第30話 負ける恐怖

 振り返った先にいたのは、息を切らしながらこちらに向かってくるレイナの姿だった。


「バニラ、マチョル! 今日も一日お疲れ!」


 勢いよく俺達の元へと飛び込んできたレイナは幸せそうな表情を浮かべて俺達に頬ずりをしてきた。


「ニャッニャァ!(引っ付くな!)」

「ギギギィ!?(どうしてお嬢がここに!?)」


 俺達が抵抗してもレイナは全く意に介さず、頬ずりをやめる気配はない。

 ここはスマホ内部の空間だ。そこにレイナがいるということは宿に泊まったということだ。宿に泊まればスマホ内に用意した部屋を現実に召喚することができる。


 おそらく、レイナがこの空間まで来たのは窓やベランダなどの場所を使って部屋から出たからだろう。


「あれ、おっかしいな。集まってるのはミサキだけ?」


 そうこうしている内に、アビィも部屋から出てやってきた。


「コン、コーン(ええ、みなケイム様に会いたくないようですので)」


 周りを見渡すアビィに対し、ミサキは首を縦に振る。そんなミサキに対して、アビィは不思議そうに小首を傾けた。


「それにしても、アビィさんすごい空間持ってますね。高かったんじゃないですか?」

「いやぁ、ケイムがプレゼントしてくれたから値段はよく知らないんだよね」


 アビィが頭を掻きながら答えると、レイナは物凄く複雑そうな表情を浮かべて固まる。ちなみに、この神秘の森の値段は俺がアビィに送ろうと思っていた婚約指輪の半額程度の値段である。


「それより、お風呂入っちゃおうよ。この空間、温泉もあるんだよ」

「えっ、温泉!?」


 レイナが目を輝かせて食いついた。目を輝かせているのはレイナだけではない。


「ギッギギィ!(美女とのお風呂タイムッスね!)」

「ニャウ、ニャニャン(おいコラ、アビィの裸見たら殺すぞ)」

「ギィギィ!(そんな殺生な!)」


 マチョルは必死に抗議の声を上げるが、俺は許さない。


「ニャン、ニャーゴ(大体、人間相手に発情すんな)」

「ギギィギ!(オイラは同族以外なら大体いけるんスよ!)」

「ニャニャン!(なんで同族は無理なんだよ!)」

「ギシャ、ギィギィ!(だって、同族はブサイクしかいないじゃないッスか!)」

「ニャラン?(自分で言ってて悲しくならないのか?)」


 俺が呆れていると、マチョルは遠い目をしていた。どうやら悲しくなったらしい。


「ほら、マチョルにバニラ。一緒にお風呂入るわよ」


 レイナが手招きすると、マチョル達は元気を取り戻し、レイナへと着いていく。

 俺も後に続こうとするが、後ろから腕を掴まれた。振り返ると、そこにはミサキがいた。

 ミサキは俺の腕を掴んだまま、じっと見つめてくる。


「キュル、コーン?(あら、アビゲイル様がいるのに良い御身分ですね)」

「ニャウ!(さらばだ!)」

「ちょっとバニラ!?」


 レイナに捕まってしまう前に、俺はミサキの手を振り払って走り出す。背後から追いかけてくる足音を聞きながらも、俺は全力疾走したのであった。


 結局、アビィの指示によってミサキの念動力で捕縛された俺は強制的に入浴することになった。

 よくよく考えてみればアビィと一緒に風呂に入るのも初めてだったため、人間のときにもっと時間を作ってイチャコラすれば良かったと後悔していた。

 当の本人は気にする様子もなく鼻歌を歌いながら体を洗っている。

 俺は湯船に浸かりながら、その様子を眺めていた。


 アビィは本当に綺麗だと思う。

 俺は今まで女性に興味がなかったわけではない。ただ、それ以上に余裕がなかったのだ。

 アビィは、寝ても覚めても石版大戦のことばかり考えていた俺に寄り添ってくれていた。

 応援に来てくれても、ぶっきらぼうな態度でずっと接していたのは今でも申し訳なく思っている。


『ケイム選手! さっきの試合すごかったです!』

『……また来たのか』


 俺がまだ公式戦でようやく勝ち越し始めていた頃。試合が終わったらアビィは必ず俺のところに来てくれた。


『そりゃもうファンですから! 私、ケイム選手の最後まで諦めない戦い方が大好きなんです!』

『……そうかよ』


 本当は嬉しかった。だけど、素直になれなかった。

 だから、いつもアビィには冷たくあしらうような態度を取っていたと思う。


『ケイム選手、いよいよ神剋戦初挑戦ですね!』

『ああ、そうだな』


 今考えれば、俺がアビィに惹かれたのは必然だったのかもしれない。


『アビゲイルさん……いや、アビィ。神剋の称号を取ったら話がある』


 聳え立つ敗北フラグをへし折って勝利を手にした俺は、アビィに想いを告げて恋人になった。

 神剋の称号を手にしてからは石版大戦以外のことにも時間を取られるようになり、アビィとの時間が減った。そんなときでもアビィは文句の一つも言わずに昔と変わらず俺を応援してくれていた。

 思えば、アビィとは今どき珍しいほどにプラトニックな関係だったと思う。

 本音を言えば、もっと愛し合いたかった。


 だが、アビィが好きになったのは勝ち続ける俺だ。

 恋人に現を抜かして負けでもしたらアビィが離れていくのではないか。石版大戦に勝つためにあらゆるものを捨てた人でなしの俺なんて好きでいてくれるとは思えない。


 結局、俺は怖かったのだ。負ければ全てを失う。そんな強迫観念に囚われていたのである。

 どんなに最強だと言われようが、負ける恐怖はいつだって付き纏ってきた。

 自分が情けなくて仕方がない。


「あれ、バニラ大丈夫!?」

「あらら、のぼせちゃったみたいだね」


 ……本当に情けない。

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