第2話

 ミステリ作家伊野崎しょうの新作記念サイン会は、駅前の大型書店で開催されていた。


 やはり、健が勤める出版社だ。健もいる可能性がある。


 自動ドアをくぐり、夏生達が受付に到着したのは、終了時間間近で最後尾だった。

 十五人程が並ぶ列は、若い女性が多い。


 奥の白いカーテンで間仕切りした部屋で作家と対面できるようだ。


 一歩進んで待つを繰り返し、四十分が過ぎた頃、列はなくなり夏生と芳田だけになった。次だ。

 そこで、間仕切りから案内に現れたのは、スーツ姿の健だ。


「あれ?夏生?芳田も」と健は少し驚き「どうぞ中へ」と誘った。


 部屋の中は見た目より広く、机を挟んで着席する男だけがいた。伊野崎しょうだ。

 正面に案内される。

 

「お願いします」と購入済みの新書を渡す。


 二年前にデビューした伊野崎しょうのシリーズ新作三作目だ。暗い背景にポップなタイトルが踊っている。


 刑事と探偵のホラーミステリだった。

 メインの二人の主役よりも、神出鬼没のゲイのヤクザの脇キャラが女性に人気らしい。


 そして、先日、あるインタビューで伊野崎は、自らゲイだと公表したことにより、作品よりも作者が注目されている。


 夏生も興味を持ち、読み始めた。

 

 伊野崎は肩で切り揃えたくせのない髪を一つで縛り、形のよい耳を見えていた。

 三十歳を過ぎているはずだが、健と同じ年齢にも見える。


 本の見返しにマジックでサインをした伊野崎が「ありがとうございます」と両手を添えて本を返した。


 自分と同じ性的嗜好の男に会う機会が少ない夏生は、無遠慮に見過ぎたかもしれない。

 

 伊野崎は綺麗に笑った。

「二人は、大学生かな?」

「はい。三年です」と、夏生は答えた。


 昨日聞いた声に似ている。

 やはり、あれは伊野崎に違いない。二人は、相手の携帯に出るほどの仲なんだろうか。


 伊野崎の背後に、健が立ち「私の大学の後輩なんです」と耳打ちする。


 伊野崎はパチっと瞬きをした。

「もしかして昨日、電話でお話ししましたか?」


 夏生の心を代弁するかのように、伊野崎は、なんの躊躇いもなく言った。


 ちらっと健の様子をうかがい「はい」と夏生は答える。


「雨宮さんが、さっき夏生と呼んでいたのが聞こえたので、携帯の表示と同じお名前だなと思ったんです」


「昨日、通話したのですか?」

 不思議そうな健が口を挟む。


 伊野崎は悪気なく伝えた。

「うっかり伝え忘れてましたが、昨日、雨宮さんが寝てしまった後、何度か携帯が鳴ってました。急用かもしれないと思い、私が代わりに応対したんですよ」

 

 健は知らなかったようだ。


 眉間に皺を寄せる健が口を開く前に、芳田が呟いた。

「昨日、夏生の誕生日だったんです」


 夏生は、歯が痛いような欠伸を堪えるような不味い飴を舐めるような表情をした。芳田の背中に隠れたかった。


 この場で言及することじゃない。

 一瞬、健は目を見開き能面のように固まった。


 机の上にあった花束を伊野崎が、両手で抱え立ち上がった。

「そうか。出版社からの頂いた花で、悪いんだけど。あげるよ。誕生日おめでとう」


 男が持つには、気恥ずかしい大きさの花束だった。

 受け取るか迷ったが、夏生は「ありがとうございます」と受け取った。


 呆然とした健を蚊帳の外にし「君の方が似合ってる」と伊野崎が、彼氏のようなセリフを吐いた。

 

 花束を抱えて書店を出ると、芳田が気まずそうに口にした。

「俺、余計なこと言っちゃった?」

「いいよ。いいよ」

「雨宮さん、もしかして、誕生日忘れてたのか?」


 夏生は項垂れる。

「うん。自分から言い出せなくなってたから、かえってよかった」


 その時、携帯がメッセージを受信した。「待って」と健の一言がある。


 芳田と別れ、身を翻すと、ちょうど健が走って現れた。

「仕事を抜けられるのが三十分ぐらいだから、地下の駐車場にある車の中で話さないか?」


 夏生が頷き、地下に向かう。

 駐車場は外より暑くなかったが、自動販売機でペットボトルを買った。


 車に乗り込み、健は広く空いているスペースまで駐車しなおすと、シートにもたれかかり、夏生の手を握った。


「昨日はごめん。夏生のメッセージも読んでなかった。遅くなってもいいってあったのに…プレゼントは、もう決めてるんだ。一緒に買いに行こうと思って、買ってないだけで」


「いいよ。俺、男だし。女だったら記念日とか大切にしないといけなかったよな」

 夏生は自分の言った言葉に胸が傷んだ。


 今まで健が付き合ってきたのは、女ばかりで、夏生は良いのか悪いのか唯一の男だ。

 

 相手の性別が変われば、接し方も違うだろう。

 女のように扱われるのは苦手だった。

 しかし、男だから蔑ろにされるのは嫌だ。


 健は夏生の顔を覗き込む。

「夏生、ごめん。誕生日おめでとう。それに先生が携帯とって、驚かせたよな」


 夏生は黙った。ふいに涙が出そうになり、堪えた。


「こっち見て、夏生。お願い」

 そう健が言うから、夏生は仕方なく視線を合わせる。

 

「…昨日どこにいたんだ?」と夏生は訊く。


「伊野崎先生の家。今日から、先生と取材旅行に行くから、その打ち合わせが長引いて」 


「どこ行くんだ?」

「四国に。二泊で戻ってくる。そしたら絶対絶対、誕生日やり直すから」


 健は、ゆっくりと体を傾け、夏生の唇に軽くキスをした。離れがたいとばかりに、もう一度。


「見られたら、どうするんだよ」

 夏生は健の胸を押した。

 

 多忙な健は、夏生の存在を忘れているわけではない。

 すっかり忘れていたら、連絡もなく今のように追いかけてもくれないだろう。そう思いたかった。


 スイッチが入ってしまったようで、健は夏生の頬を包むように触れる。

「触っていい?」

「もう、触ってるだろ」


 健はおずおずと躊躇いがちに言った。

「……勃った」

「は?」


 呆れ返る夏生に、疲れマラだ、と言い訳をする健と近くのトイレにこっそりと入った。

 

 男二人で個室は狭い。

 

 健は時間がないといいながらも、唇を合わせ、舌を入れ夏生の口内を探った。

 胸を撫でられると、下腹部にも刺激が伝わる。


 快感を追いながら、夏生は、まだ確認したいことを訊いた。

「…昨日は、先生の家に泊まったのか?」


 そう夏生が言うと、健は動きを止めずに「疲れて寝ちゃった」と認めた。


 夏生の胸の突起を爪で引っ掻き、摘み、指の腹で捏ねた。

 塞がれた口の中から蠢く舌が離れる。混じり合った唾液を嚥下した。


 健はベルトと前立てを外し、下着から勃ち上がった器官を取り出した。

 耳にチュと音を立ててキスをし「…舐めて」と囁いた。


 動きが制限された狭い公共の空間に興奮したのか、健も夏生も、すぐに吐精した。

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