6.彼女には一生敵わない

「よしよし、いいぞー」

 紗穂さほがまた本を積み立てている。


 同棲どうせいして半年、俺が買う本と紗穂が買う本で部屋はあふれかえっていた。一人で住んでいたときは本棚で事足りていたのに。

 合鍵を渡したからアパートに来るのはもちろん良いのだが、まさか住み始めるとは思わなかった。一緒にいられる時間が増えるのは嬉しいが、机の上や床に本を置くのはやめてほしい。


 一緒に暮らしてみると、俺と紗穂の生活観はだいぶ違った。比較的綺麗好きな俺と、散らかってても良い派の紗穂。飯もフライパンのまま食べ始めるし、ガサツな子だった。想像通りで笑える。


 紗穂は意気揚々ようようと昨日買ってきた小説を三冊積み上げた。わざわざ椅子に乗って。

「紗穂、いいかげん本積むのやめろ。危ねぇから」

 そう言うと、紗穂は「えー」と頬をふくらませた。

 彼女は椅子からゆっくり降り、自分より背が高くなった本のタワーをながめる。

優大ゆうだいくんの身長まで積むのが目標なんだよー」

 ふにゃりと笑う紗穂にあきれてため息が出る。本のタワーの横に並んでみたが、俺の身長に届くまでまだかかりそうだ。


 紗穂が一歩歩き出そうとすると、カーペットのすみに引っかかり俺の方へ倒れてきた。

「ぬあっ!」

「おい、危な」

 コケる紗穂を支えたまま、本のタワーに接触してしまい、尻もちをついた。彼女の頭を守るように腕を回すが、上から本が降ってきてドサッと音を立てた。


 腕の中にいる彼女の頭がもぞもぞと動き、俺を見上げる。

「危機一髪だったねぇ……ありがと、優大くん」

 倒れているんだから危機一髪ではない。

「だから言っただろ。危ねぇって」

 自分でも驚くほど声が低くなってしまい、紗穂は気まずそうに顔をそらしてから「ごめんなさい」と言った。俺が腕を離すと、紗穂は床に散らばった本を静かに集め始める。


 ……しょげている彼女を見るのは好きではない。俺も一緒に床の本を集めた。

「紗穂」

「な、なに?」

 怒られると思っているのか、彼女は本を腕に抱えたまま首をすくめる。


「片付けたら本棚買いいくぞ」

 紗穂は俺の言葉にびっくりしたように何度もまばたきをした。

「え、う、うん!」

 ちょっとだけ彼女の笑顔が戻り、俺は胸をなでおろす。

 顔も話し方もキツいとよく言われるから、話すトーンくらいは改善したいと思ってはいるが、なかなか上手くいかない。


 本を一通り集め、五冊ずつ積み上げた。これくらいなら危なくないだろう。それにしてもよくあそこまで積み上げられたもんだな、と今更ながら感心してしまう。

 片付けて気分も戻ったらしい紗穂は「よし」と立ち上がった。

「デートの準備しなきゃっ!」

 楽しそうにクローゼットを開ける紗穂。俺はその間に昼食作りを開始した。


 十五分くらいで昼食が出来上がると、洗面台で髪を巻いていた紗穂が戻ってきた。

「どうどう?」

 可愛い。と言う言葉を心の中で呟いてから声を出す。

「似合ってる」

 すると彼女は口をとがらせた。

「優大くんってなんで素直に可愛いって言ってくれないの」

「恥ずいだろなんか」

「ふーん。まあ顔に可愛いって書いてあるからいいけどさ。直接言われたら嬉しいのになぁ」

 ふふんと口角をあげた紗穂はソファーに座り、一足先に昼食を食べ始めた。そんなに顔に出ているか? 俺が一人で首をひねっていると、紗穂はソファーをばしばしと叩いた。

「早く食べてデート行こ」


 思ったことをいつも口に出して伝えてくれる彼女に、自分は同じくらい返せているだろうか。そんなことを考えながら昼食をたいらげ、玄関で準備万端な紗穂を眺めてしまう。紗穂は首を傾げた。

「忘れものでもある?」


「好きだ」


「あ、え、え、ええ!」

 紗穂は顔を真っ赤にして狼狽うろたえた。

「きゅ、急に爆弾投下しないでよもう!」

「直接言われたら嬉しいんじゃないのかよ」

「嬉しいよ! 嬉しいけども!」

 そうして彼女は真っ赤な顔を両手で覆い、その場にへたり込んでしまった。顔を隠した紗穂の前に、俺もしゃがみ込む。


「照れてんの可愛いな」

 思ったことを口にしただけなのに、彼女は顔を上げると俺の肩をドスドス叩いてきた。意外と力が強い。

「だーかーらー急に素直にならないでよ」

「悪い」

 思わず笑うと、紗穂は「だーかーらー」とまたもや怒り始めた。

「笑うの禁止! その笑顔は見せたらだめ! みんな優大くんのこと好きになる」


 わけのわからない怒り方をする彼女の機嫌をとるにはどうしたらいいかわからん。とりあえず真っ赤な頬に手を伸ばし、唇を重ねた。顔を離すと、名残惜しそうな表情の彼女と目が合う。

 う、そんな目で見んな。中途半端にキスなんかした自分を秒で呪った。


 俺が勢いよく立ち上がると、紗穂は小さな声で「終わり?」と見上げてくる。その視線と合わないように顔をそむけた。

「……続きは夜」

「ええー、夜まで待てないよ」

「それを言うのはだいたい男だろ」

「めっちゃ偏見じゃん」

 紗穂は笑いながら立ち上がると、埃をはらうようにスカートをぱんぱんと叩いた。


 玄関を出て鍵を閉めてから紗穂の手を握ると、彼女は「ちがーう」と言いながら指を絡めてきた。恋人繋ぎというやつだ。紗穂は満足げな顔で俺を見る。


 可愛いこの恋人には一生敵わない。

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