第13話
「柴!」
足立が手を振り、呼び寄せる。
柔和な眼差しを向けた柴は、足立の隣に腰を下ろした。
「俺の結婚式以来だよな?五年ぶり?」
五年前の足立の結婚式は、二人で参列し祝福した。
こんな未来があるなんて想像もしなかったあの日が遠い。
「そうだったな。ずいぶん昔のような気がする」
柴が答えた。
別れる前と別れた後では、時間だけでは測れない大きな溝がある。
柴のコップを用意し、足立がビールを注ぐと乾杯した。
「柴と伊野崎は、よく会ってるのか?」
二人が恋人だったことを、足立は知らない。
「いや。柴が結婚してから会ってなかった」
と、伊野崎は再会はなかったことにした。
足立が驚く。
「えっ。柴、結婚したのか?」
「してない。もう離婚したんだ」
柴の言葉に、足立は二度驚く。
「いつの話?」
「結婚は二年半ぐらい前だよ。一年も保たなかった」
柴が結婚したことを、足立は知らなかったようだ。
「水臭い。連絡しろよ」
「悪い。連絡する前に破綻してた」
「…子供は?」
「できなかった。足立のとこは、今何歳だ?」
「三歳になった。今、二人目妊娠中なんだ」
「おめでとう」
柴と伊野崎の声が重なった。
「今度、家に遊びに来いよ。二人で」
足立の誘いに、柴は即答する。
「行くよ」
「うん」
伊野崎も頷く。
おもむろに足立が席を立った。
「俺、あっちに挨拶してくるよ。すぐ戻るから、待ってて」
ソファ席に向う足立を目で追いながら、伊野崎は身じろぐ。
伊野崎の隣に柴が移動した。
「足立の席、空けとけよ」
伊野崎が難癖をつける。
「伊野、覚えてるか?足立に打ち明けようって相談したよな」
足立の結婚式後、次に足立に会う時は、二人の関係を隠さずに教えようと決めていた。
だが、もう打ち明けるような関係ではなくなってしまった。
「うん」
「びっくりする足立の顔見たかったな」
感傷にひたりそうになった伊野崎は、話題を変える。
「…柴の元カノは結婚して、一歳の子がいるらしいぞ。今日は欠席で会えなくて残念だな」
「俺は伊野に会いに来ただけだ」
そう言った柴が、何かを見て、眉をひそめた。
伊野崎の隣に葉山が座った。
「料理食べてる?持ってこようか?」
「食べたよ」
「あれ、柴が来てるじゃん。久しぶりだな。あっちに料理あるから、とってこいよ」
「あとで行く」と柴が素っ気なく言う。
「この後、二次会あるけど二人は行く?」
「ごめん。俺パス」
「あ、俺も」と柴が伊野崎の答えに合わせた。
「伊野崎、帰っちゃうの?残念なんだけど」
葉山の肩が伊野崎の肩にぶつかる。
「名刺渡しとくな」
葉山は、自動車メーカーの名刺を伊野崎に渡し、柴にも渡す。
伊野崎に渡した名刺にだけ、手書きで携帯番号があった。
「今度、二人で飲み行かない?連絡して」
葉山は屈託なく誘い、そっと伊野崎の耳元で囁いた。
「俺、男もいけるんだよ」
葉山の左手の薬指には指輪がはまっている。
それを見ながら、伊野崎は曖昧に笑う。
「痛!」
葉山の右手を、柴が捻り上げた。
どうやら、伊野崎の背中に葉山が手を回そうとしたようだ。
立ち上がった柴が手を離すと、葉山はバランスを崩す。
柴に睨まれながら葉山は訊く。
「何?柴と付き合ってんの?」
「いや」
伊野崎が否定すると、柴は苦渋の表情をした。
葉山も椅子から下りると、柴の肩を強く押す。
「俺は伊野崎に話してんだよ。柴は高校の時から変わんないな。引っ込んでろ」
柴も葉山の肩をそれ以上に押し返した。
「気安く誘うな。伊野をなんだと思ってんだ」
葉山に突き飛ばされた柴が、カウンターに背中を打ちつけた。
グラスが落ちて割れる。
その音に辺りが静まり、二人の動きが止まった。
察した足立が戻ってきて、葉山と柴を引き離す。
「大丈夫か?」
伊野崎は頷き、店員に謝り割れたグラスを片付けてもらう。
「落ち着けよ。葉山は、あっちで二次会の店、探そ」
足立が葉山の腕を引っ張っる。
「でも…」
と言いながら、葉山は不承不承従った。
注目されてしまった伊野崎は、居心地悪そうに座り直した。
「どうして柴が怒るんだ」
「あいつは、高校の時から伊野のこと見てた。俺は知ってる」
「嘘だろ」
高校生の伊野崎は、柴しか見ていなかったようだ。
まったく記憶にない。
「あいつ、本気で誘ってた。なんで笑いかけたりするんだよ。連絡しないよな?」
「しないって」
伊野崎が否定すると、柴は安心したように息をつく。
足立の方を伺うと、葉山と二人で話をしていた。
葉山も冷静になったようだ。
「俺も伊野からしたら葉山と似たようなもんだよな。言える立場じゃない」
自嘲する柴は、グラスのビールを飲み干し、
「…もう帰らないか?」
と懇願するような目をした。
「柴、来たばかりだろ?何か食えよ」
柴は何も食べてなかった。
「また葉山から誘われるの見たくない。俺は伊野に会いにきただけだからいいよ」
柴は腰を上げて、伊野崎を待つ。
傍らに立つ柴を迷いながら見上げた伊野崎は、仕方ないなと思い、従った。
遠くから足立に挨拶して店を出た。
柴と一緒に電車に乗り、同じ駅で降りた。
改札口を出たと同時に伊野崎は言った。
「柴の家、行ってもいいか?」
柴の足が止まる。
「…今、部屋が散らかってるから」
伊野崎は自意識過剰にも断られるとは思っていなかった。
なんだ、その女みたいな断り方。
もしかして。
「…誰かいるのか?」
「違う。びっくりしすぎて、変な断り方してしまった。伊野が部屋に来たら興奮して、何やらかすかわからない。そしたら、また伊野に嫌われるから部屋は駄目だ」
柴は、眼鏡のフレームを上げ、再び歩き始める。
「もう、今でも柴の評価は地の底だ」
と伊野崎が言うと、柴は項垂れる。
「でも、今日は…伊野と穏やかに話ができてる」
「今日は高校に戻ったみたいで気分がいいから」
柴の家を通り過ぎた。
伊野崎を送ってくれるようだ。
「あのさ、あの夜に俺が言った3Pなんて嘘だ。柴が会いに来ても、自棄を起こしたりはしない」
「…伊野を苦しめるなら、会えないって思った。嘘でも同じだよな。ごめん」
「柴といると別れた時のことを思い出すし、許せる気がしない。さっき葉山の指輪見て、柴も結婚指輪してたんだなって思った」
「うん。ごめん」
二人で肩を並べて伊野崎の家まで黙って歩く。
素直な自分の気持ちを、伊野崎は告白しようと決めていた。
玄関前まで到着した。
伊野崎は心中を伝える。
「会えば辛くなるけど会えないのも辛いみたいだ。俺も会いたかった」
「…本当?」
「だからって、付き合うとかは想像できない」
「うん。会いたいって思ってくれただけで嬉しい」
柴は何度も頷き、嬉しそうに目を細めた。
「明日、目が覚めたら、また辛くて会いたくなくなるかもしれない」
伊野崎はありのままを伝える。
「待つよ。伊野が好きだから」
唐突に伊野崎は、柴の肩に頬を寄せていた。
柴がビクッとする。
柔軟剤と汗の匂いがした。
「柴の匂いは嫌いじゃない」
柴は直立不動で動かない。
間近に迫った伊野崎の顔を避けるように顔を背けた柴は、見たことがないほど赤かった。
耳も首も真っ赤だ。
「ありがとう」
柴は震えた声で呟く。
「伊野がいいって言うまで、伊野に触れないから、そばにいさせてほしい」
一歩下り距離を取った柴は、潤んだ瞳で笑っていた。
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