9.雨の降る日は
姉さんとの食事会は毎回雨だった。本日も例におよばず朝から雨が降っている。足場が悪い中姉さんを外出させることに罪悪感を覚えながらも、月に一回しかない姉さんと二人だけの時間をなくすことは俺にはできない。
こうも毎度毎度雨が降るのは、姉離れをしろという天からのお告げだろうか。
◇
「お待たせ、
ドヤ顔で俺を見る姉さんは今日も可愛い。
姉さんを雨の中たくさん歩かせてはいけないので、駅近くのカフェに入った。
「拓真さ、結局
メニューを見ながら姉さんがしれっと聞いてくる。てっきり俺と佳奈美さんのことは全部筒抜けだと思っていたので少し驚いた。
「佳奈美さんからはなにも聞いてないんだね」
「親友に弟との恋愛事情は聞きにくいでしょーが」
メニューから少し顔を上げた姉さんは目を細めたあと、わくわくしたように身を乗り出した。
「で、上手くいったの?」
「……全然ときめかないって言われた」
そう言うと、姉さんはぶふっとふきだし、笑う。
「拓真可哀そう……」
「可哀そうだと思ってないでしょ、姉さん。めっちゃ笑うじゃん」
「だって佳奈美がそれを言ってる姿を想像したら面白くて」
姉さんの親友であり、俺の初恋である
小説家としてデビューした佳奈美さんが恋愛ものを書きたいというので、仮の彼氏として立候補したのが事の始まり。お試しで一か月間恋人ごっこをしたものの、関係性は何一つ変わらなかった。期限最終日に改めて告白したが、あっけなく先ほどのセリフを言われ、撃沈したということだ。
「じゃあ今日は失恋しちゃった可愛い弟のために、姉さんがおごってあげよう。さあ飲んで飲んで!」
姉さんはメニューを俺に押し付けた。飲んでと言われても、このカフェはお酒の提供をしていない。
「あ、わたしはね、このチョコチップスコーンにするー」
姉さんはのんきにメニューを指さす。
「わかったわかった。すみませーん」
俺は肩をすくめ、店員さんを呼んだ。
窓際の席に座っていると、雨の打ち付ける音がよく聞こえる。一人でいると気分も沈みそうだが、姉さんと一緒だとなんだか楽しい音楽に聞こえてくるようだった。
◇
夕方になっても雨は降り続いており、二人で駅へと向かう。
「それじゃあまたね、拓真」
一人で普通に帰ろうとする姉さんを慌てて呼び止める。
「待って姉さん、送っていくよ」
「いいっていいって、遠回りでしょ?」
俺は実家に住んでいるが、姉さんは夫である優大さんと一緒にマンションに住んでいる。実家とは帰る方向が反対なのでたしかに遠回りなのだが。
「姉さんを一人で帰らせられないし」
俺は姉さんを追い越して、ホームへと歩を進めた。「それに、」と小走りでついてくる姉さんを振り返る。
「送らないと優大さんに殺されるから」
優大さんは姉さんのことが大好きだ。俺と競えるレベルに。彼を怒らせたらたぶん俺は即死だと思う。敵に回したくないタイプなのだ。
姉さんは俺の横に並びながら、大きく頷いた。
「たしかに優大くんキレたら怖いもんね」
うんうん、としきりに頷いている姉さんだが、きっと優大さんは姉さんに本気でキレることはないだろう。
無事に姉さんの住むマンションまで着くと、エプロンをつけた優大さんが玄関で出迎えてくれる。部屋の中から良い匂いが漂ってきて、夕飯を作っていたのだとすぐにわかった。それにしても、強面の優大さんがエプロンをつけている姿はギャップがあってちょっと面白い。
「優大くんただいまー」
「おかえり、
本人は気づいていないだろうが、優大さんは姉さんと話すとき、やたら声が優しい。というか甘い。
俺に目線をうつすと、表情があまり変わらない優大さんの口角が少しだけあがった。
「拓真も、送ってくれてありがとな」
「いえ、当然のことです」
「夕飯食ってくか?」
優大さんがそんな提案をすると、姉さんは「いいね!」と即座に俺の手を引っ張った。
「ほら拓真あがってあがって、一緒に食べよ」
新婚夫婦と一緒にご飯を食べるのは正直気まずいが、お邪魔させてもらった。
「そういえば優大くん、拓真とサシ飲みしたいって言ってたよね」
三人でご飯を食べながら姉さんは優大さんを見てにこにこしている。「ああ」と優大さんは小さく頷いた。
俺は壁にかかったカレンダーを一瞥する。
「いいですね、今度行きましょう。姉さんの話で盛り上がれそうです」
「それはなんか嫌なんだけど」
姉さんがちょっと顔をしかめると、優大さんはふっと笑った。
「紗穂の話なら一日中できる」
「わたしだって優大くんのことなら一日中話せるよ」
謎の対抗心を出す姉さんを優大さんは「はいはい」と軽くあしらった。
「――お邪魔しました」
「気をつけて帰れよ」「また来てねー」
夕飯をごちそうになったあと、二人に見送られてマンションを出た。まだ雨は降っていて、俺は一人駅へと歩く。
次の電車まで時間があったため、駅ビルにある本屋に寄ることにした。小説コーナーで本を物色していると、ふいに肩をポンと叩かれる。
「
振り返るとそこにはなんとなく見覚えのある顔があった。日に焼けた肌に凛々しい眉が特徴的な目の前の青年は、俺の顔を正面から見ると、晴れやかに笑う。
「お、やっぱり。久しぶり……つっても結城の結婚式ぶりか」
「お久しぶりです、
俺は軽く会釈した。
宮内先輩は姉さんの同級生で、男子バドミントン部の部長をしていた。高校時代、女子バドミントン部の部長だった姉さんとは仲が良かったらしい。
姉さんの結婚式に来ていたくらいだし、大学時代も飲みに行っていたようだ。おそらく姉さんの一番仲の良い男友達なのだろう。
「あ、ごめん、下の名前なんだっけ」
「拓真です」
「あー、そうだそうだ、拓真な! 覚えた。拓真は大学この辺なのか?」
「いえ、さっきまで姉さんの家に行ってて、帰るところです」
「なるほどな、電車の時間は大丈夫か?」
宮内先輩に言われてスマホを確認すると、発車時刻が近づいてきていた。
「そろそろ行きます。では」
「おー、またなー」
ニカッと笑い、手を振る宮内先輩に俺は軽く頭を下げてからホームへと向かった。
電車に乗っていると、『miyauchiが友達登録しました』とメッセージアプリからの通知が入った。そのすぐあとに、
『結城から連絡先聞いて登録した よろしく!』
とメッセージが送られてくる。
『了解です。よろしくお願いします』
俺もシンプルなメッセージを返信すると、既読が秒でつき、可愛らしいトラがおじぎしているスタンプが送られてきた。
車内でアナウンスが流れ、最寄り駅に着く。外に出ると、あんなに振っていた雨がやんでいた。
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