5.親友の弟

「こんな時間にだれ……」

 朝、アラームが鳴るよりも前に着信音に無理やり起こされる。

 枕横にあるスマホを手探りで見つけ、画面をタップした。発信者のやたら元気な声が聞こえてくるので、思わず耳からスマホを遠ざける。

「おはようございます、佐倉さくらさん! 新刊の『秘密のアトリエ』めっちゃ面白かったです!」


 着信音が鬱陶うっとうしくて名前表示を見ずに電話を取ってしまったが、相手は先月本屋で出会ったDK男子高校生であった。ベッドの上で横になりながら、私はなんとか声を出す。寝起きでカスカスなのだがいたし方ない。


「……おはよう、遊佐ゆさくん……」

「あれ、もしかして寝てました?」

 きょとんと首をかしげている遊佐幸助こうすけの姿が頭に浮かんだ。私は部屋の壁掛け時計を確認する。


「だってまだ朝六時だよ……」

「たしかに……! それはすみません! 四時くらいに起きてさっき読み終わったとこだったんですよ。早く感想言いたくて」

「そっか、ありがとね、読んでくれて」

「はい! 絵画とかあんま興味なかったんですけど、『秘密のアトリエ』読んだらめっちゃ興味出ました! 画家の密室殺害事件、どんでん返しもあってわくわくしました!」

 たぶん今遊佐くんが目の前にいたら、彼はグイグイと距離を縮めていたことだろう。彼の距離感は少々バグっている。気軽に会える距離じゃなくて良かった。電車で片道三時間はちょっと遠い。


「――あ、すみません。オレそろそろ家出ないと!」

 まだ時刻は六時十分。十分間も遊佐くんは私の新刊の感想を喋っていたことになる。熱量がすごい。

「うん、朝練頑張ってね」

 サッカー部に所属している遊佐くんは毎日朝練がある。文化部だった私には全くえんのなかった朝練。登校すると、汗を流した運動部の生徒が扇風機の前にむらがっていたのを思い出す。


 二度寝しよ。私は再び目を閉じた。


 ◇


 九時にセットしていたアラーム音で目覚め、支度したくを整える。今日は週一で会うのが恒例こうれいとなっている拓真たくまとの読書会の日だ。

 待ち合わせであるカフェに着くと、拓真はすでに来ていた。飲み物とシフォンケーキを頼み、トレイを持って彼の席に移動する。


「おはよ」

 読書に集中していた拓真は声を掛けるとようやく私の存在に気づいた。

「おはよう、佳奈美かなみさん」

「拓真がこの前おすすめしてくれた小説読んだよ。やっぱいいよね、イヤミス」

「さすが。やっぱ佳奈美さんとは小説の好み合う。姉さんも優大ゆうだいさんもイヤミス嫌いだからさ」

 拓真はそう言って肩をすくめた。


 高校で仲良くなった紗穂さほの家によく遊びに行くようになり、四歳下の弟である拓真とも自然と話すようになった。読書家の拓真とはすぐに意気投合した。


細美ほそみさんもイヤミス駄目なんだ?」

 細美優大――紗穂の旦那さんとは、先月会ったばかりでそこまで会話をしていないからよく知らないが、紗穂のことが大好きなのはすごくわかった。

 見た目は怖いけど中身は優しい、という紗穂からの情報に、イヤミスが苦手、と追加した。

すすめたら読んではくれるけど、顔に微妙って書いてある」

「ははは、なにそれ。細美さんってポーカーフェイスかと思ったら意外と顔に出るんだね」

「姉さんといるときの優大さんは好きオーラであふれてたでしょ?」

「ああー、それはわかるかも」

 わたしがにやりと笑うと、拓真も「でしょ」と優しく笑った。


 それにしても、紗穂と細美さんの相思相愛具合はすごく良い。今度書く小説は初めて恋愛要素を含んだ作品を書こうと思っている。担当さんも「恋愛! いいですね!」とノリノリだったから気合いが入る。


 だが、私自身、一度も誰かと付き合ったことがない。中学のころに告白してフラれて以降、恋の「こ」の字も忘れてしまった。恋愛を書くにあたっての経験が圧倒的にない気がする。

「恋かぁ……」

「恋?」

 口に出ていたようで、拓真が目をパチパチとさせた。


「恋愛作品が書きたいんだけどね、恋愛経験がなさすぎてどういうときにときめくのかわからないんだよね」

 ため息まじりに悩みを打ち明けると、拓真はアールグレイを一口飲んでから、真剣な顔で私の名前を呼んだ。

「佳奈美さん」

「うん? そんなに改まってどうしたの」


「だったら俺と恋愛してみませんか」


 思いもしない彼の言葉に私はフリーズした。俺と、恋愛? 頭の中で何度も今のセリフを再生していると、拓真は私が喋り出す前に口を開いた。

「恋愛経験ないなら、俺と付き合ってみませんか」

「え、いやいやいや。そんな、ご飯行きませんかみたいなノリで付き合うものなの? お互い恋愛感情ないのに」

 私がそう言うと、拓真はものすごく大きなため息をつき、私をジトッと見つめた。


「俺、ずっと佳奈美さんのこと好きだよ。姉さんも知ってるし」

「待って待って、紗穂も知ってるの!?」

「うん、だから何回も俺と佳奈美さん二人っきりにしてくれてたじゃん。でも佳奈美さん自分への好意に鈍感どんかんすぎて、姉さんもこりゃ無理だねぇって言ってたんだよ」


 私はおでこに手を当ててうつむいた。思い返せばたしかに紗穂は「わたしゲームしてるから二人は本の話でもしてなー」と言っていたことはあった。てっきりゲーム下手な私では相手にならないという理由でそういう発言をしていたのかと思っていたが。違うのか。


「俺は佳奈美さんのこと好きだから問題ないでしょ? 恋愛関係は一方にしか恋愛感情なくても成立するし」

 そんなことを言い出す拓真に私は顔を上げる。

「拓真はそれでもいいわけ?」

「まあこれから好きになってもらえば問題ないかと」

「う、ううーん」

 私が答えにしぶっていると、拓真は腕時計を確認してからサッと立ち上がった。


「そろそろ大学行くから、考えといて」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 さすがに拓真からのこの申し出について早急に答えを出さないと、気になって一日何も手につかない気がする。

 そんな私の考えを察したのか、拓真は今まで見たことのないような人の悪い笑みを浮かべていた。


「好きな人が自分のことで頭いっぱいになってるのって良いね」

「なっ……!!」

「じゃあまたね、佳奈美さん」

 颯爽さっそうとカフェから出ていった拓真から目が離せなかった。背中が見えなくなると、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。


「はぁ……どうしよう」

 私は冷めてしまったカプチーノをちびちびと飲んだ。

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