ歩を止めた。
「争いがなくなれば、俺もいらなくなるな」
ぽそりと独り言のようなつぶやきだったのに、炎威はそれを聞き逃さず振り向いた。
「平和ボケした世界で、お前はお前のままいればいいだろ? 毎日美味しい茶飲んで、みんなと駄弁って、たまに俺と出かけたり。そうやって生きていけばいいだろ」
炎威はクリーチャーを兵器として見ていない。それは黒い牙に来て間もないからか、ただのいい奴バカなのか、これから変わっていくものなのか。いや、クリーチャーを大切なパートナーだと考えている奴らは何人も知っている。炎威もそうあってほしいと、願っているのだろうか。
炎威がキョロキョロとしだすと、一つの店を指さした。
「火璇腹減らねえ? 飯食ってこうぜ」
指さされた店を見て火璇が固まる。
開けっぴろげな店先から丸見えの厨房。埃っぽさを感じる床にはアルミテーブルと丸椅子が乱雑に置かれ、店頭に置かれた大きな寸胴鍋からは湯気が出ている。火璇がいつも利用しているレストランとは様相が違う。
「おい、店の前でそんなあからさまに嫌な顔すんなよ」
「ごめん」
炎威に睨まれれば、無意識だとしてもさすがに失礼だったと謝る。
「結構上手いんだぜ、この店」と炎威が入っていけば元気に店員が出迎える。
「おお!
店主が炎威に声を掛けた。
「聞いたぞ、お前黒い牙に入ったんだってな。こんなちっせいボウズだったのが立派に成長したもんだ」
「オヤジいつの話してんだよ。とりあえずなんか飯。こいつと二人分頼むよ」
店主が火璇を見ると、その出で立ちに驚いたようだったが愛想好く笑い厨房へ引っ込んでいった。
出て来た品物はお椀にひたひたに注がれた卵のスープ、青菜の炒め物や汁麺。どれも素朴だが出汁が効いていて優しい味だった。
「おいしい」
スープをすすった火璇がそう零せば炎威が「だろお!?」と自分が作ったかのように自慢げに喜ぶ。
その後も町の行く先々で炎威が声を掛けられては市民と楽しそうに話した。知らなかった炎威の姿を火璇がぼうっと眺める。そんな火璇を街の人は遠巻きに、それでも興味津々といった風な目で見ていた。周りからの視線は火璇にとって疎外感を感じさせ、居心地を悪くさせた。
「みんなこんな綺麗なヤツ見たことねえからびっくりしてんだよ。気にすんな」
「きれ――っ」
「最初に言っただろ? ど美人だなって」
火璇が耳を赤らめ膨れっ面になる。
「俺がそんな美人連れてんのが相当珍しいらしい。というか、俺が構われるわけないって、逆に疑ってるんだってよ」
何がおかしいのかケラケラと笑う炎威。愉快そうに笑いながら「お、ここだ」と一つの店に入っていく。そこは装飾品を売っている店のようだった。
店内にはリングやピアス、ネックレスなど様々なアクセサリーが並ぶ。細工も美しく、使用されている天然石は上質なものばかりだった。
「南区域はブツを管理してるって言ったろ? 城内に卸してるもんより質がいいのがあんだよ」
炎威が火璇の耳元でこそっと囁く。それだけ伝えると自分は何やらアクセサリーを物色しだす。美しい房や銀の細工で出来た髪飾りを手に取った。
「姉と妹にか?」
火璇が声を掛けると「んー」と顎に手を当てて唸り出す。
「いんや、お前にだよ」
そう言うと髪飾りを火璇にあてがう。あれも違うこれも違うと試しだす。
「俺? なんで俺?」
「いやー、姉貴や妹が人形を飾って遊んでた気持ちが今分かったわ。なんかお前見てると着飾りたくなる」
「は?」と怪訝そうな火璇をよそに次はネックレスの売り場で探し始める。
「うお! これいいじゃん」
「なあ、ばあちゃん! これちょうだい!」
店の奥の椅子に座りうつらうつらとしてる店主を呼び起こす。起きた女主人は炎威を見るなりしゃっきりと背筋を伸ばし、ずんずんとこちらへやってきた。
「炎威じゃないか! また喧嘩でもしてんのか? お前さんが装飾品だと? どういう風の吹き回しだい。だーれにあげるんだ」
罵声を浴びせるようにたたみ掛ける主人に炎威が苦笑する。しかし老婆が炎威の後ろに立つ
「この美人さんにかい? ほんに、この石みたいな綺麗な目をしとる」
「だろ? それで、これいくら?」
炎威の頭をぽこりと叩くとけっと唾を吐く。
「お前さんには高価すぎるわ。でもまあ、出世払いにしといてやるよ」
悪態をつくこの老婆も炎威の黒い牙への入団は知っているのだろう。それに、その事を誇らしく喜んでいるように火璇には見えた。
「そうはいかねえよ。もらったもんをあげるなんでダセえだろ」
ポケットからくしゃくしゃになった有り金を全て出すと女主人に差し出す。
「とりあえずこんだけ。足りねえならぜってえ後で払う」
それを見ると女主人は「十分だ」と受け取った。そして火璇に目を遣る。
「あんたも黒い牙の方なんか? ならこのバカを頼んだよ。考えなしに動くし人の話聞かねえし、まっすぐなんだ。この辺りのヤツらはみーんな、このバカに救われてんだ」
「バカって言いすぎだろ」と楯突く炎威を再び老婆がぽかりと殴る。気が付けば火璇が「はい」と小さく返事をしていた。
「別に、気に入らねえなら外してもいいからな」
炎威の隣を歩く火璇の胸元にフローライトが光る。返事はしないが外す気もなかった。
「家族には会っていかなくていいのか?」
「うーん」と伸びをしながら炎威が考える。
「いいわ。お前いるし」
すぐに火璇に気を使っていることが分かった。家族を知らない、兄弟を知らない火璇にとって、その場は居心地がいいものではないかもしれない。疎外感を与えないとも限らない。それよりも今日は火璇との時間を大切にしたかった。きっとそんな事を考えているに違いない。
「いつか会ってみたいけどな。炎威の家族に」
「そうだなー。きっとうっるせえぞー」
炎威が笑う。その隣ですこし頬が緩んでいる自分に、火璇自身気付いていなかった。
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