ParaSol
明日乱
第1集 炎威
手の届かないほど高くにある鉄格子の小さな窓。そこから差し込む光を見たのは何度目だろう。簡易ベッドは寝心地が悪い。
なぜか分からないまま捕らえられ、コンクリートの部屋に放り込まれた。18歳になったばかりの炎威は背が高く、がっちりした体型は腕っぷしの強さには有利だった。金髪に鋭い目、ガラの悪い顔つきは威嚇するには充分だった。炎威が住んでいた区域は治安が良いとは言えない。しかし炎威自身が悪事を働くことはなく、むしろ炎威たちのグループが悪行を取り締まるのに一役買っていた。それがある日突然物騒な飛び道具を突きつけられたかと思うと、強引に連れ去られ、このコンクリート空間に放り込まれた。最初はわめき騒いだが、誰も相手をしてくれることはないと分かると諦めた。しかし、炎威にはなんとなく察しがついていた。入れ替わりに来る見張り役が着ている服は一等品の絹が使われたものばかり。街中ではありえない程強固な作りの建物。出てくる食事は炎威の住んでいた区域で食べられるような大衆的な点心や麺ではなく、上等な海鮮料理や品のある
「なあ、ここって『黒い牙』か?」
ドアの外にいる見張り役に声を掛けてみる。鉄のドアに付いた小窓から様子を伺えば、黒い牙という言葉に反応したのか見張り役の耳がぴくりと動いた。やっぱりそうかと炎威が勘付く。
ここは炎威がずっと憧れていた、あの「黒い牙」本拠地。城内と呼ばれている場所だ。
そう確信すると、捕らえられているという事実よりもわくわくとした気持ちが血管中を巡りだす。
このクニでは君主や政府機関が存在しない。小都市が各々に発達を遂げ、元々土地を持っていた領主が主権を持つ。そして資源を求め小都市間では紛争が起こり出した。
君主や政府機関がなくなるとどうなるか。人の持つ本質が組織を形成していく。
金、知識、カリスマ性、それらは本質になり得るもので、人を魅了し人を集め、人を従わせる。自らの手で領土を広げ、資源を増やし、都市を豊かにするのは長の務め。そしてそれぞれの長を一国一城の主へと押し上げようとするのは付き従う者の願いである。
こういうロマンは遠い昔から存在していたと何かの書物で読んだ。床に寝転がった炎威がごろりと寝返りを打つ。
「ロマンが人々の争いの根源となり続けている、か」
愚かな事と思う人もいるだろう。しかし人々は愚行を繰り返し、ロマンを追い求め続けていた。そして、この炎威もまたロマンに思いを馳せている一人だった。
「なあ、ここにドラゴンもいるのか? 街でたまに見るんだって、ドラゴン。襲ってきた他の都市の奴らとドラゴンで戦うんだろ!? かっけーよな! なあ、あんたは間近で見たことあんのか?」
再びドアの外の見張りに声をかける。キラキラとした
「なーって。俺なんで連れてこられたわけ? いつまで閉じ込められんの? 家族とかダチも心配してるだろうし連絡くらい取らせてくれよ」
それでも無言の見張りに口を尖らせる。拗ねたところで誰も慰めてはくれない。
「わーったわーった。お喋りにも付き合ってくれないってね」
ふてくされたように座り込むと鉄格子の窓を見上げた。ヒマだ……。そう思ったのは何十回めだろうか。
見張りと言葉を交わす事にも諦めぼうっと窓を眺めていると、いつもは交代の挨拶しか言葉を発さない見張り役の話し声が聞こえて来た。盗み聞きをしたいわけではないが、嫌でも耳を澄ましてしまう。
「おい、それってマジなのかよ」
「ああ、
「しかもあの
遠くに聞こえる話し声が近づいて来る。あのチンピラが自分を指している事だけは炎威にも分かった。「だれがチンピラだ」と小さく吐き捨てる。しかし香頭とは何だ。火璇とは誰だ。ヤツらはなんの話をしている。炎威には皆目見当もつかない。
話し声がドアのすぐ近くまで迫った時、ガチャリと鈍い金属音が聞こえた。重く鍵が開く音とともにドアが開く。炎威が飛び起き入り口を見ると、不服そうな顔をした見張り役が数名炎威を見下ろしていた。
「出ろ。上からのお達しだ」
「え、出ていいの? ひゃー、やっだぜ! 解放? 帰っていいの?」
喜び両手を突き上げ伸びをする炎威にしぶい顔のままの見張りが顎をしゃくる。
「お前は返せない。今日から黒い牙に所属してもらう」
「え」と、喉から零した顔は驚きのあまり目を見開いたまま固まっている。
「黒い牙? 俺が?」
「そうだ。そう言っただろ」
「今から?」
「そうだ。何度も言わせるな」
あたふたしながら炎威が見張りにすり寄る。
「いや、ビックリしたけど、嬉しい。こ、光栄だけどさ。ほら、支度とか、準備とか、荷物もだし、心の方もだし」
気が動転している炎威をうっとおしそうな目が見ている。
「お前の荷物ならもう運んだ。心配はいらん」
そう言ってくるりときびすを返すと歩き出す。さっさと行ってしまう見張りの後を慌てて追いかける。
「え、運んだって。勝手に俺んちから持ってきた!? 家に残してきた兄弟もいるんだって。マジで一回帰らせろって」
「不自由がないだけの金は渡してきた。話もつけてある」
足早に歩きながら見張り役の一人が微かに振り向き、目線だけ炎威に向けた。
「『がんばれよ』と」
兄弟たちが残した伝言。炎威の瞳にキラキラと光りが溢れる。
「マジか! マジかよ! マジで黒い牙なのかよ!」
一人はしゃぐ炎威に構うことなく、見張り達がコンクリートの建物の重い扉を押し開けた。開かれた隙間から強い光が射しこむ。久しぶりに浴びる光に炎威が目を細めた。しかし、次の瞬間、丸くなった目を輝かせた。
「ウソだろ……」
重く暗いコンクリートの壁の外に広がる世界。そこはまるで御伽話かと思うほど燦爛たる光景が広がる。建物は炎威の住んでいた町にも似た色使いだが、その発色が違う。美しく塗られた赤や黄色、緑の塗料。屋根や看板は金箔で縁取られ、軒先には朱と金の飾りちょうちんがずらりとぶら下がる。ちょうちんの飾り房が風に揺れると、目も眩むほどに煌びやかだ。賑やかな町を行き交う人々は全て美しい刺繍が施された上等な生地の服を纏うが、色遣いは派手。ここでは悪趣味なほどの華美こそ正義なのだ。そしてそれこそが黒い牙である自負。
「なあ、ここが城内なのか?」
「ああ、そうだ」
今まで少しの雑談にも応じなかった見張りが言葉を返す。
「都市の西に高い塀と建物に囲まれた場所があるだろ」
炎威がこくこくと頷く。
「その中がここ、黒い牙の拠点。拠点といえど一つの街になっている。組員は全てこの街に住み、この街で暮らす。この街の情報を外に漏らすことは御法度だ」
「マジかよ……。どうりで入団方法も、組員の情報も、市街のヤツらは誰一人知らないわけだ」
ブツブツとぼやく言葉を組員たちは聞き流す。
「じゃあさ、ドラゴン。ドラゴンもこの街にいるんだろ? ここで飼ってるのか?」
「飼って――」
そこまで口にした組員の顔が青ざめる。急に歩を止め振り返ると、炎威に詰め寄り胸ぐらを掴む。
「口が裂けてもそのような事を口にするな」
焦ったようにひきつった顔に炎威が生唾を飲み込む。ジリジリとした緊張感で空気が張りつめたその時――。
突然竜巻のような風が起こり辺りの空気を巻き上げる。ちょうちんが激しく揺れ、土埃が舞い、人々の服が舞い上がり、条件反射で顔や頭を覆う。炎威も何事か分からず腕で顔を覆うと、パンと弾けたように風が止んだ。ざわざわと騒ぐ人の声を甲高い声が割った。
「誰が誰に飼われるって?」
声のする方を見上げると、建物二階部分の軒先に男がしゃがみ込んでいた。
「
天籟と呼ばれた男は
白い歯を見せて笑った顔は愛想がいい。しかし組員たちは畏縮していた。街の様子といえば、先ほどの暴風などには慣れているのかすっかりいつもと変わらない時が流れ出していた。
「おっそいからさ、おっさんが見てこいって。自分で行きゃいいのに人使い荒いよな」
愚痴を吐きながら炎威を見つけ、高い場所から見下ろす。
「おお、この金髪チンピラが例のヤツ?」
「あ゛あ!? いきなりなんだテメェ」
檻に入れられた珍しい生き物を見るような目が気に食わなかった。軒に飛び掛かろうという勢いの炎威を組員たちがなだめる。
「おい、お前の先輩となる人だぞ。わきまえろ」
「先輩? 黒い牙の?」
「そうだ。お前が今から行く場所、所属する場所、戦闘に出る場所全てにおいてな!」
「マ?」と一瞬固まった炎威がゆっくりと視線を上げる。向いた先では気を悪くすることなく白い歯を見せて笑う天籟がいた。
「――っす!」
声を張り上げ、炎威が90度以上腰を折り天籟に頭を下げる。その姿にぶはっと吹きだした。
「いいね! 威勢がいいって大事よ。じめじめしたヤツは合わん。
火璇――。今日その名前を聞いたのは2回目だった。そいつも先輩なのだろうか。「世話係とか?」と炎威が考える。
「あの、天籟さんは……」
「うはっ。年下に敬称付けるの抵抗感ある?」
「いや、そういうわけじゃ」
「いいよ好きに呼べば。うちはそのへんぐちゃぐちゃだから」
上下関係は気にしない気さくな性格なのだろうか。しかし後々厄介ごとになっては困る。
「いえ、先輩なので、天籟さんで!」
「炎威だっけ? タテ関係厳しいとこにいたん? まあ、うちはそもそもが上部組織になるけどな」
「あの、うちっていうのは……? 俺がこれから配属されるチームとかですか?」
「ああ、そうだった」と前を歩く天籟がちらりと振り返る。
「何も聞かされずだったな。お前がこれから所属するのは
「おええ!? トップ!? 戦闘部隊!? 俺は確かに喧嘩には自信あるっすけど、戦闘なんて経験ないっすよ」
振り向いた天籟が炎威の腕をバシバシと叩く。
「おうよお。みっちりしごいてもらえよな」
はははと楽しそうに笑いながら再び歩き出す。もらえということは、やはり火璇という人が教育係なのかと頭をひねる。ひねりながら愉快そうに歩く天籟の後をついて行った。
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