第2集 火璇

 賑わっていた街を抜けると突然現れたのは重厚かつ豪華絢爛にそびえ立つ門。圧倒し言葉を奪う光景とはこういうものだと、炎威やんうぇいがただただ立ち尽くす。

 朱色が目を引く塗装がほどこされた門をくぐると、そこにはさらに目を奪われる光景が広がる。

 白い石で出来た道は広く奥まで続いている。その両脇には大理石で掘られた彫刻、龍や獅子を形どった像が並び、空には無数の飾りちょうちんが揺らめいている。さらに驚くのはだだっ広い空間を覆い囲むように建てられた建物で、鮮やかで華美すぎるほどの色彩を纏う。一見派手派手しい見た目なのに、よく見るとその柱に描かれた柄や装飾は精緻を極めており、まるで神技だ。高い建物だと5階はあるだろうか。近くで見上げれば飲み込まれそうなほど豪壮だ。奥へと進んでいくと、香を焚いているのだろうか、品がありつつも神聖な香りが充満し気が引き締まる。

 キョロキョロと落ち着きなく周りを見回している炎威やんうぇい天籟てんらいが呼ぶ。一番奥にある建物の中へと誘った。中では組員たちが行き交い、どこからか武術稽古をしている掛け声が聞こえてくる。気のせいだろうか、天籟が引き連れている男に視線が突き刺さる。炎威はそれに畏縮することさえなかったが、居心地の悪さを感じていた。

「ここは黒い牙の主楼しゅろうにもなってるし、香頭しゃんとうの住居もこの中にある。稽古や招集がなければみな自由に過ごしている。香頭の集会室以外はこうやって他の組員たちも使用する場所になる」

「集会室?」

「他のヤツらは密議室なんて言ってるけどな」

 ケタケタっと天籟が笑う。

「香頭ってトップの集まりなんすよね? 何人くらいいるんすか?」

「今は、3人……7人か?」

「ナナ!? そんな先鋭にいきなり俺なんかが!?」

「ははっ。素質があんだよ、素質が」

 なぜ自分が選ばれたのか全く心当たりがないながらも、目には燃える闘志がギラつく。その目を見た天籟がニカっと口角を上げた。

「頑張れよ。新人!」

 背中をバンと叩くと、「押忍」と炎威の気合の入った返事が廊下に響いた。


 天籟てんらいが重々しい扉の前で立ち止まる。

「ここが香頭しゃんとうの集会室」

 そう言って重そうな扉をガチャリと押し開けた。扉の向こうには、またしても炎威やんうぇいが人生で初めて目にする光景が広がる。

 大理石が敷き詰められた白い床が輝く。家具は細かい細工が施された赤茶色の木材が使われており、全て漆塗りされ、てりてりと光る。高い天井にまで届くほどの水墨画、そして厳格な雰囲気の書道が壁に飾られ、棚には陶器の壺が並べられていた。

 丸い形の出入り口である月亮門ムーンゲートが付いた格子の壁が中央にあり、その奥にも部屋が続く。

 そして、部屋中央に置かれている木彫りの応接机の椅子に腰かける人物がいた。背中を向けている人物はひじ掛けに腕を置き頬杖をついている。気だるげな後ろ姿はまるで声を掛けるなと敬遠しているように見えた。

火璇ふぉーしゅえん、一人か?」

 天籟が発したその名前に炎威の目が見開かれた。

 気だるげなオーラのまま火璇と呼ばれた男が振り向く。ドキドキと胸が高鳴る炎威には、おもむろに振り向くその所作がとても美しく映った。

 長く赤い髪を結い、髪の色が白い肌を際立たせる。そして涙ぼくろのあるアンニュイな目元にはブルーフローライトのような瞳がのぞく。首筋には天籟と同じドラゴンのタトゥーが這っている。振り向いた火璇が炎威に気付くとゆっくりと立ち上がった。その一つ一つの動作に目が釘付けになる。

「すっげえド美人!」

「チンピラ?」

 目を輝かせる炎威にあからさまに不機嫌な表情で吐き捨てる。きっと奥ゆかしい性格だろうと決め込んでいた炎威の想像を裏切るその態度に顔が引きつる。「え?」と聞き返すことしか出来なかった。不愉快に歪んだ顔は火璇の顔立ちにはあまりにも似つかわしくない。

 「チンピラ」と呼ばれた事は百歩譲って許そう。もう慣れた。それよりもさっさと席を立ちその場を離れていく火璇に焦る。

「ちょっ、お前俺の教育係じゃねーの!?」

「『オマエ』……」

 振り向いた火璇はそう呼ばれたことに心底嫌悪を示している。二人のやり取りと見守っていた天籟が思わず吹き出す。

「いいねえ、初見から仲良さそうで」

 どこがと二人が天籟を睨む。その視線を満足そうに受け止める。

「炎威、こいつは教育係じゃねえ。お前のパートナーだよ、パートナー」

 「パートナー?」と首をひねる炎威が間抜けな顔になる。そうだよと天籟が先輩面で頷けば、火璇の眉間に深いしわが寄った。

「うおっと! 油売りすぎた。イラチのおっさんにまた怒られる」

 じゃ、と短く挨拶すると天籟が部屋を飛び出し駆けていった。最後に「仲良くな」と扉から顔を出し二人にウィンクする。その姿に炎威が唖然とする。「こんな不愛想なヤツと仲良くするとは」。炎威の頭に暗澹の文字が浮かび上がる。しかしぐじぐじと悩むのも遠慮するのも柄ではない。再びどこかへ行こうとする火璇の後を追いかけついて回る。

「なあ、俺って今日から黒い牙のメンバーってことでいいのか? 稽古とか、訓練とかはどうするんだ? 一日のスケジュールは? 組織の体制は? お前も戦闘要員なのか?」

「オマエじゃない」

「じゃあ火璇ふぉーしゅえんって呼んでいいか?」

「……」

「火璇、どこ向かってるん? さっき天籟てんらいさんが言ってたパートナーって何? 戦闘で一緒に行動するとか? そういやドラゴン! 火璇は見たことあるんだろ? 俺は町から何度も見た。青い空を力強く泳ぐドラゴンがすげえ綺麗で、かっこよくて、憧れたんだ。あれは燃えるような真っ赤なドラゴンで――」

 バンと火璇が行きついた先にあったドアを叩く。いきなりの大きな音に炎威の体が跳ねた。

「ここ。お前の部屋」

「え、あ、案内してくれたのか。ありがとうな」

「この建物が香頭しゃんとうの住居。後は勝手に探索でもしてろ」

 冷たく背を向け歩き出す火璇。言われた通りに一人で城内をぶらぶらするのもいいだろう。しかし、パートナーと言われたその意味を、その相手をまだ何も知らない。

「火璇が案内してくれよ」

 「は?」と綺麗な顔が歪む。

「なんでお前を案内しないと――」

「俺もじゃねえよ」

 ニカっと歯を見せ笑えば、火璇は調子を崩されたように今度は拍子抜けた風に顔面を歪ませた。


 炎威やんうぇいが黒い牙に所属して数日が経つ。火璇ふぉーしゅえんは相変わらず必要最低限の会話しかせず、炎威には冷たい。それでも稽古をする道場が分かれば、炎威は毎日のように顔を出し組員と手合わせし鍛錬した。未だに天籟てんらい以外の香頭しゃんとうのメンバーに会うことはなかったが、天籟の計らいもあり火璇は強制的に炎威とすごすはめになっていた。天籟は火璇よりも先輩なのか、火璇も天籟の言う事を大人しく聞く。その辺りの関係性を訊いてみるが、天籟は火璇に聞けと言い、火璇は面倒くさいと教えてくれない。

 この日も集会室には炎威と火璇が二人きり。火璇はずっと難しそうな本を読んでいる。憧れの黒い牙に所属している手前言いつけには逆らえないが、やはり炎威にとって火璇は苦手なタイプだった。

「難しそうな本読むんだな」

「……」

「はあー。ちょっとはコミュニケーション取ろうとかさ、そういうのないのかね」

 背を丸め項垂れる炎威をちらっと見ると、火璇が本を閉じる。下を向いたままの炎威に向け、唇が少し動く。しかし言葉を吐く前に再び口を閉ざした。そしてすくっと立ち上がると部屋のドアへと向かう。

「おい、どこ行くの」

「外。城内の街へはあまり出たことないだろ?」

「え、ない! 案内してくれんの?」

 つかつかと行ってしまう火璇を急いで追いかける。主楼を抜け出し街に出る。黒い牙の内情は外に漏れないよう遮断されている。この街で働く者たちは代々城内で育ち城内で生きている。必要最低限しか市街へ出ることは禁じられているし、細かい制約もある。そもそも――。

「なんっでも揃ってんだな。そりゃここに住んでりゃ外になんて用ないか」

 キョロキョロと見回しながら炎威が歩く。路面店が連なるその場所は活気があふれ、商売人たちが行き交う。普通の家族、友人同士の買い物、だれが組織の者でだれが町人なのかも区別がつかない。そこには普通の生活がある。市街となんら変わりはない。ただ一点をのぞいて。

「なんで街に出なかったんだ?」

 火璇が目を合わせる事無く問うと、炎威やんうぇいが気まずそうに頬を搔く。

「いやぁここってさ、たっけえんだって、何もかも。飲食店も全部高級だしさ。ほら、みんな綺麗な服ばっか着て。外じゃ無理だぜ、こんなの」

 金がないのかと冷ややかな目を向けられれば、「悪かったな」と炎威が噛みつく。

「給料出ればほっつきに来ようと思ってたんだよ。しかしほんと賑やかだな。みんな明るくていい街だ。それに若いヤツらが多い」

 炎威の話を黙って聞きながらただ歩く。

 今伝えなくてもどうせ分かる。どうせ知る。どうせ――。そんな言葉がうろうろと思考を支配する。

「そういや、今日他の黒い牙の組員は? 香頭しゃんとうの人たちにも天籟てんらいさん以外まだ会った事なくてよ。7人? いるんだっけか?」

「この城内はエデンの西側に構築されている。それは西に位置する侵略国であるシナルを警戒しての事。だがここのところ、エデンの東側、非武装地帯のきわにシナルが布陣を張り出した。香頭以下は厳重警戒として東を固めている」

 つらつらと話す火璇の話に炎威が目を丸くする。

「なんだよそれ。そんな話知らねえよ。俺らは招集されてねえの!? 戦闘態勢になるかもなんだろ?」

「お前が行って何が出来る」

 火璇のその態度に苛立ちがつのる。

「だから、そういうの教えてくれって前から言ってんだろ! やんなきゃ出来ねえし、出来るか分かんねえじゃん。俺にはお前しかいねえんだからよ!」

 「……めんどくさい」と吐き捨てられた言葉にぷつりと糸が切れる音がした。

「オマエなあ! なんでそんな言い方しか――」

 炎威やんうぇいの怒号が響くと同時に爆音のサイレンがエデン全体に鳴り響いた。

「緊急警報! 緊急警報! 西方エデン支配領域内に飛行物体を確認。全ての市民は緊急避難してください。香頭以下戦闘部隊は第一戦闘配備。ただちにこれを阻止せよ。繰り返す。緊急警報……」

 市街に住んでいる時にも幾度と聞いた警報。町中の混乱を思い出す。

 炎威と火璇が顔を見合わせる。

「西方……? 東じゃないのかよ」

「ダミーだったか」

 火璇の声色が心なしか引きつる。炎威やんうぇいが西に向かい走り出す。

「おい、待て!」

 入り組んだ路地裏、狭い道の障害物を避け、壁を伝い走る。その後を火璇が容易く追う。追いかけながら炎威の身体能力の高さに感心する。

「おい、お前が行ってどうする」

「香頭は集合だって! 今俺らしかいないんだろ!?」

「他の部隊は少ないが残留している。任せておけ」

「飛行物体って、ミサイルだろ!? 今領域に入ったって事はあと10分もしないうちに着弾する」

 追いかける火璇には炎威の背中しか見えない。その正義感溢れる背中に顔をしかめる。

「だから、お前が行って何が出来る!」

 炎威が急ブレーキをかけると急に振り返る。突然止まることが出来ず、炎威に飛び込んできた火璇の胸ぐらを掴んだ。

「さっきからうだうだうっせーな! 戦い方分かんねえよ、教えてもらってねーんだから。だからってじっとしとくのか!? 俺は戦闘部隊なんだろ!? 避難誘導とか、誰かに手を貸すとか、テメエで出来る事やるしかねーだろ!」

 少し凄んだような火璇がふるふると顔を振る。その顔はまるで何かに怯えているように見えた。

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