第48話 サファイア
怒涛の一日が終わり、みんなが寝静まった頃。俺は神秘の森でも一番高い樹木の上で偽物の月を見ながら晩酌をしていた。
この森の中には絞れば酒を出す実がなっている。プレゼントとはいえ、この空間を購入して正解だったな。
俺は木を削って作ったジョッキに入った酒を一気に飲み干す。味覚も何もかも人間のときとは違うが、酒を楽しめる感覚は残っていたようで安心した。
モンスターになってから短い間でいろんなことがあった。
人間に狩られかけたり、恋人に殺されかけたり、レイナに使役されることになったり、ミシカライザーの頂点に立つ神剋の俺がどうしてこんな目に遭わなきゃならないんだと神を恨んだりもした。
それでも、レイナのモンスターとして過ごす日々も悪くないと思えるときだってあった。そして、何よりもあの子が俺がかつて立っていた場所――神剋のミシカライザーにたどり着くことを今は楽しみにしている。
いや、違うな。俺達で一緒に神剋のミシカライザーまで上り詰めるのが楽しみなのだ。
「よお、バニラ先輩」
俺が晩酌をしながら感傷に浸っていると、背後から声を掛けられた。そこにいたのは、つい先日仲間になったばかりのルビィだった。
「ルビィ……いや、もう一つの人格の方か」
「相変わらずいい勘してるねぇ」
軽々と木の枝に着地すると、もう一人のルビィは器用に翼を畳んで俺の隣に腰掛けた。
「ピンチのときにしか出てこないんじゃないのか?」
「あの弱虫が寝ているときは自由に出てこれるのさ」
ルビィはそう言うと、不敵な笑みを浮かべる。
サンドラの特殊能力〝逆鱗転火〟が歪な形で発動して誕生したルビィの裏人格。ルビィが追い詰められたときにだけ顕現できると思っていたが、ルビィが睡眠中という無防備な状態であれば、ピンチという判定になって出てこれるようだ。
「あたしにも一杯くれよ」
「ジョッキは一つしかないんだ。俺ので良ければやるよ」
俺はジョッキに酒を注ぐと、それをもう一人のルビィに手渡した。
「プハァ! うまいね、これ!」
もう一人のルビィは大層美味しそうにゴクゴクと酒を飲む。どうやら気に入ってくれたようだ。
「まさか、こんなうまいもんにありつけるとは思わなかったさね」
「チャガのとこにいたときは何食ってたんだ?」
「味のしない肉のキューブみたいなやつさね」
「……苦労したんだなぁ」
つくづく、ルビィの境遇が不憫でならなかった。
「というか、どうしてあの試合まで表に出てこなかったんだ?」
チャガの反応を見るに、レイナとの石版大戦まで裏人格は一度も出てこなかったことになる。今までだってさんざん追い詰められていただろうに、どうして出てこなかったのだろうか。
「……出てきた瞬間に炎を食われて封印されてたんさね」
「あー……」
ルビィの二重人格化は、言ってみれば外敵から身を守るための防衛本能だ。
その外敵が見方で、いつでも瞬時に封じられてしまう状況も相まってこっちの子は表に出てこれなかったのだろう。
「あたし達を解放してくれて感謝してるよ」
「礼ならレイナに言ってくれ」
「おっ、ダジャレ?」
「やめろ、俺が滑ったみたいになるだろうが」
それからも、もう一人のルビィとは一つのジョッキで酒を回し飲みしながらくだらない話をした。
「てか、お前のことはなんて呼べばいい?」
「うーん、そうさね……バニラ先輩がつけてくれよ」
急に名前をつけろと言われても困ってしまう。レイナのように外見の特徴からつけようにも、外見はルビィと同一で差異がない。
どうしたものかともう一人のルビィを見ていると、前髪の分け目が変わって彼女の隠れていた右目が見えていることに気がついた。
その右目は深紅ではなく深い青色をだった。なるほど、ルビィはオッドアイだったのか。
「サファイアでどうだ? ルビィとも対になってて悪くないと思うんだが」
「ほーん、いいじゃないか。気に入ったよ」
ルビィ改め、サファイアは俺から名前を受け取ると満足げに微笑んだ。
「おっと、どうやら弱虫の目が覚めそうだ」
どうやら、そろそろお別れの時間のようだ。
「そんじゃまあ、これからよろしく頼むよ、バニラ先輩」
「こっちこそよろしくな、サファイア」
サファイアはその場に蹲ると寝息を立て始める。そして、少し間を置いて眠そうな目を擦りながらルビィが体を起こした。
「ふぅあぁぁぁ……えっ、嘘、どうしてこんなところに!?」
目を覚ましたルビィは目を見開くと辺りをキョロキョロと見渡した。
それから俺の姿を視界に入れると、しばらく黙りこんで小さく震えだした。
「お、おはようございます……」
「夜だけどな」
俺のツッコミに、ルビィはハッとした表情になると顔を赤く染めた。
「あの、どうして私はこんな場所にいるんですか?」
「寝ぼけてこっちまで飛んできた」
「私、寝相悪すぎませんか!?」
サファイアのことは適当に誤魔化しておいた。
いきなり二重人格だなんて教えても混乱するだけだろうし、いずれ自分で気づくこともあるだろう。
「ご、ご迷惑をおかけしました」
「気にするな」
俺は再び酒をジョッキに注いで呷ると、ルビィに謝罪する。
「怖がらせて悪かったよ」
「いえ、私の方こそ助けていただいのに怖がっちゃってごめんなさい……」
俺に対してルビィは申し訳なさそうに頭を下げる。
それから、顔を上げると何かを覚悟するように唇を噛み締める、意を決すると真っ直ぐに俺の目を見て口を開いた。
「私、ここにいていいのでしょうか」
「やっぱり俺達が信じられないか?」
「ち、違います……」
ルビィは振り絞るように、小さな声で言った。
「……私、弱いですよ? きっとあなた達の足を引っ張ってしまいます」
なけなしの勇気を振り絞ってルビィは本音を吐露した。その姿がまだダギツネだった頃のミサキと重なった。
「最初は誰だってそんなもんだ。これから一緒に強くなっていけばいい」
俺は新米ミシカライザーのとき、ミサキにかけた言葉をルビィにかける。それでも、ルビィはとまらず自身の欠点を挙げ続けた。
「でも、碌に魔力も与えられずに成長してないようなモンスターですよ?」
「サンドラは神化先が既に強力なモンスターだってわかってる。伸び代しかないだろ」
「勝てないモンスターに価値はないんじゃ……」
「勝てるように強くなれる。少なくとも、ここならな」
ルビィの告げた欠点は欠点ですらない。俺は真っ直ぐに彼女の深紅の瞳を見据えて向き合う。
「宣言してもいい。レイナはお前を見捨てない。絶対にだ」
何せ死にかけのカスレアのために天空バンジーを決めた女だ、覚悟が違う。
俺の言葉に、ルビィはしばらく押し黙った後、絞り出すように声を発した。
「じゃあ、もう……もう、腕を折られたりしなくてもいいんですか? 足を千切られなくてもいいんですか? 角を折られたりしなくても、いいんですか……ひぐっ……えぐっ……もう、目を……抉られなくても、いいんですか……わ、私は――」
嗚咽交じりにルビィは問いかけてくる。
「――私は生きていても、いいんですか?」
「当たり前だ」
縋るような視線を受け、俺はルビィの頭を撫でてやった。
「改めてよろしくな、ルビィ」
「うぅ……あぁ……うあぁぁぁぁぁん!」
ルビィは、今まで溜まっていたものを吐き出すかのように、疲れて眠るまで泣くじゃくり続けた。
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