第3話

 今日も暑かった。

 大学から帰り、すぐにシャワーを浴びると、夏生はしばらく半裸で過ごす。


 テレビのリモコンを探し、電源を入れると、丁度、夕方のニュースで天気予報が映った。

 気象予報士が、まもなく四国に大型台風が最接近すると伝える。


 頬杖をついて見る。

 高知県の中継が流れた。


 健は初日淡路島で一泊し、徳島から四国に入り、今は愛媛県に滞在中で、今日の夜に帰る予定だった。


 もし帰れたら、翌日に会う約束をしたが、難しそうだ。


 予想通りJRも新幹線も運休だとテレビが伝える。

 わかっていたが残念だった。


 健の岐路は、台風の進路とよく似ている。週末に戻れるのかも怪しい。


 携帯が鳴った。健だ。通話をタップする。


「お疲れさま」と夏生は言うと「帰れなくなった」と健が返事をした。

「台風、大丈夫か?」

「大丈夫じゃないけど、不幸中の幸い、急遽ホテルは取れた」


「よかった。大人しく部屋にいろよ」

「一部屋しか空いてなかったから、伊野崎先生と同じ部屋なんだ。ダブルベッドしかない」


 ダブルベッドは、健と伊野崎では狭いだろう。

 夏生は動揺する。


「あっ、そうなのか?それは、同じベットで寝る?」

「俺はソファだよ」

「そうか…えっと…先生はゲイなんだよね?」


 伊野崎は、とらえどころのない不思議な雰囲気の男だった。 

 

「ああ。でも、先生は俺に恋人がいること知ってるよ。心配か?」


 健は「疲れて寝ちゃった」と、言っていたが、考えてみれば、伊野崎は一人で暮らしているのだろうか。パートナーはいないのだろうか。


「心配じゃない…」

 夏生は嘘をついた。仕事だと割り切ることはできそうにない。


「家に泊まった時だって、床で転がってただけだから。それで足蹴りされて、起こされたからな」


「…わかった」

「わかってない。先生は、バイセクシャルが嫌いなんだよ。だから、ありえないから。俺より、夏生の方が、花なんて贈られて…」


 伊野崎からもらった切り花は、まだ咲いている。夏生まれの夏生に似合うと伊野崎が言ったのは、向日葵が入っていたからだろう。


「いつ帰ってくる?」

「ん。台風が過ぎた後も、見て回りたいらしいから、日曜日の夜に帰る」


 健はため息をついた。


 翌土曜日。

 大学図書館で夏生は、レポート作成をする。

 一週間後に大学生の長い夏休みが始まるが、その前に、来週からの試験が待っている。


 後ろの席にいた芳田と小声で話し、昼は揃って学食に移動した。


 芳田は唐揚げ丼を食べながら、「夏休み、いつ帰省する?」と言った。


 夏生は汁なし坦々麺を啜る。

「俺、親戚の結婚式があるから来週帰るよ」


「じゃあ、サークルの夏祭り、欠席か?」


 ボランティアサークルの例年の活動に、地域の夏祭りの清掃がある。

 

「欠席。芳田は、行くのか?」 

「行く。その後、帰省する予定だ」


 夏生と芳田は同じ高校出身だ。

「8月にクラス会がある」と、芳田が言い、懐かしい話で盛り上がる。


 高校で好きだった男子を思い出しながら、夏生は何気なく眺めた学食の大きな窓の外に、美香を見つけてしまった。


 美香は男の跡を追いかけ、腕を掴もうとして振り払わた。

 その拍子に振り回した男の腕が、美香の顔をバンッと打ったが、男は足早に去っていく。


 男に見覚えはない。

 残された美香は、痛そうに頬を押さえた。

 彼氏だろうか。


 台風一過の週末が過ぎた。

 健は無事に戻ってきたが、会えないまま、夏生が帰省し離れてしまう。

 電車で三時間かけ帰省した。






 夏生は、従姉妹の結婚式会場ホテルにいた。

 チャペル入口から登場する新郎新婦に拍手をして迎える。


 純白のウェディングドレスの新婦の従姉妹は、ブーケを高くふわりと投げ上げた。

 このブーケをキャッチすると、次に結婚できるらしい。


 夏生は冷めた目で眺める。


 自分には縁のないイベントだ。一生結婚しないだろう。

 健はどうだろうか。いやな想像をしてしまう。


 でも、健は夏生とは違う。将来を考えた時、何も産まれない男同士より、いつか女性を選ぶのではないか。

 いつかは、すぐに来るかもしれない。


 健は一度ぐらい男と付き合ってみるか、という軽い気持ちで、夏生を選んだのではないだろうか。

 だから、美香と二人でホテルになんか行ってしまったのではないのかと考えてしまう。


 健の言う「好きだ」は、あの瞬間、特別な色から色褪せてしまった。


 いつか健と別れる時が来たら、と想像し、披露宴の美味しい料理の味がなくなる。


「なっちゃん、食欲ない?」

 右隣の母律子が、声をかけてくる。


「食べてるよ」と返す。


 左隣の高校生の弟が、育ち盛りとばかりに猛烈な勢いで皿を平らげていく。


 夏生は、ごくごく一般的な四人家族だ。


 両親から厳しい躾を受けることもなく甘やかされることもなく、夏生は、平均的な子に育った。


 ただ、人と違うのはゲイだということだけ。

 違和感を確信したのは、夏生が高校生の時だ。

 

 不測の事態でもなければ、家族にカムアウトをすることはないだろう。


 一人暮らしのマンションに家族が突撃してくることもなく、健と鉢合わせをする可能性もない。


 律子が訊く。

「いつまで、こっちにいられる?」


「盆休みにバイトのシフト入ってるから、それまでに戻るよ」


 本当は貴重な盆休みを健と過ごすためだけに帰る。

 言えないことが、増えていく。


「そのネクタイいいわね。かっこいい」


 そう律子が言うと、夏生はスーツに視線を向け、笑った。


 ラベンダー色のネクタイ。

 このネクタイは健と買い物の途中、何気なくプレゼントされたものだ。お揃いで。


 健はやたらとペアで購入するのを好む。

 家のなかで使うお揃いのマグカップなどは良いが、身につける物のペアは、まだ抵抗があった。


「もうすぐ、就職活動でしょ?準備してる?」

「うん。六月に短期のインターンに行った」


 夏生は地元で就職活動はしない。大学進学の時から決定事項で、家族も納得済みだ。



 ◆


 三日後。

 夏生は、ウィルスに感染し、なかなか下がらない高熱に苦しんでいた。

 

 その頃、所属するボランティアサークル内で、雨宮健と美香の目撃情報が、瞬くに広がったことも知らずに。


 二人がいた場所は、産婦人科の待合室だった。


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