第16話
週末。
夏生の就活の息抜きに、俺はドライブに誘った。
車で四十分走った距離に八重桜が見える公園がある。
到着すると、広い駐車場に停め、ひだまりの砂利道を並んで歩き、木や草や土の自然な匂いを嗅ぐ。
猫を飼い始めた伊野崎の話や柴から貰った名刺を夏生に見せた。
「柴さんは、伊野崎先生と同級生なんだって」
俺は聞いたままを伝える。
「先生の彼氏じゃなくて?」
「違うらしい。柴さん、誤解したの謝ってたよ。それで、引っ越しするなら相談に乗ってくれるって」
同棲する俺達のマンションは、まだ決まらない。
難航しているといっていい。
賃貸会社に正直に恋人関係だと伝えると難色を示され、いい部屋ほどオーナーの審査が厳しいと、断られてしまった。
ルームシェアだと偽った方がいいのかと悩んでいる。
夏生の誕生日までに決めたいが、あと三ヶ月しかなかった。
「同棲するの諦めたのかと思ってた」
夏生の言葉に、俺は狼狽する。
「諦めるわけないじゃん。夏生も賛成してくれたよね?」
「でも、男同士だと、いろいろ言われて面倒そうだったから…」
「夏生が反対なら諦めるよ。でも、俺、本当に夏生と一緒に暮らしたいんだ。諦めるなんてしない」
目を細め嬉しそうに笑った夏生を見て、安堵した。
「それで。柴さんとこの会社、検索してみたんだけど、良さそうな賃貸マンションもあった。夏生も見て」
スマートフォンを取り出し、ブクマしたページを表示させると、夏生の顔の前に上げた。
風が吹いて、夏生の髪が揺れる。
「ほんとだ。いろいろあるな」
顔を上げた夏生が言った。
今すぐではないが、柴のアドレスに連絡することを決め、二人の同棲生活を妄想する。
八重桜が密集する広場にたどり着いた。
家族連れやカップルと様々な人に紛れ、八重桜の下で、花びら越しの空を夏生と見上げた。
夏生と一緒だと、見過ごしていた景色に感動する。
出店があり、みたらし団子を買い、歩きながら食べた。
「花より団子だな」と言う夏生の頬に甘いタレがついていた。
「ついてる」と教える。
「どこ?」と夏生が言うので、誰もいない隙に夏生の頬を舐めた。
手のひらで頬を隠し、恥ずかしげな夏生が可愛いくて、もっと舐めたくなる。
食べ終わり、細い山道の方に足を踏み入れると、人の声も聞こえなくなった。
あまり駐車場から離れるのも引き返すのが大変だが、人気のない方に進みたい気分になってしまった。
誰かが近づけば、落ち葉の踏む音でわかるはずだ。
夏生の腰を抱く。
「やめろって」
夏生は、俺の胸を押した。
夏生はわかってない。
その反応が俺を煽ってることを。
軽くキスする。
背中を撫でると、夏生がこちらを睨むが、逆効果だ。
もう一度、唇を重ねた。
舌を入れようとしたら拒絶されたため、変わりに耳を舐めた。
夏生のロングTシャツの裾から背中に手を入れ、汗で湿った肌を指先で撫でる。
「健、いい加減にしろ」
「夏生が可愛いから」
まだ太陽が明るいのが恨めしい。
夜まで我慢できるだろうか。
舗装された道に出た。
地図で駐車場の位置を確認すると、意外に近くにある。
芝生の中を進むと早いらしい。
丘になった芝生を下ると、駐車場に戻った。
午後四時過ぎだった。
「どうする?どこか行きたいとこある?」
と、俺が訊くと、夏生が呟く。
「早く二人きりになりたい」
俺も同意見だった。
俺は出版社に就職し、編集の仕事について三年目になった。
文芸出版部は、雑誌のような締め切りに追われる部署ではなく、単行本や文庫の企画をする。
担当している作家は、伊野崎を含めた五人だ。
パソコンのデジタル時計がもうすぐ二十時になるところだった。
明日から四日間の連休のため、面倒な仕事は休み明けに回すことにして、俺はパソコンの電源を落とした。
「お先に失礼します」と残っている社員に声をかけ退勤する。
エレベーターホールでエレベーターを待つ間に「今から会えない?」と夏生にメッセージを送った。
エレベーターの扉が開くと、すでに乗っていた人の隙間に入る。
そこに同期の原田がいた。
原田は、二十五人いる同期の中で、一般的な評価として綺麗な女だった。
エレベーターが下降し両扉が開く。
隣を歩く原田が俺に声をかける。
「これから、経理部の同期会があるの。雨宮さんも一緒に行きません?」
「ありがとう。でも今日は先約があるんだ」
「…残念。いつも予定があるのね。また誘います」
エントランスを抜け「お疲れさま」と挨拶をして離れた。
女性からの誘いは、すべて断っている。
二人だけではない飲み会でさえ、女性からの誘いならば断る。
美香の件があって以来、夏生に向けられるかもしれない女の悪意に慎重になっていた。
駅に向かう途中で「いいよ。家にいる」と夏生の返信がある。
タイミングよく、ホームに電車が到着した。
通勤時間で混雑する電車内に、目立つ男が扉に寄りかかるように立っていた。
駅に着くたび、車両に乗り込む誰もが一瞥する。
まず、漫画から飛び出したような中性的な整った容姿に驚き、次にバランスのとれたスタイルの良さにも驚く。
あの顔立ちで高身長は無敵だろう。
彼だけ特殊な画像処理でもしているかのようだった。
アンバランスな危なさと瑞々しい色気もある。
目が奪われるとは、こんな感じなのだな、と感心した。
その男は同じ駅で降りた。
だが、改札を抜ける時は、その無敵男のことはもう忘れ「駅着いた」と夏生にメッセージを送った。
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