第17話

 オートロックのマンションのエントランスを入居者と一緒に侵入した俺は、エレベーターで五階に上がった。

 共有通路が左右に伸び、夏生の部屋は右の奥だ。


 足が止まる。

 夏生の家の前に誰かがいたからだ。


 驚くことに、電車で見たばかりの無敵男だった。

 玄関ドアが開き、男がするっと部屋に消えていった。

 咄嗟に身を隠し、隠れる必要はなかったと思い直す。


 間違いなく夏生の部屋だった。

 誰だ。大学の後輩だろうか。


 夏生の玄関ドアに近寄ると、再びドアが小さく開き、声が漏れ聞こえた。 


「夏生、どこ行くの?」

 男の声が夏生を呼び捨てにする。


「電話してくるから、待ってろ」

 夏生が外に出ようとしていた。

 

 足音が聞こえ、それを邪魔する声。

「ここで電話したらいいじゃん。俺に隠し事なんてダメでしょ」


 玄関ドアが大きく開き、夏生とその背中に覆いかぶさるように抱きつく男が現れた。


「重いって。やめろよ」

 そう言った夏生が、通路に立ち竦む俺を見て、はっとした顔をする。


 男と目が合うと、男は訝しげに「誰?」と言った。


「お前が誰だ?夏生を離せよ」


 と俺が言って、男に手を伸ばそうとした瞬間、夏生が慌てて説明する。


「ごめん。弟が急に来ちゃって」

「弟?」

 俺は男の顔を凝視した。

 見れば見るほど端正な顔だ。


 男の手を剥がそうと夏生が暴れる。

 抵抗する夏生の頭に顎を乗せた男が名乗った。

小野田悠生おのだゆうきでぇす」


「…弟って高校生じゃなかった?」

 

 夏生より年下には見えない、と俺は怪訝な顔になった。


「高校三年生。健が実家に泊まった時は、合宿に行ってたから会えてなかったな」


 そんな話を聞いたような気がする。

 どこにでもいる普通の高校生を想像していた。


 ようやく悠生が夏生から手を離すと、言った。

「合宿ってことは夏生が倒れた時の話だろ?俺が帰ってきたら、もういなかったけど、この人が迎えに来た人?」

 

 夏生が肯定し「大学の先輩で雨宮健さん」と俺を紹介した。


「すごい美形で驚いた」と俺が言うと、悠生は謙遜もしないで「よく言われる」と返す。


 動揺してしまった俺は、冷静になると少し気まずい。


 そこから、俺も一緒に食事に行くことなり、近くのファミレスに移動した。


 悠生は根掘り葉掘り矢継ぎ早に、俺に質問する。

 どこ住んでる?何してる人?何歳?夏生とは何繋がり?


 夏生は家族にカムアウトしてない。

 大学の先輩と紹介された俺は、適度な距離感で夏生に接した。


 注文した料理が届くと、悠生は黙って食べ始め、ハンバーグとピザとドリアとポテトが勢いよく無くなっていく。

 さすが高校生だ。


 次に、悠生はパフェを追加注文した。


 ホットココアを飲む夏生を眺めていると、悠生が再び問いかけてくる。

 

「雨宮さん、彼女はいる?」


 彼女はいないが、言い換えて答える。

「恋人はいる」

「どんな人?」


 黙って聞いていた夏生が「お手洗い」と席を立った。


「可愛い人だよ」

 ここで、居た堪れなくて席を外しちゃうとことか。

 

「悠生くんは、どうなの?」

 と、話を振ってみた。

「彼女いたことない」

 悠生は無表情で言う。

 

「本当に?一度も?」

 この顔で童貞?


「夏生と俺、全然似てないでしょ。連れ子同士で血が繋がってないんだ。俺は小さい頃から、夏生しか好きじゃないから彼女はいらない」


 俺は言葉を失った。

 俺の顔を見た悠生が笑い、口を開く。

 

「っていうのは嘘です。信じた?夏生と悠生で連れ子ってそんな偶然ないって。母も父も再婚歴はない」


 戻ってきた夏生が、俺の様子に違和感を覚えたようで、悠生をなじる。

「何言ったんだよ」


「ごめん。夏生と似てないのは血が繋がってないって嘘ついた」


「またかよ。健、騙されるな。悠生と俺が似てないのは、俺が母家系似で悠生が父家系似だからだぞ」

 

 どこまでが嘘なんだ。血が繋がってないのは嘘。

 では、夏生が好きだというも嘘でいいのか。背中に嫌な汗が流れた。





 翌日。

 久しぶりに大学を訪問した俺は、午前中にゼミに出席した夏生と学食で待ち合わせをした。


 祝日でも、大学は通常授業がある。


 そこに、各学部の窓口で学部案内を貰ってきた悠生も合流し、学食が混み合う前に、悠生と俺で夏生を挟んで座った。


 悠生は、俺達と同じ大学を受験するらしい。

 他大学も見学に行くため、今日も夏生のマンションに泊まるようだ。


 大学を卒業して二年が経った。

 四年生の時、いつも夏生の姿を探していた俺を思い返す。


 生姜焼き定食を食べる悠生が、プチトマトを夏生の口元に運んだ。

「夏生、トマト食べて」

 

 それを夏生が口を開けて食べる。


 際立った容姿の悠生は、目立つ。

 今も、女子学生が二度見して通り過ぎた。


「トマト嫌いか?」

 悠生に訊くと「嫌いじゃないよ。夏生はトマト好きだから食べたいでしょ」と言った。


 俺の唐揚げ定食にもプチトマトがあり「食べる?」と夏生の唇にトマトを寄せる。


「悠生はトマト嫌いだろ。いつも残してるから、俺が食べてやってんだ」


 そう文句を言う夏生は、俺のプチトマトも食べた。

 

 正面の席に学生が座る。

 顔を上げると、夏生が一番親しくしている芳田だった。


「なんか夏生がイケメンに囲まれて豪遊してるって女子達が騒いでんだけど」

 芳田は笑っていた。


 芳田も悠生と面識があるようだ。

「受験の下見で悠生が泊まりにきてる」と夏生が教えた。

 

「夏生がイケメンに物怖じしないのって、やっぱ小さい頃から悠生見てるからかな」


 芳田が呟き、確かに夏生は伊野崎とも、いつの間にか連絡先交換していたなと思った。


 食べ終わると、混雑してきた学食に芳田を残し、片付けて出口に向かう。


 慣れない場所で、もたつく悠生の腕を夏生が掴み、誘導する。

 夏生の方が背も低く華奢だが、その姿は頼れる兄だ。


 学生の間をぬって、外に出た。

 

「これから違う大学の見学行ってくるけど、夏生はどこか行く?」


 悠生がスマートフォンを見ながら言うと、夏生は首を横に振った。


「悠生が突然来たせいで、冷蔵庫が空っぽだから買い物行ってくるだけ。悠生、一人で行けるよな」


「調べたから大丈夫」と言う悠生を駅まで送ると、暫しの間、夏生と俺だけの時間となった。

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