第3集 失った憧れの赤いドラゴン

 火璇ふぉーしゅえんに背を向け走り出す。避難する人々をかき分け西へと向かう。城郭都市であるエデンを囲う外郭には監視塔がある。そこへ行けば境界線の様子が分かるはず。外郭の高い壁が近づいてくる。外郭の歩廊には迎撃ミサイルが控えているはずだ。一部の組員が残っているのなら一先ず安心かと思った矢先、物影に潜む逃げ遅れた市民が視界に入った。老人と数名の若い女たち。城内で働いている者だろうか。慌てて炎威やんうぇいが駆け寄る。

「おい、何してんだよ。早く逃げろ」

「す、すみません。この方は足が悪くて。私達が手を貸して逃げようと思ったのですが」

 老人は無理に足を使ったせいか左足は痙攣を起こし、その場に座り込む事しかできない。

「すまない、行ってくれ。儂の事はいいから。お若いの、この方たちを頼む」

「って言ったってもう時間ねえよ! 姉さん方走れるか? 俺はじいさんおぶってくから!」

 女たちは頭を下げると走り出す。それでももうミサイル着弾までの十分な時間はない。市民もまだ全員は安全区域まで逃げきれていないだろう。

「迎撃が成功してくれればいいけどな」

 老人を抱え上げようとした時、凄まじい発射音が轟いた。雲を切り裂く轟音とともに煙と砂塵が吹き上がり一帯に充満する。視界が悪くなった中、炎威が空を見上げる。

「数弾のミサイルの迎撃失敗! 来るぞ!」

 組員の声が響く。

「くそッ、やっぱり人員足りてねえのかよ」

 「ああぁぁ」と老人の脅える声や、組員たちの逃げ惑う声に炎威も息をのむ。

香頭しゃんとうだなんだって、なんも出来ねえじゃねーかよ、テメエはよ!」

 悔し紛れに吐き捨てると老人の体に覆いかぶさる。せめて、せめてこの一つの命だけでも守れれば。そう願いぎゅっと目を瞑った、その時――。


 キンと甲高い獣声が空に響き渡る。突然頭上を雲が覆ったかのように太陽が隠れ、影が広がった。再び太陽が顔を出した空を見上げ、炎威やんうぇいが目を見張る。

 太陽の光を鋭く反射した燃えるように赤い皮膚。膜で覆われた翼は光を通し、張り巡らされた血管が美しく模様を描く。猛々しい顔はどこかで見たような美しい横顔を携え、太くしなやかな尾は輝く鱗と艶やかな毛が覆う。

 間違いなく炎威が焦がれていた赤いドラゴンが目の前に姿を現した。それは遠くから見るよりも神々しい。炎威の瞳が赤に奪われる。

「戻ってきたんか、火璇ふぉーしゅえんが!」

 老人の言葉に炎威が驚く。

「ふぉーしゅえん……火璇っつったか、じいさん!?」

「そうじゃ。器を失くしてから随分と姿を消しとったのに。ついに新しい器が現れたんか」

 器、失くした、現れた、一体何のことか炎威には分からない。そんなことを考える余裕もなく、空に何かが光を反射する。迎撃をかいくぐったミサイルだ。もう逃げられないと腹をくくる。しかし目視できるまで近づいたそれの前にドラゴンが立ちはだかった。大きな壁に被弾するかの如く衝撃音が続く。ミサイルを全て受けると、さすがのドラゴンも腹を見せ背から倒れ込む。しかしその姿に組員からは歓声が上がる。ふらつきながら落下する赤い塊が、驚いたまま固まる炎威の前に降り立った。深淵を思わせる大きな瞳が炎威を捕えている。まるで吸い込まれるようにその瞳を炎威が見つめる。

『摑まれ』

 金切り声とともに突風が炎威を襲う。獣声のはずが、炎威には言葉が聞こえた。それは紛れもなく火璇の声。

「火璇、お前なのか?」

『早く乗れ。やりたいならやればいい』

「どういうことだよ……」

 傍から見ればドラゴンと会話をする青年。その姿に老人が身を震わす。

「器はあんたさんやったか」

 まだその言葉の真意が分からないまま、炎威の体は駆け出していた。ワケの分からない事態のはずなのに、状況を飲み込めていないはずなのに、体が勝手にドラゴンに飛び込んでいた。慣れたようにひょいと炎威やんうぇいを背中に乗せる。大きく羽ばたくと地に風を残し巨体が飛び上がる。初めて宙を飛んだ炎威の心臓が大きく鳴る。しかしどうしてかドラゴンの背中が心強く感じた。

 外郭を飛び越えると外には手つかずの草原が広がり、その先にはひび割れた地が剥き出しになっていた。今ではそこがシナルとの境界線となっている。初めて見る外の光景に炎威が息をのむ。

「なあ、マジで説明してくれって」

『前を見ろ。お前がやるのはあいつだ』

 前方には空の青よりも藍いドラゴンがこちらへ向かって来ている。猛烈なスピードで迫るそれは荒々しい気性を物語る。その背中にも人影が見えた。高笑いをしているのか下品な顔面が遠目にも分かる。

『シナルの流涛るーたおだ。ただの気持ち悪い男だが厄介なヤツだ』

「てことは、やっぱりシナルの刺客か!? マジで東はダミーだったのかよ」

『お前、長物は使えるか?』

「は? 武器? 俺喧嘩は素手派なんだけど?」

『来る!』

 衝撃が腕に走る。目の前に下品な顔が迫っていた。いつの間にか炎威の手には武器が握られており、それが流涛の持つ刃物をすんでの所で制していた。ギリギリと押し込んでくるのは流涛の持つ鎌の刃。炎威の首に冷や汗が流れる。

「おまえかよ、新しい器ってのは」

 抑揚した顔が炎威を見下ろす。

「それで? もう仲良ししてるの? ねえ、殺していい?」

 炎威の持つ武器がずしりと重くなる。力任せに流涛の刃を振り切る。武器が現れると同時にドラゴンが消え、足場がなくなる。流涛を突き放した反動で距離を取り、着地体勢に入る。武器を持った瞬間から、身体能力がけた外れに上がっている。

 ずさっと着地すると、炎威が手に握った物に目を遣る。

 柄の両端には三日月型の刃が付いており、人間業とは思えない緻密な装飾が施されている。美しすぎる兇器。

「両剣型のギロチンね。なるほど物騒な武器だな」

『油断するな、前を見ろ』

「は!? もしかしてコレもお前なの!?」

 炎威やんうぇいが武器に話しかける。返事を待つヒマもなく流涛るーたおの気配を感じた。舞う様に斬り込んでくる流涛の鎌を躱す。しかし思うようにギロチンを扱えない。扱いなれていないからではない、重いからでもない。炎威の思うように振ることができない。言う事を聞かない。必死に刃を振り回すが、流涛の攻撃を制するので精一杯の状態だ。

「オイオイオイオイオイ! 弱っちすぎんだろ、あぁ!?」

 流涛の動きが読めないわけではない。斬り込んでいけるはずなのに、ギロチンが思うように使いこなせない。やっとのことで横ばいに振り切った刃も簡単に躱された。その後は炎威が攻撃する猶予もなく流涛の斬撃を受けれは吹き飛ばされ、殴られけられては防ぐことで一杯だった。ついにギロチンを杖に項垂れ立っている事しかできなくなる。口からは唾液なのか吐瀉物なのか分からないものがしたたり落ちる。

「なんっだこりゃ。殺る気もうせるくらい面白くねえ」

 穴という穴からいろんなものを滴らせる炎威に流涛がイラついたように顔を引きつらせる。

 自分がこんなにも弱いはずはない、喧嘩では負けたことがない、どうしてこんなに動けない。ヒューヒューと息を吐く今の炎威には敗北しか感じない。

「マジで死ぬんね、ここで」

 似合わない覚悟を決めるしかなかった。

 すると遠くから数十発に及ぶ砲声が聞こえて来た。このタイミングでこの数の砲弾が襲って来ては、今いる組員や炎威ではとてもじゃないが防ぎきれない。

 流涛るーたおがつまらなそうに空を見上げる。

「マジか。出番終わり?」

 流涛が鎌を振り上げる。

「弱っちくても器は器だろ? 報酬高くつくぜ。その後城内から壊していきゃいいからさ」

 圧倒的弱さを自覚した炎威が倒れ込む。自信を喪失するとこんなにも力が抜けるのか。振り上げろ、動け、何でもいい行動しろ。そう体に言い聞かせるが動かない。振り下ろされる刃先が光る。炎威の心はすでにそれを受け入れていた。

 大きく鎌が振り下ろされた。

 覚悟を決めてから数秒。なんの痛みも感じない。案外殺られるときはこんなものなのかと考えていると、項垂れ地面を捕えていた視界にぼたぼたと血が降ってきた。左手を見ると先ほどまで握っていたはずの武器がない。見上げた炎威やんうぇいが衝撃を受ける。

 目の前には火璇ふぉーしゅえんが立ちふさがり、その背中にはやいばが貫通していた。げほっと火璇が血を吐くと更に赤い塊が地面へと落ちる。

「おい、火璇、なにして……」

 絶望で青白くなった顔とは反対に、流涛るーたおの顔が真っ赤になる。

「うはっ。優秀ゆーしゅー。でもコレとアレ、どっち守んの?」

 飛来する砲弾に目を遣ると、力任せに鎌の刃を抜き取る。一瞬大きな炎が上がったかと思えば再びドラゴンとなった火璇が飛び立った。しかしその胸には大きな傷が広がり、蛇行しながらしか飛ぶことができない。

「おい! そんな体じゃお前は!」

 そう叫びたかったのに声も出せない。

 情けない。何も出来ない。アイツの言う通りだ。俺は本当に、無価値だ。

 火璇が盾となり砲撃を受けると苦しそうな奇声が上がる。弾薬が爆発すると、ドラゴンの羽を捥ぎ腹を抉る。それでも攻撃を受け続ける火璇の姿に胸が張り裂ける。視界がにじむ。やめてくれと心で叫ぶ。

 音が止むと落下するドラゴンがみるみると人の形に返っていく。炎威の目の前、ぐしゃりと音を立てて火璇が落ちる。それは文字通り、血だるまになった人の体だった。

「お、おい、火璇……」

 炎威が震える手を伸ばす。フローライトの瞳は光を失い濁っていた。炎威の喉から悔しさを潰したような嗚咽が鳴る。その光景に流涛が唾を吐いた。炎威の目の前にしゃがみ込むと、見下ろした目が三日月に笑む。

「だから、手前を殺しといたほうがよかったろ」

 もう一度振り上げた鎌が振り下ろされる。無力な自分に、もう抵抗などする気にもなれなかった。


 何が起こったのか分からなかった。まるで蛇のような稲光が地を這い流涛を襲う。しかしそれは速すぎて炎威の目には確認できなかった。凄まじい光が背後から走ってくると、次の瞬間には流涛るーたおの叫び声が聞こえていた。

 辺りにバチバチと電流が流れている。まるで大地が怒っているようだった。光を失った炎威やんうぇいの視界に影が映った。あれは、誰だ。人が二人。獅子の如く燃えるような赤い髪に恐ろしいほどのオーラ。涼しい顔になびくブロンド髪の人物はどこかの王族だろうか。薄れゆく意識の中そんな事を考えていると、ブロンド髪の男が炎威に振り向き火璇の遺体を見た。

「遅くなってごめんね。あと、よく守ったね、火璇ふぉーしゅえん

 霞んでいく視界に必死に縋りながら見た光景は、炎威が憧れた黒い牙そのものだった。

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